Home 亜細亜の街角 | Muangsing / Laos / Mar 2003

ムアンシン

ルアンナムタ→ムアンシン 移動

ルアンナムタでは通電時間が決まっており,早朝に起床しても電気は来ておらず,ローソクの灯りで荷物をまとめる。キップ売り場で12,000Kを払い荷物を荷台に乗せ,近くの露店からフランスパンとチーズを買ってくる。<荷台の両側の座席はすでにいっぱいなので中央部の小さなイスに腰を下ろしパンをかじる。

07:45にソンテオは動き出す。約60kmに道のりの途中で4ヶ所の大きながけ崩れがあった。無理をして斜面を削っているせいか大雨のたびにがけは崩れる。周辺は二次林ながら森林の風景が続き,ときおり小さな集落を通過する。

メコン流域には黒豚が多い

ブタ(イノシシ科・イノシシ属)はイノシシを家畜化したもので種名も「イノシシ(Sus scrofa)」となっている。つまり家畜のブタも野生のイノシシも同じ種ということになる。ただし,識別の必要があるためかブタの学名は「Sus scrofa domesticus(家畜化されたイノシシ)」となっている。イノシシは雑食性であり環境への適応性も高い。

人間による家畜化が進んでも野生種が広範囲に生息している。イノシシは人間に慣れやすいので8000年前にはユーラシア大陸の東西で家畜化されたと考えられている。中国では世界でもっとも早い時期にブタが家畜化された地域であるが,メコンの周辺にはイノシシとそれほど変わらない黒ブタが多く,近くを通るとちょっとドキドキする。

ちょっと膨らませすぎたかな

籾を精米している家があった。ジーゼルエンジンでベルトでつながった小型の籾摺り機の上から籾を入れると玄米(もしくは精米)が出てくる。この工程を手作業でするのは大変な手間がかかる。このラオスの北の外れでも確実に近代技術は浸透している。

しばらく作業を眺め,この家の子どもたちにヨーヨーを作ってあげることにする。しかし,ちょっと空気を入れ過ぎてしまった。フーセンと同じで膨らませすぎると必然的に割れやすくなる。おまけにきれいな円形にならず楕円形に近くなってしまった。

これから水浴びなの

これから水浴びに出かける少女がいた。彼女のあとをついていくと学校に向う近所の子どもたちも集まってくる。彼らの行き先には井戸ではなく水道の蛇口があった。こんな村に水道があるとは驚きだ。どこかに給水塔があり高低差で水を流しているのであろうか。

ともあれ,蛇口をひねると水が出てくる。子どもたちは「ほら,ちゃんと水が出るだろう」と外国人旅行者に説明してくれる。水浴びの女の子はまず洗濯から始めた。洗濯物を丸めていねいに押し洗いをしていく。

小学校の前で集合写真

子どもたちに案内されて小学校に到着した。校舎は木造でところどころにある窓は板戸になっている。教室には灯りはなく,板戸の窓を開かなければ薄暗い空間になっている。教室の中には大きな机とベンチ形のイスがある。

子どもたちに坐ってもらうと三人掛けであった。授業は始まっていなかったので,二人の年長者を相手にオリヅル教室を開く。回りの教室からも子どもたちが集まってきてずいぶんギャラリーが増えてしまった。さすがに教室内では写真にならないので外に出て集合写真を撮る。

教室の風景

鐘が鳴ると子どもたちは教室に入り,それぞれの席に着く。机には大小があり二人掛けと三人掛けになっている。小さな子どもにとって机は少し高すぎるようだ。

ラオス文字は複雑だ

黒板にはタイ文字に似たラオス文字が書かれていた。インドシナ半島はインドと中国というアジアの二大文明圏に挟まれている。先進の文明圏からは文化や技術とともに文字も周辺に伝播している。中国の漢字は特異なため,東南アジアは文字に関してはインド文明圏に含まれるようになった。

インド文字のルーツはBC3世紀,アショーカ王の時代の「ブラーフミー文字」にあるとされている。統一王朝の時代をほとんど経験していないインドでは時間とともに各地域で文字は多様化していき,現在のように多くの文字種に分化していった。東南アジアに伝播したのは南方系の「パッラヴァ文字」とされている。

乾季はスイカの季節である

メコン流域では3月末は乾季にあたり,インドシナでは暑季とも呼ばれている。陽光は日々強くなり,雨が少ないので気温は夏よりも高くなる。湿度は少ないものの強い日差しと高温のため低地では旅行者につらい季節である。

ムアンシンの標高は650mほどなので僕にとっては快適な時期といえる。この乾季に合わせるようにスイカの収穫が行われている。スイカは大きいので市場でも非常に目立つ。市場に運び込むのも大変なので,市場の外ではトラックの荷台と一部を地面に下ろした状態で販売している。

原種に近いナス

町の中の空き地にナスがあった。これは栽培されているものではなく勝手に生えてきたものである。ミニトマトより一回り大きな緑色の実がなっている。茎や葉にはするどいトゲが生えており,原種に近いものだと想像される。

タイやラオスの市場にはこのような形のナスも売られているが,この空き地のものは食用にはならないらしく,切り倒されていた。ナス(ナス科・ナス属)の原産地はインド東部,原種は「Solanum insanum」が有力とされているが,まだ特定されてはいない。東南アジアにも多くの栽培種があり,こちらが原産地とする学説もある。

早朝の市場

昨夜は大雨になった。01:30頃から降り出し,すぐに雷雨となり2時間ほど盛大に降った。5秒に1回くらいの頻度で音もなく強い光が飛び込んでくる。窓の外は庇のあるテラスになっており,雨が吹き込むことはないが寒さで閉める。

ムアンシンの市場は早朝からにぎわっている。旅行中の僕の起床時間はだいたい06時であり,そのまま市場に行くとまだ06:30だというのにこの賑わいである。建物の内部はまだ光が足りなくて写真にならない。外は露天になっており,テーブルの上に野菜類が並べられている。売り手も買い物客もほとんどが女性である。客は朝食を含め一日の食材を買い求めているようだ。

市場で朝食をとる

屋根付きの一画には簡易食堂がある。なんといっても早朝から働いているので朝食も必要になることだろう。ここのメニューは生めんであり,客の食べているどんぶりを見ると,備え付けの調味料で赤くなっており,食欲の湧くものではない。

朝食は別の食堂でフランスパンとトマト入りオムレツ(7000K)にする。フランス植民地であったためラオスやカンボジアではとてもおいしいフランスパンがどこでも手に入る。

おそろいの服を着る

少数民族の二人の若い女性が店を出していた。売り物はタケノコと小さなナスである。彼女たちの服装は上下とも同じだったので姉妹のようだ。巻きスカートは平地のラオ族の正装になるような金糸を使った立派なもので,市場で働くにはちょっとそぐわない。

市場の外で待つ

市場の外で家族を待っていると思われる小数民族の少女がいた。ムアンシンの周辺にはヤオ,アカ,黒ターイ,モン,ヤオなど非常に多くの少数民族が居住しているので服装だけでは民族名が特定できない。

この子も服装は普通のラオス人と近く,頭飾りがなければ少数民族とは分からないかもしれない。カメラを構えながら手を振って合図を送ると,ちゃんとカメラ目線になってくれた。

少数民族が経営する土産物屋

周辺の少数民族は村で作った織物を町の土産物屋に卸して現金収入を得ている。しかし,直接販売することにより収入はずっと良くなる。そのため,モンの人々は共同で直営の土産物屋を始めた。店の前では中学生くらいの子どもたちが刺繍をしている。

昔から刺繍や染め織りの技術は母から娘へと受け継がれており,この子たちは民族文化の次代を担おうとしている。中国とタイを結ぶ幹線道路ができるとこの辺りの暮らしも一変することだろう。その新しい時代が彼女たちにとってより幸せなものであることを祈りたい。

表情の豊かな女の子

少数民族の村を訪ねた2年前のトレッキング・ルートを見つけようと記憶を頼りに歩いてみた。しかし,歩き出してすぐに記憶と不一致となる。適当に歩いていると小さな村にたどりついた。特に少数民族の村というわけではない。家屋は高床式で屋根はヤシの葉で葺いてある。

一軒の家のテラスから子どもがこちらを指差している。お母さん(もしくはおばあさん)が出てきたので上げてもらった。この家の子どもは二人で,上の子はとても表情が豊かで写真写りがよい。お礼にヨーヨーを作ってあげると,弟が近所の子どもたちを呼び集めたため,さらに4個を作ることになった。

水牛に乗るのは簡単

この家の前の道路はいろんな人が通るので見ていて飽きない。洗濯に出かけるおばさんは天秤棒の両側にバケツと洗い物の入ったカゴを下げてにこやかに通り過ぎる。6-7歳の少年が水牛に乗ってやってきた。

水牛は東南アジアや中国南部の重要な家畜で,農作業には欠かせない労働力となる。ちょっと見には怖そうな動物であるが,実際にはおとなしく,怖がりである。僕などが近寄るとかなりの距離があるにもかかわらず警戒の眼差しでじっと見つめる。それでも,家の人にはよく慣れ,子どもはよくその背中に乗っている。

道路わきに食べ物屋がある

ムアンシンの幹線道路を北東に行くと9kmほどで中国国境に出る。もちろん,そこは外国人に開放されている国境ではない。2年前は片道を歩き,帰りは荷車に乗って帰ってきた。さすがにそこまで歩く気はないが,懐かしいので橋の向こうまで歩いてみた。

道路わきに屋根と柱だけの家があり,そこは完全オープンの食堂になっていた。プラスチックのザルに生めんが入っており,それを例の赤いスープで食べている。国境の向こうにある雲南でも米線(ミーセン)と呼ばれる同じような麺がある。麺そのものは日本の冷麦に近い食感なので,スープを一工夫してくれれば好きになれるのにといつも思う。

サトウキビは安上がりのおやつ

道路わきで子どもたちがサトウキビをかじっている。サトウキビの固い表皮を削る。繊維質の芯の部分は適度に甘く,子どもたちの良いおやつになる。世界中で1年に生産される砂糖は約1.4億トンでこのうち65%はサトウキビ,35%はテンサイから作られる。主食となる穀物の生産量は約20億トンなので,砂糖は人が食べる穀物に対して無視できないエネルギー源となっている。

サトウキビの糖度は平均して13%程度である。これはリンゴとほぼ同等であり,ジュースにすると糖成分はほぼ同等ということになる。それでも,それぞれの食品に含まれる他の味覚成分により,甘味の感じ方は大きく左右される。

水路で遊ぶ

町のすぐ近くには水田があり,そのかんがい用の水路は子どもたちのかっこうの遊び場になっている。特に乾季の今は最高の遊び場になる。水を分流させるため段差になっているところが子どもたちのお気に入りの場所である。

出家中の男の子も混ざっており,黄色の僧衣をパンツのようにして水と戯れている。女の子はもちろん服を着たままである。誰も着替えを持ってきていないのでそのまま家に戻り,そこで着替えるようだ。もっとも,水遊びのあとでその辺りで遊んでいれば自然に乾いてしまう。

この指のポーズはタイからの輸入品かな

水遊びから戻る女の子の四人組から写真を撮ってと頼まれ何枚か撮ることになった。この子たちの得意なポーズは親指と人差し指でL字をつくり,あごの下に当てるものである。このポーズの発祥地は分からないがタイとラオスでは非常にしばしば見ることになった。

宿の下は食堂になっている

西に向う道をまっすぐ歩いてみた

昼食用のフランスパンを買って,市場の前から西に向う道をまっすぐ歩いてみた。途中でアカ族の女性が歩いていたのでその後をついていく。さきほど一雨あったにもかかわらず道路は乾いている。熱帯性の赤い土ラテライトは水はけが良さそうだ。

屋根葺きの風景

周辺には森林があるものの,相当部分は畑あるいは焼畑の跡地になっており,平地のラオ人と少数民族の境界のようだ。一軒の家で屋根の葺き替えをしていた。ヤシの葉で編んだブロックを竹ざおの先に付けて屋根に持ち上げる。このブロックを下から並べて,ともや(屋根を葺くための横木)に縛り付けると完成する。

少数民族の集落

アカ族の村はヤシの葉で葺いた高床式の家屋が30軒ほど不規則に集まっている。広場には長い竹を4本組み合わせたブランコの残骸がある。タイの北部に居住するアカ族はコメの収穫期にブランコ祭りを行う。これは収穫に感謝する重要な儀礼でもある。ブランコは4本の長い木を組み合わせその間に横木を渡したもので,ブランコの長さは7-8mにもなるという。

祭りでは男性がブランコを作り,民族衣装の女性が乗るというきまりになっている。ここのブランコの残骸は去年のものということになる。この村には小学校もあり,授業中の写真はダメとあっさり先生に釘を刺された。

アカ族の女の子

10歳くらいの女の子のいる高床式の家におじゃました。床は裂いた竹を組み合わせた板材でできており,歩くと上下動が伝わってくる。家の中にはほとんど家財は無く,真ん中近くでカーテンで仕切られており,その奥が寝室になっている。

子どもは一人かどうかは分からないが,女の子の写真を撮り,お礼にヨーヨーを作ってあげると,この情報はすぐに周辺に伝わり,子どもたちが集まってくる。旅行者がこの村に立ち寄ることはありそうなので,彼らは無制限にものをねだるクセが付いている。

暑い時は水浴びが一番

ムアンシンに戻る途中で大きな貯水池を発見した。といっても,村の子どもの後をついていっただけのことであるが・・・。ここでは子どもたちだけではなく,大人も水遊びを楽しんでいた。

さすがに大人の女性の水浴びはお断り無しに撮るわけにはいかない。周辺の子どもたちの写真を撮っていると,彼女たちから声がかかり,一枚撮ることになった。画像を見せてあげようしたが,手前のコンクリートの水路は乗り越えることはできなかった。

巻きスカートを引き上げるとサロンになる

中学生くらいの女の子も水浴びに来ていた。普段はサロンのように腰から下を覆う布地を胸のところまでたくし上げて縛ると,女性の正式の水着となる。もっともこのような姿の若い女性を撮るのは難しいので貴重な一枚になった。

町に近づくと服装は普通になる

暑いときの行水で機嫌がよさそう

近郊地域への移動手段

早朝の市場

背負いカゴの集団の後を付いていく

森を焼いて定常的な畑にする

小さな集落がある

お揃いの服を着た双子

少数民族の子どもたち


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