Home 亜細亜の街角 | Houeisai / Laos / Mar 2003

フェイサイ  (参照地図を開く)

フェイサイはメコン川を挟んでチェンセーンの対岸にあるラオスの小さな町である。二つの町は渡し舟で結ばれており,タイの北部からラオスに移動するときはいつもこのルートを使用している。

2001年に一度訪問しているので,今回は一泊で移動することにする。特に見るようなものはない小さな町であるが,なぜかずいぶんたくさんの新しいゲストハウスができており,少し驚かされた。

フェイサイは中国の雲南省とタイを結ぶ「メコン南北回廊」の拠点となっており,2007年にはチェンコーン(タイ),フェイサイ,ルアンナムタ,ボーデン,孟臘(中国)とつながる227kmの国道A3が完成する。この道路は中国とタイを結ぶ物資輸送の大動脈となるだろう。

もちろん,ラオスにはそのような立派な道路を造る資金はないので,中国とタイの支援と世界銀行からの融資によるものである。この道路建設を見込んでフェイサイにはゲスト・ハウスが新しくできるという図式とみた。

チェンセーン→チェンコーン→フェイサイ 移動

07時に起床し,市場の近くの屋台でタイ式のトーストと小さな中華まんを4個いただく。あんは黄色だったので緑豆もしくはヒヨコ豆を使用しているようだ。

09時過ぎにソンテオ乗り場に行くと運転手から10時発だよといわれる。ソンテオは三輪車タイプの乗り合い自動車でタイ北部における庶民の足となっている。時間があるので荷物をソンテオの屋根に上げて,のんびりとタイ風の甘味飲料(5B)をいただく。

定刻が近くなると運転手は乗客の数を数える。チェンコーンまでの料金は50Bである。動き出すとすぐにメコン川は見えなくなり,乾いた畑が広がっている。集落が次々と現れ,その度に乗客は増減する。

再びメコンが見えるようになると,山がちな地形となリ,排気量の小さなソンテオは苦しそうに坂を上っていく。メコンも岩場が多くなり,大きな船の航行は難しそうだ。

チェンコーンの渡し舟は道路から少し離れているため見つけられず,1kmほど行き過ぎたところで下ろしてもらった。船着場まで戻り,川岸のイミグレーションで出国手続きをする。

20Bの渡し舟で対岸に渡り,入国手続きをする。フェイサイではタイバーツも使用できるが,イミグレーションのとなりに両替所があるので100$を両替する。レートは1$=10,600K(キープ)であり,106万キープの札束を渡される。

B.A.P Guest House

川岸から坂道を上がるとフェイサイの唯一ともいえる舗装道路に出る。フェイサイの町はこのメコンに沿った道路の両側に広がっている。

2001年に宿泊したタビィーシン・ホテルは良い部屋がなかったので,その向かいにあるB.A.P Guest House に泊まることにした。ラオス風の古い木造住宅で,二階の部屋(100B)は8畳,2ベッド,トイレ・シャワーは共同で清潔である。

自転車に乗る女子学生6

夕方になると女子学生がくるぶしまである長い巻きスカートで自転車に乗って帰宅する光景が見られる。このラオスの女子学生の自転車姿はいつ見ても絵になる。

川遊びに興じる6

メコンの岸辺に下りると浅瀬で子どもたちが水遊びに興じている。水は適度に冷たくて気持ちが良い。そろそろ日暮れも近く逆光のメコンは銀色に輝き,子どもたちはシルエットになっている。

メコンは主要な交通路となっている

水量は減っている季節ではあるが,メコンには貨物船が動いており,この地域の主要な交通路となっている。

新しいゲスト・ハウスがいっぱい

大通りを歩くと新しいゲストハウスがたくさんできている。インターネット・カフェの少し北に「Thanormsab GH」があり,シンプルなシャワー付きの部屋は200Bである。その斜め前に「Sabay Dee GH」があり,こちらも部屋代は200Bである。フェイサイGHの斜め前の「Friendship GH」はシャワー付きのシングルが200Bであった。2001年にはあった薬草サウナは引っ越していた。


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