ワンウィエン (参照地図を開く)
ワンウィエンはルアンパバーンとビエンチャンのほぼ中間にあるナムソン川沿いの小さな町である。このあたり一帯は中国南部から続く大石灰岩地帯の端にあたるため,中国の桂林を思わせる独特の景観が見られる。周辺には大小の鍾乳洞が点在しており,洞窟探検やタイヤチューブにつかまって川下りが楽しめる。
ワンウィエンはルアンパバーンとビエンチャンのほぼ中間にあるナムソン川沿いの小さな町である。このあたり一帯は中国南部から続く大石灰岩地帯の端にあたるため,中国の桂林を思わせる独特の景観が見られる。周辺には大小の鍾乳洞が点在しており,洞窟探検やタイヤチューブにつかまって川下りが楽しめる。
ルアンパバーン(10:00)→ワンウィエン(17:00)とバスで移動する。僕の乗ったバスも少なくとも20年,もしかしたら30年も働いているかもしれない。エンジンやブレーキなど車として必要な機能はきちんとメインテナンスされており問題無く動く。
道路状況はおおむね良好。標高350mから1200mのアップダウンが続く。道は深い山の斜面を蛇行しながら続いており,緑の森と茶色の道路のとりあわせは日本の山岳道路に似ている。回りの風景もなぜか日本を思い出させる。しかし,のどかなこの道でときどき強盗が出没し旅行者が殺傷される事件が複数発生している。ちょっと怖いがこの道しかない。
道路の周囲はほとんど焼畑もしくはその後の二次林のため大きな木は見えない。いったん火が入ると森が回復するには長い時間がかかり,50年経っても元の自然林と同じにはなれない。ワンウィエンまでの160kmの間ずっと焼畑の風景が続いていたので,その面積は広大なものになる。
道路沿いには多くの村や集落が点在している。集落を結んで道ができたのか,道があるため集落ができたのかは不明だが,この道路を通して小さな集落も世界とつながれることになる。そして貨幣経済や町の文化が浸透して山間の集落も変わっていくことだろう。
平地に出ると石灰岩独特の形をした山が見えてくる。山は幾重にもおり重なるように遠くまで続いており,山水画を思わせる風景である。バスはじきにワンウィエンの飛行場跡に到着する。
トクトクに乗ってゲストハウスに向かう。Phou Khamの建物は新しく,現在も3階を増築中である。2階の部屋は6畳,トイレ・シャワー付き,ダブルベッド,清潔で居心地が良い。
夕食は市場の近くの食堂で焼きそばと7UPをいただく。欧米人の旅行者が多いので英語が通じる。焼きそばの味も外国人に合わせてある。食堂の混み具合にははっきり差がある。「おいしいものにはハエがたかる」という諺に従い,こんなときは客の多いところが無難である。
この町の最大の観光資源となっているタム・ジュ洞窟に歩いていく。ワンウィエン・リゾートの入り口で入場料1000Kを払い中に入る。リゾートの敷地を横断し,ナムソン川にかかる橋を渡ると石灰岩の崖が続いている。
正面にタム・ジュ洞窟の入口がある。左側に小さな洞窟から流れ出す川があり,洞窟の外は小さな池のようになっている。手を浸すと水は冷たく気持ちがいい。ここは地元の人たちの水遊びの場でなっており昼過ぎにはにぎわっていた。
洞窟の内部は広い空間になっており,照明と通路が整備されている。鍾乳石はそれほど発達しておらず,この洞窟が主に横方向の地下水によって作られたことが分かる。珍しい造形はライトアップされ看板にはその説明が記載されている。
タム・ジュ洞窟の入り口は崖の中腹にあり,そこまで長い石段が続いている。これを登りきるとワンウィエンを一望にできる見晴台がある。
帰りに1本東側の道を歩いていると小学校があった。外で遊んでいる子供に連れられて教室に行くと,まだ授業中であった。そこで先生に断って授業風景を撮らせてもらう。粗末な校舎,粗末な机であるが子供たちの目は輝いている。子どもが子どもらしく暮らせる社会がここにある。
日差しは強く冷たい飲み物が欲しい,欲しいと思っていたらようやくレストランが見つかった。ここはきれいなテーブルクロスがかけられた高級インド料理店で,男性の従業員はすべてタミール人であった。自分が去年タミール・ナドゥ洲を旅行したしたことを話すと急に親しい関係となり,従業員用の現地食に近いインド料理を彼らと一緒にいただくことになった。
川辺の洗濯風景を見るためナムソン川に向かう。橋の手前で遊んでいる子どもたちと洗濯に来た女性を見つける。ここにはすばらしい被写体がたくさんあるが,子どもたちは近寄るのが難しい水の中だし,洗濯の女性たちは川に向いているのでこれも難しい。
女性たちの長い巻きスカートを上げ,胸のところで留めるとちょうど下は膝までの水着になる。彼女たちはバケツの中に洗剤を入れその中でもみ洗いをする。あまり近づけないのでもう少し大きなズームが欲しい。不思議なことにはここに洗濯に来るのはみんな若い女性である。自分としては何も異論はないが…。
橋の通行料1000Kを払いナムソン川の西側のジャリ道を進む。すぐに民家は途切れ,乾いた道の両側は牧草地と畑になる。遠くには石灰岩の山がかすんでいる。空には雲一つなく,この時間から日差しは強い。ときどきトラクターと荷車を連結したトラクター車とでもいうべき車とすれちがう。さいわい速度が遅いのでほこりは少ない。
KHAH CAVEと書かれた看板に従い,右に折れて山の方向に向かう。このあたりは他にもたくさんの洞窟があるらしく案内看板がいくつかある。道は途中で涸れた河床になり,石で滑らないように注意しながら進んでいく。回りはブッシュになっており見通しが悪い。
涸れた川から立ち上がっている45度はありそうな急斜面で親子が焼畑の手入れをしている。ここは去年か一昨年火を入れたようで,すでに樹木が芽を出している。父親は小さな熊手を使って樹木の根を掘り出し,1箇所に集めている。僕も登ってみたが,何かにつかまっていないと危ないほどの斜面である。
次に川岸のわずかな土地で農作業をしている母娘を見つけた。この土地も少し前に火を入れたらしく,唐辛子が育っており,今日はその間にトウモロコシをまいている。娘さんは棒で地面に穴をあけそこに2-3粒のトウモロコシを入れていく。母親は畑の周りの燃え残った樹木を取り除いている。
KHAH CAVEの入口には小屋が一つあり,父親と娘2人がいる。回りにはバナナやパパイヤなどの果樹が植えられている。充電済みの電池とライトを持って父親と一緒に洞窟に入る。洞窟の内部はまったく整備されておらずライトの光を頼りに滑りやすい地面を歩く。狭いトンネル,滑りやすいステップがあり移動は容易ではない。深いたて穴も口をあけており,滑り落ちたらおしまいである。
元のジャリ道に出てしばらく行くと大きな焼畑で働いている親子を見かけた。この畑でも草や木が勢いよく育っており,畑に戻すのは大変である。農作業の道具はクワとカマだけだ,人力が頼りである。
一休みのとき,ザックからオレンジとキャンディーを取り出し一緒にいただこうとした。娘さんはオレンジをそのまま両親にあげた。何気ないその行為に僕は少なからず感動した。わずかな斜面で暮らしを支えようとする人々,斜面を利用する農業の難しさ,投入される労働力,低い生産性などを思い知らされた1日であった。