亜細亜の街角
嘉数の展望台から普天間基地を眺める
Home 亜細亜の街角 | 沖縄本島・宜野湾|Nov 2013

那覇バスターミナル

今日の訪問地は宜野湾市にある「嘉数台公園」である。ここは沖縄戦における激戦地の一つであり,現在は公園として整備されている。また,公園内には地球儀をイメージした展望台があり,ここが宜野湾市でもっとも高いところになる。この展望台からは北東方向に普天間飛行場を眺望することができる。

移動には今日も那覇バスターミナルからバスを利用することになる。21系統・具志川バスターミナル線は30-60分に1本運行されているのであまり時間を気にしないで宿を出る。バスは那覇バスターミナルから330号線を北上し,広栄交差点から241号線に入り,およそ30分で「広栄団地入口」停留所に到着した。

真栄原交差点に案内標識があった

「広栄団地入り口」バス停から少し先(北側)には真栄原交差点がある。「嘉数台公園」とは逆方向になるが,交差点を確認することにする。交差点の歩道橋には「嘉数台公園」の案内標識があった。なるほど,確かにここでまちがいないなと確認し,来た道を戻る。

嘉数高台公園の展望台が見える

交差点を標識の通りに曲がると,特徴のある展望台が見えてくる。周辺の地形はなだらかに連なる丘になっており,その北側を比屋良川が南東から北西に流れ,牧港湾に注いでいる。このちょっとした丘の連なりが沖縄戦では首里防衛の最前線となった。

■調査中

ガジュマルが大きく枝を広げている

比屋良川の橋の近くには大きなガジュマルが枝を広げていた。道路のすぐそばまで枝を伸ばしていたガジュマルに赤く色づいた果実が付いていた。

果実は枝先に付き,小さい。果実の形状からイチジクの仲間であることが分かる。イチジクは漢字では「無花果」であり,花が咲かないのに枝や幹から実がなるように見えるイチジクの特徴を的確に表現している。

イチジクの花は花嚢(かのう)と呼ばれ,花は花嚢の内側に収まっている。風媒花であれ虫媒花であれ,受粉のため通常の花は外に見えるように咲くが,イチジクの仲間は共生関係にある特定のイチジクコバチだけを受粉のパートナーにして進化し,イチジクコバチの繁殖場所として花嚢を提供するようになった。

イチジクコバチは花嚢の中で産卵し,子房を食べて成長し,交尾のあとにイチジクの花粉をつけた雌だけは外に出て別の花嚢の中に潜り込んで産卵する。このとき受粉が行われる。二種類の生物の繁殖戦略は見事に一致している。

イチジクの仲間とイチジクコバチはかけがえのない唯一のパートナー関係を構築しており,このような関係を共進化という。ガジュマルにもカジュマルコバチがパートナーとなっており,ガジュマルをコバチのいない土地に移植しても果実は不稔となる。

■調査中

公園には小学生が遠足に来ていた

グランドゴルフのコースもある

子どもたちは秋を探しに来たようだ

このコンクリート製の滑り台はすごい

左右に異なる上り斜面がある

木製の遊具で遊ぶ

遊歩道の脇にある嘉数護獅子像

嘉数の村獅子であり,ヒーゲーシ(火伏)の厄払いの守り神とされている。嘉数高台から望める浦添ようどれが風水の観点から良くない地形であるため,悪霊が入らないように浦添ようどれに向けて建てられたとされている。

小さなお地蔵さんの周囲は草が刈られている

嘉数台公園は宜野湾市により管理されており,このような小さなお地蔵さんの周囲の草もきれいに刈られている。

宜野湾が遠望できる

展望台に向かう途中の開けた場所からも宜野湾方面が眺望できる。

アフリカマイマイ

アフリカマイマイ(Achatina fulica,アフリカマイマイ科・アフリカマイマイ属)は世界最大級の陸生巻貝である。原産地は東アフリカのサバンナ地域とされているが,人為的に移入され世界中に生息地を広げている。

広東住血線虫の中間宿主であるため公衆衛生の観点から危険生物とされている。世界各国では持ち込み禁止生物に指定しており,世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) にも指定されている。

沖縄県には1932年(昭和7年)以降に移入され飼育されていたが,沖縄戦により野外に逸出し,旺盛な繁殖力により爆発的に増加している。僕がこの生物を見かけたのは首里城公園に続いて2回目である。やはり,個体数は相当多いのだろう。

トーチカ跡

嘉数台地を含む宇地泊〜我如古〜西原のラインは日本軍の首里防衛線の北端にあたり,沖縄戦における最大級の戦闘が行われた。4月1日に現在の嘉手納基地の西側海岸に上陸した米軍はさしたる抵抗を受けることなく,北飛行場(後の読谷補助飛行場)と中飛行場(後の嘉手納飛行場)を占領した。航空機支援の必要性から飛行場の確保と復旧は米軍の第一目標であった。

4月3日には東岸の中城湾に到達し,本島は南北に分断された。4月6日から日本軍は菊水作戦として米軍艦船・輸送船団に対して特攻機多数を含む航空機による大規模反撃を開始し,一定の成果をあげたものの航空機の損失も大きかった。日本軍の主力は本島南部に集中していたため,本島北部は22日までに制圧された。北部での戦闘における米軍の死傷者は約1300人であった。

首里を目指して南下してきた米軍と日本軍は現在の宜野湾あたりで激突した。嘉数高台もその一つであり,4月8日から24日まで激しい戦闘となった。日本軍は地形を生かした防衛陣地を構築し,圧倒的な火力をもつ米軍と一進一退の攻防を繰り広げた。この宜野湾周辺における戦闘を「嘉数の戦い」という。

嘉数の戦いにおける米軍の死傷者は2.4万人(一説には1.2万人,参戦兵力18万人)にのぼった。沖縄戦における米軍の死傷者は8.4万人なので,嘉数の戦いの激しさがよく分かる。一方,日本軍の死傷者は6.4万人(参戦兵力6万人)にのぼり,この戦いは沖縄戦の天王山ともいえるものであった。日米両軍の死傷者に加え,多くの地域住民も戦闘に巻き込まれて犠牲になっている。

現在,この激戦地は嘉数高台公園となっており,下の斜面や平地では遠足か屋外授業の子どもたちが遊ぶ光景が見られる。しかし,高台に上るといくつかの慰霊碑があり,その中に「京都の塔」がある。嘉数に投入された第62師団独立混成旅団には京都出身兵が約3500名含まれており,そのほとんどが嘉数で戦死している。この方々の慰霊のためため「京都の塔」が建立された。

京都の碑・碑文

この碑文の中には京都出身の将兵とともに戦闘に巻き込まれて亡くなった沖縄の民間人についても同様に哀悼の意を表し冥福を祈っている。再び戦争の惨禍を繰り返さないためには,理由はどうであれ戦争が殺し合いであり,多くの民間人も犠牲になっていることを忘れてはならない。

チリメンナガボソウ

チリメンナガボソウ(Stachytarpheta dichotoma,クマツヅラ科・ナガボソウ属)は南米原産の帰化植物である。おそらく日本では沖縄だけに自生していると思われる。

草丈50-120cmの多年草であり,茎が木化することもある。葉の表面はシワがあり,これがチリメンの由来である。花は長さ15-50cmほどの花穂に下から順に咲き上がる。そのためどの花穂にも周方向にだけいくつかの花が咲いており,その上下は穂だけの状態である。

他にも多くの鎮魂碑がある

漢民族出身沖縄戦戦没者慰霊塔

嘉数の戦い説明文

道の傍らには「嘉数の戦い」の様子を写真付きで説明する案内板が設置されている。

地球儀を模した二層の展望台

高台のもっとも高いところには地球儀を模した二層の展望台があり,上階からは360度の眺望が得られる。

北側に普天間基地を見ることができる

展望台の北側には普天間基地を見ることができる。ここからの遠望では普天間基地の周辺がどのようになっているかは良く分からないが,航空写真では宜野湾市の市街地の真ん中に基地があることが良く分かる。

正式名称は「普天間飛行場」,総面積は4.8km2であり,これは宜野湾市の面積(19.5km)の25%に相当する。宜野湾市の人口は約9.4万人であり,人口密度は4800人/km2である。

しかし,市域面積から普天間飛行場と他の米軍施設の面積を引くと,実質的は市域面積は12.9km2となり,人口密度は7300人/km2となる。この人口稠密な市街地の中にある普天間飛行場の危険性はしばしば問題となっている。

普天間基地に所属する部隊の重大な航空機墜落事故は15件ほど発生しており,米軍関係者の死傷者も出ている。幸い日本の民間人には死傷者は出ていないが,2004年には海兵隊所属のヘリコプターが普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の構内に墜落・炎上した。このような事故が再発しないという保証はないので基地移転は急がれる。

オスプレイが駐機している

西には宜野湾を望むことができる

牧港火力発電所の煙突

宜野湾の海岸から南西に続く海岸近くには2つの集合煙突があり,これは沖縄電力・牧港火力発電所のものであり,ここは浦添市になる。

北側には丘陵地帯が広がる

北側は細長い丘陵地帯となっており,沖縄戦では日本軍は嘉数台を含めこのような地形を利用して幾重にも防御陣地を構築していた。

公園に戻ると子どもたちは昼食の時間であった

僕が写真を撮っていた子どもたちはちょうどお昼の時間帯であった。そうなると,子どもたちは遠足でやってきたということになる。

住宅地のすぐ近くにある石灰岩洞窟

立派な庭園をもつ家

沖縄県の県花はサンタンカ

沖縄の自販機が勢ぞろいしている

わったーシークヮーサーを選択する

このシークヮーサー飲料はいつものペットボトル入りのものではなく,味もちょっとか’わったーシークヮーサーであった。同じJAおきなわブランドでも味は異なっている。

■調査中

■調査中

サンゴ石灰岩(琉球石灰岩)

目的は不明であるが大量の琉球石灰岩が集められていた。

このシーサーは威厳がある

太陽の子保育園

嘉数台公園から牧港に向かう途中で「太陽の子保育園」を見かけた。「太陽の子」は灰谷健次郎氏の小説のタイトルであり,沖縄方言では「てだのふぁ」となる。主人公の「ふうちゃん」の両親は神戸で「てだのふぁ・おきなわ亭」という名前の食堂を経営している。

6年生のふうちゃんは暖かい家庭で育ち,周囲の人たちに見守られてまっすぐに成長した明るくやさしい子である。そのふうちゃんが父親の病気の原因を調べていくうちに沖縄で戦争があったことを知るという物語である。

「太陽の子」のタイトルは食堂の名前ではなく,太陽のように周囲を明るく照らすふうちゃんの人柄をそのまま言葉にしたものである。その小説と同じ名前の保育園を見つけちょっと懐かしい思いがした。

沖縄電力浦添支店

ふ〜ん,今でも「オール電化」を推進している電力会社があったんだ…。

A&W牧港店(ドライブイン・レストラン)

ドライブイン・レストランは車の中でファストフードを食べるというアイディアから米国で生まれた。その先駆けとなったのがA&Wであり,最初の店舗を出したのはもう90年も前のことになる。米国における自動車の黄金時代にA&Wの人気は大いに高まった。

その後,ファストフード業界では「ドライブスルー」が主流となった。A&Wは沖縄にもいくつかあったが,広大な駐車場スペースを必要とするため,多くは閉店されたり,別のファストフード店になったりしている。浦添にあるA&W牧港店はその中で営業を続けている。

どうやって注文するのかな

駐車場にメニューとインターフォンがあり,注文すると車のところまで運んでくれる。A&Wの看板となっているルート・ビアはメニューには見当たらなかった。

宜野湾バイパスはここから始まる

上を走る国道58号線のバイパスである。国道58号線は鹿児島市を起点に種子島,奄美大島を経て那覇に至る(海上部分を含めると)日本最長の国道となっている。本島内では那覇空港と本島最北端の奥港を結んでいる。まさに,本島縦貫道とでもいうべき沖縄の大動脈である。

九州・沖縄では交通量がもっとも多い国道であり,平成17年調査では浦添市で81,255台/日である。58号線の交通集中を緩和するため,本島内ではいくつものバイパスができている。

宜野湾市の西海岸を通るバイパスもその一つであり,ここは普天間基地のため西側が狭く,東西道路もないため交通が集中しやすいところである。さらに,バイパスにより臨海部にあるコンベンションセンター・エリアへのアクセスも容易になる。

宜野湾バイパスは緩やかなカーブで川をまたぐ

近くのマンションのベランダにはドラゴンフルーツが

ドラゴンフルーツの栽培が目的ではなく,緑と花を楽しむためだろうと解釈するが,いかにも沖縄らしい光景である。

■調査中

沖縄電力牧港火力発電所

1950年に本島の電力不足解消のために牧港に火力発電所の建設計画が立案され,1953年に牧港火力発電所として1号機が運転を開始し,4号機までが建設された。本島最初の火力発電所である。

当時の沖縄は米軍の統治下にあり,最大の電力消費者は米軍であり,余剰分が民間に供給されるようになった。1970年からは5-9号機が新設され,さらにガスタービン発電方式のGT1-2号機が増設され,老朽化した1-4号機は廃棄された。

現在の設備容量は62.8万kWである。日本国内では発電技術の発展とともに大容量化が進み,現在では1基あたりの出力が100万kW 級となっている。ちなみに,沖縄電力の総設備容量は218万kwとなっているので,中型の発電所を分散配置した方が電力の安定供給には有利である。

牧港湾に面する小さな港の防波堤

宜野湾海浜公園周辺

ナツメヤシは沖縄でも珍しい

海浜公園にはナツメヤシの木があった。これは沖縄で初めて見た。ナツメヤシ(Phoenix dactylifera)はヤシの仲間で西アジアや北アフリカで広く栽培されている。果実は生食もできるが,乾燥させたデーツは保存食となり,遊牧民の主食にもなっている。

インド圏ではしばしば見かけるが,東南アジアではほとんど見かけなくなる。乾燥地域の作物なので,湿潤な東南アジアでは栽培が難しいのかもしれない。

宜野湾港マリーナ西側の小公園

小公園から陸側を眺望する

小公園からコンベンションセンターを眺望する

宜野湾港マリーナの防波堤の前を行く

宜野湾港マリーナ入り口

宜野湾港マリーナ|青空にマストが映える

コンベンションセンター

宜野湾港マリーナ防波堤の取り付け部の芸術作品

防波堤から海の色を楽しむ

ビーチとの境界部分には消波ブロックがじゃまする

宜野湾港マリーナの防波堤の上から景色を楽しんでからトロピカルビーチのエリアに移動しようとすると消波ブロックを伝って行かなければならない。消波ブロックは巨大なのですき間に落ちたら確実にけがをする。かといって,防波堤を芸術作品のあたりまで戻るのは面倒なのでそのまま進むことにした。日向ぼっこをしていた猫にはどいてもらい,なんとかビーチにたどり着いた。

半円状のトロピカルビーチ

ここはおそらく人口の砂浜なのであろう。半円形状のきれいな砂浜が広がっている。しかし,11月の海に入る人はもういないようだ。何人かの人は水着姿で砂浜に寝そべっている。

海の色がすばらしい

このビーチからの海の色はすばらしかった。白い砂浜,海岸近くの薄い青緑から沖合の濃い青に変わる海の色のグラデーションはいかにも南国のビーチという感じがする。

修学旅行生がアクセントになってくれる

ビーチには夏のにぎわいはない

休憩所も閑散としていた

ビーチ西側の突堤でクロサギを発見する

ビーチの西側には小さな突堤があり,そこにクロサギがやってきた。鳥を驚かさないようにゆっくりと近づく。撮影可能な距離まで近づくとすたすた先に歩いて行ってしまう。望遠レンズに切り替えて再びゆっくりと近づく。そのうち,慣れたのか距離をつめても平気で自分のエサ探しに集中していた。おかげで何枚かの記念写真をものにすることができた。

慣れてくると多少接近は可能になる

獲物を狙う

国道58号線に出る

宜野湾バイパスにもバス停はあるが,いかんせん本数が少ないので国道58号線まで歩いてバス停を探すことにする。だいたい南東方向に進むと真志喜交差点あたりに出たようだ。念のために那覇の方角をドライバーに確認すると,大丈夫ですかと心配されてしまった。あとは,那覇方面に歩きバス停を見つけるだけである。


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