亜細亜の街角
星立の節祭を楽しむ
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初めての沖縄旅行

ずっと海外旅行に専念していたため未だに沖縄には行ったことがない。国内で訪問した最南端は鹿児島である。ということで心を入れ替えて沖縄旅行を計画した。

八重山諸島のいくつかの島を巡り,沖縄本島の何ヶ所かを訪問すると40日ほどの日程が必要となる。問題は旅費である。航空運賃は格安航空会社ができたおかげでとても安くなったものの,宿泊代と食事代をどのように見積もるかにより,総費用は大きく変動する。

幸い沖縄には素泊まりの安宿がたくさんあり,それらを優先させることにより一日あたり5000円程度で回ることができそうだ。これに航空券と島間の移動費用を加算すると25万円程度と見積もられる。仮に見積もりが外れても沖縄本島ではATMが使用できるのでそれほど心配することはない。

海外旅行の場合は最近でこそ現地のATMで現地通貨を直接引き出せることができるようになったが,少し前まではどのようにしてお金を持っていくかは重要な旅の技術であった。

成田空港に向かう京成線の特急の中で日本語を話せる30歳くらいの中国人から話しかけられ,中国の話で盛り上がった。湖南省の出身で実家に戻るところだという。上海からは鉄道を利用し,到着は明日の朝になるという。やはり,中国は広いので国内移動も大変だ。

成田空港の国内線は第2ターミナルにあり,駅から出るとセキュリティ・チェックがある。国内線の場合も免許証などで本人確認が行われている。幸い免許証を持参していたのでそのまま通してもらったが,持っていなかったらどうなるんだろう。

スカイマークの成田空港(1310)→石垣新空港(1630)直行便は837-800というボーイングの最新鋭機である。座席数は180で前列をふくめすべて同じ座席である。搭乗率は35%ほどでガラガラの状態である。格安航空会社のジェットスターがこの路線に参入してきており,スカイマークはちょっと苦しい立場になっているように感じた。

出発してからずっと雲が取れない状態であり下は見えない。ときどき,ゆれが大きくなる区間が現れる。15:30頃から雲がまばらになり,海だけが見えるようになる。そのうち小さな細長い島がいくつか現れるようになった。おそらく南西諸島であろう。

次に見えた島は宮古島であり,上空からの写真を撮ることができた。石垣空港にはカラ岳の方から(南から)着陸するので白保の海岸は進行方向右側に見るようになった。あわてて,右側の座席に移動したら,後ろからフライトアテンダンスの着席してくださいという声が飛んできた。

機内からサンゴが群生しているところがはっきり分かり,すごいもんだと感銘を受けた。海外でもこれほどのサンゴ礁を機内から見たことはない。この貴重な自然を守っていくのは人類の責務であろう。

石垣島・白保のサンゴ礁

白保のサンゴ礁|海の色の微妙な変化が素晴らしい

石垣空港は南国の風情が感じられる

石垣の空港は南国の風情に溢れており,ソーキソバの食堂も繁盛していた。その隣には石垣牛の店もあった。空港内が涼しいが,外に出ると暑さと湿気がまとわり付いてくる。

市内に向かうバスは出て左側に停まっており,2系統があるので行き先を確認してから乗り込む。周辺にはダイオウヤシを細身にしたようなヤシが一列に植えられているので,運転士に「このあたりにヤエヤマヤシはありませんか」とたずねるとあれがそうだよと空港施設前のヤシを教えてくれた。

ヤエヤマヤシは下から上まで同じ太さであり,それでも50年くらいのものだという。寿命は200年くらいとされているので,ヤシの中ではとても長生きの部類である。葉はココヤシを細身にして小さくしたようなものだ。この姿なら遠くからでも識別できるだろう。

バスは電気自動車でのんびり,ゆっくり走り,停留所から客を拾い上げていく。バス停の数に比して料金は高い。それもこの乗客数では仕方がないことだろう。周辺の風景はやはり南国らしい。バナナあるいはバショウそれにクワズイモはところどころに大きな葉を茂らせている。

市内に向かう幹線道路沿いには民家が並び,その裏側は農地となっている。民家は台風に備えて平屋が多いが,ちらほら2階建てのものも見られる。農地は赤っぽいラテライトであり,この土を焼くと赤い瓦ができるんじゃないかなどとぼんやり考える。バスは子どもたちはと女性たちの足となっており,夕方の時間帯のせいか乗客数はけっこう多い。

バスは「サンエー前」で降ろしてくれた。ここは地元資本のスーパーであり,1階は食料品,2階は衣料品となっている。安い夏の帽子を探して入ってみたが2000円ほどもして使い捨てにはできない。

予約を入れておいた「Art Box」はバス停から徒歩1分のところにあり,素泊まり1800円の宿である。自炊のためのキッチン,共用のダイニングルームがあり,ベッドは蚕棚のように並んだ二段ベッドである。寝室部屋では静かにすることが義務付けられており,それが守れない人は追い出される規則になっている。ここの居心地と寝心地は特に問題ない。

「サンエー」の市内側には複合商業施設があり,イオン系のスーパーである「max Value」やダイソー,大戸屋食堂,本屋,薬屋が集まっている。いずれも平屋の建物である。

ダイソーで帽子とメモ用の小ノート,Max Vaklue で翌日の昼食用のパンとチーズを買い,大戸屋で「鶏と野菜の黒酢あん(790円)」をいただいて宿に戻る。この料理は僕の好みにあったので,島巡りから再び石垣島に戻り,もっと離島ターミナルに近い宿に宿泊しているときにわざわざバスで食べに来た。

八重山諸島

八重山諸島とは石垣島,竹富島,小浜島,黒島,新城島(上地島,下地島),西表島,由布島,鳩間島,波照間島およびこれらから西に離れた与那国島の合計10の島からなる島嶼群である。八重山諸島と宮古諸島を合わせると先島諸島となる。

離島ターミナルから西表島・上原へ

移動日の行動を時系列で整理すると起床(0600)→離島ターミナル(0830)→上原(0920)→カンピラ荘(0930)→上原散策(0930)→干立(1150)→星砂の浜(1550)→カンピラ荘(1800)となる。

06時に起床,パンとチーズで朝食をいただく。宿から離島ターミナルまではバスを利用することになるが,始発は07時41分である。バスターミナルで下車して徒歩3分の離島ターミナルに向かう。

離島ターミナルには複数の会社が高速船を各島に運行させており,このうち安永観光と八重山観光はチケットを相互に利用するとことができる。つまり,どちらの会社のチケットを買っても船には乗ることができる。

八重山諸島では10月1日から3月31日までは「冬時間」となり,交通機関の運行状況が変わる。僕は9月30日に石垣島に到着したので,翌日から「冬時間」となり,西表島のバスの運行でちょっと驚くことになった。

僕がチケットを買う頃にはもう乗船が開始されていた。乗船してみると高速船の外観は良いが,実際に乗ってみるとだいぶ老朽化していることが分かる。僕の乗った船は一般船室と半オープンの甲板席あり,窓の一部が開いていたので甲板席を選択した。

高速船は盛大にしぶきを上げながら進行するので風が吹くと一緒に吹き込んでくる。幸い僕の席側は問題なく窓の開いたところから写真を撮ることができたが,反対側はとてもカメラを出していられるような状態ではなかった。

高速船は時速30-40ノット(55km-74km/h)というモーターボートのような速度で海上を疾走するのでかなりの上下動がある。個人的にはもっとゆっくりした,例えばフェリーくらいの速度が好ましいと考えているが,フェリーくらいの速度の方が船酔いを起こしやすいという指摘もある。

航路から推定すると竹富島であろう

上下動が激しいので水平線をまっすぐに撮影するのはけっこう骨が折れた。もっとも,波やうねりが高いときは甲板席の窓も閉鎖されるので今日の船旅は条件が良かったと考えなければならない。

水平線にほとんど溶け込むように島が見える。八重山諸島のいくつかの島はサンゴ礁がそのまま隆起したものもあり,そのような島はほとんど高低差はなく,最大標高も15-30mほどとなっている。そのため,水平線からほとんど高さのない島に見える。出発してわずかな時間しか経過していないので写真の島は竹富島であろう。

西表島の北の海岸線を見ながら進む

上原港は西表島の北端に近いところに位置しているので,船からは西表島の北の海岸線をずっと見ながら進むことになる。八重山諸島最大の面積を有する西表島には400mを越える山並があり,隆起サンゴ礁の島とはまったく異なる景観をもつ。

山がある最大の利点は雨に恵まれるということだ。周囲を海に囲まれていても水蒸気を含んだ大気は島の上を素通りしてしまう。しかし,山があることにより上昇気流が生まれ,雲が湧いて,雨が降りやすくなる。

西表島の年間降水量は2300mmを越えているが,最大標高約60mの波照間島は1800mmに届かない。しかも,波照間島などの降水は台風によるものが大きく,冬場の月間降水量は106-128mmとなっている。

また,サンゴ礁石灰岩の大地は多孔質のため雨水は簡単に浸透してしまい,地表水としては残りづらいという事情もあり,石垣島と西表島以外の隆起サンゴ礁の島では水の確保が島の生活における生命線であった。

高速船はちょっと不快な上下動を繰り返しながら上原港に近づいていく。港の手前で船が減速すると,上下動はぴたっとおさまり,船はゆっくりと防波堤の切れ間から港に入り,桟橋に接岸する。

上原港の高速船桟橋は可動式になっている。海には潮の満ち引きがあり,固定式の桟橋では船と桟橋上部の相対位置が変わってくる。これは乗降用の渡し板を渡すのが難しい。

それを,可動式にすると船と桟橋の相対位置は変わらないので,乗降用の渡し板は倒すだけで済む。八重山諸島のいくつかの港の桟橋をチェックしたら,すべて可動式となっていた。

ピカリャ〜がお出迎え

2010年に竹富町観光協会はご当地キャラクターのデザインを公募し,古見小学校の6年生が応募したデザインをもとにイリオモテヤマネコをモチーフとしたマスコットキャラクターを作成した。名前も2010年に公募され「ヤマピカリャ」を参考に「ピカリャ〜」が採用された。「ヤマピカリャ(山で光るもの)」とはイリオモテヤマネコの発見以前に地元の人たちが野生ネコに付けた呼び名の一つである。

西表島

西表島は面積289km2と八重山諸島では最大の島である。島の大部分は原生林の生い茂る山岳地帯となっており,最高標高は約470mとなっている。島の人口は約2300人であり,石垣島(面積223km2,人口45,000人)よりはるかに少ない。

これは島の大半が海岸近くまで山の斜面と原生林が迫る山がちな地形とマラリヤ発生地であったためである。琉球王朝時代に近隣の島から複数回に渡り移住者が送り込まれたが,ほとんど失敗している。

島の面積の90%は亜熱帯の原生林に覆われ,その大半は国有林となっている。また,浦内川,仲間川という大きな川を含め,多くの川の河口部にはマングローブ林が発達している。人間にとっては住みづらい島であったため,島独自の生態系は現在まで保持されており,西表島の最大の魅力となっている。

西表島には南の大原港と北の上原港があり,石垣島からの高速船やフェリーで結ばれている。旅行者にとっては島内の足はバスかレンタカーということになる。

バスは南の豊原から大原,古見,上原を経由して白浜まで運行されている。豊原・白浜間の距離は約50kmで,所要時間は1時間半である。「冬時間」になると1日4往復のバス便に合わせて行動しなければならない。

バス停はいちおう決まっているが,区間内のどこでも手をあげると乗せてくれるし,どこででも降ろしてくれる。バスを利用するのであれば1日フリーパス(1000円),3日フリーパス(1500円)が便利でお得である。

上原港の旅客待合室の中を覗いてから海岸道路に向かって歩き出す。海岸道路との交差点はこの島でももっとも交通量の多いところの一つであるが信号機は設置されていない。天然記念物のイリオモテヤマネコを交通事故から守るためにも,制限速度40キロを遵守して安全運転にこころがけてもらえれば信号が無くてもそうそう事故は起きない。

カンピラ荘

上原港の交差点を右に(白浜方向に)曲がると1分で予約を入れておいたカンピラ荘に到着する。この宿は2食付で4500円と旅人にとってはありがたい価格である。リピーターが多く,島の情報を収集するにもいいところである。

時刻はまだ09時30分前なのでまだ部屋の準備ができていないという。部屋は6畳の和室で寝具は薄い布団とタオルケットである。10月初めの沖縄ではこれで十分である。

必要なものを取り出し,ザックは宿に置いて出かける。八重山諸島に関するガイドブックは驚くほど不出来なものしかない。気休めのため一冊購入して持参してきたがまったく役に立たないので次の波照間島で置いてきた。もっとも必要なものは島の地図であるが,それぞれの島の無料の詳細地図が石垣島の離島ターミナルや島の宿に用意されており,僕の島歩きにはそれで十分である。

今日は午後から星立(ほしたち,古くは干立と呼ばれていた)と祖納(そない)で節祭(シテ)の行事があるので11時28分の白浜行きのバスに乗らなければならない。バスの時間を宿で確認しようとすると,スタッフは壁に貼られた時刻表を教えてくれた。

バス便は10月1日から冬時間になり,白浜と豊原を結ぶ便が1日4往復あるだけだ。夏時間では上原・浦内川の間と大原・由布島水牛乗り場の間の便がたくさんあったが,冬時間ではすべて無くなっていた。これで行動の自由はかなり狭められる。参考までに上原からのバス便は次のようになっている。

上原港→白浜 白浜→上原港

09:35
11:28
14:58
16:54

07:42
10:54
12:49
15:44


したがって,11時28分のバスで移動し,15時44分の最終バスで戻らないとならないことになる。そのため,節祭の重要行事の一部は見ることができなかった。しかし,交通事情だけはどうにもならない。

オオゴチョウであろう

オオゴチョウはマメ科ホウオウボク属の常緑低木であり,花の感じだけではホウオウボクと見分けがつかない。個人的には樹高が見上げるほどの高さになるものがホウオウボクと識別している。ホウオウボクは樹高があるため花のアップの写真は撮りづらい。僕の旅行記ににもホウオウボクのアップの写真が掲載しているが,おそらくそれはオオゴチョウのものであろう。

オオゴチョウは漢字で「大胡蝶」と表記し,この名前は長く突き出した雄しべと花柱(雌しべ)が群舞している蝶のように見えることに由来する。原産地は西インド諸島であり,花が美しいことから東南アジアでも街路樹とししばしば見られる。沖縄ではサンダンカ(三段花,サンタンカ),デイゴ(梯梧)とともに三大名花とされ、「県の花」に指定されている。開花時期は6月から10月であるが,暖かい東南アジアでは周年開花が見られる。

青空に映えるアダン

上原港周辺の植栽の中で日本で初めてのアダンを見かけた。一般名称はタコノキ(Pandanus,タコノキ科・タコノキ属)であり,アジアをはじめアフリカ,太平洋諸島,オーストラリアなど旧世界の熱帯におよそ140種が分布する樹木である。種によって大きさは異なり低木種は3-5m,高木種は20mに達するものもある。沖縄のものは低木種であり,海岸線に大きな群落を形成する。

幹の下の方から気根と呼ばれる多数の根がタコ足状に伸び,海岸の砂地などでも幹をしっかり支えることができる。この形状が名前の由来である。英語名は「Screw pine」であり,こちらはパイナップルに似た果実とらせん状に細長い葉が付くことから命名されたようだ。

木には雌雄があり,雌の木はパイナップル状の大きな果実(集合果)をつける。若い果実は緑色であり,熟すと赤みが強くなってくる。最後には小さな果実が本体から落ちて散らばる。特異な果実と奇妙な枝のため,一度見たら忘れない。

ギンネム(マメ科・ネムノキ亜科・ギンゴウカン属)の原産地は中南米であり,日本では沖縄や小笠原に帰化植物として優勢種となっている。オジギソウやネムノキに近い植物で,同じような形状の葉(羽状複葉)をもつ。和名はネムノキに似た白い花を咲かすことに由来する。

日本に定着した種は樹高は1-5mであり,灌木のイメージである。日当たりのよい土地を好み,地中深くまで値を下ろして水を吸い上げ,さらに根に空中窒素を固定する根粒菌を共生させているため,貧栄養の土地でも極端に成長が早い。

小笠原や沖縄では畑の緑肥,薪炭材,荒れ地の緑化による土壌流出防止のため人為的に移入された。沖縄では戦争後も荒廃した土地の土壌流出防止のため種子が散布された。しかし,ギンネムは野外における優勢種となり,島の植物生態系に大きな影響を与えるようになった。世界の侵略的外来種ワースト100リストに載せられており,外来生物法によって要注意外来生物に指定されている。

ハイビスカスは生垣になっている

日本ではブッソウゲの仲間の園芸種を「ハイビスカス」と呼んでいるが,本来の「Hibiscus」はフヨウ属を意味する。そのためフヨウ(Hibiscus mutabilis),ムクゲ(Hibiscus syriacus),ブッソウゲ(Hibiscus rosa-sinensis),オオハマボウ(Hibiscus tiliaceus,ゆうな)などユヨウ属の植物の学術名はすべてハビスカス+種名となっている。

実際,一年草であれ本木であれ前述の植物の花は類似しており,一目でフヨウの仲間だなということが分かる。花の咲く形態も朝に開き,夕方にはしぼみ,種によっては翌日の朝に再び開くパターンとなる。本州では寒さのため「ハイビスカス」は外では冬を越せないが,沖縄では生け垣など普通の灌木となっており,(花が目立つため)もっともよく目にする植物である。それでも本州からやってきた旅人にとっては,ハイビスカスの赤には反射的に目がいってしまい,同じような写真を何枚も撮ることになる。

グンバイヒルガオの大群落

上原港の東側を歩いているとき道路わきでグンバイヒルガオの大きな群落を見かけた。グンバイヒルガオ(軍配昼顔,ipomoea pes-caprae,ヒルガオ科・サツマイモ属)は世界中の熱帯から亜熱帯の海岸に広く分布する海浜植物である。

沖縄では「アミフィーバナ」または「ハマカンダー」と呼ばれ,海岸近くに一面のみごとな群落を形成する。葉は先端に浅く切込みが入る楕円形であり,これが軍配に似ていることが名前の由来となっている。

この植物はサツマイモの仲間であり,サツマイモ害虫のアリモドキゾウムシの宿主植物となることから,日本本土への植物体の持ち込みは検疫によって禁止されている。確か石垣島空港だったと記憶しているが,アリモドキゾウムシの大きな模型が展示されており,旅行者に注意を喚起していた。

イボタクサギ

この植物も道路わきに雑草として生えている。僕はこの植物はネパールやインドで見かけており,花が可憐なので名前を知りたいと思っていたら,ネットで公開されている「西表島植物図鑑」「沖縄植物図鑑」で見つけることができた。

イボタクサギ(Clerodendrum inerme,クマツヅラ科)は海岸近くの低地に生える常緑低木であり,花に出合わなければほとんど目に留まらない植物である。葉腋に3個の花をつける。花の大きさは直径が約15mmほどであり,長い4本の雄しべと雌しべに特徴がある。

パイナップル畑と防風林

道路から少し山側に入ったところに横一列に並んでいるオウギバショウ(タビビトノキ)があったので近寄ってみると,その背後はパイナップル畑となっていた。

パイナップル(パインアップル, 英名:pineapple)の原産地は熱帯アメリカである。植物名をアナナス,果実をパイナップルと呼称を分ける場合もある。英名:pine-apple はマツカサを意味しており,形状が類似していることから転用された。英語のapple にはリンゴ以外に一般的な果実という意味もある。

アナナスの仲間なので葉は地下茎から長い剣状の葉が叢生し,その中心部の太い茎に果実ができる。作付後15-18か月で収穫することができる。果実の表面に並んでいる亀甲紋は一つ一つが小果の集まったもので,果実の本体は花托が膨らんだものである。ジューシーな甘さがあり,東南・南アジアでは水分補給に好適な果物である。

島内はバスで移動する

バスは10月からは冬時間となり1日4往復のみとなるので見逃すわけにはいかない。上原港の南側の散歩から戻ろうとしたときバスがやってきたので,手を上げて乗せてもらった。島内のバス運行区間ではどこからでも乗車することができるし,どこでも下車することができる。写真のバスは別の日に撮った豊原行きのものであり,白浜行きには「白浜」と表示されている。

干立の節祭(シチ)は国指定の無形文化財

節祭(シチ,シイチイ)とは西表島の祖納(そない),干立(ほしたち)地区に伝わる伝統行事である。10月から石垣島からの高速船や島内のバスが冬時間となったように,この時期は農作業上の年度変わりにあたり,そのため今年の豊作を感謝し,来年の豊作を祈願する正月儀礼の祭が執り行われる。

節祭は旧暦8月から10月(新暦の9月から11月)の3日間にわたり開催され,それぞれ次のような固有名詞で呼ばれている。今日は2日目なので「ユークイ」ということになる。
第1日目:トゥシヌユー
第2日目:ユークイ
第3日目:ウイヌカー

奉納芸能はユークイの行事の一部として行われる。この500年以上の伝統をもつ奉納芸能は祖納と干立では異なっており,どちらも国の重要無形文化財に指定されている。

この日の行事は潮の満ち引きに影響されるため年により大きく催行時間が異なる。今年は伝統芸能の時間が15時30分を回ってしまい,僕は15時44分のバスで戻らなければならないため来賓者の挨拶のところで中座することになった。これはちょっと残念である。もっとも,この旅行日程を確定した時には節祭のことは知らず,出発の少し前に知ることになったので,祭りの一部でも見られたことは幸運なことである。

参考までに2013年・干立節祭の2日目プログラムは次のようになっている。
12時30分:舟抽選
13時00分:旗頭 公民館出発
13時30分:ヤフヌティ
14時30分:舟漕ぎ
15時30分:式典・祝宴・奉納芸能
17時00分:トゥリムトゥへ移動
19時30分:公民館集合・ツヅミ

節祭は地域にとっては1年でもっとも大切な正月行事なので,この地域から石垣あるいは沖縄本島などに移り住んでいる人たちもやってきて,一部の人々は祭りに参加する。大勢の観光客や地域出身者が見守る中で節祭の行事は進行していく。

祖納,干立のどちらの行事を見学しようかとバスの中で悩んでいたが,干立で何人かが降りたので一緒に下車した。幹線道路から少し入ったところに地区の公民館があり,その前には三本の幟が立てられていた。

公民館の中では国の重要無形文化財に指定されている祭りの準備が進められている。といっても設備や食事の準備はすでに終わっており,人々は祭りの服装を整えていた。

公民館の横には紅白幕により三種類の空間に区切られている。一つは石垣と紅白幕で囲われている御嶽であり,ここは集落の人を含め男子禁制の聖域である。もう一つは紅白幕で囲われた空間であり,その内部は部外者の立ち入りが禁止されている。僕のような観光客が立ち入ることのできるのは紅白幕の外ということになる。

もっとも,15時過ぎの奉納芸能が始まるまでは,紅白幕は上げられており,自由に出入りすることができた。僕は御嶽の手前にゴザを敷いて,そこで行われている神事を堂々と見学していた。

神女あるいは祝女と呼ばれる女性がその席を仕切っていた。通常,このような儀礼は女性たちだけで行われるものであるが,今日は地域の旧い家系の男性3名が招待されていた。神事の内容は神に捧げた食べ物を招待客にふるまうものと推測した。このような神事の写真は撮るべきではないので,代わりに招待客のはいてきたアダンの葉で編まれた草履を写真にした。

公民館の前の広場には3本の幟(のぼり)が立てられている。僕は文字が記された旗が付いていたので幟と表現したが,正式には「旗頭」と呼ぶらしい。つまり,上部の飾りが最重要な意味をもっているようだ。出典は忘れたがネット上には3本の旗頭について次のように説明していた。

旗頭名称 説明 旗字
バッキ頭2つの巴と八掛(バッキ)
サシマタ頭 カブトの前飾り,長短の矢形星立
シーシャ頭三叉槍虎の絵

節祭はこの地域の正月行事のような位置づけなので学校も休日となる。地域の人たちはこぞってこの行事に参加する。公民館の中では節祭の正装を身に着けた人たちが待機していた。

2本の旗頭が海岸まで動かされる

公民館前の広場に立てられていた3本の旗頭のうち2本が海岸まで動かされる。この重い旗頭はそれぞれ一人の男性が立てたまま移動させていく。2本のロープが取り付けられており,補助の男性がロープを引いて最上部がぶれないようにする。旗頭は途中で休憩を入れながら100mほど離れた浜に無事に動かされた。

旗頭が海岸に立てられる

2本の旗頭のうち,バッキ頭は護岸のところに,シーシャ頭は砂浜に立てられる。

男性と女性が一列に並ぶ

地域の人たち,地域出身者,観光客は護岸の上に並び,浜には正装の男性(船子)と女性(アンガー)が整列する。

船子と女性アンガーによるヤフヌティ(櫂の手)の踊り

盛装の男女が航海の無事を祈る踊り「櫂の手(ヤフヌティ)」を浜で踊った後、男性が東西に分かれて競争する「舟こぎ(パーリャ)」が行われた。

踊りの合い間に子どもたちが駆け抜ける

舟(サバニ)に男たちが乗り込む

まだ櫂は上げたままである

合図とともに沖合の目印に向かって漕ぎ出す

女性アンガーたちが船を手招き

船漕ぎが始まると女性アンガーたちは独特の手さばきの踊りで舟を手招きをしながら声援を送る。この手さばきは単純な動作ながら,とても印象に残った。

防潮堤の上では男性の歌と踊りがある

二隻の舟はほぼ同時に戻ってくる

二回目は本当の競争となる

一回目の舟漕ぎ競争はほぼ同時に戻ってくることが約束されたいわば談合によるものである。それに対して二回目の舟漕ぎ競争は向かって右側の小島を回る距離の長いルートで争われる真剣勝負である。男たちの櫂をこぐ手にも力が入るし,女性たちの声援にも熱がこもる。

浜から出発して楕円形のコースを進むことになるので沖合いで先頭がかなりリードしているように見えてもゴールはほとんど同時であった。

女性たちの手の動きがユニークだ

防潮堤の陸側では小学生が節祭の話を聞いている

干立海岸の北側の小島辺りの海岸を歩いてみる

節祭行事が休憩時間に入ったようなので,浜辺の北側を歩いてみる。すぐに集落は途切れ,道が斜面を上がっていくあたりに大きなガジュマルが枝を広げ,その下にブロックで組まれた小さな建物があった。周辺には特別の表示はなかったが,御嶽の可能性があるので,そのまま海岸に出る道を選択した。八重山の島々を歩くときにはなんとなくそのような雰囲気が感じられる場所には立ち入らないのが無難である。

芸能が始まる前に最終バスの時間となる

15時30分から奉納芸能に先立って来賓の挨拶があり,僕は時間切れのためバス停に向かった。バスを待つ間に道路の南側の斜面にヤシのような植物が見えたので一枚撮ってみた。おそらくこれが星立のヤエヤマヤシ群落であろう。

星砂の浜|ここで降ろしてもらう

バスで上原港まで戻るのは能がないので,「星砂の浜」で降ろしてもらった。星砂の浜は海岸の砂の中に星砂が混じっているためそのように呼ばれている。八重山の他の島でも星砂のある浜があり,いずれも星砂の浜と呼ばれている。しかし,星の砂が観光客の注目を浴びるようになると,乱獲されるようになり,星の砂が高密度で堆積している場所は少なくなっている。

海中を浮遊するプランクトンの中には美しい幾何学的な形状をもつものが少なくない。プランクトンは海の一次あるいは二次生産者であり,すべての海洋動物はその恩恵にあずかっている。このようなプランクトンの中にはケイ素あるいは炭酸カルシウムの殻をもつものがいる。

星の砂は原生生物である有孔虫の殻であり,その成分はサンゴと同じ炭酸カルシウムである。このような整った幾何学模様の殻をもつ生物はたくさん存在するが,星の砂となる有孔虫の際立った特徴は肉眼でも見られる大きさの殻をもつことである。

このお陰で観光客は砂粒の中から星の砂を見分けることができる。顕微鏡で覗くと他の100ミクロンにも満たないプランクトンでも星の砂に劣らない美しい造形を見ることができる。このような造形はまるで人工物のようである。

ただし,お目当ての星の砂は見つけることはできず,サンゴのくだけた少し赤みのある白い砂とサンゴのかけらがあるだけだ。それでもこの砂浜の海の色は十分に写真にする価値はある。

浜の上部は高さ10mほどの斜面になっており,その上にある土産物屋兼カフェのテラスから星砂の浜を見下ろすことができる。浜の周囲はサンゴ礁になっており,外海の波は500mほど先でさえぎられ,白波が立っている。このサンゴ礁のおかげで浜の海は波もなく,シュノーケルを楽しむことができる。ビーチで遊んでいるのは20人ほどであり夏のにぎわいはすでに消えていた。

サンゴ礁の海の色は海底の砂地の種類や海の深さ,見る人と太陽の角度により大きく変化する。星砂の浜も少なくとも写真に写し取られた範囲では北側の海の色と北西側ではまったく違うものに見える。

アダンとオオギバショウ

星砂の浜に下りていく道の手前にアダンとオウギバショウが防風林として植えられていた。海外では何回か見ているものの国内でオウギバショウを見るのは初めてである。上原港の北側のパイナップル畑の風よけになっていたものは葉がボロボロの状態であったが,ここのものはまだ名前の由来となった西遊記に出てくる芭蕉扇のイメージが保たれている。

オウギバショウ(Ravenala madagascariensis,ゴクラクチョウ科・タビビトノキ属)はタビビトノキ(旅人の木)としても知られているマダガスカル原産の植物である。属名からすると和名はタビビトノキが正しいようだ。巨大な櫂状の葉が長い茎柄の先に扇状に平面に並び,茎に雨水を溜めるため非常用飲料として利用されことからバビビトノキと呼ばれる。

かわいらしいエントランス

星砂の浜から宿までは3kmほどの道のりの散歩となった。上原の北側は西表島でもっとも民宿やカフェ,土産物屋が集中しているところであり,このようなかわいいエントランスの店が散見される。

夜になると宿の周辺はとても静かになり,ときおり幹線道路を走る車の音が聞こえるだけだ。宿の中も静かであり,環境は良い。ときどきヤモリの声がする。東南アジアのトッケイは鳴き声をそのまま名前になったもので,文字になりやすい鳴き声である。それに対して西表のものはキュッキュッキュッに近い音で文字にしづらい。

窓を閉めた状態では部屋の中はかなり暑い。窓には網戸が入っているので2面の窓を開けるとじきに涼しくなり,夜中はちょっと肌寒い状態でよく眠ることができた。明け方の5時に一度目を覚まし,次に気がついたときは6時20分であった。


成田   亜細亜の街角   西表島2