亜細亜の街角
カズベキ峰を見るため毎日早起きする
Home 亜細亜の街角 | Kazbek / Georgia / Sep 2007

カズベキ  (地域地図を開く)

トビリシからまっすぐ北に向かう道路がある。この道路は大カフカス(コーカサス)山脈を縦断して,南カフカスと北カフカスをつないでいる。このトビリシとロシア連邦に属する北オセチア共和国のウラジカフカスを結ぶ210kmの道路は18世紀に北カフカスを支配したロシア帝国が南カフカスに進出するために建設したものなので「グルジア軍用道路」と呼ばれている。

北カフカスに隣接するグルジアの領土内にはグルジア政府の主権が及ばない南オセチア共和国(自称)があり,国際的な承認のないまま独立国の体裁を整えている。

南オセチア地域は面積は3,900km2,人口10万人,土地の90%近くは1000m以上の山地となっている。ロシア革命後グルジアに編入されたが民族的にも文化的にも国境を接する北オセチア共和国(ロシア連邦内の共和国)に近い。

ソ連時代を通じてグルジア化政策がとられ,グルジア語の教育が強制された。グルジア独立直前の1990年に自治権と民族アイデンティティの喪失を危惧した南オセチア自治州人民代議員会議は,北オセチア共和国への編入を求め,主権宣言,共和国への昇格等を決定した。

1991年グルジア政府は南オセチアに警官隊と民兵を投入し,大規模な弾圧を始めた。ロシアの支援を受けた南オセチアは自警団を結成して武力紛争に発展した。1992年5月に住民投票の結果を受けて南オセチア共和国は独立を宣言した。6月にはロシア,グルジア,南北オセチア4者による紛争調停の原則に関する協定が署名され,平和維持軍が導入された。

このような事情を抱えているため,外国人には国境は開放されておらず,旅行者が訪れることのできるのはロシア国境近くのカズベキまでとなっている。カフカス山脈の山懐に向かうこの道路は壮大な山岳風景を楽しめるだけではなく,周辺にはひっそりと佇む古い教会,小さな村々などが点在しており,グルジア観光のハイライトの一つとなっている。

トビリシからカズベキ村までは約150km,標高5040mのカズベキ峰が間近にそびえる。14世紀に建てられたツミンダ・サメバ教会のあるクヴェミ・ムタ山頂までは村から徒歩2時間であり,背後にカズベキ峰,眼下にはカズベキ村が広がる雄大な景色が楽しめる。

アラヴェルディ(70km)→トビリシ 国境移動

今日はアルメニアのアラヴェルディから国境を越えて,トビリシ,カズベキと移動する予定だ。昨日の夕食でハムを200gも食べてしまったので,腹がびっくりしてしまい軽い下痢の症状を起こしている。

朝方にはもう回復していたが用心のためハムには手を付けずパン,蜂蜜,トマトで朝食をいただく。アベチャンの店の前でバスを待っていると,国境のバグラタシェンに行くワゴン車が通りかかり,乗せてもらう。大男の運転手は「いいよ,ついでだったんだから」と言って料金を受け取らなかった。

アルメニア,グルジアの国境(グルジア側はサダフロ)施設は100mも離れていない。周辺には民家は無く国境施設があるだけだ。どちらもプレハブのような建物なのでこの国境は新しいものなのかもしれない。そういえば,事前に調べておいた国境情報とも違う雰囲気だ。

この国境は両国の人とともに外国人も通過することができる。どちらのイミグレーションもパソコンに旅券情報を打ち込むだけの簡単なものだ。荷物検査などはまったく無い。国境を通過する所要時間はわずか10分ほどだ。

グルジア側にはトビリシ行きのマルシュルートカと乗合タクシーが待機している。料金は前者が6ラリ,後者が10ラリなので迷わずマルシュルートカにする。しかし,マルシュルートカは乗客が集まらないと出発しない。

サダフロはグルジア,アルメニア,アゼルバイジャン三国の国境が集まる地域にあり,東10kmも行けばもうアゼルバイジャンである。当然,アルメニア・アゼルバイジャンの国境は閉鎖されている。

おばさんがやってきてアルメニア・ドラムからグルジア・ラリに両替すると言う。残念ながら昨日,余ったドラムはアラベルディでだいたい両替してしまい,ほとんど残っていない。

おばさんは数ドル分のドラムをちゃんと両替してくれた。アラベルディの両替屋でも簡単に1%ほどの手数料でドルへの再両替ができたので,アルメニア通貨はまったく無駄なく使うことができた。

30分ほど待っても他の乗客が現れなので,結局乗り合いタクシーで移動する。道路状態は良好でタクシーは時速100kmで走り,1時間もかからずにトビリシの南にあるメトロの駅で降ろしてくれた。まだ12時前なので充分カズベキまで移動できそうだ。

トビリシ(150km)→カズベキ 移動

メトロでトビリシ駅から3つ先のディドゥベ駅に行く。12時発のカズベキ行きのマルシュルートカ(8ラリ)が見つかり,今日の移動は順調に推移する。この車もよく飛ばす。

出発してすぐに丘の上に十字架をかざした女性の像があった。十字架,女性とくれば自動的にこの土地では聖ニノを連想する。高速道路から見るとムツヘタのジュヴァリ大聖堂はわりと近くに見える。

車はアラクヴィ川沿いの道を走り前方にダムが現れる。しかし,車の速度は速く,あっと言う間に通り過ぎてしまう。タクシー(30-40ラリ)を利用すると,周辺の見どころで止まってもらえるのだが,マルシュルートカではそんなわがままは通用しない。

このダムは水量調整のため単純に水を貯める目的で造られたものだ。ダムの最上部には緊急放水路が見えるが現在はまったく水は流されていない。ダムの近くにはいかにもソ連時代を思わせるモニュメントがある。上部には旗が林立しておりまるで槍のようだ。

ダム湖の水の色はごく普通であるが,少し上流に行くと日差しの影響もあり,エメラルド・グリーに劇的に変化する。この色彩の変化はどうしたものなのだろう。

ダム湖の先端部にはアナヌリ教会がある。この景色も一瞬で通り過ぎてしまい,残ったのはガードレール付きの写真が一枚である。ここだけは停車してもらいたかったなあ・・・。

車は川沿いの道を走り続ける。谷はかなり広がっており,前方には大カフカスの山並みが見える。13:30に茶店で休憩する。ここから本格的な上りになるのに強い雨が降りだし,景色は台無しである。ここの景色は帰りに期待するしかない。

ローザの家

15時に車は雨の中をカズベキ村の広場に到着した。とりあえず雨宿りの場所を探そうとすると,おばさんに袖を引かれる。民宿の客引きのようだ。料金を聞くと1泊2食付で30ラリだというのでお断りすると,半額の15(1050円)に下がった。

それならばいいかと雨の中を彼女の後をついていく。カズベキ村への角を曲がったところに車が用意してあたので助かった。彼女(ローザさん)の家に着き,改めて料金を確認すると2食付は25ラリだという。

それはさすがに高すぎるので雨が小降りになったところで出て行こうとすると20に下がった。だいたい相場の値段になったのでここに滞在することにする。

ローザさんの家はダイニングキッチン,部屋1,部屋2,居間の構成になっており,宿泊客がいるとき家族は隣の建物に寝泊りしている。家族は夫婦と子どもが4人,1男3女である。

僕は部屋2に泊まることになった。カズベキは標高2000m近いので夏とはいえとても寒い。とりあえず,濡れた服を着替え,冬用のフリースを着て出かけることにする。

カズベキ村

ここの地名はカズベキになっているが,南北方向を通るグルジア軍用道路を挟んで東側がカズベキ村,西側はゲルゲティ村となっている。東側,西側ともに高い山がそびえており,道路が最も低いところを走っている。

バス停の周辺にはホテルや小さな商店が並んでいる。食堂は見かけなかったので食事付きの宿に泊まらないと苦労する。東側のカズベキ村は片斜面になっており,幹線道路に平行に何本かの道がある。

幹線道路の西側には小さなテルギ川が流れており,その西側の平らな土地がゲルゲティ村になっている。村の西半分は斜面になっており,背後の山の上にはサメバ教会がある。

このような地形になっているため,カズベキ村の少し高いところからは,ゲルゲティ村の全景,サメバ教会の山が一望できる。そしてその右背後には大カフカス山脈第二の高峰となる雪を頂いたカズベキ峰が大きくそびえている。

僕が過ごした2回の早朝は,素晴らしい晴天に恵まれ,絵に描いたような景色を楽しむことができた。しかし,08時にはもう雲が出て,カズベキ峰の上部は雲に隠れてしまう。この村では早起き鳥だけがこの景色を楽しむことができる。

天気がどうなるか分からないので,雨がやんでいるうちに周辺を歩いておく。カズベキ村は似たような家が並んでいるのでちゃんと帰ってこれるように近くの特徴のある廃屋の写真を撮っておく。

これですっかり安心してしまい,斜面を上る道路と宿の前の道路の交差点のチェックをすっかり忘れて村を歩き出した。村の背後には切り立った山が迫っており,雲は低く垂れ込めている。それは雨を降らせた雲ではなく,雲海のようだ。

正面(西側)のゲルゲティ村の背後の山の上には小さくサメバ教会が見えるが,カズベキ峰は完全に雲に隠れている。ゲルゲティ村から一筋の小川がテルギ川を目指して流れている。晴れていればさぞかし雄大な景色であろう。

天気の悪い初日の散歩

幹線道路まで下りると左にちゃんとしたホテルがあり,周辺は駐車場になっている。そこはバスの停留所を兼ねている。テルギ川にはコンクリートの橋が架かっているが,近くには昔のつり橋も残っている。天気が悪く初冬のように寂しげな風景となっている。

ゲルゲティ村の入口には赤い実を付けたいくつの木がある。近くに寄って見るとナナママドであった。ナナカマドはその先に何本もあり,見事な赤に染まっていた。

ゲルゲティ村に向かう左側は牧草地になっており,すでに刈り取られた牧草の山があちこちに残っている。サメバ教会のある山の左側を回り込むような山道があり,そこからアクセスできるようだ。

ここから東側を見ると切り立った屏風のような山に囲まれたカズベキ村が広がっている。畑はほとんど見当たらない。この村の人たちは何で生計を立てているのだろうか。

村の家屋は石造りのものが多い。加工度の低い自然石を積み上げモルタルで固めている。壁面をすべてモルタルを使用しないで自然石を積み上げて造った見事な家もある。建築用の樹木がほとんど無いこの地域で,人々は身近な材料で家を造る技術を磨いてきた。

村の牧草地から立ち上がる45度もある急斜面では牛が一頭だけ草を食んでいた。ここは家畜の放牧地のようで,斜面に沿ってたくさんのけもの道が付いている。

山羊か羊を解体する

さて17時を過ぎたのでそろそろ宿に戻らなければならない。幹線道路の広場に戻り斜面の道を登って行く。しかし,宿の前の通りが分からない。交差点の建物に全く記憶が無い。

横の道は4本ありそのうちどれかが正解であろうと歩いてみたが宿は見つからない。近所の人にデジカメの画像を見せて,ようやく場所が分かった。かれこれ40分くらいは上ったり,下ったり大変だった。

ローザの家の夕食は20時からであった。宿に戻るともうすることがないので日記作業をしながら,19時頃から待っていたら,ずいぶん待たされることになった。メニューはパン,チーズ,目玉焼き,紅茶である。ガスレンジはあるけれど,ガスが無いということで調理は簡易コンロを使用していた。

カズベキ峰が朝日に輝いている

昨夜は毛布としっかりした布団で寝たので寒くはなかった。06:30に起きると窓が露結しており室温もかなり下がっている。台所の窓からカズベキ峰が朝日に輝いている。空は快晴に近い。

冬服を着て写真を撮りに外に出る。宿の前の通りから西側の全景が見える。下のゲルゲティ村とサメバ教会の立つ山はまだ夜の帳から抜け出していないが,カズベキ峰は紺碧の空を背景に白く輝いている。昨日の天候からすると信じられないくらいの上天気だ。

それにしても寒い,カメラを持つ手がかじかむほどだ。ポケットにカメラごと手を入れてカフカスの雄大な景色をじっと見る。サメバ教会とその下の山は村を包み込むようなシルエットになっている。月はまだ青空に消し去られずに白っぽい姿で中空に浮かんでいる。

この風景の寿命は1時間ほどであった。08時を過ぎるともうカズベキ峰の中ほどに雲がかかってしまった。雲は山の斜面から湧いてくるようだ。太陽が出て地面が温められると上昇気流が生じる。

気流は山の斜面に沿って上昇し,上空で冷やされて雲になる。このため,だいたい同じくらいの高さのところに雲が浮かぶようになる。かくして,いかに上天気でもカズベキ峰の全景が見られるのは早朝だけということになる。

サメバ教会を目指して

08時を過ぎても家の人は誰も現れないので,昨日の残り物のパンとチーズで朝食をとる。パンは少し硬くなっているので,電気ポットでお湯を沸かし砂糖湯を作って,それに浸して食べると具合が良い。

さて,出かけようかとしたところにローズさんがやってきてソーセージを焼き,トマトを切ってくれた。おかげでお腹もいっぱいになり元気に出発する。

道路はもっとも低いところにある

さすがにこれだけ天気が良いと気持ちがいい。しかし,山の天気は変わりやすいので冬服はザックに入れて持っていく。だいぶ雲がかかったカズベキ峰とゲルゲティ村の風景をちらっと眺めて広場まで下りる。

ホテルの背景の岩山も今日はくっきりと見える。テルギ川のつり橋の風景も今日は夏のものに変わっている。目的のサメバ教会ははるか先の山の上にある。そこに登るルートは二つある。

一つは左側から回り込んでいくルートで,かなりきつい斜面を登ることになる。もう一つは右側から村を通り,ジープ道を歩くルートで2時間ほどかかる。今日は元気なので短縮ルートを採用する。

左のグルジア軍用道路はロシアまで続いている

小さなテルギ川を渡る

刈取りの終わった牧草地

昨日見た牧草地から立ち上がる斜面は明るい夏の風景になっており,ずいぶん表情が変わっている。上天気に合わせ村の家屋の写真も取り直しておく。村の中の道を少し行き,途中で左に向かう家畜の移動ルートをたどる。

ゲルゲティ村を迂回するように進む

クヴェミ・ムタ山の側面を回り込む

クヴェミ・ムタ山背後の牧草地に出る

少し高度が上がると,東側の山塊を背景にしたゲルゲティ村が一望できる。けもの道は山の斜面に沿って続いており,少しずつ高度は稼げるが,頂上はずっと上にある。登り口が見つからないまま歩いていくと,山の裏側に出てしまった。

谷を挟んだ向かいの斜面は放牧場になっており,緑の薄いじゅうたんの上にたくさんの牛がいる。草地の上は濃い緑の樹林帯になっており,山の住人は上部の樹林帯をちゃんと保存している。これを失うと,ちょっとした雨でも土砂が流され山全体の土壌が保全できなくなる。

斜面の上にツミンダ・サメバ教会の先端部が見える

僕の立っている斜面の真っ直ぐ上にサメバ教会の円錐形の屋根が見える。どうやら登り口を見つけ損なったらしい。最大50度くらいの斜面であるが草が生えているのでなんとか登れるだろう。

特にルートは無いので,岩場を足がかりにして登り出す。草の上は滑るのでかえって危険だ。100mほどの高さを30分ほどかけて登りきるとそこは教会の裏側であった。

家畜の通り道

登りの途中で休憩をとり,下の放牧地を眺める。家畜が良く通るところは草がはげて地面の色になっている。

山頂からは二つの村が眺望できる

教会そのものは細かく見るようなものではなく,写真も近すぎてとても無理だ。帰りのルートは間違いようもない。草地にジープのわだちがしっかり付いている。教会は山の頂上にあり,すぐ下は広い草地になっている。

地元の人にワインを勧められる

キャンプにはとても良さそうなところではあるが,「キャンプ禁止」の立て札があった。地元の人たちが下で食事をしており,呼ばれて近づいてみると,ワインを勧められて閉口した。

石垣の内側からでは写真にならない

サメバ教会は簡単な石垣に囲まれており,内部からは距離がとれなくて写真にならない。

こんなところに水が出ている

この近くには水が湧いており,十字架を乗せた水飲み場になっている。この水はさすがに問題無いのでペットボトルに詰める。ここから見るカズベキ峰はもう完全に雲の中である。

サメバ教会に別れを告げる

ジープのわだちをたどり帰路につく。ときどき振り返り,何枚か教会の遠景写真を撮る。サメバ教会は近くより離れて撮ったほうがずっと趣がある。下の斜面では地元の人々がごみ拾いをしている。

この自然の中でゴミを捨てる人がいるとは信じられない。外国人なのかグルジア人なのかは分からないがとても悲しいことだ。それでも,地元の人々の努力によりこの辺りの草地の景観は守られている。

十字架を乗せた小さなほこらのようなものがある

植物や昆虫を観察しながら下山する

斜面の木は雪の重みで曲がっている

ジープ道は樹林帯の中を通るので見通しは悪い。おまけに道はぬかるんでおり,ずいぶん歩かされたこともあって楽しくない。途中で日本人旅行者に出会った。サメバ教会まであと1時間弱と教えたらずいぶんがっかりしていた。その気持ちは良く分かる。

道路の周辺にはシラカバに似た樹木が多い,いずれも雪のせいか斜面に対して斜めに生えている。僕の故郷の北海道よりここの自然は厳しいようだ。

北側からゲルゲティ村に入る

樹林帯を抜けると視界が開ける。眼下にはゲルゲティ村とカズベキ村が一望できる。ここから見ると二つの村はすり鉢の底に広がっているようだ。村の周辺はほとんどが牧草地になっている。さらに下りると,やはり背後に険しい山を置いた斜面の牧草地の風景はとてもいい。

ゲルゲティ村の人々

ゲルゲティ村の人々は子どもを含めて他所者にあまり良い感情を持っていないように感じた。子どもたちの写真を撮るのもずいぶん大変であった。中には積極的に話しかけてくる女性もいたけれど,人物の写真はいつもに比べてずいぶん少ない。

ナナカマドが多い

ナナカマドの木はゲルゲティ村にもカズベキ村にも多かった。食用の実が取れるわけではないし,製材としての価値もないナナカマドがどうしてこの地域に多いのか不思議だ。日本人と同じように秋の紅葉と真っ赤に色づいた実の美しさを愛でるためであろうか。

宿の子どもに連れられて・・・

宿の子どもに連れられて彼女の親戚の家に連れて行かれた。彼女は従妹に会いにきたようであり,中庭で2人分のヨーヨーを作ることになった。この家の外観はとても感じがよい。

北に向かうグルジア軍用道路

立派な吊り橋

下の川はほとんど水は流れていないが,雪解け時あるいは大雨のときはには相当の水が流れるのであろう。村の規模に比してずいぶん立派な橋がかかっていた。

夕暮れのカズベキ峰

夕食は手作りのヒンカリであった。ローズさんが「もっと食べなさい」とさかんに勧めるので,中くらいのサイズとはいえ12個もいただいてしまった。さすがに満腹で,昼間の疲れもありぐっすり眠ることができた。

カズベキからの帰り道

出発日の早朝,カズベキ峰はまあまあの顔で迎えてくれた。しかし,どこからともなく黒い雲が湧いてきて周辺に漂っている。黒い雲が切れるところを見計らって写真を撮る。これでカズベキ峰の写真にはもう未練はない。

朝食は昨日の残りのヒンカリを暖めたもので,昨日からここに泊まっているロシア人のカップルと一緒にいただく。昨日,彼らはヒンカリをあまり食べずにワインをさかんに飲んでいたが,今朝はしっかり食べている。

バスの出発時刻は09時ということなので15分前に宿を出る。20人くらい乗れるミニバスは乗客3人でも定刻通りに出発した。ミニバスでは写真にならないけれど,やはり天気が良いと気持ちがよい。

途中で石灰分を含んだ鉱泉のところで15分ほど停車した。バスの乗客は水を汲みに行き,僕は茶色の石灰棚の写真を撮る。ここは石灰分を含んだ地下水が斜面から染み出してきて,少しずつ再結晶したものだ。本来は白色の石灰棚になるところであるが,おそらく鉄分を含んでいるのでこのような色になったと推測する。

この岩棚の横にトンネルがあった。確か来た時も何ヶ所か同じようなものを見かけた。少なくとも車を通すためのものではなく,トーチカのような軍事用の施設なのかもしれない。

さすがに晴れているとすばらしいカフカスの風景が見られる。道路工事のためミニバスが停車する。外に出て多に向こうの斜面の写真を撮る。薄い緑に覆われた斜面はおそらく放牧地だろう。

ここでは,地すべりで道路の一部が流され,仮橋を造る工事が行われている。近くで写真を撮っていたら,トビリシ行きの車列が動き出し,ミニバスも動き出す。僕が駆け寄っても止まってくれない。

たいした速度ではなかったので,取っ手をつかんで飛び乗ろうとしたとき,足元がお留守になり,大きなコンクリートのブロックにつまずいて転倒した。右手に持ったカメラを庇いながら手を付いたので腕を擦りむいてしまった。やはり,年を考えて無理をしてはいけないと肝に銘じた。


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