亜細亜の街角
遊牧民キャンプを訪ねる
Home 亜細亜の街角 | Nomado tour / Iran / May 2007

イランの少数民族と遊牧民

イラン南部をペルシャ湾に沿って走るザグロス山脈は全長2000km,その山中には伝統的な遊牧生活を送る遊牧民が暮らしている。彼らは夏営地と冬営地をもち季節により家畜の草を求めて移動を繰り返す生活を送っている。

西にアラブ世界,東にインド世界,北はトルコと接しているイランの民族構成は極めて複雑である。最大多数を占めているのはファルス人(ペルシャ語を母語とする印欧語族,狭義のペルシャ人)である。しかし,ファルス人の比率は50%程度であり,残りは少数民族ということになる。

少数民族としては印欧語族に属する13あまりの民族,チュルク系に属する11あまりの民族,ドラヴィダ系民族,カフカス系民族,セム系民族があげられる。周辺国の代表的な民族はほとんど含まれているといってよい。

彼らは公用語のペルシャ語以外に民族独自の言語を守っている。古い歴史をもつ地域の民族構成の複雑さは,島国で歴史が始まった時にはほとんど単一民族になっていた日本人として驚嘆に値する。

宗教にしてもイスラム教シーア派以外にもイスラム教スンニー派,キリスト教,アルメニア正教,ユダヤ教,ゾロアスター教が混在している。イスラム教は「右手にコーラン,左手に剣」という好戦的で強制的な宗教というイメージが日本では定着している。

しかし,歴史を振り返ると他の宗教よりずっと寛容であることがわかる。7世紀からイスラームが急速に拡大したのは武力というよりイスラム教のもつ平等性,寛容性に負うところが大きい。そのため,イスラム教が多数派を占める地域でも他の宗教は迫害されたり,改宗を強制されることもなく,現在まで生き続けている。

遊牧民の話に戻ると,ザグロスの山中には羊やヤギを連れて遊牧生活を営むバクティアリ人と鮮やかな毛織じゅうたんのギャッベで知られるカシュガイ人が暮らしている。さきほどの民族区分でいうとカシュガイはチュルク系であり,バクティアリは印欧語族系である。

彼らは移動式住居に暮らし,山羊や羊のミルクでヨーグルトを作ったり,毛織物を紡ぐなど祖先から連綿と受け継がれてきた伝統的な生活を営んでいる。夏と冬の気候差が大きいため多くの遊牧民は夏営地と冬営地を行き来している。

しかし,政府が定住化政策を進めていることおよび土地の私有化の進展により彼らが昔から通っていた遊牧ルートの一部は農地になったりして通過を断られるようなケースが増えており,遊牧の生活は次第に困難になってきている。

また,経済的な理由や子弟の教育などのため定住化の道を選択する家族も増えている。遊牧という伝統的な生活様式が失われていくのを寂しいと感じるのは旅行者の感傷に過ぎないけれど,伝統文化が失われていくのはイランにとって大きな損失であろう。

エスファハーン発ノマド・ツアー

エスファハーンのアミール・キャビールホテルからは「ノマド・ツアー」が出ている。料金は10万リヤル,バスで遊牧民の夏営地を訪ねるものである。イランの遊牧民とはどのような生活をしているのか興味があったので,是非参加したいと考えていた。

問題は僕の体調である。イランに到着して以来,喉の具合が悪く,ときどき喘息のように咳き込むことがある。エスファハーン滞在のの2日目,幸い咳は薬のおかげでそれほど問題にならない程度に快復してきたので参加することに決定した。宿の受付でその旨を伝え,料金の10万リヤルを支払う。

07時にツアーバスが到着する。50過ぎの運転手(ガイド)はきれいな英語を話す。彼の経歴をたずねると,若い頃は登山家であったと話してくれた。バスは20人乗りの大きさで車体は黄色,なんだか映画に出てくる米国のスクール・バスに似ている。

乗客のシンガポーリアンが運転手にそのことを話すと,やはり米国でスクールバスとしてして使用されていたものだという。その証拠に運転席から機械的に扉を開閉できるようになっている。

参加者はシンガポール人2名,ドイツ人1名,香港人3名,ブラジル人1名,そして日本人1名と国際色豊かである。食事はどうなるか分からないので,ザックの中には薄焼きパンとミルクのパックを入れておく。また,標高の高いところにありそうなので長袖を着込み,冬用のフリースを用意する。

不思議な泉

緑の多いエスファハーンの中心部を抜けると次第に茶色の風景に変わっていく。幹線道路をから支線に入り1時間ほどで谷に入る。その手前では平地の向こうに山があり,その近くには農地や森が点在している。現在,まばらな緑しかない土地も雨期になると農地に変わるのかもしれない。

小さな谷には水が流れている。その少し先でバスが止まる。緑の全く無い山裾から水が湧き出ている。水はとてもきれいでそのまま飲めるとガイドが教えてくれる。地元の人々が車でやって来て,ポリタンクに水を汲んでいく。

ドイツ人の男性は自分のペットボトルに水を入れ,おいしそうに飲んでいる。僕はせいぜい手を付けて水温を調べるくらいだ。彼が抵抗無く生水を飲めるのは,ミネラルウオターにおける文化の違いがあるのかもしれない。

ヨーロッパでは「ナチュラル・ミネラルウォーター」が一般的であり,汲み上げた水をそのままボトルに詰める。除菌や添加はしないことがその条件になっている。

それに対して日本の「ミネラルウォーター」は除菌したものをボトルに詰めしている。これは除菌もしない水には抵抗感があるのではないかという消費者心理を考慮してのことである。

それにしてもこの泉はまるでパイプで運ばれてきたかのように勢いよく岩の間から流れ出ている。これだけの水量がどうやって地下を通って流れてくるのか不思議だ。第一,背後の山はとても水源になるとは思えない。

ゴミムシの仲間のようだ

泉の周辺にはわずかな植生があり,僕とドイツ人はそれを写真に収めた。地面に何か動くものがいる。日本でもおなじみのゴミムシの仲間のようだ。こんな食料の少ないところでも昆虫たちはたくましく生きている。

羊の群れに出会う

遊牧民のキャンプ地

バスは悪路を何回か止まりながら道なき道を苦労しながら谷をつめていく。この辺りになると道というより荒地にわだちの跡が付いているだけである。植生はわずかな潅木が生えているだけだ。ときどき,切り立った山の連なりが現れ,ちょっと退屈な谷の景色にアクセントを添えてくれる。

最奥部に放牧地があった。ガイドの説明ではこのあたりの標高は2500mとのことである。谷はとても広く数十haはありそうだ。三方を山に囲まれており,文字通り谷の再奥部である。おそらく,この地形のためこの土地は周辺に比べて水事情が良いのであろう。

意外と緑が多いと感じたのは誤りであった。緑の正体は背が低く地を這うような潅木であった。羊が食べる草は我々の周囲にはほとんど残っていない。羊そしておそらく山羊も食べない潅木だけが残っているのだ。

ここにはいくつかのテントが張られている。水場が近くにあるのでここが複数の遊牧民の野営地となっている。ただし,ここで暮らすのは男性だけだ。女性と子どもたちはもしかしたらもう定住生活を送っているのかもしれない。女性たちの仕事を見たいと思っていた僕にとってはとても残念なことだ。

羊の群れ

広い谷には200-300頭ほどの羊の群れが4ヶ所に分散している。群れは移動しながら乏しい緑を食んでいく。彼らが何を食べているかはよく分からない。

羊群のいるあたりはけっこう緑が多いように見えるが,ほとんどが地面をはうように地面にしがみついてる灌木である。灌木の葉は固く,とてもグルメの羊の食用になるとは思われない。

牧羊犬

羊の周囲には黒もしくは薄い茶色の巨大な牧羊犬が見張っている。この犬たちは僕にはほとんど狼に見える。

我々のような見慣れない人間が近づくとさかんに吠え,その様子はかなりの恐怖を感じるほどだ。ということで遊牧民の男性がいないところでは,うかつに羊の群れに近づけない。

シンガポーリアンの男性が用心のため棒をもって羊の群れに近づいたところ,猛烈に吠えられた。彼は棒を操って犬を追い払おうとしたが犬たちは一歩も引かない。結局,彼はほうほうの体で戻ってきた。

2500mの高地はさすがに寒い

標高が高くなったこと,そして風が出てきたため体感温度は急激に下がる。ガイドに連れられて遊牧民のテントにおじゃまする。天幕の周りは高さ1m弱の風よけのため石垣で囲われているので多少は暖かく感じる。

みんな毛布をひざ掛けにして寒さをしのいでいる。テントの中には羊飼いのシンボルとも言うべき頑丈なフェルトの上着が置いてある。寒さの厳しい時期に彼らはこの上着を着て羊の群れを誘導するのであろう。

フェルトの上着

フェルトは遊牧民の暮らしに欠かせない素材である。トルコからモンゴルに至る地域で移動住居の覆い,暖かくて丈夫な羊飼いのマント型の上着,長靴などに広く利用されている。フェルトの材料は主として羊の毛が使用される。

フェルトは織物ではなく一種の不織布である。羊の毛は水に濡らして圧縮したり擦り合わせることにより繊維が絡み合って緻密になる性質がある。寒さをしのぐために靴底に敷いた羊毛が圧力と摩擦により偶然に硬いシート状になったことがその起源であると考えられている。

チャイが出てくる

テントの男性が火をおこしてお湯をわかしチャイをふるまってくれた。寒さに震えている我々にとっては熱いチャイはとてもありがたい飲み物だ。牧羊犬はテントのすぐそばに集まっており,我々はしばらくテントから出られない状態になる。

他所のテントの遊牧民が我々のテントにやってきた

他所のテントの遊牧民が馬に乗って我々のテントにやってきた。犬たちはその周りに近寄るが,吠えることはしない。交流のある人々の匂いを犬たちはちゃんと記憶しているようだ。

普通の犬ならば手を出して匂いを覚えてもらうことも可能であるが,何といっても相手は狼のような犬なのでこの手段を用いる気にはならない。

少し経つとようやく我々が不審者ではないことが分かってもらえたようで,テントから出ても吠えなくなった。しかし,他所の群れの犬たちはまだまだ要注意だ。

羊の群れが戻ってくる

一つの群れが正面の山の斜面を上っていく。群れを面でとらえることができるのでいい絵になる。いかんせん,距離があるし曇り空なのでどの程度の写真になるかは分からない。こんなときは一眼レフが欲しくなる。やがて,羊の群れは山を越えて背後の斜面に消えていった。

羊の群れはいつも食べてばかりいるわけではない。草を求めての移動と休息を繰り返している。谷の平地部に下りてきたときは(周囲に食べるものがないので)集団を作り,のんびり地面に寝そべっている。そんなときでも牧羊犬は集団の周囲におり,決して監視を怠らない。

家畜として数千年の歴史をもっている羊は家畜以前の野生の性質をすっかり失っており,羊の群れは誰かが動くとそれについていくという性質をもつようになった。この性質のため羊の群れを移動させるのは難しくない。

とはいうものの臆病な羊は自分からは積極的に動こうとしないので牧羊犬や人間に先導してもらう必要がある。また,自分から動く性質をもつ山羊を群れに入れておくという方法もある。

羊のバーベキュー

ドイツ人が「羊を1頭買ってバーベキューをしよう」とんでもないことを言い出す。ガイドが遊牧民と値段の交渉し70万リヤルということになる。シンガポーリアンの一人は羊が食べれないというので一人あたり10万リヤル(11$)である。街でケバブをいくら食べてもこの値段にはならないが,遊牧民がどのように羊を解体するのか興味があったので同意する。

東西に長いユーラシアの草原地帯においては羊の屠殺方法には二つの作法がある。一つは「イスラムの作法」であり,もう一つは「チンギスハンの作法」である。

草原地帯の西側のイスラム圏ではイスラムの作法で,東側の非イスラム圏ではチンギスハンの作法が根付いている。両者の差は大地に血を吸わせることを是とするか非とするかである。

遊牧民にとっては羊は貴重なタンパク源であり,血を含めて最大限に食べることが求められる。そのため,チンギスハンは大地に血を吸わせることを禁止しており,例えばモンゴルでは次の手順となる。

@羊を仰向けにして腹部を10cmほど切り裂く
A切り口から手を入れ心臓近くの大動脈を指で切る
B頭部を切断し小刀と素手で毛皮をはぐ
C内臓を取り出す
D胸腔に溜まった血を容器に移す

血液はそのまま固めるか小腸に詰めてソーセージとなる。もちろん,頭部も内臓も余すところなく食用になる。

イスラム圏では聖典「クルアーン(コーラン)」に食べられるものと食べられないもの,さらには屠殺方法が規定されている。クルアーンの第二章173には「死肉,血,豚肉,およびアッラー以外の名で供えられたもの」を口にすることを禁止している。

クルアーンにより血は「ハラム」となっているため,「イスラムの作法」では大地に血を流すことになり,次のような手順となる。

@屠殺者はムスリムでなければならない
A羊を両足の間に挟んで地面に押さえつける
B「アッラーの御名によって」と唱えながら喉を切り裂く
C血がすべて流れるまで放置する
D頭部を切断し小刀と素手で毛皮をはぎ,内臓を取り出す
E肉を切り出す

羊は二人の男性に押さえられ喉を切られる。流れ出た血が地面に血だまりを作る。羊は声を発することも無く足を痙攣させ,2分後には動かなくなった。

胸の部分の毛皮が切り裂かれ,あとは小さなナイフと素手で皮がはがされる。本体と皮は意外と簡単に分離できることにちょっと驚く。

牧羊犬はおこぼれに与ろうと回りに集まってくる。しかし,主人たちが作業をしている間は決して手を出さない。本体がテントの石垣の中に運び込まれてようやく彼らは地面の血を舐め始めた。

羊の本体は柱に吊るされ内蔵が取り出される。心臓と肝臓はすぐに串に通され炭火であぶられる。胃はサッカーボールほどに膨らんでおり,中には緑色の物体がつまっている。草食動物の腸は長いと教えられてきた通り,腸は細長くやはり中には緑色のものが入っている。

肝臓を一番大事にする

我々のバーベキューは肝臓から開始された。遊牧民はミネラルやビタミンに富んだ肝臓を一番大事にする。塩味だけの肝臓の味は悪くない。この辺りには潅木以外には燃料がない。火が小さく少し時間がかかったが続いて肉が出てくる。

7人で食べても羊1頭は食べきれない。残ったものは近くの遊牧民の人々におすそ分けされる。肉を切っているときに出る腱などの食べられない部分は石垣の外にいる犬たちのごちそうになる。犬たちはよく躾けられており,石垣の中には決して入ってこない。

エスファハンに戻る

バーベキューに満腹したものの日が傾くとますます温度は下がり,ツアーの一行は遊牧民にお礼をいい,17時過ぎにエスファハンに戻る。

民族 推定人口 言語系統
ファルス人3600万人印欧語族
アゼリ人1800万人ウラル・アルタイ語族
クルド人600万人印欧語族
バルチ人300万人印欧語族
アラブ人200万人セム語系

イランの民族構成,上記の他にロル人,バフティヤリ人,トルクメン人,カシュガイ人などの少数民族が居住している。(毎日新聞2008年5月 )



カシュガイの女性が織り上げたじゅうたんはギャッペと呼ばれており,遊牧生活の日用品としてさまざまな用途に使用されている。画像はwikioedia から引用した。



遊牧地は山に囲まれた盆地状の土地にあり,羊の食べる草は山の斜面にある。一見すると緑が多いように見えるが,大部分は羊の食べない灌木であり,羊の食べる草は乏しい。


エスファハーン   亜細亜の街角   シラーズ