亜細亜の街角
子どもたちの写真がいっぱい
Home 亜細亜の街角 | Kazarman / Kyrgyz / Jul 2007

カザルマン (地域地図を開く)

ナルンから西に向かい,いくつかの峠を越えるとファルガナのジャララバードにたどりつく。けっこうの山道で冬期は積雪のため閉鎖されるらしい。旅行人のシルクロードにこのルートが紹介されており,乗り合いのジープが運行されていると書かれているのでトライしてみる。

キルギスの次の訪問国はウズベキスタンなので,ナルンからビシュケク経由でいくより時間もお金も節約になる。もっともナルンまでも乗り合いタクシーしかなかったのでこの先の移動手段は不透明である。

カザルマンは金鉱の町だそうだ。しかし,丘の上から町を見渡しても鉱山のような施設は見あたらない。町は大きな通りにより集合住宅の多い地域と普通の家屋が並ぶ地域にはっきり分かれている。

ナルン(300km)→カザルマン 移動

06時に起床,早めの朝食をとって長距離BTに向かう。建物の横にはカザルマンと書かれたプレートのあるロシア製のコーチが停まっている。バスはどうなっているのか窓口でたずねると,やはり,これがバスのようだ。料金は300ソムとガイドブックの2倍近い。

大きな荷物は中に入らないので屋根に上げることになる。僕のザックは巨漢の運転手によって放り上げられた。しかたがないので屋根に登り,みんなの荷物を整理することになった。しかし,この作業は何の役にも立たなかった。

定員の12名を乗せて08:20に動き出した車はまずバザールに立ち寄り,続いて運転手の家に立ち寄り2本のタイヤを屋根に乗せた。狭くなった屋根のスペースに乗客の荷物は積み上げられた。この作業は運転手の息子が担当し,その後の運転も彼が行った。

屋根の上の荷物はカバーもかけられずむき出しのままである。平地は晴天なので,ぼくもさすがに今日は雨が降らないだろうと油断していた。

父親の運転手は英語が多少できる。「今日はアトバシュとバトエフに立ち寄るので全行程は300kmになる」と話してくれた。そのため料金も300ソムと高いのかな。でもこの辺りではそうそういろいろな道があるとは思えないのだが。

さて,なんやかんやで正式の出発は09:15になった。乗客は増えて,警官1人,男性3人,女性6人,子ども6人で完全に満員というより明らかに定員オーバーの状態である。

草原地帯を走る

車はしばらくナルン川沿いの道を走る。道路の右側は草原となっており,夏草を集める人々が働いている。その向こうには川岸の岩山が茶色の帯になって続いている。

小さな村ではバザールが開かれていた

11:30,小さな村では市が立っていた。ここがアトバシュなのかな。通りには大小の車がたくさん停車しており,我々の車もそこに止まる。市が立つということで臨時の車が出ているようだ。

若者の服装はTシャツとジーンズが多い。一方,年配の男性は背広もしくは長袖シャツにキルギス帽といういでたちの人が多い。馬に乗り膝の上には羊を抱えた男性もいる。

周囲には食堂のようなものはない。露店が並んでいる広場を一回りしてアイスとビスケットを買う。アイスの冷凍庫は中国製,このブランドはカシュガル,ビシュケクでも見かけた。

20ソムのビスケットはずいぶん量が多く,乗客におすそ分けする。乗客のうち大人はすることがないので車の作る日影で横にしゃがんでいる。子どもたちは飲んだり食べたりするのに忙しい。

再び草原地帯を走る

12:30,車は高原地帯を走る。ゆるやかな茶色の丘の手前は草原となっており,山羊か羊が放牧されている。標高はまだ2500mには達していないので,ここはオアシス型の草原であろう。このあたりの風景は水の有無によりがらりとその表情を変える。

小さなミニチュアの町のような墓地が道路わきにあった。この辺りには民家がほとんど見当らない。イスラムでは墓地は不浄の場所とされ,そこで礼拝することは禁止されている。そんなこともあり集落から離れたところにあるのかな。

荒々しい枯野の風景の1分後には緑の草原に変わる。この地域の風景はめまぐるしく変化する。標高が上がったのでついに雨が降り出した。2500mから3000mの地域では毎回のように雨に降られ,今日も例外ではなかった。

車の窓ガラスは外して運転席の下に置かれている。雨が吹き込んできたので,あわててそれを取り出し,苦労して取り付ける。屋根の上の荷物は防水シートなどはかけられていないので完全に濡れてしまった。

まあ,僕のメインザックは一応防水型になっているのでそれほどの被害はないだろうと自分を慰める。とはいうものの気分は天気同様にかなり灰色であった。

ビューポイントで止まってくれる

標高がさらに高くなると雨の範囲を抜け太陽が顔を出した。周囲の斜面は一面の草原になっている。これがキルギスの3000mの世界である。見晴らしの良いところで車は止まってくれた。

天気の良いという条件を付けたなら,ここからの風景がキルギスで一番良かった。雨で削られた幾筋もの小さな谷がしわにのようになっている斜面が広がり,その向こうには雪を頂いた山並みがある。

眼下に目をやると緑の谷,茶色と赤っぽい岩山,蒼い山並みが層構造になっている。キルギスの山岳地帯は本当に多様な表情を見せてくれる。行く手にはもう高いところはなく,どうやらここが今日の最高地点のようだ。

遊牧民の夏テントを訪問する

峠を下るとボズ・ヌイやコンテナのようなものが見える。この辺りは夏の放牧場になっている。車はボズ・ユイの前で止まった。積んできた砂糖か粉の袋はここに届けるものだった。

運転手に誘われてボズ・ヌイの中に入り,馬乳酒をごちそうになる。さすがに,羊の内臓料理には手が出せなかった。この家では馬の乳を皮袋に入れ,棒でかくはんして馬乳酒を造っている。

アルコールは弱いとはいえ茶碗に一杯飲むとほんわかとした気分になる。お礼に小さな子どもにヨーヨーを作ってあげる。このヨーヨーがとても気に入ったのか,一家の集合写真を撮ってくれと頼まれた。画像は見せてあげられるけど,プリントを送る手段は無い。

ボズ・ヌイの周辺は一面の草原になっている。しかし,家畜の姿はほとんど見かけない。もともと植生が豊とは言えないところなので,家畜を一ヶ所に置かないで移動放牧をしているのかもしれない。

標高の高い放牧地はキルギスの原風景である

その後もいくつかの放牧地を見ながら車は進んでいく。車内ではおばさんがどこかに持って行く馬乳酒を開けてしまい,乗客と一緒に飲みだした。歌はうるさいだけでいいけれど僕にも茶碗が回ってきて,すでにほろ酔い気分の僕は断るのに苦労した。

CTB民宿

カザルマンに到着し乗客を降ろした運転手は僕をCTBの宿に連れて行った。ここが唯一の宿というわけではないので,何か契約関係があるのかもしれない。実際,運転手はここの中庭に車を停め,ここで一泊した。

運転手は「今日はカザルマンに泊まり明日はナルンに戻る」という。青年の運転手は僕の水性ボールペンを使って,ダンボールに「ナルン」と書き込んだ。なるほど,これは明日使用する案内板になる。

青年に「この商売はどうだい」とたずねると,「いい商売だよ」という答えが返ってきた。確かに300ソムで10人を運ぶと3000ソム(9000円)の売り上げになる。300kmのガソリン代は3000円程度のものなのでこれはいい収入になる。

この宿は民宿スタイルで母屋を宿泊客に開放している。僕は一番大きな部屋に泊まることになった。部屋には2つの狭いベッドがあり,トイレとシャワーは庭の外れにある。部屋はとても立派で壁にはじゅうたんが張ってある。

隣はこれまた立派なダイニングルームで,2日間の滞在中にここで食事をしたのは僕だけであった。宿代は2食付で400ソム,決して安くはないが,この町の宿にそれほど選択肢があるとは思われない。

部屋に入るとすぐにメインザックを開け,中に入っていた画像用のストレージと予備のカメラの動作をチェックする。幸いどちらも元気に動いていた。移動中の雨の被害はザックのファスナーの部分から水がしみ込み,衣類が少し濡れる程度でおさまった。

CBTはキルギスの旅行を支援する団体である。車の手配や宿を運営しており,それなりに管理はしっかりしているようだ。「ソン・キョル湖」のように町から遠く離れたところでもCBTに依頼すると移動と宿泊が可能となる。

この家の女主人はきれいな英語が話せる。食事の時間を打ち合わせ,トイレとシャワーの使用方法について説明を受ける。一番知りたかったのは,ジャララバードへの乗り合いジープに関する情報である。

彼女の説明によるとジープは乗客が集まれば出るそうだ。一人あたりの料金は4人以上では標準の500ソム,3人では600ソムだという。女主人はカザルマンのジープを束ねている人を知っているというので手配をお願いした。

この家には2頭の番犬がいる。両方とも体格が大きく慣れないとちょっと恐怖を感じる。家の娘さんと一緒のときに手を差し出して匂いを覚えてもらった。これで一安心,頭を撫ぜても平気になる。薄い茶色の方はすっかり慣れてしまい,中庭に出ると走り寄ってくる。

シャワー小屋の上に太陽熱温水器があり,蛇口をひねるとちゃんとお湯が出てくる。これはちょっと感動ものだ。当然,午後の時間帯がお勧めである。温水器にどうやって水を供給しているかは分からない。人手で持ち上げているのかもしれないので短時間で済ませる。

母屋を民宿に開放しているので女主人と二人の娘さんは離れで寝起きしている。主人は母屋の別の部屋で寝ているようだが,ほとんど顔を合わさなかった。

軽く足慣らしに歩いてみる

カザルマンは小さな町だが何本かの通りがあり,宿の周辺には似たような家がたくさんある。念のために外から写真をとっておく。迷子になったらこの画像を近くの人に見せれば宿が分かるだろうという計算だ。

小さな町で迷子になる

バザールの方角を女主人に確認してそちらに向かう。小さな道を抜けて集合住宅の見える大きな通りに出る。子どもたちに「バザール」とたずねると,案内してくれた。すでに18時を回っているので,露店は店じまいをしていた。

いちおうバザールの場所は分かったので宿に戻ることにした。しかし,宿のある通りがどれだか分からない。横方向の通りが5本あり,しばらく歩いてみたけれど記憶と一致するものがない。というより,どの通りも見たようなような気がする。

人通りがあまり無く,ときどきデジカメの画像を見せて聞いてみるのだが首を横に振られた。車で通りかかった男性に拾われてようやく宿に戻ることができた。

彼と3人の娘さんは英語を話せる。画像を見て「CBT」と聞いてくる。うん,うんそのCBTだよ。宿の前で記念撮影してお別れしようとしたら,門の中に入って女主人と話をしている。どうやら,知り合いのようだ。

宿の食事

今日の教訓は「民宿のように目立たない宿に泊まったときは,出かける前に周辺の特徴のある建物などをちゃんと覚えておくこと」ということになる。しかし・・・グルジアの民宿で同じ過ちを繰り返すことになる。

夕食はジャガイモの炒め物,サラダ,パン,紅茶である。完全なヨーロピアン・スタイルでスプーンとフォークを使用した。この居間を兼ねた食堂には大きなテーブルがあり,イスも6脚ほど並んでいる。

こんなところで一人で食事をするのはちょっと侘しい。窓のカーテンは薄手のものを組み合わせたものでとてもユニークだ。CBTが選定する民宿はそれなりに裕福な家のようだ。

バザールで写真を撮りヨーヨーを作る

06時に起床,夜の雨は上がったようだ。それでも雲が多くて天気が回復するのか,再び雨になるのか見当がつかない。ナルンから僕を運んできてくれた運転手の青年は7時過ぎに出ていった。

朝食は牛乳粥,パン,ジャム,紅茶の組み合わせだ。お粥とパンを一緒にいただくのはかなり違和感がある。朝食後に天気は良くなると判断して洗濯をすることにした。

水は牛乳の缶に汲み置きがあるので,それをバケツで運ぶ。小さなたらいを借りて手洗いである。洗濯が終了すると水を補充しなければならない。手押しポンプを動かしてみると水が出ない。

バケツ一杯の呼び水を入れ再びハンドルを何回か押し下げると水が出てきた。通常の手押しポンプは連続して動かさないと水が止まるけれど,ここのポンプは一度押し下げると5秒間ほど水が出る。上げ下げはきついので5秒サイクルでハンドルを上下させて水を缶に貯める。

バザールに向かう前に昨日の迷子にこりて,特徴のある家の写真をとっておく。日干しレンガの塀に挟まれた細い道の曲がり角もちゃんと記憶しておく。ついでにこの路地と大通りの交差点にある特徴のある建物の写真もとっておく。

カザルマンの町は大通りによって2分されている。北側は集合住宅や学校などがある新市街(単に新しくできた地域という程度の意味),南側が旧市街となっている。近くに金の鉱山があるというので,集合住宅はその労働者のためのものだろう。

バザールの近くにいかにもソ連時代のものと分かる建物とモニュメントがある。町役場か公民館のような施設のようだ。バザールは露店,もしくはテントで,大半が自分の畑でとれた野菜や果物を売っている。

写真に対する拒否反応は全く無い。それどころか,一組を写すと近くから声がかかる。クムス(馬乳酒)をご馳走に(どちらかというと無理に勧められて)なったお礼というわけではないが,おばあさんに頼まれて写真を撮る。

おばあさんの服装は同じ布を使ったゆったりとしたブラウスとスカートの組み合わせで,スカーフも被っている。年配の女性はこのスタイルが多い。一方,若い女性の服装はジーンズが主流になっている。

「おばあさんの家に小さい子どもがいる?」と身振りでたずねると首を縦に振る。キルギスではまだ大家族制度が崩れておらず,おばあさんは子どもや孫と同居しているのであろう。「お孫さんにあげてね」とにヨーヨーを作ってあげる。

ヨーヨー作りを見ていた子どもたちからも手が出る。ハイハイ,ちゃんと作ってあげますよ。今日もヨーヨー屋は大繁盛である。これでバザールの人たちとは顔見知りになり写真の枚数が増えていく。カザルマンの宿は2食付なのでいつものように食材を買う必要はない。果物で目に付いたちいさなリンゴを4個いただく。

集合住宅でたくさん子どもたちの写真を撮る

バザールの北側にはたくさんの集合住宅が並んでいる。ソ連時代に造られたものでかなり老朽化しているが,現役として活躍している。日本では鉄筋コンクリートの建築物の設計寿命は50-60年を想定しているが,ここの建物はその時期に達しているか,過ぎているようだ。

建物と建物の間隔が広く,そこは庭園と公園になっている。子どもたちがたくさん遊んでいるので写真の題材には困らない。最初の一枚を撮ると子どもたちが引きもきらずにやってきてずいぶんたくさん撮ることになった。お母さんも乳児を連れてきて撮ってくれと頼まれる。

大人も一緒に撮ることになる

裏山に登り町を眺める

宿に戻り洗濯物のチェックをする。洗濯バサミがなかったので一枚が飛ばされていた。空模様が危ないのでそのまま取り込む。南にまっすぐ歩くと小さなモスクがあった。三角屋根の普通の家屋の上にドームを乗せている。

モスクの後ろは丘になっており,そこに登ると町が一望できそうだ。しかし,周辺は民家の塀で囲われており登り口が無い。しばらく斜面に平行に歩いていくとようやく斜面に通じる道路があった。

次の障害物は水路である。斜面の下に水路があり渡れるところがない。今度は逆方向に歩き小さな橋を見つける。斜面の中腹まで登ると町が見渡せるようになる。

カザルマンは意外と緑の多い町であった。特に南側の旧市街は樹木が豊かで,緑の中に埋もれるように金属の屋根が見える。北側には午前中に訪問した集合住宅があり,その背後の斜面にも少しばかりの樹木が生えている。

わずかな樹木の上部は見慣れた褐色の岩山になっており,同じような岩山が南の方角に折り重なるように続いている。町の北東部には川が削ったような崖がある。一通り町の周辺を眺めてみたが,金鉱山の施設らしいものはどこにも見当らない。

バザールに戻り,近くの食堂で昼食をいただく。薄いハンバーグ,ポテト,正体不明のナッツ,パンをいただいて30ソムである。大通りに出るとヨーロピアンのチャリダー・カップルに出合った。ジャララバードから登ってきたという。

彼らは宿の情報を訊ねるので僕の宿の話をすると高すぎるという表情を見せた。男性がザックから杏を取り出し洗いもしないで食べ出した。このくらいのタフさがなければ3100mの峠を自転車で越えることはできない。

再び集合住宅で写真を撮る

再び集合住宅に行くとちがう子どもたちが集まってくる。何人かの写真を撮って周辺を歩いてみる。住宅の壁を造っている人たちがいる。一人が水分を含んだ泥の塊を持ってくる。

壁の両側に板材のパネルを立て,その間に泥の塊を積み上げる。ある程度のところで上から木の重しでつき固める。泥はパネルの間でしっかりと詰まって壁になる。この工法は古代中国の版築に似ている。

版築は紀元前から黄土高原およびその周辺で行われていた,厚くて頑丈な壁を造るための工事方法である。黄土は水を少量含むと固まりやすい性質をもっている。

この性質を利用し,古代中国では城の土台や砦を築く時に,板材のパネルをある幅で立て,その間に少量の水を含ませた黄土とつなぎとなるワラなどを入れる。そして,大きな木の杵でつき固める。

すると,黄土から空気が抜け固くしまったものに変わる。これを乾燥させると非常に丈夫な壁になり,簡単には崩せないものになる。また,少しくらいの雨では崩れることがない。

一度につき固められるのは10cmほどで,工法が簡単なうえ材料も無限にある黄土なので広く普及した。地域によってはおそらく現在でもこの工法が生きているはずだ。

古代中国と同じような工法を現代のキルギスで見られるとは,かなりの驚きであった。逆の見方をすれば版築は現代にも通用するほど優れた工法であったということだ。

4人組の女の子に付きまとわれる

4人組の女の子が「写真を撮ってよ」とやってくる。画像を見せてあげるとしばらくつきまとわれた。彼女たちの案内でいくつかの集合住宅を訪れ,学校も見せてもらった。それはいいんだけれど,彼女たちのお友だちの写真を撮ることを命ぜられ30人くらいは撮ることになった。

どこで雨宿りをしよう

再び雨が降り出したので宿に戻る。洗濯物を取り込んでおいて良かった。しかし,宿の門は施錠されており中には入れない。表の通りで雨宿りの場所を探すが適当なところは無い。

民家の庇を借りようとしても塀と門で近づけない。たまに塀の無い家があっても番犬が吠えるので無理だ。結局,杏の木の下で2時間を過ごすことになった。まあ,旅のエピソードとしてはおもしろい経験だったけれど・・・

ちなみに左の画像はリンゴの木である。摘果しないために杏くらいにたわわになっているが,大きさは杏より少し大きいくらいだ。


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