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孟海(モンハイ)(参照地図を開く)

孟海は景洪から50km,孟海県の中心に位置する県内最大の町である。町および周辺にはタイ族の人々が多い。景洪とは比較にならないが,近代的な建物の多い立派な町である。気象路と仏双路の交差点が大きなロータリーになっており,ここがランドマークになる。


孟混(20km)→孟海移動

孟混10:30)→孟海(11:30)と小型トラック(5元)で移動する。孟混には汽車站が無い。日曜マーケットのにぎわいを十分堪能してから幹線道路の交差点でバスを待つ。バスは2台通ったがいずれも満員で通過してしまった。景洪で水かけ祭りがあるので移動は難しいかなと思っていたら,小型トラックが停まり荷台に乗ることができた。

荷台の板座席は振動のたびに体が浮き上がり,坐り心地は良くない。トラックは孟海の汽車站の近くに到着した。町を一回りして安宿を探してみてが見つからないので,景洪(ジンホン)か思茅(スーマオ)に移動しようと考えた。

しかし,水かけ祭りのため汽車站の窓口は大変な混雑であった。しばらくベンチで動向を見ていたが,これはとても無理と判断してこの町に一泊することにした。荷物をイスの上に置いて,これから景洪に出かける晴れ着の人々の写真を撮る。きれいな頭飾りを付けたタイ族の女性グループがフレームに納まってくれた。手に持った日傘をひろげるといい絵になる。

近くにはTシャツとジーンズ姿の男女の若者グループがいる。彼らにカメラを向けると,日傘を開いてポーズを取ってくれた。やはり祭りなると人々は開放的な気分になるので写真にも気楽に応じてくれるようだ。

朕合旅社

この町に泊まること決めると宿探しも真剣になる。ほどなく朕合旅社が見つかった。部屋(20元)は4.5畳,TV,1ベッド,T/S共同でまあまあ清潔である。窓は廊下側に付いているだけである。シャワールームはちょっと裸足になりづらい汚れなので,サンダルのまま使用した。

部屋の外は広い共通スペースになっており,端から端まで張られたロープにはたくさんの洗濯物がかかっている。僕も備え付けの洗面器を使用して洗濯をする。明日の朝までには乾くだろう。

汽車站(バスターミナル)

宿の前の通りは象山新街で左に行くとこの町のランドマークとなるロータリーに出る。このロータリーの中心には巨大な看板が立っている。公共の場所でもお金を出せばこんな看板を掲示できるということである。

のんびりと街を散策してみる。ロータリーの北側が街の中心部にあたり,行政の建物が並んでいる。周辺には市場があり,竹を使用した日用品が目に付いた。自然のリサイクルの輪に入っている竹製品は環境にやさしい。しかし,雲南でも都市の工業製品が急速に普及しており,このようなものもじきに駆逐されることであろう。

男物のブリーフを買おうと露店で探してみたが,前が開いているものは見つからない。タイでは男物でも前が開いていないものが主流であることを思い出した。こうして無事に目的のもの(2枚で5元)を手に入れることができた。

ロータリーのすぐ近くに汽車站がある。雲南ではほとんどの町に汽車站があり,運行時刻表も掲示されているので移動計画がたてやすい。また,中国を話せなくても,時間と行き先を書いたメモを窓口に出すと,チケットを発券してくれるので,その点に関しては苦労したことはなかった。

しかし,この町に到着したとき,景洪の水かけ祭りのためこの汽車站の窓口は大変な混雑で,外国人の僕がチケットを買えるような状況ではなかった。

翌朝,再び汽車站に行くと,普通の状態に戻っていた。思茅行きのチケットを無事に入手して,仏双路にある市場の近くで肉まんと豆乳で朝食をとる。豆乳はどんぶり一杯が出てきた。砂糖が入っているらしくほんのり甘い。しかし,さすがにどんぶり一杯は多すぎる。

ワ族あんま園

夕食後,ロータリーの近くを歩いているとワ族のあんま園があった。雲南の少数民族の中にはあんまが得意の民族がある。その得意技をもって町で稼ごうとしているようだ。

中に入ると民族衣装の服務員が迎えてくれる。あんまは1時間20元,タイの古式マッサージに似て,揉むというよりは関節をひねったり,強い力で押すなどかなり痛いものだった。

それでも終わると体はなんとなく軽くなったような気になる。そこらあたりがこのあんまの効用である。あんまが終わり入口のロビーに坐っている民族服の服務員を撮ろうとすると,回りのメンバーがどっと集まり,集合写真になってしまった。


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