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景洪市(ジンホン)  (参照地図を開く)

西双版納(シーサンパンナ)タイ族自治州最大の町。昆明から733km,標高500mにあるちょっとした都会である。中国では市は県と同程度の広さをもっている。たとえばこの周辺では,景洪市が7133km2,孟海県が5511km2,孟臘県が7056km2といったようになっている。

雲南では平地は極めて少なく,景洪市でもわずか5%に過ぎない。市内にはタイ,漢,ハニ,ジーノ,ラフなどの9民族が居住しているが,識別は困難である。少数民族に興味がある方は,街の南にある民族風情園を訪ねるとよい。


大孟龍(70km)→景洪 移動

大孟龍(08:20)→景洪(10:30)とマイクロバスで移動する。前日に汽車站で景洪行きの時間を確認しておく。出発時刻の少し前に窓口でキップを買う。今日のマイクロバスはサスペンションがしっかりしており,来たときの苦労がうそのような乗り心地だ。

おかげで周辺を眺める余裕もできた。道路の左手の山側はゴム林,右手の平地は一面の水田になっている。道路は各所で拡張工事が行われており,躍進する中国経済を実感させる。

版納賓館

バスは景洪汽車客運站に到着した。版納賓館までは直線で1km程度であるが,道がはっきりしないのでタクシーにした。初めての中国タクシーはメーターが付いておらず,版納賓館を示すと5元だという。初乗りは3元でしょうと反論してみたが値段は下がらなかった。

版納賓館は立派なホテルであるが,裏手のほうにドミトリー棟がある。僕の部屋(30元)は3ベッド,T/S付きで清潔である。ここは日本人が集まっているようで,となりの3人も日本人である。

昼食はこの賓館の別棟の外にあるセルフサービス式の食堂でいただく。中国語では「自助賓庁」という。横長のテーブルの上に10品ほどのおかずが並んでいるので,自分で好きなものをとり,会計をしてもらう仕組みだ。玉子とトマトの炒め物,ハムと野菜炒め,ごはんの組み合わせで2.5元である。

味は今までの雲南の食事とは比べ物にならない。これぞ中華料理である。夕食は,となりの部屋のメンバーと一緒に6人で菜館に行く。おかずの品数がたくさん取れるので,ここでは中華料理を満喫する。おなかいっぱいごちそうを食べて13元である。元の価値は非常に高い。

孔雀公園

このメンバーで夜の孔雀公園を散歩した。特別な日でもないのにとにかく人が多い。季節は4月だというのに夕涼みといったところだ。公園の一角が特に混んでいる。1弦か2弦の琵琶を演奏している。中国古典音楽がただで聴けてちょっと得した気分であった。

昼間はここでデジタルカメラによるプリントサービスがある。写真を撮り,その場でプリントしてくれる。証明写真もやっており,背景を好きなものに変えることもできる。この商売は繁盛するらしく数軒の店が出ていた。

翌日はビザの延長と両替に挑戦する。TCの両替は中国銀行でやってくれる。TCのチェックから始まり,パスポート番号の記入,お金のやりとりと,ずいぶん時間がかかる。中国の両替チェックは非常に厳しいという印象を受けた。

次はビザの延長である。日本で取れるビザは1ヶ月なので,雲南をゆっくり見ようとすれば,ビザの延長は必須である。州公安局に行くと15時までは昼休みだと言われ,向かいのホテルでしばらく日記を書いて過ごす。

再び公安に出向き,難しい申請書類を記入し,125元の手数料を払うと,パスポートに新しいビザを貼ってくれる。滞在期限を確認するとちゃんと最初の滞在期限に1ヶ月をプラスしてくれた。ところによっては延長申請日から1ヶ月にされることもあるので要注意である。

民族風情園

民族風情園は景洪の観光名所の一つである。宿から2km,嗄蘭中路,景洪東路,民族南路と街の中心部を通り,道草をしながら歩いて1時間ほどで到着する。

町には「西双版納人民歓迎悠・熱烈慶祝西双版納州建州五十年」の標識がたくさん立てられている。文字の背景の写真は「水かけ祭り」である。標識の左にはタイ民族のシンボルである孔雀の写真が飾られている。民族風情園の入口付近には大小のバスが並んでおり,なかなかの賑わいである。

ここでは観光の範囲ではあるが,雲南の少数民族の住居や生活の様子が見られる。料金は30元とちょっとお高い。入口では民族衣装のかわいい娘さんが客を歓迎してくれる。中に入ると正面に巨大な「西双版納解放記念碑」が立っているところはやはり中国である。

民族エリアには伝統家屋が展示されている

それぞれの民族エリアには伝統家屋が展示されている。きれいな民族衣装を身に着けた若い女性ガイドがいて,民族の生活や習慣について「中国語」で説明してくれる。彼女たちは頼むとこころよく写真に納まってくれる。民族エリアは6つあるので,一回りするとどこがどこやら分からなくなる。

ラフ族のエリアでは石弓を体験した。使用時は弓を水平に構え,矢をセットし,左手で固定し,引き金を引くと矢が発射される。素人の僕が操作しても命中率は高い。

ここでは民族名物のあんまも体験した。上半身をていねいに揉み解してから,足マッサージになる。黒い薬湯に足を浸せと指示されるが,飛び上がるほど熱い。少しずつ慣らして,ようやく浸すことができた。

孔雀が放し飼いになっている

タイ族の踊りが見られる

民族風情園の歌舞中心では1日に2回,タイ族の踊りが見られる。男女の出会いをコミカルに表現する場面では,観客から大きな拍手が沸く。女性の踊りを撮ろうとしたが,残念ながらデジカメのフラッシュではきれいな写真にならない。この後は外で水かけショーが見られる。

タイ族の水かけ祭り

プーラン族の小姐

プーラン族のエリアには,おそろいの黄色あるいはピンクのブラウス,巻きスカート姿のたくさんの女性ガイドがいて,一人の写真を撮ると,次々と希望者が出てきた。この民族には丸顔の人が多い。

出演前のお化粧

民族風情園の帰り道に,文化宮の広場で美人の集団に出会った。みんなお化粧に余念がない。英語を話せる花腰タイ族の民族衣装の女性が,今夜のイベントのための準備だと教えてくれた。彼女たちはプロのモデルのようだ。化粧のお道具は日本と同じである。鏡を見ながらお化粧に集中する姿は,日本の電車の中で化粧する女子高校生といったところである。

民族服のファッションショー

その夜,文化宮の広場では民族服のファッションショーが行われていた。無料ということで観客はとても多い。ようやく近づくことができた。それでも,コンパクトカメラのフラッシュでは光量が不足しており,きれいな写真にはならない。

民族衣装を身に着けた男女が,舞台で踊ったり,コミカルな掛け合いをする。色鮮やかな民族衣装が次から次へ披露される。雲南にはたくさんの少数民族が住んでいるので民族衣装は多彩である。最後に出演者全員が舞台の上で整列してくれたので,端まで近寄り照明だけで撮影する。

孟養に向かう

版納汽車站からローカルバスに乗り,北東10kmのところにある孟養に向かう。孟養には民族衣装のきれいな花腰タイ族の人々が住んでいる。バスは途中から高速道路に入り30分ほどで孟養に到着した。BSの回りは露店が出ており,そこのスイカでのどを潤す。ここではもう日本では見かけなくなった,服の繕いをする女性が足踏みミシンに向かっている。

大きな日傘の下では床屋が店を開いている。子どもたちの服装は完全に洋風化しており,おもしろいものはない。

どちらの方向に行ってよいか分からないので,とりあえず村の道路をまっすぐ山の方に歩いてみる。しかし,どこまで行っても集落はありそうにない。ちょうどトラクター車が来たので,それに乗って村に戻る。運転手はお礼を受け取らないので,同乗の子どもにキャンディーとフーセンでお礼をする。

小学校の校庭には…

幹線道路の方に向かうと,小学校がある。ここの校庭には国歌が書かれた塀がある。「起て,奴隷的状態にいる人々よ」で始まり,社会主義国家建設を呼びかける勇ましい歌詞である。

子どもたちがこの内容をどこまで理解しているかは分からない。改革・開放により経済の資本主義化が進み,中国においては何が社会主義かを理解するのは難しい。

この小学校にも寄宿舎が設けられている。子どもたちは意外にも写真好きであった。カメラを向けるとたくさん集まってくる。男子生徒は洗濯に精を出している。

この子たちの宿泊している部屋を見せてもらった。2段ベッドが5台と人数分の荷物箱がある。ここで子どもたちは寝起きして,3食を食べ,歩いて1分の学校で勉強する

孟養の風景

花腰タイ族の集落

幹線道路を横切って向こう側の道を歩くといくつかの集落がある。道路から近いところは漢人の集落で,離れたところに花腰タイ族の集落があった。遠くから見ると竹に囲まれた集落という風情である。

こちらの竹は大きな株を作り,1ヶ所に生える性質がある。そのような竹の群落が集落の周辺に点在している。中年以上の女性は民族衣装を着用しているが写真には拒否反応を示される。

この季節,どこの家でもトウモロコシの皮をむいて乾燥させる作業に追われている。僕はおばあさんが一人で作業しているところでしばらく皮むきを手伝い,これでようやくお許しが出て撮影することができた。

景洪を散策する

土産物屋が集まったアーケードがある


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