Home 亜細亜の街角 | Alleppy / India / May 2010

トリチュール(08:30)→コタヤム(12:00) 移動

ファンを回したまま半袖で寝る。夜半に長袖にして,明け方にファンを弱にする。日本の熱帯夜と異なりインドの夜は気温が下がるので,ファンの調整をしたり,着る物をプラスしたりしなければ体調を崩す原因になる。朝食をとり一休みしてからチェックアウトする。バススタンドに行くためには交通の途切れない「あかずの通り」を横断しなければならない。

インドでは人の命はそれほど重くは無い。そのためか車のマナーはすこぶる悪く,交通量の多い道路を横断するのはいつも命がけである。待ち時間1.5分でようやく道路を横断しバススタンドに到着する。目の前にコタヤム行きが停まっており,乗り込むとすぐに動き出した。10時少し過ぎに大きなバススタンドに到着した。運転手と車掌は朝食をとっている。僕はチャーイを飲み,トイレに行っておとなしく待つことにする。

ゴム林がかなり大きな面積を占めている

ポルトガルの影響なのか,ケーララに入ると教会がずいぶん多いことに驚かされる。教会が目立つ建物であるせいもあるがそれにしても多い。道路の周辺ではパイナップル畑とゴム林が目に付く。パイナップルは最初どのような作物かは分からなかった。実が付いていない状態では細い葉の集合体である。ゴム林はかなり大きな面積を占めている。ときどき受け皿の付いているところもある。一本の木から年中採取できるというわけではないようだ。

コタヤムは宿がない

12:20にコタヤムに到着した。けっこう大きな町で,終点が政府系のバススタンドになっている。バススタンドの周辺には何軒かのゲストハウスがあったが,すべて満室と断られた。中には外国人に対する宿泊拒否とも思える態度で断られたところもあり,とても感じの悪い町であった。

計画ではコタヤムで1,2泊してからパブリック・ボートでアレッピーに移動するつもりであったが,宿の事情がひどいので,そのままアレッピーに移動することにした。オートリキシャー運転手は時刻を確かめて,すぐに出発した。運転手が時刻を確認したのには訳があった。彼はパブリック・ボートの出発時間を知っており,13:00の便に間に合うかをチェックしたのだ。オートリキシャーは12:55にボート・ジェッティーに到着した。

運河の幅は20-30mくらい,水の汚れはそれほどではない

ボートは定刻の13:00に出発した。係員が料金を集めに来る。2時間半の船旅の料金はわずか10Rpである。アレッピー/クイロンのバックウオター・クルーズが400Rpなので比較にならないほどの低料金である。それでも水郷地帯の雰囲気は十分に味わえるお勧めコースである。

運河の幅は20-30mくらいであり,水の汚れはそれほどではない。アレッピーの周辺は天然の水系と運河により広大な水郷地帯が形成されている。ここでは交通の主役は水路ということになる。とはいうものの,地域の人々が運河を渡るときには橋を利用することになる。ここでは船が通るときに橋桁を持ち上げる,もしくは人が通るときだけ橋桁を下ろすスタイルとなっている。でも,この橋桁は片方向からしか操作することができないので反対側から渡るときはどうするのであろう。

おそらくヤマショウビン

運河を横断する電線にはいろんな鳥が止まっており,目を楽しませてくれた。船旅の最初は通常のレンズを付けていたので鳥の撮影には不向きであった。それでも電線にとまっているカワセミの仲間を一枚ものにすることができた。

日本のヤマショウビン(カワセミ科・ヤマショウビン属)とそっくりである。分布域はインドから東南アジアにかけてなので,おそらくヤマショウビンであろう。運河の上の電線に止まっていたので,魚をねらっているのかとおもったら,食性はカニ,カエル,トカゲ,ムカデなど様々な小動物となっていた。魚を捕獲するためのダイブはしないようだ。

水路は地域の交通路となっている

水路は地域の交通手段となっており,荷物の運搬には小舟が使用される。長い竹ざおを操って小舟が先を進んでいる。我々の船が迫ってくると水路の端に寄ってやり過ごすことになる。この地域の小舟は穏やかな水域を移動するにしては幅が狭い。これでは左右の安定性が悪いだろう。

可動橋

運河には橋が多い。その一つひとつを持ち上げないと定期船は通行できない。前方では女性が橋桁を持ち上げている。もしかして,この女性は常時ここにいて橋桁の操作をしているのかもしれない。その先の橋はまだ上がっていない。

運河は地域住民の生活の場でもある

水系は地域住民の生活の場でもある。人々は決してきれいとはいえない運河で洗濯をしたり,体を洗ったりしている。さすがに飲料水は異なるルートからきれいな水を入手していることだろう。世界人口68億人の2割は飲料水ですら,きれいな水を入手できないでいる。

2000年に開催された国連ミレニアム・サミットでは貧困の撲滅など2015年までに達成すべき「ミレニアム開発目標」が出されている。しかし,2000年に60億人であった世界人口は2010年には68億人を越えており,2015年には72億人になろうとしている。いくら資金と人材をつぎ込んでも人口増加によりその効果は半減してしまう。

ところどころには船着場がある

開発目標を阻害する最大の要因は人口の急増であることは自明の理である。21世紀に入って人口の急増している国はほとんどが開発途上国であり,そのような国では多くの人々が自然資源に依存して暮らしている。すでに,そのような国々では自然の再生産能力を超えた収奪が行われており,自然資産を食い潰して生計を立てている状態である。

20世紀が始まった頃,インド圏(パキスタン,バングラデシュを含む)の人口は3億人を下回っていた。それが21世紀初頭には13億人となり,中国と肩を並べている。中国の人口は14億人をピークに減少すると考えられているが,インド圏人口は2050年には20億人を突破すると見られている。どのように努力してもこの地域ではこれだけの人口を持続的に養えるはずがない。

広大な水の広がり

運河から大きな水路に出る。幅は100-200mくらいに広がり,たくさんの分岐点をもっている。周辺の土地の大半は水没している。人が居住しているのは水面からわずかに高くなった狭い道路状の土地だけである。このような土地は周辺の土地に対する堤防のような役割を果たしている。というのはかなりの割合の土地は現在の水面より低いところにあるからだ。

ムスリムと思われる子どもたちが水路の道を歩いていた

堤防がなくなるとこれらの土地は広大な水の広がりの一部になってしまう。実際,堤防の一部が切られたところには水が流れ込み,浅いながらも湖のようになっている。

ムスリムと思われる子どもたちが水路の道を歩いていた。アラビア海に面しているのでイスラム教もこの地域に伝来しているようだ。ヒンドゥー教,キリスト教,イスラム教…,ケーララの宗教事情は複雑である。

アジサシが群れている

アジサシと思われる鳥が電線にたくさん止まっている。船が近づくといっせいに飛び立つシーンも絵になる。アジサシ(カモメ科・アジサシ属)はカモメに近い鳥で,カモメを少しスマートにしたような体型をしている。世界で40種以上が知られており,分布域も北極海から南極圏にいたるまでの海洋,海岸,湖沼に広がっている。

船が近づくといっせいに飛び立つ

中でも熱帯の海域に生息する種が多い。集団で営巣することで知られており,東京湾でも営巣が確認されている。アジサシの仲間の食料は小魚,イカ,甲殻類,昆虫などであり,ケーララの水郷地帯の環境は多くの鳥類を養う豊かさが残されているようだ。

カワウは重くてすぐには飛び上がれない

水面にいたカワウと思われる黒い鳥がボートから逃げようと羽ばたき始める。カワウ(ペリカン目・ウ科・ウ属)はユーラシア大陸,アフリカ大陸,オーストラリア大陸など広い範囲に分布する。日本にも繁殖地があり留鳥として生息している。

日本では天然記念物となっているためか,伝統的な鵜飼にはウミウが使われている。しかし,河川の浄化によりカワウは急速に数を増やし,淡水漁業資源に大きな被害が出るようになり,一部地域では捕獲が認められている。

カワウは一日に500gほどの魚を食べるとされており,その影響は大きいようだ。また,繁殖期には大きなコロニーをつくることでも知られており,樹木の被害や排泄物による水質・土壌汚染の問題も発生している。

アレッピーに近づくにつれてホテイアオイが増えてくる

進むに連れて水系はますます広がっていく。しかし,アレッピーに近づくにつれてホテイアオイが増えてくる。この南米原産のやっかいものの水生植物は繁殖力がとても強く,小さな水系はすぐに覆いつくされてしまう。反面,水質の浄化に一役買っているという研究報告もある。

一部の水田では白いサギが群れている

堤防に守られた土地は農地のはずだ。もう少しでコメの栽培が始まることだろう。11年前に見たときは直播であった。温水につけて発芽させたモミを畑にそのまま蒔いていた。確かに畦の無いこの広い面積を田植えでカバーするのは難しいだろう。一部の水田では白いサギが群れている。数の多い白サギといえばアマサギ,ダイサギ,チュウサギ,コサギがあげられるが,僕にはとても識別できない。

家船は50隻以上見かけた

水郷地帯の名物は家船である。家具・調度を備えた船で水郷地帯をのんびり移動するのは最高の贅沢である。2人で使用して2泊3日の船旅が600$なのでおいそれとは利用できるものではない。もちろん家船もグレードがありそれに応じた料金体系になっていることだろう。それにしてもこの高い料金を払って船旅をする人は多くはないだろう。

この数の家船がやっていけるほど客は多いのだろうか

にもかかわらず,アレッピーまでの間に50隻くらいは見かけた。この数の家船がやっていけるほど客は多いのだろうか。僕の見かけた50隻の大半は岸に係留されており,客が乗って動いているものは数隻しか見なかった。

夫婦で漁をする

小舟で漁をしている男女がいた。だいぶ距離があるがどうも貝を採っているようだ。パソコンの大きな画面でチェックすると確かに貝のようなものが船底に積まれている。現在の日本ではエンジンの付いた小舟で鋤簾(ジョレン)という道具で水底をさらってシジミガイなどを採取している。

鋤簾は1面が開口部となったステンレスのカゴであり,開口部の前には金属製で櫛状の歯が水平に突き出している。このカゴに長い棒を取り付けて,泥の中をひきずって貝を捕獲する。ケーララでも同じような道具を使用しているのであろう。ただし,小舟は人力で移動させなければならない。

飛行スタイル

真上を白いサギが飛んでいった,アマサギかチュウサギであろう,首は後ろに引いて飛ぶことが分かった。

アヒルが通せんぼをしている

水路の前方をアヒルの群れが横断している。水路の幅に広がって,定期船を通せんぼしているようだ。それにしてもこの群れの大きさは半端ではない。

羽の色はずいぶんいろんなものがある

大きな画像で見ると羽の色はずいぶんいろんなものがある。特に頭の黒いアヒルは珍しい。もっとも,アヒルはもともと鴨を飼いならしたものなので,合鴨(アヒルと鴨を交配させたもの)を含めて黒や青のものがいても不思議ではない。

「Dream Nest」の客引きから名刺を手渡される

アレッピーには15:30に到着した。広い水路から運河に入りしばらくするとジェッティーの手前のガソリンスタンドに到着した。ここで「Dream Nest」の客引きから名刺を手渡される。ここは民宿のようだ。ジェッティーに到着すると彼が待っており,宿代を聞くと250Rpからあるという。250Rpなら予算に合うので彼のスクーターに乗って宿に向かう。場所はCullan 通りを西に行きYMCA road を越えてしばらく行ったところであった。


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