Home 亜細亜の街角 | Thrissur / India / May 2010

トリチュール  (参照地図を開く)

トリチュールはコーチンの北75km,ケーララ州中部に位置する人口32万人の都市である。この町の名前を知っている方は相当のインド通であろう。毎年,モンスーン前の4-5月にケーララ州の各地で象の背中に女神デヴィを乗せて町や村を練り歩くプーラムが開催される。このプーラム(pooram)はヒンドゥー社会における一種の収穫感謝祭である。

もっとも大規模なものはトリチュール・プーラム(Thrissur Pooram)である。中心部にあるマイダン公園で美しく飾られた二つの寺院の象が向かい合い,日傘の競演が行われる。それぞれの寺院には女神デヴィがおり,飾られた盾の形で象の背中に乗る。プーラムは人が楽しむものではなく,女神に楽しんでもらうためのものなのである。それにより,女神がモンスーンを運んできてくれると信じられている。

トリチュール・プーラム

トリチュール・プーラムでは「パラメカブー寺院」と「ティルヴァンバディー寺院」が同じ日にプーラムを開催する。トリチュール・プーラムは別名象祭りといわれるように,多くの象が参加する。二つの寺院にはケーララからよりすぐりの象が集められる。そのうち1頭が女神デヴィが乗り移ったとされる盾を背中に乗せる栄誉を担うことになる。

すべての象はきらびやかな装飾布で飾られ,背中にはヴェンチャマラムと呼ばれる白いタフトを持つブラーミン(僧侶)が乗って出発する。プーラムの会場ではそれぞれの寺院の象が一列に並び相対し,デヴィを乗せた象は列の中央に位置する。周辺は数十万人の大群衆で埋め尽くされることになる。飾りのついた日傘の競演は競争ではない。パフォーマンスは女神デヴィに喜んでもらうためのものであり,勝敗はない。

すべての象はきらびやかな装飾布で飾られる

この日は朝から夜中まで(途中で休憩はあるものの)象たちはプーラムにつき合わされ,気の休まらない1日となる。翌朝,女神デヴィは象の背中に乗せられた両寺院の盾からバダックナダン寺院に戻るとされている。つまり,プーラムの主役はパラメカブー寺院とティルヴァンバディー寺院であり,そのホストを務めるのがバダックナダン寺院ということになる。

トリチュールの町の中心部にはマイダン公園とバダック・ナダン寺院を含む,500m四方ほどの広い区域があり,周辺を幹線道路が走っている。5月25日にトリチュールに到着したところ,プーラムは昨日終了したということで,会場の後片付けが行われていた。さすがにこれだけたくさんプーラムについて書いて,写真がないのはいかにも寂しいので海外のサイトからいくつか借用してきた。

メッツパラヤム(09:30)→トリチュール(16:00) 移動

チェックアウトして歩いて3分のバススタンドに行く。コインバトール行きのバスはすぐに見つかった。このバスはターミナルには入らず建物の横で乗客を乗せていた。すでに乗車率は90%を越えておりようやく席を見つけた。メインザックはなんとか網棚の上に押し込むことができた。しかし,下車する時には取り出すのにとても苦労した。

10:30,約1時間でコインバトールの「メイン・バススタンド」に到着する。その一つ手前に「シティ・バススタンド」があった。当然,「メイン・バススタンド」からトリチュール行きのバスがあるものと思っていたら,街の中心から7-8km離れたところにある「Ukkadamバススタンド」から出ているとのことであった。そこまでは市バスで移動しなければならず,その市バスはシティ・バススタンドから出ていると教えられ,ちょっとがっかりする。

Ukkadamバススタンド

Ukkadamバススタンドには11:30頃に到着した。このバススタンドもかなり大きい。エンクワイアリーでトリチュール行きの乗り場を訪ねたら一番奥のブースを教えてくれた。このブースにはトリチュール行きのバスの出発時間が表示されていた。トリチュール行きは日に4便しかなく,次の出発時間は12:45である。1時間ほど時間があるので昼食を探してみる。

バススタンドを取り巻くように数軒の売店がある。そこで揚げバナナを見つけチャーイと一緒に昼食とする。インドや東南アジアにはそのままでは食べられない調理用のバナナがある。そのようなバナナは蒸したり,焼いたり,油で揚げるなどして調理される。熱により甘さが活性化されるのか,どれもおいしくいただくことができる。今日の甘い衣で揚げられたバナナは期待通りのおいしさである。

西ガート山脈からの豊かな水

12:30を過ぎた頃,トリチュールの表示のあるブースにバスが入ってきた。車内の乗客に確認すると確かにトリチュール行きだという。これが政府系のバスで,インドでは珍しく表示板の通り12:45に発車した。西ガート山脈からの水は幾筋もの川となり,アラビア海に注いでいる。この豊かな水がケーララの原風景となっている。

ココヤシ,オオギヤシの風景

道路の周辺にはココヤシ,オオギヤシの木がいい風景を作り出している。バスは空いていたので何枚か写真を撮ることができた。ウーティ以降は混雑したバスが多く,久しぶりに快適な移動であった。ケーララは豊かな農業地帯ではあるが,なにぶんにも人口が多いため海外に出稼ぎに出る人も多い。インドでもかなり所得の低い州になるが,共産党の政権下でセーフティーネットが整備されているため,飢餓人口は相対的に低い。

Shanti Tourist Home

トリチュールには16:00に到着した。バススタンドは二つあり,最初に民営バススタンドの前で停車し,終点が政府系バススタンドである。宿は政府系バススタンドの近くに多いだろうと考えて終点まで乗る。バススタンドから出るとロッジが3軒並んでいる。

この町では外国人旅行者はあまり歓迎されないようだ。二番目と四番目のロッジは満室と断られた。三番目はあまりにもひどい設備で300Rpと言われ即座にお断りした。結局,最初の「Shanti Tourist Home」に泊まることにした。部屋は6畳,1ベッド,T/S,机とイスが付いており清潔である。料金の300Rpは少し高いが他に泊まるあては無い。

ココナッツの表皮は緑色系と黄色系のものもある

町の地図をもっていないので宿の名刺をもらい,ランドマークとなるバススタンドにまず出かける。この二点を押さえておけば帰りはオートリキシャーでも大丈夫であろう。帰国後にgoogle map で調べると,どうやら,ミャニシバル・バススタンドのようだ。中心部のロータリーから南に300mほどのところにある。

バススタンドの周辺にはたくさんの露店が出ている。ケーララに入るとココナッツの露店がとても多い。今日の移動時にもずいぶんココヤシの林を見たのでさもありなんと思う。通常は表皮が緑色をしている。しかし,中には黄色系のものもあり,こちらは熟すると色がかわるのか,はたまた別の種類なのか判断に迷うところだ。

ここに散らばっている残骸は1日分のものだという

露店の中にはシートで囲われた大きなココナッツの店があり,中を覗くと大変な数のココナッツの残骸が積まれていた。店の人に「これは何日分ですか」とたずねると,「1日分さ」という答えであった。たぶんに誇張されているだろうが,それでもココナッツの売れ行きはすごい。

7割くらいの実は二つに割られており,消費者は中のココナッツ・ジュースを飲むだけではなく,白い胚乳を食べているようだ。この胚乳は若い果実では柔らかく,熟すると固くなる。

熟した果実の胚乳を削り取って乾燥させたものはコプラと呼ばれる。コプラを砕いて粉末状にしたものがココナッツ・ミルクであり,圧搾もしくは煮詰めることによりヤシ油をとることができる。

トリチュールの町は整然とした感じを受けた

ココナッツの殻も役に立つ。表皮と胚乳の間は固い繊維質になっており,その繊維からは亀の子タワシやロープが作られる。象使いが象を水浴びさせ,体を擦るときに使用するのは適当な大きさに切ったヤシ殻である。また,二つに切ったものはそのまま容器として利用することができ,ケーララから欧米に大量に輸出されているという記事を読んだことがある。

トリチュールの町はインドの町としてはずいぶん整然とした感じを受けた。ケーララ州はインドの中でも貧しい州であるが,共産党政権のおかげで識字率は高く,絶対的貧困層の割合も低い。11年前に素通りしたときと比べるとずいぶん町は垢抜けた印象である。

市内バスには窓ガラスは入っていない

市内を走っているバスには窓ガラスは入っておらず,雨が降ると上に固定されているシートを下ろすようになっている。バスは新しくなったが,この仕組みは前回訪問時と同じだ。暑い気候なので下手に小さな窓を付けるよりずっと快適なのだろう。

プーラムの様子を描いたレリーフ

バススタンドの裏手を歩いていると真新しい建物の前にプーラムの様子を描いたレリーフがあった。大規模なプーラムを開催するためには相当額の資金が必要であり,多くのボランティアが商店などを回って寄付を集めるという。プーラムは町の人々の生活に深く根を下ろしているようだ。

象を発見

象が見つかった。おそらく近くの寺院で飼育されているものだろう。ココヤシの葉ではなく,長い青草の泥を落としながら器用に食べている。今回の旅行ではアウランガバードの半湿地でエレファント・グラスと呼ばれる1.5mほどの背の高いイネ科の草を見かけた。ここの象が食べている草がそれによく似ている。

象はココヤシの葉を好物としているが,どうみてもこちらの草の方が消化に良さそうだ。この象も昨日のプーラムに参加したものなのなのかもしれない。プーラムは36時間も続くので,その間に休憩時間があるとはいうものの象にとってもかなりしんどいお勤めとなる。

トリチュールの名前を知ったのはもう20年くらい前のことだ

トリチュールでは毎年4-5月に「トリチュール・プーラム」という盛大な祭りが行われる。僕がトリチュールの名前を知ったのはもう20年くらい前のことだ。TBS系で「日曜特集・新世界紀行」という番組でケーララが取り上げたられた。この番組は毎週日曜日に放送され,世界各地の表情をとらえたドキュメンタリーである。ふだんはほとんど民放番組を見ないが,毎週ビデオに録画したものだ。

HD録画の時代になり,アナログ・ビデオを見る機会はずっと減ってしまった。それでもNHKの「地球に好奇心」と合わせて僕の宝物になっている。新世界紀行では「パラメカブー寺院」と「ティルヴァンバディー寺院」の日傘の競演がすばらしい映像で表現され,いつかはこの町に行ってみたいものだと考えていた。

バダックナダン寺院に到着する

パラメカブー寺院の名前だけは覚えていたので寺院を目指し歩き出す。といってもガイドブックにはトリチュールは取り上げられていない。まったく土地勘もないので2回聞いてようやく中心部にある「バダックナダン寺院」の西門に到着する。

この寺院はトリチュール・プーラムでホストの役割を果たす寺院である。プーラムの翌日,象の背中に乗った盾から女神デヴィはこの寺院に戻るとされている。この寺院はヒンドゥー教徒以外は立ち入り禁止になっているので外からの写真にとどめる。

高さ5mほどの灯明台の基部はカメであった

寺院の正面にある高さ5mほどの灯明台の基部はカメであった。古代インドでは世界は巨大な亀の甲羅の上で3頭の象が半球状の大地を支えており,この大地の上には須弥山とよばれる霊山がそびえていると考えられていた。灯明台の基部にカメを置いたのは,この宇宙観に基づくものであろう。

バダックナダン寺院の西門

バダックナダン寺院の敷地は200m四方ほどある。周囲は一辺が500mほどの広場と緑地帯となっており,その周りを道路が囲んでいるので大きなロータリーのようになっている。バダックナダン寺院の西門はロータリーの東側にあるパラメカブー寺院と向かい合っている。この間の空間がトリチュール・プーラムの会場となる。google map ではパラメカブー寺院は見つけることができたが,ティルヴァンバディー寺院は見つけることができなかった。

会場の北側にはたくさんの象の看板が並んでいる

この広場の北側には「トリチュール・プーラム2010会場」という表示のある仮設ゲートがある。地元の人に聞くと昨日プーラムは開催されたとのことであった。ちょっと残念だが,昨日到着したらとても宿は見つからなかったことだろう。

その意味では一日ずれてラッキーだったかもしれない。何十万人もの人が集まるのでプーラムの写真を撮ることはほとんど不可能であろうと自分を慰める。会場の北側にはたくさんの象の大きな写真が看板になっていた。これは歴代の女神を乗せた象,もしくは今年プーラムに出場する象であろう

トリチュール・プーラムの会場

会場の北側には「トリチュール・プーラム2010会場」の表示のある仮設ゲートがある。会場は芝生にロープが張られていた。プーラムではこのロープの内部で着飾った二つの寺院の象たちが向かい合い,お互いに自慢の日傘を見せ合ったのであろう。このプーラムは女神デヴィに喜んでもらうのが本来の目的で,日傘の優劣を競うものではない。

象の鼻を飾る布と白いタフト

ゲートの内部には象の鼻を飾る布と白いタフトが展示されていた

パラメカブー寺院

広場の東側,道路を渡ったところにパラメカブー寺院がある。こちらの寺院は中に入ることができた。

パラメカブー寺院のプジャ

寺院内部ではプジャ(プージャ)が行われていた。無数の灯明に照らされた本堂の空間からにぎやかな音楽が聞こえてくる。この本堂の一画はズボン姿では立ち入ることはできない。地元の人もその手前で祈りを捧げている。灯明で照らされた空間をきれいに撮ろうとマニュアルで何通りか試してみたが満足のいくものにはならなかった。

オートリキシャーで政府系バススタンドに着いたあたりで雨が降り出した。雷雨というほどの強い降りではない。10分ほど様子をみてから夕食の食堂に向かう。ここの食堂のチキン・ビリヤニのチキンはチリで味付けしてある。本来のビリヤニは炊き込みご飯なのでこのようなチリ味にはならないのに困ったものだ。それぞれの食堂にはそれぞれの調理方法があるということだろう。


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