亜細亜の街角
ここからもヒマラヤを見ることはできなかった
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ヒレ(標高1900m)  (参照地図を開く)

標高450mのダランから北に65km,標高1900mの尾根筋に位置するバザールの町である。ダランからはいったん1500mの峠を越えて川まで下り,その後は一気の上りとなる。そのためバスの所要時間は行きが3時間,帰りは1時間15分となる。

バザールには何軒かの簡素な宿があり宿泊には不自由しない。バザールの北側にはムルカルカの丘があり,条件がよければヒマラヤの大パノラマが見られるということであるが,ここでも水蒸気が多く大気の透明感が悪いうえ,斜面から雲が湧きあがってくるのでヒマラヤはまったく見ることができなかった。

ダラン(07:30)→ヒレ(10:30) 移動

バスの車掌にヒレ行きのバスについてたずねると,道路の向こう側と教えてくれた。そこは昨日屋台の食堂が並んでいたところだ。バスはすぐに見つかり,窓口でチケットを買う。60kmの料金は150Rp,山道なのでこの料金はしかたがないだろう。

僕が乗り込むときすでに座席はほとんど埋まっており,最後尾の席だけが残っていた。山道の移動なので,できればこの席は避けたかったがしかたがない。

出発は07:30,路面状況は悪くないのに振動はひどい。標高450mのダランからバスは1500mまで一気に上る。大型バスにもかかわらずかなりの速度で,九十九折の道を進んでいく。

眼下にダランの町が見えるがとても写真にはできない。ダランの町は曇りであったが,ここまで上ると日がさしてきた。早朝ならヒマラヤが遠望できるのではと淡い期待をもつ。

バスは一気に標高500m近くまで下る。周辺は水田となっており,乾季でも緑色に染まっている。田植えから3-4週間といったところだ。標高が低く水に恵まれたところではもう田植えを済ませているが,標高が上がるとモンスーンの時期まで待たなければならない。この辺りの風景も写真にしたかったが振動の多いバスの中ではどうにもならない。

バスの中にはときどき大音量のインド音楽が流れる。バスの中で聞く甲高い女性の声はいつも神経を逆なでされイライラさせられる。幸いなことにスピーカーの接続が悪いのかこの音楽はときどき思い出したように流れるだけなので助かった。

ゴンパに隣接した宿

バスは標高を上げていき1900mを越えている。尾根筋にちょっとした町がありバスが停車する。となりのおじいさんに聞くとここがヒレだという。あわてて車掌に降りよと声をかける。僕が降りた場所はバザールの入り口の三叉路であった。小さなロータリーになっており,中心にはマニ車を模したモニュメントが置かれていた。

目指す宿の「ゴンパ」までは歩いて3分,チベット寺院(ゴンパ)に接しているというか半ば一体化していた。二階の部屋は150Rp,4畳,1ベッドでまあまあ清潔である。共同のトイレはインド式で清潔である。インド圏のコンセントは接触部が丸い穴に差し込むようになっているので接触がよくない。とくに横型(穴が横に並んでいる)はちょっと動かすと接触不良になってしまう。この宿のコンセントは縦型であった。

尾根筋の道路の両側にバザールが広がっている

尾根筋の道路の両側に200mほどの範囲でバザールが広がっている。人々はチベット系とインド系が半々というところだ。リンゴは中玉が2個で75Rp,いくらなんでも高すぎる。やはりここまでの輸送費がかさんでいるようだ。トマトもあるが品質はひど過ぎる。

薬局があったので下痢止めを購入する。1日3回ということで2日分を購入する。値段は1錠3Rp,インド圏では薬はかくも安い,もっとも日本並みの値段になったらネパールではほとんどの人が買えないことになる。

薬価はその国の行政にとっては非常に大きな関心事である。そのため,後発医薬品(ジェネリック医薬品)が普及し,(おそらく政府の補助もあり)この程度の値段で入手することができる。

帰りはこのバスを利用することになる

チベット系住民の多いところなので簡単にモモが見つかるかと思ったらけっこう難儀した。ようやく見つけたところにもベジモモしかなかった。モモ自体の味は悪くなかったがタレが辛味系のものしかなく,ちょっと残念だ。値段は9個で25Rpであり,適正価格というより安すぎる。

バザールを先に進むが,腹具合がよくないのでどうも力が入らない。ダラン方向に向うバスが客を集めている。といっても,もう屋根の上までに乗客が乗っている状態だ。おそらく帰りはこのバスを利用することになるので,バザールの北側から乗ったほうが席を確保しやすいだろう。

チベット寺院

周辺の家屋

右側は斜面になっており,下には学校と思われるレンガ造りの大きな建物がある。

階段部分の土留めがしっかりしていない

建物が途切れると畑となり,男性が二頭の牛に鋤を引かせて土を起こしている。牛の口には竹で編んだカバーが取り付けられており,これはネパールの習慣のようだ。

林の下の斜面は棚田か段々畑となっている。ネパールでは斜面農業が盛んであるが,この辺りを見ている限りでは階段部分の土留めがしっかりしておらず,これではちょっとした雨でも土壌が流出してしまう。持続的な斜面農業の技術が確立していないようだ。

向かいの山も斜面農業が行われており,ざっと見た限りでは山頂部分の森が少なすぎる。モンスーンの強い雨を受け止める森が必要であろう。ちょっと登ったところで下から雲が湧き上がってくる。視界が悪くなり,気温も下がってきたので引き返すことにした。5月の中旬だというのに,ヒマラヤの裾野はもうモンスーンのように雲が湧き上がってきている。

防寒装備をしてお出かけ

宿でくすぶっていてもしょうがないのでマイクロ・フリースとトレーナーを着込んでお出かけする。地元の人たちもセーターやカーディガンを着込んでいる。バザールを見ながらのんびり南に歩く。

黒く煤けた鍋で何かが煮込まれている

チャーイ屋があったので入ってみる。大きな土のかまどがあり,黒く煤けた鍋で何かが煮込まれている。燃料は木材である。しばらく待っているとインド式のチャーイが出てきた。インド系の住民がけっこう多いからであろう。

この店にはネパール系の女性が三人おり,一枚撮らせていただいた。この店の子どもであろうか,3歳くらいの子どもが出てきたのでヨーヨーを作ってあげる。まだ操作することはできず,指に取り付けた状態でじっと見つめていた。客の女性の一人が「私にも一つ」と身振りを交えていうので,もう1個作ることになった。

バザールの野菜

野菜屋では立派なキャベツがある。標高が高いので冷涼な気候を好むキャベツも栽培できるようだ。地元産のタマネギは表皮が紫色のもので中玉サイズである。

南の三叉路の近くにはショウガの計量所があった

バザールの南の外れには三叉路がある。説明のためにこちらを「南の三叉路」とする。ここはバスで到着したところである。バザールの北側にもやはり三叉路があるので,そちらは「北の三叉路」と呼ぶことにしよう。

北の三叉路から舗装道路を進むとアーミー・キャンプのある丘に出る。そこは運がよければヒマラヤを眺望できるという。それは明日のお楽しみということである。

南の三叉路の近くにはショウガの計量所があった。大きな袋に詰め込まれたショウガは60kgはあるだろう。作業者は背中に乗せて大きな天秤計りに乗せる。重さが計量され,倉庫の中に入れられる。

植林された杉の木がある

近くの斜面に真っ直ぐに伸びた杉のような木が立っている。近づいてみるとまさしく杉の木である。ちゃんと枝打ちもしてあり,木材用に育成されているようだ。しかし,周囲を見渡しても数本しかない。日本のサイトではネパールで植林しているという情報があり,この日本型の枝打ちが行われている杉はそのような活動から派生しているのかもしれない。

ネパールのヒマラヤ地域や中間山岳地域では多くの人々は森林に依存して生活している。ネパール全体で消費するエネルギーの70%は薪炭材によるものだというデータもある。また,住宅を建てるためには木材が必要であり,家畜のための十分な草地が無い場合は樹木の葉が飼料として利用されている。地域住民にとっては森林は生活の拠り所であり,それだけに森林に対する利用圧力は大きい。

水汲みの親子

道路から少し山に入ったところで人影があるので上ってみた。斜面の中腹に水が湧いており,少女と母親が水を汲みにきていた。少女の写真を撮り,ヨーヨーを作ってあげるとえらく喜ばれた。

彼女たちは斜面の道を上がっていくので,僕も茶園に出る道だとふんで途中まで一緒に歩いた。この斜面を30kgもある水を運び上げるのは大変な労働である。母親はおそらく毎日この水運びをしているのだろう。

南の三叉路の家でヨーヨーを作る

南の三叉路まで戻ると天候は少し回復してきた。家の二階からこちらを見ている子どもたちを呼んで集合写真を撮る。この子たちにもヨーヨーを作ってあげる。

一般的に男の子は取り扱いがぞんざいですぐに破裂させてしまう。夕食の時に作ってあげたものはわずか10分の命である。そうした事情からあまり男の子にはあげないようにしている。そもそもインド圏では男の子は大事にされており,別の遊び道具をもっていることが多い。

お茶をごちそうになる

三叉路の左側の道を歩いてみる。ジャガイモの集積所に御呼ばれして,お茶をごちそうになる。この家の9歳くらいの娘さんはインド系の目鼻立ちのすっきりした美人顔である。おそらく姉妹か親戚であろう,もう一人の女の子も似たような顔立ちであった。

娘さんにヨーヨーを作ってあげているときに,もう一人の女の子が現れて二個作ることになった。僕はチャーイをご馳走されたのでなく,商売物であると勘違いして帰りがけにお金を払おうとしたら断れた。

三叉路の左側の道を行く

茶園を上ってみる

この道は右側が茶園となっており,小道から上ってみた。茶園の性格なのか斜面に沿った道はあるものの上に通じる道はなかなか見つからない。結局,斜面を巻くように歩くことになり気が付いたらちょっと前に歩いた三叉路の右側の道路の上に出た。つまり,連なった丘二つが茶園になっており,僕はその間をぐるっと一回りしたことになる。

盛りを過ぎたバラの花

緑の茶園に紅一点と思って近づいてみるとちょっと盛りを過ぎたバラの花であった。このような小さな被写体をアップで撮影するには,一眼レフのマクロ機能はとても役に立つ。

トゥンパ

宿の一階は食堂になっている。夕食のときトゥンパを見かけた。トゥンパはチベットのチャンと同じようにシコクビエを使って発酵させた酒である。ネパール語で酒をジャールといい,それを飲むための専用容器が「トゥンパ」である。この容器は木をくりぬき,ストローを差し込む穴が開いたふたが付いている。この容器に発酵したシコクビエを入れ,お湯を注ぎ,ピパと呼ばれる専用のストローで酒を飲む。

飲めない僕は臭いをかがせてもらったが,シコクビエはつぶされずそのままの形を保っており,それほどアルコール度数は高くないようだ。新しい客が注文する。店内在庫のシコクビエはプラスチックの容器に入っている。トゥンパに口切いっぱいにシコクビエを入れ,これにお湯を注ぎ,ストローを差し込んでそれからふたを被せる。

尾根筋に広がるヒレの町

06時,東の斜面から雲が上がってきているが,北側は晴れているので丘の上からの眺望を期待して出発する。舗装道路は斜面を蛇行しながら高度を稼いでいくが,その間には地元の人の使うショートカットの道がある。女性たちは30kgほどもある荷物を運搬しており,僕も一緒にショートカットの道を行く。

これはうまくいった。斜面の上からは尾根筋に広がるヒレのバザールが一望できる。この時間帯ではまだガスは上がってきていない。このショートカットに味をしめて,そのまま林の方に上っていくとキャンプの鉄条網に阻まれることになり,引き返すことになった。三番目のショートカットは上の道が分かるので簡単であった。それでも高度を稼ぐのは老体には大変である。休み休み上っていく。

ようやく頂上(標高2150m)

舗装道路の左側は牧草地の斜面になっているが,道路からは切り通しになっておりどこにも上り口がない。ようやく排水溝のあたりから上ることができた。牧草地といってもこの時期はほとんど草が生えていない。短く刈り取られた草がわずかに残っているだけだ。朝露で斜面は滑るので慎重に上っていく。この斜面もかなり急だね。

ようやく宿から1時間をかけて丘の頂上に到着した。ここは北西から北東にかけてさえぎるものがない展望が得られる。しかし,すでに雲が出ておりヒマラヤは稜線がかすんで見えるだけである。もう1時間早ければそれなりの眺望は見えたかもしれない。

体力が低下しているためかなり疲労を感じ,息を整えてビスケットをかじる。そうしている間も視界はどんどん悪くなり,雲の高度は上がっていく。ヒレの町も半分雲に飲み込まれようとしている。牧草地といってもこの斜面にはほとんど草は生えていない。遠くに軍隊の見張り所があり,その上部の斜面は森林が残されている。

おそらくこの斜面は人の手により森林から農地にされ,その後放棄されたのでは推測する。森林を失った斜面は雨季の激しい雨で土壌を失い,残るのは不毛の荒地となる。森林を保全する最善の施策は人口増加を抑えることである。どのような政策も人口圧力の前では無力なのは多くの地域の例が証明している。ヒマラヤ地域のような限界地ではその影響が顕著に現れる。

水汲み場の風景

帰りはバザールに近いところで水汲み場の写真を撮った。ここではホースから水が出ている。水道設備があるとは思えないので山からの水を引いてきているのだろうと推測する。水汲みに来ていた人たちは僕がカメラを向けるとちゃんとポーズをとってくれた。小さい子どもたちがいるので,水をもらいヨーヨーを作ってあげる。

南側の三叉路

南の三叉路から右の道を歩いてみる。昨日,途中まで歩いた道だ。前方から女子学生が歩いてくる。これからバザールにある学校に向うようだ。彼女たちは細身のタイツかズボンの上にスカートを着用している。ここの社会では女性が肌を露出することは望ましくないこととされている。最初にこのような姿を見たときは多少の違和感を感じたものであるが,慣れるとあたりまえのように感じる。

斜面における等高線農業

バザールの東側は緩やかな斜面になっており,尾根筋のバザールに向って森と階段状の畑が列を作っている。日本語ではこの階段状の畑は「段々畑」,水田は「棚田」といい,かなり語感が異なる。新しい農業用語としてはこの両者を包含したものを「等高線農業」という。日本語では耕作地を意味する漢字は「田」,「畑」,「畠」の三種類が使用されている。中国においては「穀物を栽培するために区画された土地」はすべて「田」となっている。

日本では漢字使用の初期に田は水をたたえた耕作地,つまり水田を意味するようになった。そのため水田以外の耕作地には畑,畠という漢字があてられた。両者の差は現在ではなくなっているが,かっては「畑」は火入れの行われた移動耕作地,「畠」は平地の広い定在耕作地を意味していた。

この地域の森の残骸のように見える

斜面を削り取ったサッカー場があり,その向こうが茶園のようだ。彼女たちとお別れしてサッカー場を横切る。ちょっと黒い雲が出てきたので雨に用心する必要がある。斜面の東側からはときおり冷たい風ととともに雲が湧き上がってくる。丘一つが茶園となり,規模としてはそれほど大きなものではない。茶園で働く人の姿も見えない。

大きく枝を広げている樹木はこの地域の森の残骸のように見える。人の手が入らないときは,ここも立派な森林であったことだろう。樹木を伐ってそのまま放置した結果が,このような荒地になっている。この状態なら植林は可能であり,地元の樹種を選択すれば,かっての森林を甦らせることはできるはずだ。問題は行政のやる気と植林をどうやって地元の人たちの利益に結びつけていけるかという知恵であろう。

茶園の中を歩く

北の三叉路からさらに進むと左側に茶園,前方は2kmくらいのところに集落が見える。う〜ん,あの集落まで歩く元気はないな。ということで茶園の中を歩くことにする。苗木を育てるハウスが目に入る。ビニールシートで高さ60cmくらいのかまぼこ型のハウスを作り,その上に日除けのため目の荒い黒いシートをかけてある。ここで育てられた苗木は新しい開発地に植えられることになる。近くには高さ30cm程度の若木が周囲の雑草と戦いながらお茶独特の葉を出している。

茶園の中の道の脇にはなぜか杉の木がたくさん植林されている。現在はまだ高さ2m程度の若木であるがすぐに高い木になり日陰を提供してくれるのだろう。カッコウが高い木の上で鳴いている。鳴き方は日本のものと同じである。のどかな茶園風景を楽しみながら先に進む。

この茶園は数haの広さをもっているがお茶の葉を摘んでいる人には出会えなかった。茶園は斜面に合わせ,等間隔で木を植えていくので,ある種の幾何学模様を形成することになる。斜面の上から眺め,気に入った模様の写真を撮る。近くには幹が真っ直ぐで均整のとれた枝振りの木がある。高さは30mくらいあるだろう。このような木は木陰を提供してくれるので茶園ではよく残されている。

カラスを追い払う

木の枝にカラスが止まっている。そのカラスに向かって数羽の鳥が威嚇をしている。スズメより一回り大きく尾羽が長い鳥だ。近くに巣があるのか,この辺りは自分たちの縄張りだと主張しているのか,とにかくカラスが遠くに行くまで執拗に威嚇している。カラスが飛び立つと2羽の鳥は空中でさらにカラスを威嚇している。これではカラスもかなわないので遠くの木に移動することになる。怖いもの知らずのカラスでも退散することがあるのだと感心する。

キダチチョセンアサガオ

キダチチョウセンアサガオ(ナス科・キダチチョセンアサガオ属)が大きな藪を作り,白いラッパ状の巨大な花を下向きに咲かせている。この花は緑色のつぼみ(苞)に包まれており,そこから白い花を突き出すようにして咲く。白い花の近くにはこれから咲く緑色のつぼみがたくさんぶら下がっている。あの長い花が相対的に小さなつぼみに収まっているとは驚きである。

原産地はアメリカの熱帯地方であるが,暑さが苦手で高地にしか自生していない。花の形状から園芸種はエンジェルトランペットとも呼ばれる。近縁種のチョウセンアサガオ(ナス科・チョセンアサガオ属)と同様に有毒成分をもっており,毒草に分類されている。

サフランモドキ

茶園付属の工場があり,機械音が聞こえてくるので操業しているようだ。しかし,建物の周囲は金網で囲まれており入ることはできない。工場の入り口近くにサフランモドキ(ユリ科・タマスダレ属)の大きな群落があった。サフランモドキは新エングラー体系ではヒガンバナ科とされている。確かにタマスダレの花を大きくしてピンクに染めるとこのような感じとなる。

本家のサフランはアヤメ科・クロッカス属となっており,それなりに近い関係にある。原産地は中米,鱗茎をもつ多年草で江戸時代に日本に持ち込まれたときは誤ってサフランと呼ばれていたという。繁殖力が強いのか,このあたりの気候が適しているのか大きな群落を作っている。ここでは地面から花茎だけが伸びて花を咲かせており,その花と葉が別の時期に成長する形態は彼岸花に似ている。

半分野生化したナス

帰り道で半ば野生化したナスの仲間を見つけた。茎と葉に鋭いトゲをもっており,いかにも野生種という感じを受ける。栽培種のナス(Solanum melongena)の野生種は見つかっていない。しかし,近縁の「Solanum insanum」の野生種がインド東部で見つかっているので,ナスの原産地はインド東部とされている。

日本で栽培されているナスは一年生の作物の形態であるが,原産地のように暖かいところでは多年生となり樹木のように大きく成長する。写真にあるものもこのまま成長するのかもしれない。地域は忘れたが高さ1.5mくらいの木に成長しているものを見たことがある。一方,近くの藪には高さ1mほどで黄色の小さな実を付けたものが枯れかかっていた。


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