亜細亜の街角
湖が干上がったプシュカルには聖地の面影はなかった
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プシュカル  (参照地図を開く)

プシュカルはアジメールの北西14km,標高510mに位置する小さな町である。ヒンドゥー教の三大神の一人ブラフマー神に関する伝説が残されており,聖地となっている。プシュカルはサンスクリット語で青い蓮の花を意味している。これはこの地域で人々を苦しめていた悪魔をブラフマー神がマントラを唱えた蓮の花により退治したという伝説に基づいている。

プシュカルの町は300m四方のプシュカル湖の東から北側に広がっており,湖の周辺には52ものガートがある。この湖はブラフマー神が手にしていた蓮の花が地上に落ち,そこにできたものとされ,湖自体が神聖なものとされている。人々はこのガートで身を清め,400もあるといわれている寺院にお参りする。今回,訪問したときは聖なる湖は完全に干上がっており,10年前に訪れたときの聖地の面影は失われていた。

ジョドプール(08:00)→プシュカル(13:30)移動

07:20にチェックアウトする。宿の管理人はこの時間には不在である。宿代は前払いしているので,食堂のお兄さんにチェックアウトをすると告げて出てきた。

宿の下にオートリキシャーが待機しており,政府バススタンドまでは40だという。30でしょうと言い返すと35になった。時計塔の辺りまで歩くことを考えると,35で目をつぶることにしよう。

ジョドプールのバススタンドは広く,いつも頼りにしている制服姿のバスの車掌がいない。チケットの窓口でアジメール行きのバスを確認し,チケットを購入する。

窓口で購入すると少し高くつく。本来は109Rpのところが116Rpとなった。ラージャースタンでは50Rpで100kmの計算なので,今日の行程は200kmということになる。チケットには座席番号が記されているがこれはあって無きがもののようだ。

バスは決められたバスストップ以外では乗客を乗せないので停車回数はとても少ない。都市間バスのような走りに,3時間くらいで到着するかと思っていたらそう甘かった。

道路の周辺はけっこう農耕地が多い。そのようなところでも木は切らずに残されている。そのため農耕地に点々と樹木があるという風景である。それと対照的に荒々しい岩山の風景も出てきた。この地域では水の有無により風景はまったく異なる。

車内で「シェリー・パレス」の客引きに話しかけられた。さすがに英語がしっかりしている。ガイドブックにも載っているが場所が分からなかったので,バススタンドからピックアップしてくれるという条件で泊まることにした。

彼は携帯で宿に連絡をとり,次の客を獲得するためバスを降りた。車内での客引きは僕のような旅行者に対しては有効な手段である。

シェリー・パレス

バススタンドに到着するとシェリー・パレスの名刺を持った人がいたので彼のお世話になることにした。移動手段はバイクである。彼にサブザックを前にかついでもらい,僕が後ろに乗る。

バススタンドから歩いて20分という話はその通りだった。僕の記憶にない幹線道路に出て,さらに北に曲がり宿に到着した。湖周辺のツーリスト・エリアからはかなり距離がある。これは,送迎サービスがなければ難しいところだ。

オーナー(もしくは管理人)は二つの部屋を見せてくれた。200Rpと150Rpの部屋は金額以上に差があるように感じた。何よりも200Rpの部屋は涼しいのが良い。ということで200Rpの部屋を使うことにした。部屋は10畳,ベッドは2つ,それに広いシャワー室が付いている。掃除が行き届いて清潔である。50Rpの差はとても大きかった。

ゴミ捨て場でハヌマーンを見る

湖の周辺にある土産物屋通りまでの道はさっぱり分からない。幹線道路に出て少し歩き,そこから南に向かうルートを採用する。宿から幹線道路までの間で大きなオスのハヌマーンを見かけた。ただし,そこが斜面に続くゴミ捨て場であるところはちょっとさびしい。

層状になた母材から石材を造り出す

幹線道路の手前には石材所があった。この辺りの石は長さ3m,幅40cm,厚さ10cmほどの石材に加工されている。この厚さ10cmの石材をどのようにして加工するのかは謎であったが,ここで明らかになった。石材は層状になっており,簡単に層の部分で分離(剥離)させることができるのだ。海底あるいは湖底で水平に積みあがった堆積岩の中にはこのような性質をもっているものがある。ここにはまだ分離加工する前の層構造がはっきり分かる母材も置かれていた。

この町では写真は有料らしい

幹線道路は大型トラックや車両が通行するのでかなり要注意だ。鍛冶屋の店先で鉄を打つところを写真にしようとしたらフォト,ルピーの声が聞こえる。ここはもうのどかな聖地ではなく,職をもとめて集まってきた人々の生活の舞台になっているのだ。このような「写真は有料よ」という声はあちらこちらで聞かされかなり嫌気がさした。

乾季の今は牛の食べ物がない

女性たちの服装はサリーとはちょっと異なっている

ラジャスターンでは女性たちの服装はサリーに類似しているものの,基本的にはスカートとブラウス,長いショールの組み合わせが多かった。サリーに比べると着崩れしないし,動きやすいことだろう。しかし,このスタイルはインドの他の地域には広まっていかないようだ。

異様な枝振りの樹木がある

生来の方向音痴のため湖の西側に出ようとして,マールワール・バススタンドから幹線道路を西に歩き,そこから南西に折れる道路を歩いたようだ。

この道を途中で南東方向に曲がるとわりと簡単に湖北側のバザール通りに出ることができたのにかなり遠回りをした。広いクリケット場の横を通る。中では子どもたちがゲームをしていた。

その先には異様な枝振りの樹木がある,これは家畜のために枝を切り落とされたためであろう。まるで毎年刈り込まれる街路樹のようになっている。この道の突き当たりは三叉路になっており,西に250m行くとラクダ市の会場になる。三叉路の近くにはラクダが寝そべっており,客待ち状態である。これもすべて観光用のラクダである。僕にも声はかかったが,もちろんノー・サンキューである。

両側に土産物屋が集まる地域となる

三叉路を西に進みようやく両側に土産物屋が集まる地域となる。パッチワークのように色鮮やかな布とそれを使用した衣服やバッグが並んでいる。これらはインド人観光客用でもあり,外国人観光客も好んで買い求める品物である。

本当に水が無い

湖に下りる石段がようやく見つかった。といってもヨーロピアンの団体の後をついていっただけのことだ。ここの石段は見覚えがある。おそらくガンディー・ガートのあたりであろう。途中にはずいぶんたくさんの寄付金箱が置かれている。

石段から湖面に続くガートのような構造になっているはずだ。しかし・・・,日本人旅行者から聞いたとおり水はまったく無くなっていた。石段の下にある何ヶ所かのプールには水が張られており,そこからあふれた水が湖底に小さな水溜りを作っている。

本来ならばここで沐浴をし,身を清めてからブラフマー神の祀られている寺院にお参りするコースであるが,このプールのような沐浴場にはほとんど人影はない。遠くのプール(本当は仕切りのあるガート)では数人が沐浴をしている。

湖の水がなくなると周辺の景色は一変してしまう。これはかなり劇的である。はるか対岸まで寂しい景色が続いており,あまり写真を撮る気にもならない。水のあるときは撮ることのできない湖から見たガートの写真を撮るべきであったが,体調が悪くてそのような知恵も回らなかった

ブラフマー寺院

プシュカルの最高神ブラフマーを祀った寺院に人々が押しかけていた。ヒンドゥー教においてブラフマーは宇宙の創始者とされ最高神でもある。しかし,シヴァ神やヴィシュヌ神に比べて民衆の人気度はずいぶん低い。そのためブラフマー神を主神としている寺院はほとんどない。

この寺院はプシュカルで最高の格式をもったもので参拝者が絶えることはない。ここは階段の上り口から履物は禁止され,ザックの持込も禁止されている。周辺には靴や荷物を預かるところがたくさんある。残念ながらヒンドゥー教徒以外は入ることができない。階段の下から門の写真を撮ったつもりであったが,肝心の飾り屋根の部分が欠けていた。体調が良くないと写真の枚数も少ないし,このような失敗もする。。

聖地から観光地になってしまったね

全体としてプシュカルは完全に観光地になってしまった。10年前ののどかな聖地を知ってる僕としてはこの変化はとても悲しい。

やはり,体力が落ちているようだ。このくらい歩いただけで疲れを感じる。食堂でスプライトを飲みながら休むことにする。疲れた体を引きずりながら(それほどひどくはないが)宿に帰還した。ベッドに横になるとやはり30分くらい寝てしまった。ジョドプールに比べるとずっと涼しい環境なのでとてもありがたい。

夕食はかなり食べることができた

食欲が無いので心配していたら,夕食のベジタブル・フライドライスはほとんど食べることができた。このくらい食べることができると大丈夫かなと思っていたら,そう甘くは無かった。

下痢が始まった。どの程度のものになるかは分からないが,突然トイレに行きたくなるので,これは困ったものだ。また,歯磨き時の吐き気が強く,これも困ったものだ。吐き気を抑え,下痢に対応するためには寝ているのが一番だ。

次の日の朝食はカードとゆでたジャガイモをいただく。わりとすんなりとお腹に納まった。その後はトイレの要求も無く,09時過ぎまで横になっていた。ズボンの洗濯ができてきたので,これでお出かけの体制はできたもののやはり気分が乗らない。結局,午前中は洗濯をしただけで,ずっと横になっていた。

17時から小さな山に登る

17時から思い直してお出かけすることにする。プシュカルには先端の鋭い山が二つあり,ほぼ南と北に位置している。北のものは宿のすぐ近くにあり,頂上までは行かないまでも,横の丘に上るとプシュカルの町が一望できる。

南の三角山(ラトゥナギリ)

そこから南の三角山(ラトゥナギリ)を撮ろうとするとどうしても携帯電話の中継アンテナがフレームの中心近くに入ってしまう。南の三角山の頂上には女神サーヴィトリを祀った寺院がある。そこからプシュカルの町とその周辺を一望できるはずだ。体調が良ければ是非登ってみたいところであったが,この状態ではとても無理だ。

幹線道路のHeloj Road が湖を半周している

この丘にはアカシヤの仲間の潅木もしくは名前不明の多肉植物しか生えていない。赤い小さな花はすでに枯れており,それでも本体にしがみついている。この植物は非常に大きな株を形成する。

丘の上からは正面に特徴のある白い大きな寺院が見える。あの辺りが湖の東岸にあたるはずだ。そこから右側には緑の農地が広がっている。寺院の左側には幹線道路の一部がアスファルトの黒い面を覗かせている。

丘のすぐ下にはマールワール・バススタンドがあり,そこから真っ直ぐ湖に伸びる道がある。この道を利用すると湖岸までかなり近道ができそうだ。丘の上に上ってようやく宿の位置を確認することができた。

マールワール・バススタンド

丘を下りてバススタンドに入る。幹線道路に面しているが,出入り口が狭いので昨日歩いたときは見落としたようだ。ここはプライベート・バススタンドなのであろう。政府系のバスとは異なった車両が出入りしている。

おもしろいバスを見つけた。普通の大型バスに見えるのだが最後尾の窓がない。かなりの広さの開口部となっている。これなら風がよく通ることだろう。もちろん間違うと乗客は転落することもありうる。

バススタンドの周辺ではチャーイや軽食をとることができる。二人の少年がやっているチャーイ屋でお茶をいただく。また,露店の果物屋でブドウを買う。トマトは品質がよくないので買う気にならない。

大きなヒンドゥー寺院

湖岸に向かう真っ直ぐな道はそのままツーリストエリアになっており,多くのゲストハウスの看板が乱立している。これではオフシーズンには完全な供給過剰になり,シェリー・パレスでも僕のようないい部屋が200Rpで泊まれるようになる。ツーリストエリアだけあったヨーロピアンがとても多い。その多くはインド的なヒッピースタイルであり,まるで自分の生活環境から異次元の生活スタイルを楽しもうとしているかのようだ。

大きなヒンドゥー寺院があった。インド・イスラム様式の要素をもち,150年前の建物だそうだ。建物の周囲はクツをはいたまま回れる。寺院の周囲は塀に囲まれており,入り口は低いながらも塔門の形となっている。その両側には大きなチャトリ(飾り屋根)が置かれており,このあたりはインド・イスラム様式の要素である。

ガートでひと悶着

ガートに出る門があったので中に入る。石段の最上段のところまではクツを履いたままでよいらしい。写真の撮りやすいポイントを探していると,中学生くらいの少年が花びらをガートにまけと手渡そうとする。これは有料なのでお断りする。少年はさらに僕の手に花びらを握らせようとする。

再び断ると態度を一変させ,写真をとるな,ここから出て行けという暴言を吐く。あまりのことに,「ここはおまえのガートなのか」,「おまえこそどこかに行け」とやってしまった。水のない風景でがっかりしていることに加え,体調が優れないのでささいなことも神経に触ってしまう。

いざ食べだすと食欲が無い

けっこうお腹が空いていたはずなのに,いざ食べだすと食欲が無い。すぐにお腹がいっぱいになる。いわゆる膨満感というやつだ。カードの酸味も吐き気をさそい,かなり苦労して食べる状態であった。夕食をとっただけで疲労感が出てくる。胃の消化力はかなり落ちているのか,2時間近くたっても腹が張っている。

これでは用意したトマトやぶどうを食べる気にもならない。下痢は一応止まっており,ガスも出るようになった。しかし,10時になると下痢が再発した。この壊れた胃腸はいつになったら元に戻るんだろう。吐き気が襲ってくるので歯磨きはこのところ大変だ。ちょっと油断すると「おえっ」というようになる。

夜中にトイレに起きることもなく熟睡することができた。なんといっても涼しいので快適に寝ることができる。夜半からは毛布のお世話になっていた。朝のトイレはやはり下痢状態である。アーグラーに移動して医者に診てもらった方がいいかもしれない。インドの抗生物質は強すぎるのでその点は心配だが。午前中はそのまま休養する。

この子どもたちからルピーという言葉は聞かれなかった

13時からお出かけ。さすがにこの時間の太陽はすごいね。小学校が下校時間となっており,大勢の子どもたちが出てきたので学校の中で何枚かの写真を撮る。

ついでに顔見知りとなった,女子のグループとしばらく歩き写真を撮る。みんな喜んでフレームに納まってくれた。この町で写真でルピーを要求されなかったのはこの子どもたちくらいだ。

ホテル・アムールの中庭で

ホテル・アムールはバススタンドからの真っすぐな道がT字路で途切れるところにあった。大きな敷地の二方向に客室をもち,残りの空間は中庭になっている。環境としてはとてもよいが,部屋は僕のものと比べ物にはならない。

ここには欧米人のインドスタイルの男女が集まってなにやら話をしている。東洋にあこがれる気持ちは分からないでもないが,インド人のサドゥーと同じ姿をしたところで,宗教的な理解が進むわけではない。

バラモン教やヒンドゥー教のことを学ぶならばまず書籍を読むのが近道だ。もっとも,その難しさはインド哲学と呼ばれる所以である。

僕は中庭に面したイスに座ってビスケットをポリポリとやっていた。現在の僕にとってはビスケット6-7枚がいいところだ。そして,吐き気防止のスプライトを時々いただく。

ガートは閑散としていたが土産物屋の通りには人が多い

今日は西側のガートを歩いてみた。昨日に懲りて曲がり角はしっかり記憶しておいた。複数ヶ所のガートに出てみたがどこも閑散としていた。聖地としてのプシュカルはもう終わったのかもしれない。

どこにもプージャをする人は見当たらない。プールのようになったガートでは青年たちが泳ぎまわっており,そこには聖地の水で沐浴するといった宗教的な意味合いはない。

それにしても湖の水はいったいどうなったのだろう。宿のスタッフの話では雨が降らないために干上がったということである。半砂漠地域では蒸発量が大きいのでわずかな降水量の変化が湖の水位に大きな影響を与える。干上がった湖の底はガートから2mほど低いところにある。ということは水がある時期でも水深は2mほどしかなかったということになる。

湖に流れ込む川はまったくなく,わずかにプールのようになったガートに流れ込む水が堰を越えて流れ出しているだけである。二時間くらいの町歩きには耐えられるくらいに体力は回復しているようだ。しかし,そのまま頭を洗うと疲れからか寝込んでしまった。

カギがない!

夕食のため部屋をロックするときジャージーであることを失念してカギをかけてしまった。南京錠は自分のものを使用しており,カギはズボンに付いている。

宿のスタッフに南京錠を切るようなカッターはないかとたずねると無いとの返事だ。バススタンドの周りには店があるので道具があるだろうというので行ってみたが,どこにもそのような道具は置いていなかった。

宿に戻りどうしようと相談しているとき,背中のザックに気が付いた。万一のときに備えてスペアキーをザックに入れておいたはずだ。調べてみるとカギは見つかり一件落着となった。

夕食は水とベジタブル・フライドライスにする。腹具合は復調したのか9割をおいしく食べることができた。腹具合はかなり改善されたようだ。これで下痢が制御範囲にあれば明日の移動には支障はない。

この宿では何回か食事をいただいていたので事前に日記をもとに支払い金額をメモにしておいた。それを集計すると宿代を含め3日間の総額は980Rpということになった。もちろん宿のノートにも僕の部屋番号で注文した記録はある。

にもかかわらず,オーナーはノートの控えをチェックしようとせずに,僕のメモだけで支払いをするように告げた。自分のところのノートではなく宿泊客のメモで支払いをするという大雑把さにちょっと驚く。もっともノートに記載された内容と僕のメモのどちらが正確かというと,それは明らかだ。


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