亜細亜の街角
ダサダのリゾートは高くて泊まれずこの町にやって来た
Home 亜細亜の街角 | Viramgam / India / Mar 2010

ビランガム  (参照地図を開く)

ビランガムはアフマダーバードの西50kmほどのところに位置する町で,東西方向と南北方向の鉄道が交差するジャンクションとなっている。街の東側に南北方向の鉄道が走っている。鉄道駅から西に向って街のメインストリートがある。

鉄道駅から100mほどのところに僕の宿泊したラディ・ゲストハウス,その先200mほどでバススタンドがある。このメインストリートは鉄道駅から700mほどで城門に達し,その先も続いている。鉄道駅の近くから北に向かう道もあり,その道と線路の間は荒地のような保線区になっている。

アーマダバード(08:00)→ダサダ(10:45) 移動

宿の前からバススタンドに移動する。オートリキシャには僕以外に少年が一人乗っている。運転手は20Rpと主張したが,15が地元価格となってるのでそれで行ってもらった。

ダサダは幹線道路や大きな町への移動路からは外れているので,乗り継いで行かなければならないだろうと思っていた。チケット売り場の窓口で地図を見せながら「ダサダ」と告げると,二つに分かれている向こう側の乗り場に行きなさいと指示された。

反対側の窓口で同じようにダサダ行きを告げると,窓口の人は紙に行き先を書けという。「dasada」と書くと,それならあのバスだと教えてくれた。バスの運転手にメモを見せ,ダサダ行きであることを確認する。荷物は網棚の上に置くことができるので,これはありがたい。

さすがのバスも辛抱強く待っていた

バスは08時に出発した。アフマーダバードの町はとても大きいので市街地を抜けるのに30分くらいを要した。それにしてもこのバスは何かあるたびにホーンを使用する。前に何かがいる場合,自分より遅い速度で走っている場合,横を人が歩いている場合,ともかくあらゆる場合にホーンを使用する。

インドでは交通マナーが最悪状態なので,いつも自分の存在を知らしめておかないと事故につながる可能性が高い。このバスが唯一勝てないものは踏切であった。さすがに列車にはホーンは役に立たずひたすら待つしかない。しかも,この踏切には牛の群れが先におり,さすがのバスも牛たちが渡り終わるまで辛抱強く待っていた。

ダサダに着いてはみたものの…

ダサダは三叉路の周辺にお茶屋がある程度だ。誰かが連絡したのか僕がお茶を飲んでいる間にジープが到着し,英語のできる男性が現れた。彼はホテル・ライダー(西遊旅行の常宿)の運転手であった。ここの宿代はパッケージで5000Rp(三食と二回のサファリ料金)と告げられ,宿泊はお断りした。

トラックの荷台に二列のベンチイスを取り付けたオートリキシャーは客がいっぱいになると出発した。地元の人の料金は5Rpだというのでよくこれで商売が成り立つと思う。ガタゴトと田舎道を走り,ジャイナバードに到着した。ここも道路の両側に小さな村があるだけのところで宿泊環境としてはなかなかよい。

残り少ない池にはたくさんの水牛が浸かっている

道路からデザート・コースターズまでは500mほど歩かなければならない。道の右側は大きな貯水池になっており,残り少なくなった水に水牛が浸かっている。これもとても絵になる。

荷物からカメラを取り出し,歩きながら写真を撮る。土手に上ると池の全景が見える。池は周囲を土手に囲まれており,川が流れ込んでいるわけではない。雨季の天水を貯めているだけのもののようだ。現在の水面面積は土手の内側の2割程度になっている。

しかし,ようやく到着したところの料金はパッケージで2200Rp(三食と一回のサファリ),保護区の入域料金1250Rpが必要だと告げられる。合計すると3450Rp,およそ80$である。アジアノロバや塩田の写真が飾ってあり,それらの見学料金とすれば僕には高過ぎる。小カッチのサファリはあきらめて近くの町に移動することにした。

池の対岸では女性が洗濯をしており,その右側では40頭ほどの水牛が水に浸かっている。水牛はその名の通り水が大好きで,しばしばこのような光景を見ることができる。水牛の近くにも洗濯をする女性がおり,この池では共生関係が成立している。

二頭の牛に小さな二輪車をつけた牛車がやってきた

水牛の飼い主なのか男性が一人近くにいるが,水浴びに満足した水牛の一部は男性を無視して土手の斜面を上り出した。と,思ったら男性は水牛の後をのんびりと追って行く。

土手の内側と外側にはアカシアに似た大きくて鋭いトゲのあるかん木が多い。この木はかん木の茂みを形成するが,中には成長して高さ10mほどの樹高となリ,水平に広がる樹冠をもつものもある。そのような樹木がまばらに生えている光景はアフリカのサバンナを想起させる。

池の中にはまだ30頭ほどの水牛が残っている。近づいてみると何頭かの背中には白いさぎが止まっている。おそらくアマサギカかチュウサギであろう。道路に出るとすばらしい角をもった二頭の牛に小さな二輪車をつけた牛車がやってきた。あわてていたせいかフレームがずれてしまった。

ダサダに戻りバスを待つ

幹線道路に戻る途中に近くの村の様子を写真にする。子どもたちが観光客慣れしており,ハローが多い。幹線道路に出てモスクの近くで1時間ほどダサダに戻る車を待つ。

そこへ,救いの車が現れた。60歳くらいの男性が「だれかを待っているのかい」と声をかけてくれた。「ダサダに戻ろうとしているんです」と答えると,そこまで乗せてあげようというありがたい言葉であった。車に乗り込むとエアコンまで効いている。

「ところでどうしてあそこにいたんだい」
「デザート・コースターからパタンに移動するところです」
「おお,あそこは私の息子がやっているところなんだよ」
僕はその宿が高いため宿泊せずに移動しようとしているところなのでかなり肩身の狭いことになった。

ビランガムでの宿探し

13:50にダサダの三叉路で車から降り,バシュラーシ行きのバスを40分ほど待っても来ないので,安全のため少し遠回りになるがアフマダバード方面のバスで30kmほど東のビランガムに移動することにした。1時間ほどでビランガムのバススタンドに到着した。近くにいた青年たちに宿をたずねた。

「この近くにはホテルかゲストハウスはないかい」
「一軒あるけれど外国人が泊まるにはちょっと・・・」
「たぶん,大丈夫だと思うよ,そこを教えてよ」
「左にまっすぐ行ったところにあるラディ・ゲストハウスだよ」
「ありがとう,行ってみるよ」
ということでラディが見つかった。この宿には個室が4室にドミトリーの大部屋がある。

バススタンド方面に歩く

宿の前の通りを左に(西に)歩いていくとバススタンドがあり,その先には城門がある。逆に右に行くとすぐ駅に出る。この区間がビランガムのメインストリートといったところだ。当然,夕方の時間になっても人通りは多い。女性たちの服装はサリー姿であるが,複数の色を大胆に使用したものが多い。

近くにチャーイ屋があったのでまず一杯いただく。この店は珍しく取っ手のついた小さなカップを使用している。僕がチャーイ屋の青年にカメラを向けると,店の客が立ち上がって並んでしまい,集合写真になってしまった。写真を撮ってもらうことは彼らにとっては楽しみの一つなのかもしれない。

露店の果物屋ではぶどうを扱っている。インドではブドウはほとんど生食用として栽培されている。この果物屋では熟れすぎて房から落ちたブドウが山盛りに置かれており,そこに小さなミツバチが群がっている。おそらくコミツバツであろう。ミツバチがブドウの汁を吸うというのは奇異に感じられるかもしれないが,花の蜜と同様に糖を含んでいる。

蜜の主成分はショ糖(白砂糖)であり,ブドウにはブドウ糖や果糖が含まれている。ミツバチは吸い取った蜜を体内の転化酵素の働きで果糖やブドウ糖を主成分とする蜂蜜に変え,巣房に保存する。ハチミツの成分は種類により大きく変化するが,平均的には果糖38%,ブドウ糖30%,水分17%となっており,ブドウ汁を濃縮したものと大差はない。それにしても大変な数のミツバチが群がっている。

バススタンド

インドのたいていの町にはバススタンドと鉄道駅がある。ビランガムのバススタンドは発着場所が決まっており,行き先表示もあるので外国人でも容易に利用することができる。一般的にインドのバススタンドは非常に分かりづらく,しかも定まった乗り場ではなくバススタンド内の適当なところで客を乗せるケースが多い。

バススタンドにはいつも大勢の乗客がバスを待っており,写真の題材が豊富である。小さな子ども連れの集団の写真を撮ると,この子を撮ってというリクエストがくる。しかし,あまり小さいと僕が近づくと泣き出してしまう。3歳くらいの女の子は大きな目を見開いてこちらを見ている。この集団が終わると中学生くらいの女の子がモデルになってくれた。

インド式歯ブラシ

しばらく歩くと城門が現れる。アーチ型の二つの門により交通は制限されている。かってはこの町も城塞都市であり,そのなごりが今もでも残っているのだ。現在の交通事情からするとジャマな存在であるはずだが,取り壊すのにも費用がかかるのか,さしたる不便を感じていないのか,城門は昔のまま残されている。

この城門の先はしだいに街外れという感じになっていく。ここも人通りは多く,その間を牛が食べ物を探して歩き回っている。路上に布を敷いて木の枝を一定の長さに切っている人たちがいる。これはインド式の歯ブラシである。この枝はニームという樹木のものが使用され,抗菌作用があるとされている。この枝をかんでいると食べ物のカスがとれるらしい。

掃除のおばさんたちが休憩をとっている

メインストリートはバススタンドから西に伸びている。ビランガムでは町らしいたたずまいを見せているのはこの通りだけである。商店の前には自転車と同じような車輪を4つ取り付けた荷車の上に商品を並べる露店が並んでいる。そんなところで露店をされては商店の営業に影響しそうであるが,インドではそのような苦情を申し立てる人はいないようだ。

近くではインドでよく見かける柄のないホウキをもった掃除のおばさんたちが商店の入り口に腰を下ろして休憩をとっている。写真の許可をもらって一枚撮らせてもらう。

露店のチャーイ

城門の少し手前にはちょっとした広場があり,何軒かの露店が出ている。中にはけっこう立派な屋根付きのものもある。この露店は屋根に4枚の側板が取り付けられており,それを持ち上げて固定すると雨よけになる。側板を倒して固定すると露店は車輪付きの四角い箱になる。このアイディアはなかなか優れものである。

このチャーイ屋には木製のベンチがあり,客はそこに坐ってチャーイをすすっている。値段は4Rpと他のチャーイ屋に比べると1Rp安かった。僕もベンチに坐ってチャーイをいただく。外国人が珍しいのか,近くの男性から好奇心に満ちた視線にさらされることになる。チャーイはおいしかったが,「どこから来たの」,「名前は」などという質問も多く,のんびりチャーイをすすっているわけにはいかない。

田舎の風景

メインストリートから少し入ったところに田舎のような風景が広がっているところもある。立派な角と大きな耳をもった雌牛に出会った。じっとこちらを見ている姿はかなり迫力がある。インドでは街中を平然と牛が歩いているので取り立てて危険な存在というわけではない。しかし,こうやって目が合ってしまうと相手が大きな動物だけにひるんでしまう。

姉妹なのか二人の女の子の写真を撮ろうとしたら,あっという間に近くの子どもたちが集まってきて12人の集合写真になってしまった。時刻は17:30を回っており,動かれると簡単にぶれてしまう。動かないでねと言いながらシャッターを押す。画像を一緒に見るとけっこう良いできであった。

餌を与え乳を搾る

水牛の乳絞りをしている男女がいた。お母さんが水牛に餌をやり,その間におじいさんが水牛の乳絞りをしている。この家ではおばあさんがさかんに何かを訴えているが意味はまったく分からない。そのうちチャーイということになり,いただくことにする。

ハンモックに寝かされた女の子

この家では熱いチャーイをカップの受け皿に入れて出してくれた。味は一級品である。二杯いただき,お礼に3人の子どもにヨーヨーを作ってあげる。ハンモックに寝かされた1歳くらいの女の子は丸々と太っており,とても可愛い。この年齢の子どもはまだ太陽光にあまり当たっていなので色が白くてインド人とは思えない。

朝のチャーイをいただく

ヒンドゥー寺院にて

道路から少し奥まったところにヒンドゥー寺院があった。この寺院の主役は榕樹の木であった。寺院内には小さな本尊のシヴァ神が祀られている。天井近くにはそれとすぐわかるシヴァ神が描かれている。ヒンドゥーの神は絵にすると違いがはっきりするが,像になるとほとんど顔だけでは見分けがつかない。

寺院の外では榕樹の回りを何人かの人が聖水をもって回っている。一回りしたおばあさんは東を向いて容器の水を少しずつ地面にこぼし出した。水は小さな塊になり糸を引くように地面に落ちていく。これはとても絵になる。惜しむらくは太陽の方向を向いているので,おばあさんの顔が影になっていることである。おばあさんは少しずつ最後まで水を地面に注いでいた。

八百屋の店先にて

おばあさんが孫の世話をしている

メインストリートから北に向かう道を歩いてみる。この道は半分田舎のような雰囲気である。右側は鉄道線路に沿って広大な荒地のようになっており,引込み線があることからここは保線区域のようだ。宿は鉄道駅からそれほど離れてはおらず,昨夜は列車の警笛がとてもやかましかったことを思い出す。

このあたりの民家と道路の間は作業スペースあるいは子どもたちの遊び場になっており,寺院はこのスペースに建てられている。寺院の手前ではおばあさんが薪を容器に入れており,反対側の日陰にはロープで編んだベッドが置かれ,手を骨折してギブスをしているおばあさんが孫の世話をしている。おばあさんに写真の許可をもらうとお母さんが一緒に入ってくれた。

踏切でのんびりと過ごす

ジーゼル機関車に引かれて200mほどありそうな長い貨物列車がゆっくりと目の前を通り過ぎていく。遮断機が上がるといつものように我先にの混雑が始まる。踏み切りの操作員に呼び止められて,お茶をごちそうになった。列車はめったに通らないとはいえ,彼は勤務時間内のはずだ。外国人旅行者と四方山話をしていていいのかな。

金属容器を二段重ねで頭に乗せて荒地を歩く女性の写真を撮ることができた。この女性は長いスカート,短いブラウス,長いスカーフという服装である。それらの衣装の華やかな色使いにしばらく見とれていた。おそらく砂漠の周辺に居住している少数民族の女性であろう。これからグジャラートとラジャスターンを旅するとこのようなすてきな服装の人々に出会えるのであろうか。

ずっとつきまとっていたガキたちを追い散らして踏み切りのところに戻る。踏み切りは再び閉じられており,5分ほど経ってからやはり200mほどの長さの客車が通り過ぎていった。

4歳くらいの女の子が洗濯をしている

高い石の塀で囲われた内部の水場で4歳くらいの女の子が洗濯をしていた。この子の父親は男の子だと言っていたがどうみても女の子に見える。もっとも彼がこれも男の子だよと紹介してくれた子どもも髪を長くして女装をしていた。う〜ん,これは何か事情があるのかもしれない。

女の子はそのような大人の会話を知るよしもなく,洗濯の真似ごとに精を出していた。この子を撮ろうとしているとき,僕の周りには人だかりができていた。父親はイスを勧めてくれた。このかわいい被写体の子にはヨーヨーを作ってあげることにした。

鉄道駅は宿のすぐ裏手にあった

昨夜は列車の汽笛がずいぶん近くで聞こえるなと思っていた。それもそのはずである,鉄道駅は宿のすぐ裏側にあった。駅舎はそれほど目立たない建物であるが,機能はしっかり備わっている。ホームには食べ物や飲み物を扱うキオスクがあり,昼食は新聞紙の上に揚げた薄いパンとその上に乗せられたスパイシー・ジャガイモをである。

ホームの先に歩いていくと数人の男性が茹でたジャガイモの皮をむいていた。リーダー格の男性に一個いくらですかとたずねると,フリーとうれしい返事である。中くらいの大きさのものを一個いただく。

僕があまりにもおいしそうに食べるので,小さなものをもう一つくれた。これで今日の昼食は完成である。お腹もできたのでホームで列車待ちをしている親子の写真を撮る。姉の笑顔,妹の大きな瞳が印象的であった。

堂々と新聞紙を広げて昼食をとっている家族がいる

列車が入線すると大勢の乗客は車両の中に吸い込まれていった。これでホームはかなり閑散となった。その中で堂々と新聞紙を広げて昼食をとっている家族がいる。写真をお願いしたらすぐにOKが出た。最年長の男性が「ごはんを食べなさい」と誘ってくれたが,少し前にジャガイモをいただいてしまったので辞退した。

大きなため池

鉄道駅のホームの南東側には踏切があり,そこから北西(ホームの左側)方向の道を歩いてみる。大きなため池があり,やはりそこはゴミだらけになっている。インド人は水のありがたさを理解しても水環境を保全するという意識は根底から欠けている。水とは使うもので守るべきものではない,水を他の動物とシェアするという考えは持ち合わせていないようだ。

動物と人間の共存がインド社会のふところの深さという考え方はある意味当たっているが,人間の方は動物が存在することを許しているだけであって,少なくとも都市環境においては彼らと共存していこうなどとは考えていないようだ。インド人にとっては環境美化とは自分の家の敷地内のことであり,そこから一歩出るとそこはすべてゴミ捨て場なのだ。

狭い路地の両側に家が並ぶ

幅3mほどの路地の両側に家屋が密集するところがあった。この路地に入ると住民の歓迎を受け何枚もの写真を撮らされた。ここの子どもたちはとても行儀が良い。陽射しの強い日中なので日向の写真はコントラストが強すぎるので,家の影で集合写真を撮った。

大きな子どもも小さな子どももちゃんと整列してくれた。しかし,シャッターの瞬間に左から少年が顔を出したのでフレームが乱れてしまった。まあ,これも思い出としてよしとしよう。子どもたちにはヨーヨーを作ってあげたかったが,ざっと見ただけでも25人くらいはいるので断念した。

家の前でザルを編んでいるおばさんがいた

ほんどの商店がシャッターを下ろしているなと思ったら今日は日曜日であった。城門の手前を右に曲がると家の前でザルを編んでいるおばさんがいた。材料は竹で幅5cmほどのものを骨組みにして,その周囲を幅1cmほどのもので編みこんでいく。

この作業はけっこう熟練を要する。もっとも材料さえ揃っていれば,1個を仕上げるには1時間はかからない。しかし,その前段階として材料を作る工程は編むことよりも熟練を要する。伐った竹から表皮近くの部分を使って幅1cmの薄い材料を作るのはかなり大変なことだ。

自転車のおじさんに声をかけられて

メインストリートでおじさんに「近くに大きな湖があるので連れて行ってあげよう」と声をかけられた。僕はこの種の提案にはかなり警戒感をもって対応している。まあ,危険を察知したら自転車から降りようと考え,乗ってみる。

おじさんは近くのヒンドゥー寺院に連れて行ってくれた。僕は早足で見学をするのは好きではない。どうせ見るなら数は少なくてもしっかり見た方が性に合っているので勝手に歩くことにした。

寺院の向かいにある広場では男性たちが地面の上に布を広げて,穀物の重さを計り,袋詰めをしていた。近づいて見るとこの地域では珍しいコメであった。片側に重り,片側に布を袋状に吊るした大きな天秤ばかりを使用している。僕がカメラを持って近寄ると働いていた男たちは秤の前で記念写真のように並んでくれた。

綿の繊維を殻から取り外す

しかし,この地域でも男の子が大勢集まってきて僕の後をついてくる。これは困ったことだ。僕が彼らを無視してどんどん歩いていってもついてくる。とうとうもう一つのポイントである綿の積まれている家に着いてしまった。ここでは収穫した綿花から殻を取り除いている。殻と綿花はけっこうしっかりくっついているため,人手で分離する必要がある。

ここでは7人の女性が働いている。10歳くらいの女の子も慣れた手つきで殻を取り除いている。老人が作業を眺めており,少年たちが無遠慮に入ってくると出て行きなさいと一括してくれた。これでゆっくりと作業を眺めることができる。一つの殻を外すのは5秒足らずである。それでも部屋の奥に積まれてる量を処理するにはどれほどの時間が必要だったのかと思わされる。

スイカの切り身をいただく

スイカは1kgで20Rp,おそらくここにあるスイカは60Rp程度のものだろう。とても一人では食べられないが,ここには切り身でも売られている。氷を置き,その上に布をかけ,その上にスイカの切り身を積んでいる。一皿が5Rp,氷の衛生状態が気になって前を素通りしたが,ついにつかまってしまった。

スイカの切り身はハエ用のネットの中にあり,そこには蜂が群がっている。この季節は花が少ないのか,果物に大量の蜂が群がっている。蜂は二種類,大きなインドオオミツバチと二回りちいさなコミツバツである。

僕の皿にもオオミツバチがとまったのでちょっと観察してみる。ミツバチはスイカにとまり,蜜を吸うための口吻をスイカに差し込んで吸っている。観察が済んだので息で蜂を飛ばし,最後の一切れをいただく。乾燥しているのでスイカは飛び切りおいしかった。


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