亜細亜の街角
■王舎城の跡地に諸行無常を見る
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ラージギル  (地域地図を開く)

ブッダの時代,ラージギルはマガダ国の首都であった。そこは5つの山に囲まれた盆地で,出家したブッダが修行に入った地であり,晩年を過ごした土地でもある。仏典もよく出てくる王舎城とはこの地のことであり,少し離れたところにはビンビンサーラ王が教団のため寄進した竹林精舎跡がある。

現在,王舎城の跡地はブッシュに覆われた荒地となっており,干上がった川の土手を探すと,2500年前の土器の破片が見つかる。ラージギルに泊まるのであれば,バススタンドのある町の中心部から1kmほど離れた温泉バザールが,遺跡にも近くお勧めである。

ブッダガヤから北東へ70km離れたラージギールはマガダ国の時代にはラージャーグリハと呼ばれていた。ブッダの時代,北インドのガンジス平原は多くの国々が群立しており,その中から16大強国が生まれた。 マガダ国はその中でもコーサラ国と北インドの覇権を争う最強の国であった。

成道後,ブッダはバラナシの近くのサールナートで,かってともに苦行を行った5人の比丘に初めての説法を行なった。それは快楽に偏せず,禁欲・苦行に偏せず中道を行くことを説いた。その中で人生の苦しみは何から生まれるのか,どうすれば解決できるのかを説いた。これが「四諦説法」である。

ブッダがサールナートに留まり説法を行っているうちに弟子の数はしだいに増え60人ほどになった。ブッダは弟子たちを各地につかわして,新しい教えを広めさせるとともに自身はウルヴェーラ(優留毘羅)に向かって布教の旅に出た。

ウルヴェーラ(現在のブッダガヤ)の地でブッダは1000人ともいわれる多くの弟子たちを得た。ブッダはさらにマガダ国に向かって遊行の旅を続ける。

その出発にあたりブッダは弟子たちとともにガヤーシーサ(象頭山)に登り,「比丘たちよ,すべては燃えている。熾念(しねん)として燃えさかっている。そのことを,なんじらは知らなければならない」と煩悩の炎を消す重要性を説いた。

象頭山から下ると,ブッダは王舎城の郊外に歩を進めた。マガダ国のビンビンサーラ国王もブッダの名声を聞き及び,ブッダをたずねその教えを受けた。王はブッダのために郊外のヴェルヴァナ(竹林)の地を寄進した。

その後,すぐに王舎城に住む長者がその地に精舎を建てることとを申し入れた。ブッダは「質素なものならばよろしい」と返事をし,長者は60もの家を建てて献上した。こうして仏教における最初の精舎(竹林精舎)が誕生し,王舎城は仏教教団の拠点の一つとなった。


パトナ→ラージギル移動

ミタプールBS(09:00)→ビハール・シャリフ(12:00)→ラージギル(13:00)と120kmをバス(67Rp)で移動する。パトナ駅の南口に出て,その先の混雑した道を右に曲がり少し行くとミタプールBS行きの乗り合いリキシャー(5Rp)がいたので乗り込む。

BSでは勝手が分からない。ラージギルと3回聞いて動き出したバス(40Rp)に乗る。今日のバスは直行便だろうと期待していたらビハールシャリフで乗り換えであった。

次のバス(12Rp)はすぐに見つかり,1時間でラージギルに到着した。観光地らしくタンガ(乗合馬車)やリキシャーがどっと寄ってくる。最初に行ったBS近くのホテルは結婚式のため満室であった。それならばと,1kmほど離れた温泉バザールにタンガ(10Rp)で移動する。

Hotel Siddharth

「Hotel Siddharth」の部屋(160Rp)は8畳,T/S付きで清潔である。このあたり唯一のまともな宿泊場所である。この時期のインド北部は非常に暑く,風通しの良くないこの部屋はさすがに暑かった。寝冷えを防ぐために長袖を着込んで,ファンを回したままで寝るという奇妙な生活であった。

このホテルには日本人の長期滞在者がおり,彼に案内されて温泉めぐりを楽しんだ。また,温泉のお湯が飲めることを教えられ,毎日ペットボトルに詰めて持ち帰り,愛飲していた。

この長期滞在者のおじさんがいよいよ帰国するというのでオーナーがお別れ食事会をセッティングしてくれた。ローストチキン,チキンカリー,チャパティで久しぶりに満腹となる。

ヤシ酒の季節であった

宿から道路までの間にさとうヤシの木が並んでいる。この木の大きな花房を切ると甘い樹液が染み出してくる。これを容器に受け,毎朝回収する,翌日のため花房を少し切り取る。

樹液は自然に発酵し,ヤシ酒になる。アルコール度数はビールより低く,ちょっと酸っぱいけれど,さわやかな味で暑気払いにはもってこいの飲み物だ。

朝取りのものを午前中に飲むのが良い。夕方になると酸味が増し,翌日になるともうやめた方が良い。ヤシの木の下では地元の人たちが,朝な夕なに車座になって飲んでいる。

60代の半ばに見える日本人の長期滞在者のおじさんはホテルのオーナーの知り合いで,毎日,このヤシ酒を届けてもらいよく飲んでいた。残念ながら酒の飲めない僕は味見する程度であった。

温泉バザールの温泉

温泉バザールの7人娘

温泉バザールの東の丘

温泉バザール周辺には温泉,ブッダの修行をした岩山,王舎城の跡地がありブッダの時代を懐古するにはとても良い環境である。

シッダルタ・ホテルの裏山は岩石がむき出しになった荒地である。ブッダの時代,バラモン教に飽き足らなくなった人々は,このような荒地で修行を積み,新しい宗教を模索していた。

当時は身体を痛めつける苦行をすることにより精神は開放され,真理に到達できると考えられていた。そのため,修行の地としてこのような荒地が選ばれた。ここはブッダやジャイナ教の開祖マハービーラが修行したところである。

宿から幹線道路に出て左に100mほど行くと,左に温泉バザール,右に温泉のあるヒンドゥー寺院がある。左に行くといくつかの小さな祠と温泉の建物がある。こちらの温泉は浴槽が浅いし,洗濯のすすぎ水が流れ込んでくるので環境はよくない。

岩山の上り口は温泉の裏手にある。途中までは整備された階段になっている。岩だらけの斜面を登っていくとジャイナ教のお堂がぽつんと立っている。

ここは本当に殺風景なところだ。岩がむき出しになっており,植物はわずかな土にしがみついている。そこから見る下界は茶褐色の大地に,意外と多い樹木が緑の広がりとなっている。

温泉バザールに戻ると同じ宿に泊まっている長期滞在者のおじさんがチャーイを飲んでいたので,ご一緒する。日が傾き,暑さはずいぶん和らいできた。平和な時間が過ぎていく。

彼は宿のオーナーの親友で,今年はもう4ヶ月もここに滞在しているという。夕食後は彼と一緒にヒンドゥー寺院の温泉に行く。ここは湯船のある部屋の外に広い洗い場兼脱衣所があり,そこで服を脱いでパンツ姿で石段を降りる。

湯船は20人くらいは入れる広さだ。クセの無い泉質で湯温もちょうどよい。暑い時期でもここは極楽である。注ぎ口のお湯はそのまま飲める。ペットボトルを2本持ってきて,ここでお湯を汲んでいた。

どちらも7人娘に含まれている

乗り合いのターンガーがのんびり進んでいく

日本山妙法寺

下に降り,道路を渡り日本寺を訪問する。山門をくぐると右に「南無妙法蓮華経 日本山妙法寺」の碑があり,左に本堂がある。インド人の僧が「南無妙法蓮華経」を唱えながら,大きな和太鼓をたたいている。

本堂の白い柱は落書き防止のため,下の部分はビニールが巻いてある。やはりここはインドである。竹林精舎跡地はただの公園のようになっており,どこが跡地なのか分からない。

ナーランダ仏教大学遺跡に向かう

05時過ぎに起きてヒンドゥー寺院の温泉に行く。貴重品はすべて部屋に残し,持ち物はタオル一枚だけである。驚いたことにこの時間にも温泉は大変な混みようであった。湯船も外の洗い場もかなり混雑している。

ということで5分ほどお湯に浸かって出てきた。インド人が格別に朝風呂が好きというわけではない。彼らにしてみれば沐浴気分なのではと推測する。

朝食は宿の近くの食堂でいただく。チャパティ2枚とゆで卵2個で16Rpである。チャパティとゆで卵の相性は悪くない。50Rpを出すとおつりがない。主人は両替のためどこかに行って,しばらく戻ってこない。

10分後に手ぶらで戻ってきたので,「夕食の時に払うよ」と断って50Rpは取り返した。約束通り夕食はちゃんとこの店でとった。マトンカリートごはんで31Rpなので,こんどは50Rpでもおつりが出てきた。

今日はホテルに出入りしているので知り合いになった土産物屋のジャパニさんのスクーターでナーランダに向かう。彼がその先に用事があるというので便乗することになった。

ナーランダ仏教大学は5世紀に設立され,往時は1万人の学僧がここで学んでいたという。7世紀には玄奘三蔵もここで5年間学んでおり,657部に及ぶ経典を中国に持ち帰ったとされている。

インド仏教の最大かつ最後の拠点となっていたナーランダ仏教大学も12世紀にイスラム勢力により破壊され,インド仏教は終焉する。

ナーランダ仏教大学は遺跡としてインド政府により保存・補修されているが,これとは別に,「ナーランダ大学をアジアにおける教育や学術研究の交流拠点として再興させる」いう計画が進められている。

ラージギルから13km,さらに遺跡まで3kmある。幹線道路の分岐点のところでスクーターを降り,ここからは自力で遺跡に向かうことにする。幹線道路から遺跡に向かう道には遺跡風の門がありすぐに分かる。

近くにいた英語の話せる親子は遺跡までタンガで100Rpだという。すごい値段だね。タクシーで行っても50Rpはしないところなのに。近くには乗合タンガが停まっており,こちらの料金は5Rpである。

仏教大学遺跡の入場料は2$か100Rpである。両替レートは1$=42.5なので,これを逆手にとって100Rpを2$と両替する人が入口にいる。それはちょっと儲け過ぎなので交渉により90Rpで2$を手に入れる。結果的に入場料は90Rpとなった。

この遺跡は境界がよく分からないほど広い。少なくとも1km四方はありそうだ。遺跡の案内板によると7つの学校と4つのストゥーパからなっている。建物はひどく破壊されており,一階部分しか残っていない。すべてレンガでできており,その規模は1万人の僧が学んでいたというのもうなづける。

ストゥーパもレンガの山になっている。このストゥーパには大きな仏像があったらしく,その部分が空間になっている。最も保存状態のよいストゥーパは,ほとんど破壊され,骨格部分のレンガがむき出しになっているものの,一部には往時をしのぶ漆くいの白さが残っている。その傍にはストゥーパの想像復元図が展示してあった。

想像の部分が大きいにしてもすばらしいものであったようだ。周辺にはたくさんの小さなストゥーパの基壇が残されており,一部の基壇には破壊を免れた小さなブッダ像が残されている。

ジャズミンはいつ見ても花盛りである

わずかな仏像が残されている

案内図から判断すると僧坊のようだ

古いレンガに菩提樹の木が根を張っている

乾燥したビハールの農村風景

温泉寺院の子どもたち

温泉バザールの共同井戸の風景

結婚式のシーズン

宿のとなりが騒がしいので見に行く。温泉バザールの本土ぅー寺院で結婚式が行われている。新郎・新婦の村の人々が結婚式のためにこの寺院に集まっている。集団の男性が写真を撮れと案内してくれる。いい写真が撮れてご機嫌である。

昨日写真を撮った子どもたちが僕を見つけて集まってくる。近くに切り売りのスイカ屋がいたので,20Rpで四半分を買い取り,結婚式のご祝儀として彼らに一切れずつ進呈する。

この子たちの写真はずんぶん多かった

緑の服の女の子は少なくとも二人の妹がいたんだ

霊鷲山(りょうじゅさん)に向かう

ラージギルの町にはタンガと呼ばれる乗合馬車が似合う。ラージギルのバススタンドから1kmほど離れた温泉集落まで10Rpであった。地元料金の2倍くらいだが,移動しているときは荷物を持っているのであまり抵抗できない。

彼らの最大のかせぎは,観光客を乗せて霊鷲山を往復することだ。霊鷲山は温泉バザールから5kmのところにある。この岩山でブッダは弟子たちに法華経を説いた。

さすがに歩くのは大変なのでタンガを利用することにした。僕は半日で60Rpだった,通常は80Rpらしい。前日に08時出発と約束しておいたら,御者は06時から待機していた。僕が表に出ると御者がやってきて,すぐ出発となる。

上下動はあるものの乗り心地は悪くない。酷暑の中,馬車を引く小ぶりの馬にはちょっと気の毒だ。アスファルトの道路には,この時間からもう陽炎が立っている。馬は寒冷地に適応した動物なので,この暑さの中で馬車を引くのは大変なことだろう。

ときどき,御者のムチが飛ぶ。馬はいっとき足を速めるが,じきにもとのペースに変わる。僕はまったく急いでいないので,もっとゆっくり行ってもらってもいいのにと思うが英語はほとんど通じない。

多宝山(ラトナギリ)にはロープウェイで行くことができる

山のふもとに着くとたくさんのタンガが止まっている。インド人の観光客もけっこう来ている。ふもとからは二つの山が見える。左にある日本山妙法寺のストゥーパのある多宝山までロープウェーが出ている。

霊鷲山の参道を上る

しかし,霊鷲山までは整備された石段を登ることになる。ここを登るのは僕一人だ。仏典のいわれを知るよしもないインド人観光客にとっては,霊鷲山は苦労して登るような岩山ではないようだ。

幅2-3mほどの必要以上に広い道と階段が山頂まで続いている。道の途中にゴールデンシャワーがみごとな黄色の花房を下げている。バングラデシュやパトナで見かけた固い実をつけた木もある。

霊鷲山の山頂付近

山頂付近には45度ほどの角度で巨大な平たい岩が折り重なるように並んでいる。その背後には10mX6mほどの人の手で整地された小さな平地がある。

そこには大小2つのレンガで仕切られたところがある。一つはブッダが,他方はアーナンダが瞑想した場所といわれている。山頂の少し下には大きな岩の窪みがあり,天井は黒く煤けていた。そこは弟子たちが寝泊りしていたのかもしれない。

奥の部分には小さな金箔がたくさん貼られている。「霊鷲山のいわれは岩の一つが鷲の頭に似ているからだ」と頂上にいた自称ガイドが教えたくれた。さて,本当のところはどうであろうか。

霊鷲山からの眺望

荷物を頭に載せて運んでくる

再び結婚式の食事

王舎城跡地

ラージャガハ(王舎城)はブッダの時代,マガダ国の首都であった。周囲を5つの山が取り囲み外敵からの防御には適した地形である。現在はブッシュの生い茂るただの荒地になっている。一応インド政府が管理しているが,遺跡発掘はまったくされていない。

日本人のおじさん,若い旅行者と一緒に王舎城跡地を探検しに行ったことがある。2500年前の地層は現在のものより1-1.5mほど下にあるので,涸れた川の土手のような場所を探してみる。何のためのものか分からない直径2cmほどの素焼きの玉や土器のかけらが見つかる。

ブッダが竹林精舎で過ごしていた頃,確かにここにも人々の営みがあったことが分かる。どのような理由があったのか,王舎城は捨てられ,マガダ国の都はパータリプトラ(現在のパトナ)に移された。その後の王舎城がどのような運命をたどったのかは文献にも記されていない。

温泉寺院

正確にはラクシュミー・ナーラーヤン寺院というが,温泉が湧いており参拝者が温泉に浸かることができるので「温泉寺院」と呼ばれている。ラクシュミーはヒンドゥー教の女神でビシュヌの妻とされている。

ところが,温泉の近くにある小祠堂の前に置かれている石版にはカーリー女神が刻まれている。このあたりはヒンドゥー教のなんでもありというところかもしれない。

温泉寺院背後の山(西の丘)

ヒンドゥー寺院温泉の裏山も由緒ある場所のようだ。暑さに備え,温泉から汲んでおいた水を1.5リットルもって登り出す。暑い,石段を40歩上るたびに水が欲しくなる。

尾根に出ると右側には広大な農地が広がっている。ほとんどが一期作で乾期の今は茶色の大地となっている。山の頂上付近にはいろいろな宗教の寺院や遺跡がある。ジャイナ教,イスラム教,仏教,ヒンドゥー教と多彩だ。枯れた草の茎に蝶が羽を休めている。慎重に狙いを定めて一枚をものにする。

温泉バザールの結婚式?


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