亜細亜の街角
■ヒマラヤの見える町
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ペリン(シッキム)  (地域地図を開く)

ガントクの観光案内所でもらったシッキム紹介冊子に次のように書かれている。ヒマラヤのよく見える1800mの斜面に位置している。その地理的条件から(多くの旅行者が訪れるので),ホテルやロッジがきのこのように生えている。日本的表現だと「雨後のたけのこ」といったところである。

英語にも日本語と共通する言い回しがあることに感心する。しかし,ペリンは町ではないようだ。見晴らしのよい斜面にホテルが集中しているだけで,行政的にはどこかの村に付属している。そのため,同じ冊子の地図には地名だけが記載されている。

ラバングラ→ペリン 移動

ラバングラ(09:50)→ゲイズィン(11:35)(11:55)→ペリン(12:25)と52kmを乗り合いジープ(60+15Rp)で移動する。乗り合いジープはラバングラの町のT字交差点の近くから出ている。ペリン行きのものはなく,レグシップ行きのジープでゲイズィンまで行って,そこで乗換えとなる。

ジープの屋根に荷物を乗せる。運転手に出発時間をたずねると,「席が埋まったら」というあっさりした返事が返ってきた。乗客は僕しかおらずしばらく待つことになりそうなので,近くを歩いてみる。

北側の斜面が見えるところに行くとヒマラヤが見えた。右端にNASRING(5525m)がきれいな姿を見せている。その左側のカンテェンジュンガ(8598m)とカブール(7333m)は雲の上に少し顔を出している。シッキムに入って1週間でようやくヒマラヤに対面できた。感激しながら何枚も写真を撮る。

道路に戻るとジープは動き出すところであった。窓からしばらくヒマラヤが見える。ゲイズィンまでは棚田の風景が続く。ゲイズィンのジープ・スタンドでペリン行きはすぐに見つかった。ここから先は道路状態が良くない。

Hotel Garuda

ペリンはさすがにホテルが集まっており,逆に宿探しに苦労する。宿代は意外と高い。最初の宿ではダブルで300,400と言われ,道路の分岐点の小さな広場に面したガルーダに落ち着く。ここは200Rpで快適・清潔な部屋に泊まれる。

部屋は10畳,2ベッド,机,T/S付きでホットシャワーも使用できる。レプチャ人の家族経営のようで,きれいで感じのよい食堂ではローカール・フードも食べることができる。

夕食はチキンスープ,ベジモモ,ホットレモンにする。56Rpとインドの食事としては高いが,満足のいくものであった。ペリンも標高は2000m近いので夕方になると長袖2枚が必要になる。あたたかいホットレモンがここではよく似合う。

ペマヤンツェ僧院まで歩く

ガルーダ・ホテルでペリン周辺のトレッキング地図がもらえる。午後はペマヤンツェ僧院とラブデンシェ遺跡を見に行くことにする。ジープ道の周辺はスギの人工林になっており,その向こうは広葉樹の自然林である。

少年僧は工事に参加している

寺の建物の修理でもしているのか,10代半ばの少年僧がレンガを裏手に運んでいた。

ペマヤンツェ僧院

ペマヤンツェ僧院の外観は特徴が無く写真写りはいまいちである。しかし,内部の壁画は見るべきものがある。本尊はブッダ,グル・パドマ・サンババ,弥勒菩薩と多彩だ。左の建物には直径1mほどの巨大なマニ車が置かれている。

ペマヤンツェ僧院の入口を憤怒尊の壁画が飾っている。チベット仏教においては多くの仏,菩薩,護法神が存在する。仏や菩薩の多くは穏やかで人間的な姿をしている。一方,複数の顔を持ち,何本もの腕に武器を持ち,恐ろしい形相をした「非人間的」な神々も登場する。

これはインドの後期密教の影響であろう。護法神(ダルマ・パーラ)はチベット仏教で高い位置を占める。「ダルマ」は仏法,「パーラ」は守護者を意味する。憤怒尊は護法神のグループに属し,仏の世界の守護者である。憤怒尊は密教の不動あるいは降三世として日本にも伝来している。

ペマヤンツェ僧院の周辺施設

ラブデンツェ遺跡

ペマヤンツェ僧院からラブデンツェ遺跡方向に歩き出す。この遺跡はシッキム王国の2番目の都であった。すぐに遺跡が見える,直線距離は約500m程度とみた。しかし,いくら歩いても遺跡の入口に出ない。1kmほど下って入口があり,ここから遺跡までは1kmの登りである。

たくさん立てられた英語の看板に励まされながら遺跡に到着する。しかし,もう日暮れまでいくらも時間が無い。じっくり見るまもなく,駆け足で見学し,急いで宿に戻る。もっとも遺跡は石組みの壁と基壇しか残っていないのでこの程度の時間でも十分だ。

農業で生計を立てているのだろう

17時過ぎに町に戻ってくる

滞在2日目|ヒマラヤはかすかにしか顔を見せない

宿のテラスの鉢植え

防寒着の子どもたち

標高1900mのペリンでは朝夕はかなり冷え込む。寝るときは厚い毛布と薄い布団を重ねてちょうど良い。朝早く宿の周辺を歩いていると,出発待ちの家族が外に出ていた。子どもたちは日本でいう冬用の防寒着を着ている。女の子のスカーフがとても素敵である。

子どもたちの家族も同じような服装をしている。インドの平地から遊びに来た家族にとってはここの寒さは特別だろう。子どもたちは写真慣れしており,ちゃんとカメラ目線で写真に収まってくれる。

近くの村まで歩いてみる

ペリンの周辺はいくつかの散策ルートがある。ガルーダでもらった地図をもって2時間ほどの距離にあるダラップ村に向かう。ホテル街を抜けると感じの良いジープ道になる。

北側が谷になっており,向かいの斜面にはヤクスムに向かう道路が白っぽい帯になっている。道路下の谷の斜面は広葉樹の立派な森になっている。同じ緑でも樹木によりいくつかの段階に分かれている。

この地域では樹木と着生植物がせめぎ合っている

葉の感じからすると野ボンタンのようだ

ジープ道を通り学校に行く

頭上は切り立った崖になっている

草刈りから戻り沢からの水で顔を洗う

棚田(段々畑の風景)

ペリンの下の斜面(こちら側の斜面)はゆるやかでのどかな棚田になっている。それに対して向かいの斜面は急傾斜である。その斜面にも棚田が造られている。いくら棚田とはいえちょっとやり過ぎではないか。このような棚田は長持ちするのであろうか。雲南を旅行したとき維持されなくなり,崩れてしまった棚田を見た。アジアの農業技術の宝物も,やはり適用限界がある。

大きな株を形成する

人の手の入っていない森も残されている

しょうがに似た葉をもった植物

今日の村行きは寄り道が多い。ジープ道から小さな谷沿いの道があったので登ってみる。いろいろ珍しい植物が見られたが,じきに道は終わりになる。しょうがに似た葉をもった植物の根本には,「福寿草のような小さな花」が咲いていた。まるで,大きな植物に寄生しているような感じを受ける。

帰国後に調べてみるとおそらく「ハラン」の仲間であろうという結論に達した。原産地は中国で江戸時代に園芸品種として日本にも入ってきている。名まえはランとなっているが「スズラン科あるいはユリ科」の植物である。

茎(根茎)は地中を這っているので,葉は地面から直接伸びる。同じように花も地面から直接咲く。こんな地面すれすれに咲く花の花粉を「ダンゴムシ」が媒介することを見つけ出したのは,日本の加藤真人である。それはわずか10年前の1995年のことである。

ここではゼンマイも大きい

茎に比して葉がとても大きい

再び段々畑の風景となる

これがダラップ村なのかな

出発してから3時間たっても目的地には到着しない。結局,5km,標高で400m下ったところにダラップ村があった。ゆるやかな棚田が広がる平和な村だ。農作業をしているおじいさんの写真をとらせてもらう。

薪材をトラックに積み込む7

路わきにトラックが止まっており,男たちが斜面から薪にする木を落としてくる。トラックの男たちがそれを積み込む。一枚撮ると9名の男たちが集まり集合写真になる。

ダラップ村の風景

チベット系の家を訪問する

帰り道はずっとゆるい上りが続くけれど,風景を楽しみながら歩くのでほとんど苦にならない。チベット系の家では子どもの写真を撮り,ヨーヨーを作ってあげる。

炒ったトウモロコシを水につけ,臼と杵でついている。これを乾燥させて食料にするようだが固くて簡単には食べられない。

もうペリンの町は近い

沢の水をタンクに入れる

洗濯の一家

道端にランが咲いている

道で出会った村人であろう

雨宿りとなりバイクに送ってもらう

帰りは雨に降られ,ガケ下で雨宿りをしていると通りすがりのバイクが町まで行ってくれた。

子どもたちが学校から帰る時間である

お兄さんが裸足で出てきて写真に加わった

この年頃の女性とも気軽に写真を撮ることができた

さきほどの子どもが3人に増えた

ヤギは自動芝刈り機の別名がある

今日のヒマラヤはなにか期待できそうだ

今年のヒマラヤ山麓はちょっと異常気象であった。乾期なのに雲が多く,ヒマラヤがほとんど見えることがない。それでも,2日目の朝は05時台に40分ほど,3日目の朝は05時台と08時台にそれぞれ30-40分ほど雲の上に顔を出してくれた。ここではまさに「早起きは三文の得」である。

宿の屋上に行き,いろいろな設定で写真を撮る。こんなときは一眼レフと三脚が欲しい。中央左の台形状の山はカブールの南峰(7317m)と北峰(7333m)である。日の当たっている部分は白く輝いており,当たっていない部分は暗い影のようになっている。

その右の小さなピーク(タルン)でも7340mある。その右の少し雲がかかった山がカンチェンジュンガ(8598m)である。ようやくはっきり見える東ヒマラヤに感激しながら何枚も写真にする。世界第3位の高峰に出会うためにシッキムに来たのだから。


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