亜細亜の街角
■茶園に囲まれた静かな町
Home 亜細亜の街角 | Srimongal / Bangladesh / Mar 2005

スリモンゴル  (地域地図を開く)

バングラデシュ北東部のシレット地区にある小さな町。北には1000m級のメガラヤ丘陵が,東には2000m級のアラハン山脈が南北に走っている。雨期にはベンガル湾の水分を含んだモンスーンがメガラヤにぶつかり,上昇気流となり大量の雨をもたらす。

メガラヤの南面は世界でもっとも降雨量の多い地域であり,年間降水量の世界記録24,465mmをもっている。これらの水が大河メグナ川の水源となっている。また,スリモンゴルの東は数十kmでインド国境に達する。イギリスによるお茶のプランテーションが,この地域でも広められ,現在でも町の周辺は広大な茶園になっている。

ダッカ(200km)→スリモンゴル 移動

ダッカ中央駅(13:30)→スリモンゴル(20:50)と列車(110タカ)で移動する。スリモンゴル行きのチケットは前日にコムラプール駅(ダッカ中央駅)の窓口で購入した。窓口で「明日,スリモンゴル,急行」と書いたメモを出すと,時間を書いてくれたのでその中から13:30発を選択した。

当日は宿からコムラプール駅までリキシャ(20タカ)で移動する。さすがにダッカのリキシャーは高く,地方都市の2倍,1kmあたり10タカにつく。チケットにはコーチ番号とシート番号が記載されている。駅員にプラットホーム番号を確認し,乗客にコーチ番号を聞き,ようやく車両に乗り込む。シート番号もベンガル語で書かれているためこれも乗客に聞くしかない。こんなとき,バングラデシュの人々はとても親切なので助かる。

列車は定刻に出発した。出発前にはイスラムの祈り,定刻にはアザーンが車内放送で流れてくる。ようやく風が入ってくると思ったらほこりがひどい。ダッカを抜けるまで線路脇はスラムかゴミ捨て場になっているためだ。

ダッカを離れると景色は一変し,見渡す限りの水田地帯が続く。この辺りは「緑の革命」による乾期米の産地なのだ。列車の窓にはガラスが入っていないので写真を撮るにはありがたい。起伏の無い大地が続き,はるか遠くの林まで見渡す限りの水田である。列車はスリモンゴルまでの200kmを7時間かけて走り抜けた。

Tea Town Hotel

スリモンゴルの駅に着いたのは21時近かった。同じボックスの乗客が,僕がスリモンゴルで泊まると話すと,ホテルまで案内してくれた。「Tea Town」とはお茶の町にふさわしいネーミングだ。建物は新しくて部屋は150タカ,1ベッド,蚊帳,T/S付き,とても清潔である。

乾季の雨

スリモンゴルの夜はけっこう涼しかった。薄い布団をかぶって寝てちょうど良かった。06:30に起床し昨日の日記を書き出す。日記を書き終わり,さて出かけるかと部屋から出ると空模様が怪しい。

廊下の窓から見ると,町の上空は積乱雲が集まったような雲に覆われている。一雨来そうだなと思っていたら,風が吹き出し,雨が降り出した。ホテルの戸口に立ち,この旅行で初めての雨を眺める。

雨上がりの町

それほど強い雨ではなく,乾期の植物にとっては恵みの雨であろう。1時間足らずで雨は止んだ。通りは湿り,ほこりが立たなくて助かる。メインストリートの交差点には交通整理の警官がポケットに手を入れてただ立っている。車の交通量が少ないので特に交通整理の必要は無いようだ。

墓地ではなく特別の植樹のようだ

街の一角に塀で囲われた墓地がある。と思ったら墓地ではなく,特別の植樹のようだ。幼木の一つ一つが竹を編んだ囲いで囲われ,それぞれにプレートが立ててある。

近くの家で子どもたちの写真を撮る

子どもたちの絵画教室

近くの家で子どもたちの写真を撮り,駅に向かうつもりで東に歩いていたら,いつの間にか田舎道になる。小さな建物の前にたくさんのサンダルが置かれていたのでちょっと覗いてみる。中では30人くらいの子どもたちが絵を習っている。壁際には何人かの母親が子どもたちの学習を見ている。

子どもをあやす

集落の子どもたち

貧困の風景

水田の一部がゴミ捨て場になっており,そこで資源ごみを拾う子どもたちがいる。「緑の革命」によりバングラデシュの伝統的な農村社会は崩壊に瀕している。伝統的にこの国では雨期に稲作,乾期に野菜等を栽培してきた。

それが「緑の革命」により乾期だけに稲作を行う「乾期米のモノカルチャー体制」に変わった。ブミヒンと呼ばれ農作業の手伝いなどで生活してきた土地なし農民は,雨期の仕事が無くなったため農村で暮らせなくなる。

そのような人々は都会に流出し,新たな貧困層を形成することになる。工業化が進展していないバングラデシュでは,彼らが雇用される環境はまったく整っていない。もちろん,他の理由でもこのようなことが起こり得る。いずれにしても,農村でこのような光景を見るのは切ない。

水を運ぶ

ポンプの設備があるところでは真ちゅうの容器に水を汲んでいる女性たちがいる。水が一杯になると彼女たちは,容器を頭に載せて歩き出した。4人とも裸足だ。子どもたちが運ぶ容器は1個であるが,若い女性は三段に積み上げたものを運んでいる。

バランスが悪いと水がこぼれる。子どもの服はだいぶ濡れている。集落に到着して水運びの訳が分かった。集落で唯一の手押しポンプが故障している。そのため女性と子どもは重労働をしなければならない。

それにしても,手押しポンプが故障してそれを村人の手で修理できないとはどういうことなのだろうか。ぼくが子どもの時代は日本でもまだ手押しポンプが使用されていた。

水を吸い上げるためポンプの内部で上下する蕪(かぶら)という部品の外側が磨り減ったり,弁がとれたりといった不具合は自分で修理したものだ。この国のポンプは僕の使用していたものとそれほど変わらないようだが。

故障したポンプの周りには子どもたちがいるので,写真を撮り画像を見せてあげるとすぐに人だかりができる。集落の道では燃料にする小枝を運ぶ親子もいる。「ちょっと止まって」と声をかけると立ち止まってくれた。

乾いた畑では少年たちはクリケットに興じている。クリケットは野球の原型となった英国発のスポーツである。非常に試合時間が長く,2日に及ぶこともあるという。インド圏では日本の野球と同じようにどこに行ってもクリケットに興じる少年や青年を見かける。

突然,彼らはゲームを中断して,竹林の下に集まった。上のほうで小鳥が罠にかかり,もがいている。一人の少年が竹に登り小鳥をつかまえた。足が黄色くムクドリくらいの大きさだ。食用にするという。さすがに気の毒になり,10タカと小鳥を交換し,逃がしてあげた。舌切り雀にあるような小鳥の恩返しは特になかった。

第二の水汲み場を発見

この辺りでは個々の家には井戸が無いので,女性や子どもたちが近くの井戸に水を汲みにくる。手押しポンプの回りはいつもたくさんの人が順番待ちをしている。バングラデシュでは近くに井戸があるので女性たちの水汲みの仕事はかなり楽であろう。

水を運ぶ容器はしんちゅうの壺と相場が決まっている。彼女たちの回りにはたくさんの壺が並んでいる。どのようにして磨いているのか壺はぴかぴかに磨かれている。

水汲み用の広口の壺は下が丸くなっているので重ねることができる。女性たちは2段に重ねた壺を頭に乗せ,家まで運ぶ。子どもは一つだけを運ぶ。水場の回りの人間模様は見ていて飽きない。

集落の中では子どもたちから写真のお願いが多い

金属容器を売り歩く

どこまで行っても直線の線路

レンガを運ぶ

線路の向こう側には小さな茶園がある。茶木の交代時期なのだろうか,大きな木の周辺にはたくさんの若木が植えられている。このような若木の手入れのため,たくさんの女性が茶園で働いている。若木の根本には稲ワラが敷かれている。これは雑草を防ぎ,土地の乾燥を防ぐためのものであろう。

茶園の横に集落の道があり,女性たちがレンガを運んでいる。レンガを10個積み上げ,これを頭に乗せている。レンガは1個で1kgほどもあり重労働だ。彼女たちの後をついていくと,線路の脇にレンガの山が置かれていた。

何人かの男性がレンガを積み木のように積み上げており,女性はそこからレンガを取り,頭の上に乗せている。これでは男女の役割が逆であろう。それにしても集落内では男性が働いている姿はほとんど見かけなかった。

このところ露出が強めの写真となる

残った水で洗濯をして体を洗う

小さな茶園を発見

燃料を調達するのも女性たちの仕事である

スリモンゴル駅

リキシャーで遊ぶ

イスラムの国では若い女性の写真は難しいのだが・・・

額横の黒い化粧は魔除けの意味があるという

2つの尖塔をもつイスラム風の古い建築物

街に戻り,今度は間違えずに駅に行く。小さくても小ぎれいな駅だ。ここでラクシャム行きのチケットを買い求める。駅の東側から線路を越えて南側を歩く。線路の近くには2つの尖塔をもつイスラム風の古い建築物があり,これはよいランドマークになった。

デイゴ

デイゴ(Erythrina variegata|マメ科)はインドやマレー半島が原産の落葉高木である。日本でも沖縄には自生できており,春から初夏にかけて咲く赤い花がみごとである。

1967年に県民の投票により「沖縄県の花」として選定された。もっとも,デイゴが見事に咲くとその年は台風の当たり年になるという言い伝もある。

落葉樹ではあるが全体が落葉するのではなく,花が咲く枝が落葉する傾向がある。花は高い所の枝先に固まって咲くのでアップの写真は難しい。幸いなことにここでは池の上に伸びた枝先に咲いており,アップの写真にすることができた。

デイゴの花は種によってかなり幅があり,この花は沖縄のものと類似している。インドのエローラで見かけたものは花の色も咲き方もだいぶ異なっていた。

身体を使った労働がたくましさを生む

重いところをごめんね

この子どもたちを撮って

すぐにたくさんの子どもたちが集まる

結婚式の家

結婚式の印があり,村人が大勢集まっている。結婚式の家の中には入れてもらえなかったので,近所の家に集まっている子どもたちの集合写真を撮る。着飾った女性たちも気軽に写真に応じてくれる。人々の顔立ちはベンガル人とは異なる。かといって東アジア人のそれでもない。

広大な茶園

ここから少し南に行くと広大な茶園がある。看板には「Finlay Tea, Baraoora Estate」と記載されている。バングラデシュの茶園はもっと北にあるシレットが有名である。しかし,スリモンゴルの茶園も立派なものだ。

スリモンゴルの標高は50m,この亜熱帯の気候でもお茶が収穫できるのだ。はるかかなたまで茶園が広がっている。よく手入れされたお茶の木が等間隔に並んでいる。日差しを和らげるためところどころにマメ科の木が植えられている。時期が悪いのか茶摘の風景はどこにも見られなかった。

西日の方向(メッカの方向)に祈りを捧げている

水が削った茶園の横の斜面を牛飼いが群れを追っている。斜面には背の高い草はほとんど無い。背の低い草は地面近くまで削られており,芝生のようになっている。薄い雲のため西日が弱々しく輝いている。イスラム帽を被った一人の男性が芝生の上に正座し,西日の方向に祈りを捧げている。どのような場所にあっても祈りの姿は美しいものだ。

食事はどこで食べられるのかな

スリモンゴルの街にはたくさんの食堂風の店がある。しかし,その多くはお菓子屋である。この街の人々はよほど甘いものが好きなようだ。ようやく探し当てた食堂にもお菓子は置いてある。このお菓子を食べ損なったのはちょっと残念だ。

夕食はマトンカリーとチャーイで33タカか36タカである。日によって値段が異なっていた。基本的にはごはんとカリー(マトン,チキン)で33タカ,チャーイが3タカということになる。ごはんの代わりにチャパティという選択肢はあるが,やはりごはんの方がずっと食べやすい。

この食堂は近辺ではもっとも衛生状態は良さそうであるが,それでも汚れた雑巾でテーブルを拭き,それをテーブルの足を支える横木に引っ掛けておく。雑巾の一部は床に触っている。食事の終わった食器は隣の小部屋のコンクリートの床の上で洗っている。

それでも,旅行中にはほとんど腹具合は悪くならなかった。環境因子に刺激されて僕の免疫力が活性化されてきたのかもしれない。

街で手に入る果物はオレンジかブドウである。今日はオレンジ4個(40タカ)とぶどう一房(30タカ)をいただく。オレンジは甘み,水分ともに合格品である。オレンジ1個が10タカである,卵つきの朝食が10タカであるこの町ではとても高いものに感じられる。

オオギバショウ

フウチョウソウのお花畑

街の北側を歩いてみる

夜に日記を書いていると蚊に刺されるし,街の音がうるさい。バスルームの上のスイング窓が開いており,寝る前に従業員に言って閉めてもらう。これで住環境は改善された。

06:30に起きて,昨夜の食堂に行く。雨が適度に降ったので,通りはほこりが立たなくなり助かる。朝食は薄いナン(チャパティ),オムレツ,ダルの組み合わせで10タカである。肉が入らないとずいぶん食事は安くなる。

街の北側を歩いてみる。じきに住宅街が途切れて農村地帯になる。乾期米の広大な水田のあちらこちらに,農家やそれを囲む屋敷林が島のように点在している。

乾期米をやっていない乾いた水田も最近の雨で緑が濃くなっている。田舎道を水牛を連れた農民がゆっくり歩いてくる。近くの空き地で草を食べさすためであろう。もう少ししたら彼らは重い鋤を引かなければならない。

集落は水田に囲まれて点在している。その一つを訪問していみる。家の壁は竹板を編んだものもしくは泥でできており,屋根はほとんどがトタンである大人も子どもも写真に対して拒否反応は無い。子どもたちが集まってきたので集合写真を何枚か撮る。

画像を見せてあげるとおばあさんが「孫と一緒に撮ってくれ」と壁の前に並ぶので記念写真にする。子どもたちにはお礼にキャンディーを1個ずつ配る。集落の人々は境界の小道まで見送ってくれた。

一つ目の学校

次の小さな集落には2つの学校があった。一つは青い制服の子どもたちがいる小学校である。カメラを出すと教室からも子どもたちがたくさん出てくる。人数が多すぎて収拾がつかないので,男女別に分けて写真を撮る。

水牛と一緒に畑に向かう

草も重要な収穫物である

軽くガスのかかった緑のじゅうたん

家畜のための草を運ぶ

村の小道はレンガが敷かれており,その横は用水路になっている。男性2人が刈り取った草をカゴに入れ,天秤棒の両側に吊るして運んでいる。この国ではその辺りに生えている草も重要な資源なのだ。用水路にかかる竹を渡した橋を別の男性が同じように草を運んでいる。当然バランスが悪いので横にある手すりの竹棒をつかんでバランスをとっている。

粘土を積み上げて雨期でも冠水しない道にしている

お仕事中に失礼します

粘土を掘り出す

この家だけはなぜか孤立している

二つ目の学校はイスラム学校であった

もう一つは厳格なイスラム学校である。男子生徒は白いシャツにイスラム帽を被っており,女子生徒は白い上着にスカーフを着用している。先生に案内されて教室の中で撮らせてもらった。

結婚式の家

集落の近くに結婚式が行われていた。家の前に小学校で会った青い制服の子どもたちが集まっており,まず子どもたちの写真を撮らされた。家の中では珍しく花嫁さんと花婿が並んで坐っている。

周囲の女性は服装はおおむねサリーである。花婿は白い長い上着にドーティを着ている。服装からするとヒンドゥーの結婚式なのかもしれない。ビデオ撮影用の光源を借りて一枚撮らせてもらう。

駅の横に市場がある

午後は駅の西側を歩こうとするとその前に市場があったので一回りをしてみる。魚は5cmに満たないものから1mもありそうな巨大なものまである。当然,すべて川魚である。売り手がエラを開いて新鮮さを見せてくれる。

野菜屋ではようやくトマトが手に入った。小さめのもの5個で3タカとは,生産者に気の毒な値段だ。竹カゴ屋もある。手作りのはずなのに20個ほども重ねることができるので,大きさはちゃんと揃っている。竹の青い表皮を上手に使って縁の部分や途中の部分に色のアクセントを添えている。

薪屋の前にはたくさんの薪が束ねて積んである。まだまだこの国ではエネルギーの多くを薪炭材に頼っている。しかし,その文化ももう限界であろう。

竹製のザルは村の生活には欠かせない日用品である

燃料は薪炭材が主流である

ヤギ市はすでにお終いのようだ

市場の外れにはたくさんの竹ざおが地面に刺してあり,売り物のヤギがつながれている。しかし,このヤギ市はすでにお終いのようだ。買い手はどこにもおらず,売り手は手持ち無沙汰に立っている。もう今日の商いはあきらめて,ヤギを連れて帰る人もいる。

木製の鋤

メインストリートの近くで男たちが何かを売っている。木を削ったものでちょっと変わった形をしている。形から考えると木製の鋤であろう。一戸あたりの農地面積が少ないバングラデシュでは,田畑の荒起こしは牛と鋤を使って行う。通常,鋤は鉄製のものが多いが,ここでは木製のものが使用されている。客は形状を吟味し,必要なら形状を一部手直しする追加工を要求するようだ。

イスラムの青空教室

の生えた芝生のようになっている。少し先の建物の前に子どもたちが集まっている。彼らの前には白いイスラム服の男性がおり,何かお話をしている。

子どもたちはときどき胸の前で両手で水をすくような格好をする。これはムスリムの人々が神の言葉を聴くときにするものだ。彼らの姿はとても良い絵になる。しかし,15時過ぎだというのに暗いのかシャッター速度がひどく遅く,一人がちょっと動いただけでブレてしまう。

ここでも女性たちはレンガをくだいている

集落を歩いていると子どもたちが目ざとくカメラを見つける

写真が一枚で終わることはめったにない

人々は賃仕事を求めてここに集まっている

すてきな制服の女学生

いつもの食堂で朝食をとり,市場を見に行く。日曜日のため魚屋も野菜屋もいない。唯一,レモンの卸売りだけが道の両側に箱いっぱいの青いレモンを並べている。

ここでは子どものリキシャーに付きまとわれいたので仕方なく宿まで乗ることにした。当然5タカのところを15タカも請求されあきれる。5タカのコインを座席に置いて別れる。

今日の移動は昼過ぎの列車なので駅の東側を適当に歩いてみる。この3日間,スリモンゴルの地図も無いにもかかわらず,この地域の田舎をよく回れたと思う。

学校に子どもたちが集まっている。女生徒は白いズボン,水色の長い上着に,白いスカーフを被っており絵になる。そばによってくる男子生徒をあしらいながら,男女別に写真を撮る。

イスラムの国ではスカーフ姿の女生徒はめったに写真にとれない。先生がやってきて「可愛く撮ってあげなさい」というように,女生徒を並ばせてくれた。たくさんのかわいい被写体をとれてちょっとご機嫌である。

一方,次の学校は校門の前にガードマンが立ち,校庭の写真も断られた。生徒たちはリキシャーで通学しており周辺の学校との格差は大きい。

大きな音楽を流している家がある。どうやらクリシュナに祈りを捧げる催しのようだ。テントの中には何枚ものクリシュナの絵が飾られ,その前には供物が置かれている。家人の話では楽師たちは2交代で24時間演奏し唄い続けるという。

3人の子どもたちに昨日この街で仕入れたフーセンをあげたところ,次は3人,その次は5人とやって来て,とうとう家の大人が子どもたちの出入りを禁止した。


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