シャンドール峠はギルギット側の北部地域と,チトラール側の北部辺境州を隔てている標高3720mの峠である。ギルギット(250km)→シャンドール峠(160km)→チトラールのルートは風景がとても素晴らしいので旅行者にも人気がある。
ちょっと前まではこのコースには公共交通機関がなく,移動はいつ来るか分からないジープに頼っていた。さらにその少し前はジープ道もなく,徒歩か馬でしか通れない「天空の地」であったという。
現在ではNATCOのバス(225Rp)がギルギット(08:00)→マスツージ(20:00)で毎日運行している。道路沿いにはグピス,パンダール,マスツージなど宿泊施設のある集落がいくつかある。
このルートは長期旅行者の冒険心をくすぐるらしく,グループで馬に乗って峠を越えたという話もある。シャンドール峠が旅行者にも知られるようになったのは,1833年から続いているポロの試合であろう。
この伝統行事はシャンドール峠が東のチトラルと西のギルギットの分水嶺となっていることから,毎年7月に双方の代表によるトーナメント試合が行われる。標高3700mで行われるポロの試合なので人も馬も大変なものだろう。驚くのはこの3日間の試合に3万人もの人が集まるという。
注)ポロは英国で考案されたスポーツである。通常4人がチームとなり,馬に乗ってマレットと呼ばれるスティックで球を打つ。この球を相手チームのゴールに運べば得点となる。人馬一体となってグランドを駆けめぐる非常に勇壮なスポーツであるが,競技人口はごく限られている。
特等席からの眺め
NATCOのバススタンドはギルギットの西の外れにある。スズキで街の大通りを西に向かい,モスクの先で下ろしてもらう。少し歩くと左に小さな広場があり,小型バスが停まっている。事務所でパンダールまでのチケットを買う。
これで一安心,時間があるので近くの食堂で朝食をいただく。ナンとミルクティーで10Rp,お腹はいっぱいになるが栄養は明らかに偏っている。パキスタンに入って以来,フンザ以外では野菜のかけらくらいしか食べていない。どこかで取り返さなければならない。
荷物をバスの屋根に載せて運転手のとなりの席を確保する。フロントガラスがきれいなので,この位置から谷を正面にした写真が撮れると考えたからだ。この作戦は当たり,谷を正面から見るアングルでたくさん写真を撮ることができた。
ギルギットを出てからしばらく田園風景が続く。とても感じの良い地域である。その後,ギルギット川沿いの道が延々と続く,水は青く澄んでおりフンザ川と合流後のギルギット川の灰色とは対照的だ。川は広がったり,狭まったり,急流もあればゆったりした流れにもなる。川の周囲には緑が多い。緑の谷,清流,その奥にそびえる雪を頂いた山々,絵のような風景が続く。
道路工事
パンダールまでの道路はほとんど舗装されている。しかし,舗装部分は狭く,バスとジープがすれちがうときはほとんど道幅ギリギリである。運転手はこの悪条件をものともせず的確に運転していく。数多くある段差を見逃すこともない。
この道路の周囲は急斜面が多いのでがけ崩れは日常茶飯事である。バスは小さな崩落箇所を慎重に乗り越えていく。大きな崩落が起こるとジープでも通行不能になり補修工事が行われる。
12:00にグピスに到着し昼食となり,乗客と一緒にチキンカリーをいただく。代金を払おうとすると乗客の一人が僕を制して払ってくれた。北部パキスタンでは何回か経験しているので,僕は「ありがとうございます」とお礼を言うしかなかった。
2kmほど歩いて戻ることになった
バスはパンダールの集落を通り越してしまった。車掌は5分くらいで集落に出ると言うが,実際には2kmほど歩くことになった。まあ,風景がきれいなのでそれほどひどい事態ではない。
Tourist Inn Phandar
パンダールは本当に小さな村で,道路沿いに200mほど家が並んでいるだけだ。「Tourist Inn Phandar」は村で唯一の宿で,ドミと個室(150Rp)がある。ドミには屋根はあるが壁は無い。外との境界に金網があるだけだ。
夏とはいえ標高3000m近い場所では厳しすぎるので,ちゃんとした部屋になっている個室にする。部屋は6畳,2ベッド,T/S付きで,まあまあ清潔である。電気の配線は来ているがずっと停電が続いており,復旧のメドは立っていないとのことなので,1泊で移動することにする。
パンダール村(標高2900m)
今日の宿を確保して周辺を散策する。この辺りの谷の巾は200mくらいで,道路の南側はすぐ山が迫っている。北側は開けており麦畑や牧草地になっており,その向こうにパンダール川がゆったりと流れている。
パンダールの子どもたち
麦の束をロバに積んでいるおじさんの写真を撮ると,子どもたちがたくさん集まってきて集合写真になった。雲が出てきて突風が吹き出したので散策を早めに切り上げて宿に戻る。
パンダールの一夜は決して快適ではなかった。夕食はいつまでたっても出てこないし,ベッドも清潔とは言いがたい。夕方から風が出てきて温度は急激に低下した。
明け方は冷え込む
夜は星が見えていたのに,朝になると一面の雲に覆われている。ギルギットで買ったビスケットは砕けており,その破片とチーズ,リンゴで朝食をいただく。このルートの食料事情は悪いので,非常食を用意しておくのが正解である。
外に出ると風があり寒さが身にしみる。地元の人たちも思い思いに防寒着を着ている。それでも陽が射すとともに風も弱くなり少しは暖かさを感じるようになる。宿のすぐ横を小川が流れている。その水の一部を利用して水車小屋で石臼を回し,麦を粉にしている。村人がロバに麦を積んでやってくる。これはなかな良い被写体になる。
15時過ぎにバスがやってきてなんとか乗り込む
道路沿いでマスツージ行きのジープを待つことにする。しかし,目指すものは全く通らない。宿のスタッフは4000Rpでスペシャル・ジープを出すと言う。いくらなんでも高すぎて話にならない。
昼過ぎに突風が吹き,雨も降り出したので宿に戻る。結局,15時過ぎに昨日と同じ時間にバスがやってきた。ただし,ほぼ満員で最後尾のきゅうくつな席をようやく確保した。
標高3000mのサッカー
パンダールから先は舗装がなくなり,ひどい振動と揺れである。出発してすぐに標高3000mの見晴らしのよいところで止まった。サッカーの試合をしているので休憩するという。なるほど,大勢の観客が下のグランドの試合を観戦している。こんなすごい所に学校と思われる建物まである。
シャンドール峠
18:00にシャンドール峠に到着する。シャンドール越えのルートには5ヶ所の検問所があり,その度に外国人登録ノートに記帳しなければならない。
シャンドール峠でも検問があり,係官がやって来るまでのわずかな時間に峠の風景を撮影をすることができた。シャンドール湖を取り巻くように痩せた草地が広がっている。荒涼とした風景のところどころに牛が固まっている。
マスツージで1泊する
バスは夕暮れ時にマスツージの手前のガソリンスタンドに到着した。ここで乗客はバスから降りて1kmほど歩かされる。バスは狭いジープ道をかろうじて通り乗客に合流する。
20:00過ぎにバスはマスツージ村の名前のない宿に到着し,他の乗客と一緒にここのドミに泊まることになる。ベッドと床の部屋があり,僕はベッドの方を選択した。ベッドの清潔度はなんとか泊まれるレベルである。1泊2食付で130Rpは割高である。
強制的に出発させられる
今日はマスツージ(06:00)→ブニ(07:30)→チトラル(10:00)と移動する。朝起きると両足に赤い斑点がたくさん付いている。ここかパンダールのどちらかでシャンドール名物のダニか南京虫にやられたらしい。幸い話に聞くほどひどいことにはならずに済んだ。
04:30起床,すぐに朝食,06:00に強制的に出発となり,近くのジープに乗り込む。昨日から一緒のパキスタン人のおじさんが料金の交渉をしてくれたのでチトラールまで100Rpである。ジープは川沿いの悪路をけっこうな速度で走る。無蓋の荷台から雄大な風景を楽しみ,振動に耐えて写真を撮る。
雪山の風景
ジープ道はマスツージ川に沿って続いている。緑の多い谷でその背後には切り立った雪山が見える。道路の片側は急な崖になっており,がけ崩れが方々にある。
ジープはがけ崩れの地点を慎重に進んで行く。左の車輪は路肩から30cmしか離れておらず,そのはるか下にマスツージ川が流れている。落ちたらそれまでである。ブニから先は舗装されておりスリリングな振動の旅は終わる。