パキスタン北部は東はヒマラヤ山脈,西はヒンドゥークシ山脈,北はパミール高原が広がる世界有数の山岳地帯である。1947年にインドとパキスタンは分離する形でイギリスから独立する際,カシミール州の帰属が問題となった。
2度の軍事衝突を経て,現在は停戦ラインが事実上の国境となっている。現在もこの停戦ラインを挟んで両国の軍隊が対峙しており,お互いに相手側地域の領有権を主張している。
ギルギットはこのような領土問題を抱える北部地域最大の町であり,パキスタンと中国あるいはチベットを結ぶルートの中継地点である。
標高は1500m,北部地域としては立派な商店が並び,適正価格で日本語対応のインターネット・カフェもある。ヒマラヤ山脈にさえぎられているためモンスーンの影響が少なく,年間降雨量は少ない。
ギルギットは西から流れてくるギルギット川沿いに開けた町である。北から流れてきたフンザ川はギルギット川と「A点」で合流し,ギルギット川になる。ギルギット川は少し南側の「B点」で東からのインダス川と合流し,インダス川としてパキスタンを二分してアラビア海に注ぐ。
「A点」からギルギット川沿いに西に向かうとシャンドール峠を経由してチトラルに至り,「B点」からインダス川沿いに東進するとスカルドゥ,さらには世界第2位の高峰K2のベースキャンプに至る。
どちらのルートも風光明媚であり両方を制覇したいところであるが,日程の都合もあり今回はチトラルに向かうことにした。
アリアバードで乗り合い自動車を待つ
フンザ(10:00)→アリアバード(11:10)→ギルギット(14:30)→市街地(15:00)とバス出移動した。フンザからギルギット方面に移動するためにはまずカラコルム・ハイウエー沿いのアリアバードに出なければならない。
カリマバードからワゴンが出ているとは知らずにKKHまで歩いて行く途中で親切な車に拾われた。車はアリアバードまで行ってくれたので,ここからギルギット行きの乗り合いワゴンをつかまえることができた。こんなところにもキップ売り場があるのにちょっと驚く。
フンザ→ギルギット 移動
下るにつれてフンザ川は水量を増し深い谷を刻んでいる。この川の風景はすばらしい。13時に昼食休憩になる。ここでは山からきれいな水が流れ落ちてきている。氷河の灰色の水を見慣れていたので,この水は本当にきれいに感じる。
ワゴンはギルギットの町の外にあるバススタンドが終点であった。運転手は5Rpの「スズキ(乗り合い軽トラック)」で町まで行けと言う。近くに止まっているスズキの運転手に「New Tourist Lodge」と伝えると,エアポート・チョウク近くの交差点で降ろしてもらえた。
New Tourist Lodge
そこから500mほど歩いて「New Tourist Lodge」に到着した。このゲストハウスは日本人女性が経営しているため,ほとんど日本人専用になっている。
個室(150Rp)は8畳,2ベッド,T/S付きで十分清潔である。本棚には日本語の本が並んでおり,こんなところで「風の谷のナウシカ」を読んでしまった。また,日本食もあるので,旅の途中で日本が恋しくなったらここに来ればよい。
2007年に再訪したところ,経営者の日本人女性は日本に戻ってしまい,パキスタン人が経営を引き継ぎ,変わらぬサービスを提供している。
ギルギット川
フンザ川はギルギットの少し北側で西のシャンドールから流れてきたギルギット川と合流しギルギット川となり,名まえを変える。さらに30kmほど下流で東のスカルドゥからのインダス川と合流しインダス川となる。
宿から歩いて5分のところに車も通れる大きなつり橋がかかっている。氷河の融雪水を集め,ギルギット川の水量は多く流れは速い。氷河が削った大量の鉱物を含むため灰色ににごっている。
町の人が橋の写真はダメと言うのでこっそりカメラに収める。雨が少ないせいか,緑は川の周辺に限定されている。周囲の山にはまったく緑はなく,荒涼とした景色になっている。つり橋はここと上流側の2ヶ所にあるので,1周するといい散歩コースになる。
パキスタン北部の男たちは平地の人とはかなり異なる風貌をしている。中にはほおひげを蓄えた怖〜いおじさんもいるが,陽気で単純ないい人ばかりで旅人をもてなすのが大好きだ。僕も何回か車に乗せてもらったし,食事をおごってもらったこともある。
彼らの大好きなスポーツがポロである。馬に乗ってゴルフのパターのようなステッキでボールをたたき,相手のゴールに入れるポロというスポーツは勇壮だ。人馬一体の激しいスポーツなので男たちは馬の調教に余念が無い。
街の食べ物
宿の前の通りを街の方に歩いていると,セイロのような大きな金属鍋を見かけた。店番の男の子に頼んでふたを開けてもらった。中はせいろになっており,餃子か包子のようなものが蒸されていた。ナンとチャパティの国でこのような食べ物に出会うとは奇遇である。しかし,誰がどのようにして食べるのであろうか。見たところ,箸はないし,醤油もない。
7月上旬,パキスタンはマンゴーの季節であった。産地はパキスタンの南部とのことである。乾燥している南部でマンゴーが栽培されているとは知らなかった。
大好きな果物なのでいくつかの店をチェックしてみたが,瑞々しさからはほど遠いものしかないので諦めた。代わりにマンゴージュースをいただく。生ジュースは1杯12Rp,残念ながらこちらも期待していた味ではなかった。
中国からパキスタンに移動して感じたことは,羊の串焼きが目だって少ないことである。パスーやグルミットにはなかったし,フンザでは1軒しか見当たらない。
さすがにギルギットではたくさんのシシ・ケバブ屋がある。串2本とナンで20Rpは,中国と同じくらいの物価水準である。残念ながら味は中国の方に軍配を上げざるをえない。野菜も不足しており,栄養状態はだんだん悪くなることを感じる。
羊・山羊市
ギルギット川沿いの道を歩いていた。宿の近くのつり橋の下にわずかな川原があり,そこに羊と山羊が集められている。近くには遊牧民の男たちが所在なげに坐っている。夏草で太らせた家畜を町で売ろうとしているようだ。
ほおひげを蓄えたいかつい顔にもかかわらず,「さあ,俺たちの写真をとってくれ」と愛想がいい。男たちの顔はこの地域の民族の多様性を反映しているが,羊と山羊もそれに劣らずいろんな種類が見られる。そして,どれが羊やら山羊やら識別も難しい。
チナール・パークにあるアイベックス像
スストで北部パキスタンの観光案内をもらった。その中にギルギットのアイベックス像の写真があった。けっこう大きな写真だったので,像のほうも大きなものに違いないと勝手に解釈した。
地元の子どもたちにこの写真を見せ,チナール・パークにある石像(アイベックス本体はブロンズ像)のところに案内してもらった。アイベックスは等身大より小さかったがいい絵になる。この像は何かを記念するもののようだ。5面体の石碑には地域名とたくさんの人の名前が刻んであった。
恥かしがりやの子どもたち
小さな女の子はほとんどスカーフをしていない。多くの場合,スカーフ着用の子どもたちは家庭のしつけが厳しい。そのため,カメラに拒否反応を起こすことも多いのだが,この2人はなんとか写真に納まってくれた。
たくさんのムスリムが居住しているフランスでは,公立学校における宗教色の強いスカーフの着用が禁止された。スカーフを宗教的な行為とみるか,伝統的な衣装の一部とみるか,難しいところだ。
小さな路地の両側には民家が並んでいる。裏通りの民家は通りに面して壁と扉があるだけだ。内側は中庭になっており,子どもも女性もめったに外には出てこない。それでも,ときどき家の前で遊んでいる子どもたちを見かける。
驚かさないように,扉の敷居に坐っているところを一枚撮る。通りがかりの子どもたちが集まってくる。家の前が騒がしくなったので,扉の中から子どもたちが顔を出す。そのうち3人が加わり集合写真になる。扉の隙間から恥ずかしがりやの子どもが覗いている。