亜細亜の街角
■仏教最大の聖地
Home 亜細亜の街角 | Buddhagaya / India / Feb 2000

ボードガヤ(ブッダガヤ)  (地域地図を開く)

ガヤから13km,ネーランジャー川西岸にある町。ブッダが覚りをひらいた地として,仏教最大の聖地になっている。中心にあるのはマーハ・ボーディ寺院で,2002年に世界遺産に登録された。

マーハ・ボーディ寺院そのものは遺跡ではなく,現在も生きている寺院である。しかし,世界遺産登録を機に周辺の囲い込み,公園化が進められようとしている。聖地ボードガヤには各国の寺院が建てられ,あたかも仏教の建築様式の博覧会場のようである。


コルカタ→ボードガヤ 移動

コルカタからボードガヤまでは列車で移動した。インドの列車はチケットを入手するまでとても大変であるが,座席指定の列車に乗って移動すること自体は快適である。列車がビハール州に入ると,風景は乾いた大地になる。雨の少ない乾期は,人間にも植物にとって過酷な季節だ。畑や水田には緑は少ない。ときどき見られる川もほとんど干上がっている。

家畜は茶色の大地のわずかな緑を食んでいる。あと3-4ヶ月は乾いた季節が続く。命の季節は次のモンスーンまで待たなければならない。ビハール州はインドでも最も貧しい州のひとつだ。ここでは巨大な人口が平地の大半を畑に変えてしまった。もう新たな耕作地を増やす余裕は無い,もう新たに使える水資源も無い。

それでもインドの人口は増え続けており,2050年には中国を追い抜いて15億人になると推定されている。その頃にはパキスタンとバングラデシュの人口も2億人を越え,インド圏は20億人もの巨大人口をもつことになるという。

中国に続いて経済成長軌道に乗ったインド経済は2050年に現在の約42倍(中国は26倍,日本は1.4倍)の規模になると予測されている。しかし,この予測は現在の成長率を単純に将来に伸ばしていったものであり,人口,食糧,資源,環境などの要素がまったく含まれていない。

現実の世界には地域あるいは地球の環境容量が経済成長の大きな足かせになることは想像に難くない。地球環境の研究者によると,世界の経済規模は1980年代にはすでに地球の環境容量を超えてしまった推定している。現在のままでは人類は遠からぬ将来に破局点を迎えることになるだろう。個人的には食糧不足,石油の減耗がその引き金になるであろうと予測する。


菩提樹の下で

マーハ・ボーディ寺院は長い歴史をもつ仏教最大の聖地である。紀元前2世紀に菩提樹の下に石の台座(金剛宝座) が造られ,石造の欄楯(らんじゅん)で囲まれてボーディガラ (菩提祠)と呼ばれる聖域になった。当時は寺院はなく,現在の規模の大寺院が菩提樹の横に建てられたのは大乗期の7世紀頃のことである。高さ約53m,レンガ造の主堂は高い基壇の上に建てられた。

インドで仏教が衰退し,寺院は15世紀に放棄され荒廃した。19世紀後半にミャンマーの仏教徒および考古調査局のカニンガムによって大改修がほどこされ,主堂の四方に小塔が付加され,五堂形式(パンチャーヤタナ)となった。

寺院の細部は変わっているが,全体としては玄奘による7世紀の「大唐西域記」の記述と一致し,古代インドにおける塔状仏教寺院の形を現在に伝えている。

裏手には巨大な菩提樹が立っている。ブッダの時代から4代目のものだという。人々は木の前に祭壇を設け祈りを捧げる。この木の下でブッダが到達した覚りは,人々の交流を通してアジアの各地に伝播されていった。そして,さまざまな形の仏教と如来や菩薩を生み出した。それはブッダの意図とは異なったものかもしれない。覚りの木の前で半眼のブッダは何を思うのであろうか。


稲わらを積み上げる

乾期になるとネーランジャー川はほとんど干上がってしまう。川を横切って対岸のスジャータ村(セーナー村)に歩いて行く。小さな集落で子どもたちが遊んでいる。カメラを向けると近くの家からたくさん子どもたちが出てくる。

遠くにわらぶき小屋が見えた。それは小屋ではなく稲わらをていねいに積み上げたものであった。二人の村人が腰を下ろして休んでいる。カメラを向けて許可を求めると首を横に曲げてくれた。ここで生まれ,ここで子どもを育て,ここで死んでいく,満足を知る人生がそこにある。


屋根からナマステ

スジャータ村の民家の屋根は平らなものが多い。集落の中を歩いていたら,屋根の上から声をかけられた。おやまあ,かわいい被写体が並んでいるではないか。カメラを向けるといいい笑顔である。こんな素敵な出会いがあるので,アジアの旅はやめられない。


マーハボーディ寺院

スジャータ村からネーランジャー川をはさんでマーハボーディ寺院を見る。マーハボディは南アジアでよく耳にする。「マーハ」は大きなあるいは偉大なを意味し,「ボーディ」は「覚り」を意味するサンスクリット語である。

日本語の「菩提」は「ボーディ」の音訳である。この「大いなる覚り」の寺院のある場所で,シャカは覚りをひらき,その後は「ブッダ(覚りをひらいた人)」と呼ばれるようになった。


前正覚山

前正覚山は文字通りブッダが覚りをひらく前に修行した山である。2500年前のインドではバラモン教が支配体制に組み込まれていた。バラモンの執り行う儀式により,人は「輪廻から解脱」できるとされていた。

この教義にあきたらない人々は,肉体を痛めつける修行や断食により覚りを得ようとした。ブッダは最終回答として瞑想と正しい行いにより覚りをひらき,ひいては解脱ができることを世に示した。


レンガを運ぶ子どもたち

ネーランジャー川の橋の先の道を歩いていると,7,8才の女の子が頭にレンガを乗せて運んでいた。次の女の子がやってきた。子どもたちの来た方向に歩いていくと日干しレンガが積み上げてあった。これを焼くため,釜まで運んでいくところだった。

作業をしているのはほとんど女性と子どもである。児童労働,それはインドの悲しい現実である。しかし,この子どもたちは決して自分たちを不幸せとは感じていない。家族のため,そして自分のため,子どもたちは働いているのだ。


チベット寺院での出来事

チベット寺院でくつろいでいた。突然,たくさんの女性と子どもが集まってきた。広い中庭がいっぱいになる。そばにいる僧侶にたずねてみると,「何か配られるという情報が広まったのでは・・・」という答えであった。それだけのことでこれだけの人数が集まるのだ。しかし,結局,何も起こらなかった。1時間ほどで人々は帰り始めた。


千手観音像

仏教の聖地には各国の仏教寺院がある。そこを一巡りするとアジアの仏教寺院とその形態がだいたい理解できる。この寺院の本尊は千手観音であろうか。電球の灯りに照らされ,美しい姿が浮かび上がっている。カメラを体で固定し手ブレを防いでフラッシュ無しで撮らせていただく。


何もない教室

チベット食堂が集まっている道の北側に150m四方ほどの大きな広場がある。僕の宿はその北側にある。夜になると真っ暗で,その辺にいるであろう犬が怖い。

宿の少し北側には小学校がある。写真を撮ろうとするとすぐに50人くらいが集まる。一部の教室には机とイスは無い。生徒たちはござの上に座っている,女生徒もスカートであぐらをかている。何もない教室,しかしここにはこの国の未来があるはずだ。



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