亜細亜の街角
■喧騒の大都会
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コルカタ(コルカタ)  (地域地図を開く)

ガンガーの支流フーグリー川の河口に開けた人口1200万人の大都市,西ベンガル州の州都である。1690年にイギリス東インド会社がここに拠点を置いたときは,小さな漁村に過ぎなかった。その後,イギリスのインド経営の拠点として急速に発展をとげた。

さらに,独立時に大量の難民が東ベンガル(現在のバングラデシュ)から押し寄せ,都市整備がまったく機能できないほどの人口を抱えるようになった。それから50年以上が経過した現在でも,この街には数十万人といわれる路上生活者が暮らしている。


路上の風景

イギリス統治時代の名残りでコルカタの通りは広い。歩道もちゃんと整備されている。しかし,少し細い道に入ると,人,荷車,オートリキシャーがわずかな隙間を埋めるように動いている。タクシーがクラクションを鳴らし,それをかき分けるようにノロノロと進んでいく。混雑,喧騒…人々のもつエネルギーに圧倒される自分を発見することになる。

あちこちで露店の市が開かれている。食べ物,雑貨,野菜,果物などが商われている。ここでは車道にはみだそうが,歩道を占拠しようが自由自在である。道路が完全にふさがれて,露店専用になっているようなところもある。

野菜や果物の露店は女性がやっているものが多い。家計を助けるためか,自立のためか,多くの女性が強い日差しの下で商いをする。インドにおいては女性の地位は低い。運命の川の流れはあまりにもきつく,それに逆らうことは至難の業である。カースト,男女差別,慣習と偏見の中でたくましく生活を切り盛りする女性たちにエールを送りたい。

路上にあるいは道路脇に多くの井戸がある。また,蛇口の付いていない水道から水が噴き出しているところもある。上水道が普及していない街では,あるいは路上を生活の場とする人々にとっては,共同井戸が生活を支えている。

男たちはルンギ姿になり水浴びをする。ついでに洗濯をする人もいる。人口爆発によりあらゆる都市問題を抱えるコルカタ,わずかな救いは水が使用できることだ。


ハウラー橋の風景

コルカタからボーダガヤまでの列車のチケットをとりに,中央郵便局(GPO)の北側にある外国人用の予約オフィスまで歩いていく。GPOの周辺は官公庁が多い。のんびり写真を撮っていたら,「この辺りは写真禁止」と注意された。インドでは空港,鉄道駅,バスセンター,橋などの撮影が禁止されている。よほどのことがない限りトラブルにはならないが,要注意である。

予約オフィスではしばらく待たされてから自分の順番が回ってきた。パスポートを提示し,行き先と日時を告げる。予約申請書があるので必要事項を記入する。職員がキーボードをたたき,チケットが発券される。インド・ルピーで支払うときはバンク・レシートの提示を要求される。こちらの方は,「宿に忘れてきました」と言えばなんとかなる。

予約オフィスから少し歩くとフーグリー川の船着場がある。ここからハウラー駅への渡し船が出ている。僕の中にあるコルカタのイメージは,フーグリー河とハウラー橋であった。それは10年近く前に読んだ小説,「歓喜の街カルカッタ」に起因するものだ。

武骨な鉄骨を組み合わせたハウラー橋は,あまりにも自分のイメージと酷似していた。橋が次第に大きくなると,赤レンガのハウラー駅が近づく。


ハウラー駅の喧騒

コルカタには2つの大きな駅があるが,ほとんどの列車はハウラー発着となる。赤レンガ造りの重厚な建物は,いかにもイギリス統治時代のものらしい。多くの長距離列車が発着するため,構内は人でごった返している。

イスに座れない乗客は,厚手の布を敷いて,その上で横になる。布団袋ほどもある巨大な荷物の包みを列車に持ちこもうとしている人もいる。頭の上にトランクを3つも乗せたポーターが足早に歩いていく。喧騒の中で目を閉じインドの音に浸ってみる。

帰りはハウラー橋を渡ってみる。中央に車両用の道路があり,両側は歩行者用の道になっている。頭上の銀色の鉄骨は巨大である。それが何本も組み合わさって橋を支えている。それでもバスが通ると橋はかなり振動する。

橋の下にはフーグリー川がゆっくりと流れている。対岸に花の市場がある。たぶん,マリーゴールドであろう,オレンジがかった黄色の花の部分だけが大量に取引されている。

中央郵便局は白く大きなドームを頂いているので,かっこうのランドマークになる。通りを挟んで大きな池があり,周辺には人が住んでいる。朝の寒さが和らいだ頃,子どもたちは池に降りていく階段で水浴びをする。

小さな子どもも自分のことは自分でしている。2才くらいの女の子は子どもたちの服の番をしている,というよりはみんなの服の中に埋まっている。子どもたちの写真を撮り,お礼はキャンディーにする。


祭りの一団が通る

サダル・ストリートに近いニューマーケットの前にいた。目の前を飾り立てられた大型トラックが何台も進んでくる。太鼓とシンバルが鳴り,人々が踊っている。トラックの荷台から女性と子どもが見下ろしている。しばらく一緒に歩き,カメラを気にしながら一台のトラックによじ登る。

誰かが手をつかみ引き上げてくれる。祭りの陽気さのせいか,外来者も歓迎の様子である。荷台にはたくさんの子どもたちがおり,この日は写真はまったく自由であった。音楽とともに祭りの一団はどんどん移動して行く。だいぶ暗くなってきたし,もうそろそろお暇しなければならない。


カーリー寺院

コルカタの地名の元となったカーリー寺院は,カーリー女神を祀っている。サダルからは地下鉄に乗り,カーリー・ガートで下車し,徒歩7-8分である。

参拝者が多いので周辺には土産物屋が並び,神々の印刷画が目に付く。カーリー女神は黒い顔,赤い三つの眼をしており,残りの部分は赤いショールで覆われている。

インディー・ジョーンズでは「カーリー・マー(黒母神)」は邪教神とされたが,ヒンドゥーの世界ではシヴァの妻ウマーの化身として信仰の対象となっている。名まえの通り全身黒色で4本の腕を持ち,口からは長い舌を垂らし,ドクロをつないだ首飾りをつけるという恐ろしい姿をしている。

夫であるシヴァ神を踏みつけながら踊っている姿はよく知られている。殺戮と破壊の象徴であり,南インドを中心とするいくつかの土着の神の性質を具現化したものとされ,ベンガル地方では篤く信仰されている。

寺院の中にカーリーを祀る建物があり,そこは多くの信者に取り囲まれている。血のいけにえを求めるカーリーのため,寺院内では毎日何匹かのヤギが犠牲になる。自称ガイドが見ていくようにしつこく勧めるが,ガイドともども断って寺院を後にした。


リキシャー

コルカタでは,明治時代に日本で活躍した人力車が現在も営業している。その名も「リキシャー」という。アジアの多くの国で自転車型リキシャーのお世話になったが,このリキシャーはちょっと利用する気になれない。人間の引く乗り物に乗ることに強い抵抗感を感じるからだ。

一度,大雨で,宿の近くの道路が冠水し,20mほどの距離がどうしても渡れないことがあった。そのとき近くのリキシャーのおじさんに,その距離を乗せてもらったのが唯一の経験である。

コルカタはインドで唯一リキシャーが営業している町らしい。しかし,車社会になるとリキシャーはジャマな存在となり,現在は新規のライセンスは発行されていない。この町のリキシャーもいずれ消滅する運命にある。



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