亜細亜の街角
■海岸寺院は歳月と潮風のため風化が著しい
Home 亜細亜の街角 | Mamallapuram / India / Nov 1999

マハバリプラム(マーマラプラム)  (地域地図を開く)

チェンナイから南に60km,ベンガル湾に面した小さな町。7世紀に東南アジア,アラビアとの交易の拠点として繁栄したとあるが,現在では当時の遺跡を見るため観光客だけが訪れる静かな田舎町であった。町の見所は海岸寺院と町の西側にある巨大な岩山である。また,早朝に漁から帰ってくる丸太を組み合わせただけの小舟やイワシの干物を作るところも興味深いものがある。


カンチープラム→マハーバリプラム移動

カンチープラムのバススタンドから直通バスに乗り,田舎道をのんびり移動し,2時間半でマハバリプラム(マーマラプラムともいう)に到着する。町中には観光客目当ての土産物屋やレストランがたくさんあり,観光客はけっこう多い。

ゲストハウスの建築ラッシュも続いている。宿は海岸から100mほど離れた「Lakshmi」に決める。宿代は200Rp,トイレ,シャワー,コンクリートのベッドに敷き布団が敷いてある。シーツは色物なので清潔度は不明である。


海岸寺院と不思議な岩山

海岸寺院は7-8世紀にかけていくつか造られたが,現存するものは一つ(2基)しか無いという。寺院の周囲には崩れ落ちた石がころがっており,最後の一つも危ない状態のようだ。近くから見ると石の風化も著しいので,何らかの補修が必要であろう。周辺に何もない海岸寺院は,繁栄の時代から忘れ去られてしまった地域にふさわしい。

海岸からメインの通りを横切ると巨大な岩山がある。岩山の下には花崗岩を削って造った石彫寺院がいくつかある。岩山の脇を通る道路から大レリーフが見学できる。大きな岩の壁面に多数のレリーフが彫られている。それぞれのレリーフはヒンドゥー世界の神話を題材にしたものとガイドブックに書かれているが,残念ながら意味不明であり,それほどの感銘も受けない。

岩山の上には巨大な石がゴロゴロしている。中には斜面から転がりそうで転がらない,クリシュナのバターボールと呼ばれている巨大な岩もある。しかし,周辺にはヤギや人間のナニが散らばっており,足下に注意である。


岩山は緑が多くちょっとした探検気分になれる

岩山の上からは周囲を眺望できる。東を見るとベンガル湾が望め,林に囲まれた海岸寺院も見える。西の眼下には池があり,その向こうには川が流れ大きな橋も見える。後日,岩山を回ってこの池を訪れてみると,村人たちが洗濯をしていた。男性も多いし,洗濯物も家族の分としては多いので,村の洗濯屋なのかもしれない。池のさらに西側にもいくつかの小さな石彫寺院がある。

岩山の上は植物が生い茂り,見通しが悪いので移動は楽ではない。また,山あり谷ありの状態で,300m向こうに見える建造物のところに行こうとしても回り道をしたり,岩の斜面を登ったりしなければならず,ちょっとした探検気分を味わうことができる。もちろんここでもナニに注意である。

岩山を降りて,脇の道を歩いているとたくさんのサルに出会った。大きさはニホンザルと同じくらいであるが,尻尾はとても長い。子猿は母親にしがみついており,母ザルはその状態で器用に岩山を登り降りしている。人間にも慣れているようで,こちらから手を出さない限り危険はない。岩を削る技術は今でも伝承されており,岩山の下にはいくつかの石工の工房がある。のみだけで昔と同じスタイルの神像を仕上げていた。(実は電動グラインダーを使っていたりして・・・)


漁師たちは小さな舟でイワシをとり,干して出荷する

この町では海の生活を見ることもできる。波が押し寄せてくる浜では少年たちが砂の中の何かを探している。袋の中を見せてもらうと,尻尾が丸まった体長5cmくらいのエビのような甲殻類が入っていた。僕も砂の中を探してみたがなかなかあたりがない。問題は岸からの距離にあったようだ。少し深いところで砂に手を入れて探すと何か動くものがある。持ち上げてみるとお目当てのものであった。

漁師たちは暗いうちから丸太を何本か束ねただけの簡単な小舟で漁に出る。1隻当たり3-4人の男性が乗り込む。立っているのがやっとのスペースで,男たちはエンジンを操作し,網をしかける。戻ってくるときも大変である。浜辺の波で転落しないように足を踏ん張っている。

獲れる魚はほとんどがイワシで,すぐに家族総出で浜辺にまいて干す。干し上がるとかますにつめて出荷する。用途を訊ねるとニワトリのエサになるとのことである。魚を干すと浜辺のカラスがごちそうを見つけてやってくる。その数ざっと50羽,小さな女の子は魚の周囲を走り回りカラスを追い払う。


校庭は授業を受ける子どもたちで溢れていた

大レリーフの近くに小学校があり,生徒たちが出てくる。門のところで中を見ていると,ガイドに連れられた欧米人のグループが入っていったので一緒に中に入る。生徒たちをみるとここは小中学校のようだ。敷地の周囲に校舎があり,残りは中庭になっている。

いくつかのクラスでは中庭で授業が行われている。生徒たちは日陰を選びながら,地面に座って授業を受けている。試験の最中のクラスもある。日本では歩道や階段に座る若者が話題になったが,ここでは地面に座ったまま授業を受けているのだ。校舎はちゃんとあるので,屋外のほうが気持ちが良いのだろう。そういえば,教室の中にも生徒がいたので,教室が生徒数に間に合わないのかもしれない。

子どもたちの制服は3種類ある。白いシャツと緑のズボン・スカートの組み合わせ.白いシャツと青のズボン・スカートの組み合わせ,それに赤いチェックのパンジャビーである。やはり,パンジャビーがインドらしくてカメラの被写体としては好ましい。肩からたらしたショールもすてきである。


村の人々の生活も見せてもらう

漁師地区を散歩すると人々の生活を見ることができる。女性たちは共同の水道で洗い物や洗濯をしている。ついでに井戸端会議にもなるかもしれない。飲料用水を運ぶ金属製の容器はピカピカに磨き上げられている。インドではどこにいっても磨き上げられた容器や炊事道具に出会う。

石鉢と石のすりこぎでスパイスをすりつぶしている少女は,カメラを向けると仕事の手を休めポーズをとる。小さなホウキを持ち,腰をかがめて掃除をする少女も,カメラを意識して笑顔をみせる。目的は不明だが,土を掘って容器に入れ自宅に運んでいる女の子も良いモデルになってくれた。この町でもたくさんの子どもたちの笑顔に出会った。

昼下がりの海岸でのんびり海をみていると,男性に声をかけられ,少し離れた孤児院に連れて行かれた。ここには20人ほどの子どもたちが生活している。フーセンとオリヅルで遊んであげるととても喜んでくれた。小さな子供は自分の膝から離れようとせず,場所取りの争いになる。



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