亜細亜の街角
■ヒンドゥー教の7聖地は寺院で溢れていた
Home 亜細亜の街角 | Kanchipuram / India / Nov 1999

カンチープラム  (地域地図を開く)

マドラスから南西に77km,カンチープラムには7-8世紀のパッラヴァ王朝をはじめいくつかの王朝が建てた多くの寺院が残されている。現在でもヒンドゥーの7聖地に数えられており,大勢の巡礼者が訪れる。町の南側にはヴェガヴァティ川があり,橋を渡ると絹織物の産地と名高いカマーキシ・アンマン集落がある。


マドラス→カンチープラム移動

マドラスからカンチープラムまではバスで約2時間の道のりであった。道路状況は問題はない。宿は州観光公社直営の「Hotel Tamil Nadu」にする。宿代はなんと390Rp,なぜかとんでもなく高い。


カイラーサナータ寺院

宿屋の従業員に誘われて,オートリクシャーを半日300Rpで貸し切り,有名な4つの寺院を回ってもらった。しかし,値段が高い,時間の制約がある,どの寺院を見ているのかよく分からない。やはり,自分でていねいに回る方がずっと良い。

カイラーサナータ寺院は8世紀に造られたドラヴィダ様式初期のものである。それ以前の石窟寺院の形式から脱却し,切石を積み上げていく南インド独特のスタイルが,この時期に始まった。寺院の周囲はやはり切石を積み上げた回廊が取り囲んでいる。外側の柱にも,内側の柱にも,ライオンをモチーフにした凝った彫刻が施されている。回廊の内側の壁面には塑像もしくはレリーフが刻み込まれている。

本殿はやはり切石をピラミッド状に積み上げたもので,外側にはさまざまなデザインが刻み込まれている。切石を積み上げる建築方法,回廊と神殿の組み合わせは,なんとなくアンコール遺跡を思い出させる。また,本殿の形式はインドネシアのボロブドール遺跡と類似している。「8世紀にインドで始まったドラヴィダ建築様式は,ヒンドゥー教とともに東南アジに伝搬していった」とにわか歴史学者は推測した。

回廊の一部の壁面には壁画が描かれている。石の地肌の上に漆喰を塗り,岩絵の具で神々の姿を描いたと思われるが,痛みがひどい。ここにはたくさんの緑色のインコが棲息している。寺院の壁面のくぼみがかれらのねぐらのようだ。


エーカン・バレシュワル寺院

エーカンバレシュワラ寺院は1509年に建てられた。カイラーラナータ寺院からは数百年が経過している。この寺院のシンボルは高さ60mの塔門である。数多くの巡礼者や観光客がシヴァ神を祭ったこの寺院を訪れるため,寺院の正面広場にはお参りの品物やお土産を扱う露店が多数あり,客待ちのリクシャーも多い。

塔門をくぐると内部にもゴープラムと類似する建造物がある。陽光にきらめく黄金の神殿もある。周囲の屋根には鉄条網が張られており,ここが最も神聖な場所であることがうかがえる。巨大な浄めの池では数人の巡礼者が沐浴している。池の階段に座って眺めていると,女の子が手作りの籐細工のカゴを売りに来る。

神殿の広間には天井を支える石柱が多数林立しており,さながら柱の間になっている。石柱のひとつひとには精緻な彫刻が施されている。石柱の列を長手方向から見ると,左右は石柱,上部は石の天井,中央に神像の配置となっており,岩を彫り込んだ石窟寺院を思わせる。

神殿の上部には多くの神々の立像が巡礼者を見下ろしている。層をなして天界の高みに向かう構成,下から見上げると神々と視線が合う構図である。これらの神々を仏像に置き換えると,ボロブドゥール遺跡の構図を連想させる。


ワラダージャ寺院

ワラダージャ寺院の塔門と100本柱の広間もみごとなもので一見の価値がある。ここの石柱にもヴィシュヌ神の神話を題材精緻な彫刻が施されている。柱の中にはたたくと澄んだ音のするものがあると自称ガイドが教えてくれた。たしかにきれいな金属音が聞こえる。彼は別れ際にバクシーシを要求し,僕のポケットからは5Rpが出ていった。


街中の風景

寺院巡りツアーが終了し,のんびりと町の中を歩いていると保育所(もしかしたら孤児院)が見つかった。年齢は2才から12才くらい,30人ほどの子どもたちは小さめの洗面器に似た金属容器に入ったごはんを食べていた。子どもたちの服装は小ぎれいで,食事のマナーも良い。

夕方,カンチープラム駅を見に行く。駅は町外れにあり,夕暮れになると寂しい場所だ。線路づたいに中にはいると,何家族かが夕食の支度をしている。どうもこの駅に住み着いているらしい。少し大きな女の子はどこからか水を調達して洗濯をしている。線路脇にあるコンクリートの分離帯が洗濯板の代わりになっている。

宿屋に戻る途中に結婚式の行列を見かけた。着飾った花嫁とこれまた晴れ着の親族が披露宴の会場に向かうところであった。新婦は金糸の縫い取りのある赤いサリーを着て,首には大きな花輪がかけられている。行列はにぎやかな楽隊とともに披露宴の会場に到着する。入り口ではやはり花輪をつけた新郎が待っており,2人は近所の人と一緒に会場の中に入っていく。僕も中に入り披露宴を見学する。壇上には新婚生活のための道具が並べられ,さらに親戚,友人からプレゼントが贈られる。


絹織物の集落でたくさんの子どもたちに出会う

リクシャーに乗ってカマーシキ・アンマン絹織物集落に向かう。途中で行列を見かけたのであわてて止まってもらう。きれいに飾られた牛舎に乗せられているのは遺体で,お葬式の行列であった。

カマーシキ・アンマンは糸撚りと機織りの小さな工房がいくつもある。糸撚りは綿から綿糸と作るときに使用するものと同じ機械(というほどのものではない)が使用されていた。ガンジーが独立運動の中で自ら糸を紡いでいたあの道具を想像していただきたい。

機織りはほとんど家族経営である。縦糸を張る作業は外で行われる。サリーを1枚織るためには10mを越える縦糸が必要だからだ。縦糸ができるとはた織り機にセットされる。その後,職人が織り始める。結婚式用のものでは両端部分にふんだんに金糸を使用し豪華さを演出する。はた織り機の上には穴のあけられた紙がセットされており,織りの進行に合わせて動いている。これが模様を織る指示書になっているのだろうと推測する。

近くに学校があるのでよってみた。ちょうど授業が終わったところだったので,先生に断りオリヅル教室を開く。高学年の子どもは自分のやり方をみながらちゃんと折ることができた。外に出て記念写真を撮ろうとすると,子どもたちが群がってきて距離がとれないので,朝礼台に上がって写真をとる。



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