亜細亜の街角
■インド西海岸を代表する貿易都市
Home 亜細亜の街角 | Cochin / India / Nov 1999

コーチン  (地域地図を開く)

アラビア海に面する美しい港町コーチンはインドの西海岸を代表する都市の一つである。その歴史は古く,1世紀頃やって来たアラブ人やユダヤ人商人がコーチン王の庇護の下,中東諸国との間で行った香料貿易によって栄えてきた。しかし,16世紀に入るとポルトガル,17世紀にはオランダがこの地域を支配し,18世紀にはインド全体がイギリスの植民地下に入り,香料貿易の支配権を奪われてしまった。

長らく欧州列強の東方進出の拠点とされてきたコーチンは,現在インド有数の国際貿易港として知られている。コーチンの中心部は凹型をした地形の真中に人工島があり,西から半島(フォート・コーチン地区とマッタンチェリー地区),人工島(ウィリンドン島),本土(エルナクラム地区)という構造になっている。3つの地域は橋と道路で結ばれているが,コーチンの風景を楽しむのなら,移動はフェリー・ボートを利用するのがよい。またボートクルーズに参加すれば主要な観光名所も一緒に回ることができる。


アレッピー→コーチン移動

アレッピーからのバスは2時間ほどでエルナクナムのバススタンドに到着した。リキシャーに「Hotel Excellency」と告げると,大きな道路を横断し小さな路地に入るとそこが目的地であった。2分間の移動であり,料金は彼と交渉し6Rpに決定。「Excellency」は立派な中級ホテルで快適,1階のレストランの食事もおいしい。ただし,料金はシングルで475Rpに値上げされていた。


エルナクナム地区とウィリンドン島

エルナクナムのジェッティー(船着場)からフェリーでウィリンドン島に移動する。コーチンはさすがにこの地域を代表する大都会で,海から見ると近代的なビルが林立している。また,港にはたくさんの貨物船が停泊しており,物資の集散や貿易の中心地でもある。

コーチンの海で目立ったのはホテイアオイである。この南米原産の水生植物は,その強い繁殖力のため世界中でやっかいものになっている。この植物は淡水性と思っていたら,海にまでその勢力を広げている(単に塊が流れ着いただけなのかもしれない)。コーチンの港の一角がこの植物に占拠されており,小さな船の航行に支障がでそうだ。

キリスト教(カソリック)の影響も随所に見られた。聖フランシス教会のような由緒あるもの以外にも小さな教会があり,人々は祈りに訪れている。街角にも聖母マリアの肖像を収めた掲示板がある。南インドの濃厚なヒンドゥー文化圏からこの町に来ると,大きな違和感を感じる。

「偉大なる魂」の像や資料館はインドの各地で見られる。彼には非暴力による独立と宗教的・文化的多様性をもったインドという2つの目標があった。独立からすでに50数年が経過した。領土や宗教に根ざした暴力はおさまる気配を見せない。憲法が禁止しているカーストもしっかりに定着している。古い体質が少しも変化しないインドをガンジー像は悲しそうに見ている,そんな気がする。


カタカリ

ホテルのフロントで場所を聞いて,近くの劇場にコーチンの伝統的な宗教舞踊カタカリを見に行く。入り口で100Rpを払い中に入る。時間が早かったせいか数人の観客しかいない。30分ほど経つと舞台に男性芸人が上がり,あの奇妙な化粧を始める。カタカリそのものは,2人の芸人と1人の音楽兼司会担当の3人構成で行われる。奇妙な顔と服装の2人は,舞踊ではなく台詞のない劇を演じていた。


半島部の風景

半島部はポルトガル,オランダ,英国などヨーロッパ列強の植民地政策のなごりを示す建造物が多い。また貿易で利益を得ていたユダヤ人社会の象徴である,シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)もある。エルナクナムのジェッティーからフェリーに乗るとシナゴーグの近くに行ってくれる。内部は観光客に開放されており,往時の礼拝の様子がしのばれる。

半島部をのんびり散策する。珍しい女性の警察官がいたので写真に収める。家の建築現場では,セメントとジャリをコンクリートミキサーで混ぜている。ジャリを運ぶのも,生コンクリートを屋根まで持ち上げるのも,すべて女性たちの人力で行われている。

半島の北側,四つ手網の近くの広場の周囲には巨大な木があり,人々に良い木陰を提供している。幹の直径は1.5mほどもあり,英国がインドを支配していく歴史を見てきたのかもしれない。枝の先端部分は枯れているようで,このような枝が落ちてきたら恐怖である。

近くの聖フランシス教会にはバスコ・ダ・ガマの遺体が一時期安置されていた。現在では墓石の石版が床に埋め込まれている。しかし,写真も撮っていないし,ほとんど記憶に残っていない。逆に教会の外の露店の土産物屋につるされていた人形の記憶は鮮明である。


巨大な四つ手網の動かし方を観察する

半島の北端の海岸には大きな四つ手網が数台並んでいた。この漁法は一辺4mほどの四角い網を水中に沈め,頃合いを見て引き上げるという簡単なものである。名前のように網は4つの角を丸太にくくりつけられており,丸太は中心部で縛られている。その仕掛けをてこに取り付けることにより,メインの丸太を引くと網が上がるようになっている。

リーダーは網の上に立ち,引き上げのタイミングを指示する。作業者が力を合わせて重りのついた綱を引くくと網が上がってくる。リーダーはタモ網をもって四つ手網の中心部に獲物を集めすくい上げる。リーダーの合図で綱がゆるめられ,網は水中に沈んでいく。

獲物の容器にはエビと魚が入っていた。大きなエビは高く売れるので,この程度の漁でも大の男5人が生活していけるのだろう。四つ手網の北側には漁師が小舟を出して漁をしている。ここにもホテイアオイの塊が海岸近くに集まっており,漁師はそれを避けるようにして網を入れている。



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