亜細亜の街角
■マドゥライの旧市街は大きなバザールであった
Home 亜細亜の街角 | Madurai / India / Oct 1999

マドゥライ  (地域地図を開く)

インドの南の玄関口チェンナイから南西に470km,インドのディープ・サウスにある人口110万人の都市。マドゥライはミーナークシ寺院の門前町として発展してきたため,寺院の周囲に旧市街が広がっている。新市街は旧市街の北東に位置し,ヴァイハイ川が両者を分けている。当然,楽しいのは旧市街である。


クアラルンプール→マドゥライ移動

KL発のマレーシア航空便は夜の遅い時間にマドラスに到着した。この町で1泊し,翌日は国内線の飛行機でマドゥライに向かう。1時間弱でマドゥライに到着し,タクシーで市内に移動する。しかし,大名旅行はここまでである。宿は「タミール・ナドゥ」に決定する。トイレ・シャワー付き,ベッドの寝心地もそう悪くない。表が大きな道路のため騒音が気になるが,175Rpではぜいたくはいっていられない。


マドゥライはミーナークシ寺院の門前町

マドゥライはミーナークシ寺院を中心に発展してきた。ミーナークシは本来,この地域の土着の女神であった。ヒンドゥー教では,土着の神はしばしば有名な神の化身にされることがある。ミーナークシはシヴァの妃パールバティにされてしまった。そのため気の毒なことに,本来の夫神(ヒンドゥーでは神は夫婦の形をとることにより完全になると考えられている)は離縁され,ミーナークシの兄にされてしまった。このようにしてヒンドゥー教ではシヴァとビシュヌという人気にある2大神は土着の神をいろいろな形で次々と吸収し巨大化してきた。

ミーナクシ寺院を特徴づけるのは東西南北の4ヶ所配置されている塔門(ゴープラム)である。高いものは50mもあり,町のどこからでも見ることができまる。寺院の入り口でクツを預け,カメラ持ち込み料を含め26Rpを払う。中に入ると巨大で薄暗い空間が広がり,ところどころにある裸電球や灯明の灯りがなまめかしい陰影を作り出している。内部にはいくつかの神殿がある。ミーナークシ神殿だけは異教徒の立ち入りが禁止されている。

寺院の入り口付近ではゾウとゾウ使いがおり,巡礼者が頼むと頭を撫でてもらえる。巡礼者が胸の前に手を合わせ,頭を下げると,ゾウは心得たものでゾウ使いの合図もなしに巡礼者の頭に鼻の先端を付ける。そして巡礼者がお布施をさし出すと器用に受け取りる。僕もやってもらったが,ゾウのなま暖かい鼻息があたり,この経験は一度でよいと思う。


旧市街を歩いてみる

町中で目立つのはやはり牛である。ヒンドゥー教の聖なる動物は,町の中を堂々とうろつき野菜等の生ゴミや紙を食べて生きている。本当は飼い主がいるはずであるが,ほとんどノラ牛状態である。マドゥライは大きな通りを除き車の往来は少ないので,まだまだ牛の天国である。

民家や商店の前の路上で女性たちが野菜,果物を商なっている。野菜は小さなニンジン,トマト,ウコンの根,インゲンに似た豆が主流である。果物で目に付いたのは大きなザクロとオレンジである。ザクロは,手で4つに割ると,黄色い皮の下に小さな赤い粒がたくさん詰まっている。これをかじると口の中に甘い果汁が広がる。その後,種を出さなけれならないのが難点である。

チャーイとさとうきびジュースはどこでも飲める。チャーイはインド式紅茶で,ダストと呼ばれる細かい茶葉をしっかり煮立てた紅茶と,沸騰させたミルクを半々に入れ,さらに砂糖をどっさり加えるとできあがる。値段は2-3ルピー程度。慣れないとしつこい甘さにげんなりするが,そのうちインドの暑さと不思議に調和するようになる。

さとうきびジュースはココナッツジュースよりも安くずっとおいしい。甘味が強い割にはさっぱりしており,暑いときには重宝する。ローラーの間にさとうきびを挟み,ハンドルを回すとローラーの間でさとうきびが押しつぶされジュースが出てくる。この工程を3回ほど繰り返すと,さとうきびは水分を失いわらのようになる。


インドらしい光景

車が往来する広い通りを悠々と牛車が通行する風景は,僕にとって新鮮であった。牛は聖なる動物ではあるが,使役する分にはかまわないらしい。インドコブ牛特有の大きな角を赤や青に彩色するのは飼い主の敬愛の印であろうか。あのマナーの悪いインドの車が,クラクションを鳴らすこともなく牛車を避けて通行している。

朝の通勤ラッシュはすごい。超満員のバスに乗ろうとして,停留所では降りる人と乗る人のバトルが展開される。中に入れなかった人は入り口付近にしがみつく。扉が閉まらないのではという心配は無用である。もともと扉は付いていないのだ。その状態でも運転手は平気でバスを動かす。

日本ではみんながカサをさすような雨でも,インド人はほとんどカサをささない。女性たちはサリーの裾を少し持ち上げて悠然と歩いている。たくさんのオートリキシャー(エンジン付き三輪自動車)はひまそうに止まっている。子どもたちも元気に学校に向かう。カメラを向けるとすぐに小さな集団となり,笑顔を見せてくれる。


小学校を訪問する

朝の登校風景を見かけ,後をついていくと小学校にたどり着く。学校には門がなく簡単に中に入ることができる。子どもたちは写真が大好で,カメラを持っているとすぐに大勢の子どもが集まってきて収拾のつかない状況になってしまった。子どもたちの制服は男子も女子も赤いチェックのシャツと赤のズボン,スカートである。

しばらく歩いていると別の学校を見つる。守衛らしき人に断り中に入れてもらう。ちょうど授業中で立っている女生徒がしゃべると全員がそれを復唱していた。珍しい人が訪ねてきたので,子どもたちは普段に増して大声を出すようになる。そのうるささに先生が声を小さくと注意してた。ここでは机やイスはなく,子どもたちは床に座っていた。また,ノートの代わりに石版を使用していた。


ちょっと危険そうな地域で人々の生活を見る

ヴァイハイ川の橋の下流側に小さな家が密集している。ちょうっと危険そうなこの地域を歩いてみた。このような地域では路上で人々の生活が直に見られるので好きだ。ヴァイハイ川は日本的な感覚でいうと清潔からはほど遠い。しかし,人々はここで体を洗い洗濯をしている。よそ目にはどんなに汚い川でも,彼らにとっては貴重な水資源なのだ。

少し歩くとポンプを押して水くみをしている子どもたちや女性たちが見られるようになる。子どもたちは水くみというより,水遊びのように見える。カメラを向けると,写真をとられるのがとても嬉しそうであった。女性たちも写真はぜんぜん嫌がらない。中には水の入った壺を頭に上げてポーズをとってくれるおばさんもいた。壺はしんちゅう製かプラスチックで,水を入れると軽く20kgを越える。この重労働は子どもと女性の仕事になっている。



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