亜細亜の街角
日本と同じツバメの巣がたくさんある
Home 亜細亜の街角 | Sibu / Malaysia / May 2009

シブ  (地域地図を開く)

シブはサラワク州最大の大河ラジャン川とイガン川の合流点に位置している人口25万人の町である。ここから海までの距離はおよそ60kmである。シブの西側はラジャン川といくつにも分かれたその分流が網の目のように流れる湿地帯になっている。海からかなり内陸に入っているとはいえ,大河ラジャンは大型船が遡行することができる。

シブを支えているのは木材産業である。ラジャン川という自然の運搬路を利用して流域の森から大量の木材を運び出し,河口の製材所で主に合板に加工している。かっては,無尽蔵と思われたボルネオの森は木材伐採とオイルパーム農園への転換により,脊梁山脈の周辺のものしか残されていない。それでも木材企業は最後の資源を収奪しようと最奥地まで手を伸ばしている。

ミリ→シブ 移動

ミリの市内バススタンドのMTCバスの事務所でビンツルに行きたいと告げるとその場で08時発のチケット(20リンギット)を売ってくれた。チケットを買ったとといってもバスは郊外のバスターミナルから出る。市バスに乗って郊外のバススタンドに向かうがなかなか到着せず,やきもきさせられた。

バスターミナルに到着したのは07:50であった。携帯電話で連絡がついているのかMTCの係員が僕をバスまで案内してくれた。バスは一列3席,前後も広々として乗り心地はとても良い。道路周辺の景色で目につくものはアブラヤシ農園である。 アブラヤシの実は酸化しやすいので,収穫後は24時間以内に搾油しなければならない。そのため,搾油工場が農園の近くに造られる。搾油工場をフルに稼働させるためには,それに見合った量のアブラヤシの実を年間を通して周辺から収穫しなければならない。

このような事情により,アブラヤシ農園は搾油工場に見合った広さで開発される。その広さは(工場の規模にもよるが)最低でも数千ha,最大級のものでは25,000haにもなる。

農園の開発のため原生林を皆伐し,更地にしてから植樹が行われる。開発直後の農園には高さ1mに満たない幼木が整然と並んでいる。3年あまりで果実の収穫が始まり,その後は20年ほど毎年収穫が可能である。生産性が悪くなると皆伐して再植樹が行われるので,25年サイクルの作物ともいえる。

ビントゥルのバスターミナルで

このバスはビントゥルまでの200kmの道のりを3時間強で走り抜けた。ビントゥルのバスターミナルから町に向かうバスは無いようだ。バスの関係者も乗客も一様にタクシー(15リンギット)で行けと言うばかりである。

このように感じの悪い石油の町には滞在したくないとそのままシブまで行くことにした。MTCの窓口に行くと12時発のものがあった。乗り込んでみると,ここまで来たものと同じバスである。おそらく同じバスがシブまで行くのであろう。昼食の時間はないので売店で4個入りのパンを買う。

タタウ川の橋の近くにある大きな製材所

二本の大きな川を渡ったときに,どちらにも木材の集積所や製材所があった。もうこの辺りの大きな木は切りつくされてしまい,現在並んでいるのは直径が50cmに満たない小経木である。商業的価値のある樹木を切りつくした後には,アブラヤシや早生樹のプランテーション開発が控えている。

道路の周辺には自然林は無くなっている

ギギス川の橋の近くにある大きな製材所

仲間も競争相手もおらず寂しそうだ

アブラヤシ農園と衰退するサゴヤシ文化

道路は片側1車線で状態は良い。地域の原生林はまったく残されていない。ときどき樹冠をもった背の高い細い木がポツンと寂しそうに立っている。開発の成果により町は大きくなり,道路も内陸まで通じるようになった。

その代償として豊かな生態系をもった熱帯雨林は破壊され,焼き払われている。サラワク州の開発を止めろとは外国人である僕には言うことができない。しかし,せめて一定割合は国立公園あるいは保護林としてしっかり守る政策が必要であろう。

識別は困難であるがサゴ(サグ)と思われるヤシも見かけた。サゴヤシはこの地域の先住民族にとっては重要な食料であった。ボルネオ島の近代化によりそのような文化も衰退しており,伝統的な文化に興味のある僕としては寂しい思いがする。

サゴヤシ(ヤシ科・サゴヤシ属)は生涯に一度しか開花しない。果実を付ける代わりに,でんぷんを幹のズイの部分に貯蔵する性質をもっている。10年くらいで十分な量のでんぷんが蓄積されるようになり,必要に応じて切り倒される。

切り倒されたサゴヤシの樹皮を半周分だけはがし,ずいの部分を細かく砕く。これを水にさらすとでんぷん質が溶け出す。それを大きな容器に貯めてでんぷんを沈殿させる。1本のサゴヤシからはおよそ100kgのでんぷんがとれるという。

新しい形のロングハウス

ここからはアブラヤシの風景は少なくなり,ロングハウスが目につくようになる。ロングハウスといっても内陸のように木造ではなく,コンクリートやレンガを使用した近代的なものになっており,なんとも味気ない。

ヨーロッパの列強が進出してくる以前のボルネオ島はうっそうとした熱帯雨林に覆われていた。人々は沿岸部の平地か川沿いに点在する集落に居住していた。このためボルネオ島の先住民は「沿岸地域に住む人々」と「内陸部に住む人々」という二つのグループに大別されている。内陸部に居住する多様な民族集団は総称してダヤクと呼ばれている。

ダヤクの人々の伝統的な住居はロングハウスである。ロングハウスは切妻屋根の長い建物の前半分は壁のない共通部であり,後ろ半分は家族ごとの居住区になっている。家族数が増えると横方向に建物が増築される。一族がまとまって外敵に備えるためにこのような住居形態となった。しかし,新しいロングハウスは共通部がなくなり,家族単位の長屋のような構造になっている。

シブの近くで舗装道路に変わる

Hotel Siong Lai

シブには15:30に到着した。バスターミナルから市バスを利用して市内に向かい,終点の近距離バススタンドで下車する。400-500mほど先に七層観音が見えるので現在地はすぐに分かった。ガイドブックに掲載されている2軒の安宿のうち,近くにあるシロン・ライ・ホテル(常来大酒店)に宿泊することにした。僕の部屋(20リンギット)は6畳,1ベッド,トイレ・シャワー付き,机付きで清潔である。

ラジャン川の風景

シブの町の南側をラジャン川が流れている。往時のボルネオ島における交通機関はもっぱら船に頼っていた。大きな町は海岸もしくは河川の流域に位置しており,河川は内陸との間の唯一の交通路となっていた。そのため地域を支配する単位は「○○川流域」というように河川により規定されていた。

ラジャン川はボルネオ島西側では最大の川であり,河口から60kmも離れたシブにまで大型船が遡行してくることができる。この辺りでラジャン川は北に頂点がある逆U字に蛇行しており,その北側からイガン川が合流している。この合流部の東側に町は広がっている。しかし,地図で確認するとイガン川はここから海岸近くの低湿地帯に向かっており,合流というよりは分流であろう。

川岸には複数の船着き場がある

この辺りでラジャン川の川幅は800mほどもある。水は多くの泥を含んでいるため茶色に濁っており,水深はまったく分からない。現在でもラジャン川は地域の重要な交通路となっており,上流部の町を訪問するときはもちろん,州都のクチンにも船を利用するして行くことができる。

何ヶ所かの船着き場を回り,カビットとクチンへの高速船の情報を集める。何社かが航路をもっており,移動には不自由しない。

シブのランドマークとなっている七層観音はラジャン川の船着き場周辺からはよく見える。右側の新しいビルがなければとてもよい構図になるところだ。

ラジャン川は季節により大きく水位を変える。上流部のカピットでは土手の浸食の状況から5mは変動するようだ。にもかかわらず,シブの岸壁は現在水位に対して2mほどしか余裕はない。川幅が広がっているので水位の変動は上流部より少ないのであろう。

中心部には2つの教会がある

内陸部に居住するダヤクを総称される先住民族はクリスチャンが多い。そのためこの町にもいくつかの教会がある。写真では分かりづらいと思うが,周辺にはツバメがたくさん飛んでいる。

七層観音塔

川岸にシブのランドマークというべき七層観音塔がある。高さは20mくらいのとても美しい建物である。この七層観音塔は大伯公寺院(Tua Pek Kong Temple)という中国寺院の一部になっている。この中国寺院の歴史は1870年に遡り,当時は小さな木造寺院であったと記録されている。1897年に標準的な中国寺院に改築された。このとき中国で特別に造らせて大伯公神の像がもたらされている。

1928年にあったシブの大火でも奇跡的に消失をまぬがれた。第二次大戦中の連合軍の爆撃で寺院はひどく破壊されたが,本尊は無事であった。1979年に寺院は新たにコンクリート造りになった。1987年にサラワク州政府の支援により,寺院の一部が取り壊され,代わりに七層観音塔が建てられた。(寺院の歴史は英文wikipediaより引用)

写真のように正面から見ると七層は数えられないが,裏側から見るとちゃんと七層になっている。この塔の写真は午前中の光が具合がよい。寺院の入り口には立派な香炉が置かれている。龍と獅子を装飾の題材にしたすばらしい逸品である。本尊は大伯公と思われるが,内部には漢字の表記がなく確認はできなかった。

中国寺の内部にはおもしろい壁画がたくさんあり,写真に収めることにした。中国服の美女は服装のあでやかさとともに動きの美しさもあり,写真の良い題材となる。西遊記に出てくる場面も数多く取り上げられており興味深い。しかし,壁面は暗くフラッシュを使用すると光の反射があり,よい写真にはならない。それぞれの壁画には説明文があるのでいちおう努力して読んでみたが見知った単語はなかった。

七層観音塔からの眺望

寺院で鍵を借りると,七層観音塔は最上部まで上がることができる。ラジャン川に沿った港湾施設の大部分を眺望することができる。ページトップの写真のようにラジャン川はここで大きくU字形に蛇行している。画像の奥側が上流である。

中央に見えるものは中島ではなく,奥地で伐採され筏に組まれて河口の製材所に向かう木材である。左の写真はシブの3つの船着き場の全景である。旅行者が利用する船着き場は最も遠くにある白い屋根のあるものだ。

■調査中

中央市場|アジアでこれほど明るい市場は珍しい

経済発展の著しいマレーシアでは市場もずいぶん明るく清潔になっていた。魚介類を扱うところではステンレス製の台の上に並べられており,清潔感がある。

中央市場|ニワトリは新聞紙にくるまれている

ニワトリは肉だけではなく生きたまま売られている。肉にする手間がかからないのでこちらの方が安いのだろう。東南アジアの市場では珍しい光景ではない。でも,新聞紙にくるまれた簡易包装はちょっとしたアイディアである。

中央市場|海と川の魚が混在している

大河ラジャンの河口近くに開けたシブの市場には海水魚と淡水魚が混在して売られている。大きな魚は10リンギット/kg前後の値段で売られている。小さなものは一山いくらの単位であり,この30cmほどの魚は一山150円ということになる。

ナマズは川魚の中ではもっともよく食材になっている。体長は60cmほどもある立派なナマズは1kgが4リンギットで売られていた。海水魚に比べると半額である。この差はイスラム教に関係していると推測できる。ユダヤ教から派生しているイスラムでは食べ物に対する多くの禁忌がある。

豚を絶対的な禁忌とするのは有名であるが,その他にも地面を這いずる物,鱗のない魚,生肉,正規の段取り(ハラム)を経ないで屠殺された動物などは禁忌となっている。ナマズは「鱗のない魚」なので,ムスリムにとっては禁忌である。この魚を食べることができるのはキリスト教徒となっている先住民族の人々と華人系の人々だけである。そのため需要が少ないのであろう。

マナガツオ(スズキ目・イボダイ亜目・マナガツオ科)は日本からインドにかけて大陸の沿岸に生息している。カツオの名前は付いていてもまったく別種の魚である。中華料理ではよく丸ごと清蒸にされる。この料理が定番かと思っていたら,日本では照焼き,西京焼き,ムニエル,香味揚げなどたくさんのレシピが紹介されていた。

中央市場|地元農家も商品を出している

中央市場の一画には地元の農家が生産した農産物も販売されている。また,建物の外には地元でとれた魚介類が販売されている。

バナナ(バショウ科・バショウ属)の原産地はマレー半島からニューギニア島にかけての地域とされており,人類とは数千年の長い付き合いがある。現在のバナナ類は世界の熱帯地域で広く栽培されており,生食用(バナナ)と調理用(プラテン)に大別さる。FAO(国連食糧農業機関)の統計では2003年の生産量はバナナが6929万トン,プランテン3297万トンとなっている。

バナナは大規模なプランテーションだけで生産されるわけではない。アフリカ,インド,東南アジアでは小規模ながら広く栽培されている。ローカルバナナはそれぞれ地域の特徴をもっており,それらを味わうのも旅の楽しみの一つであり,大事な簡易食料でもある。この市場ではローカルバナナが一山60円であった。しかし,この一山は僕には多すぎる。

植物のずいや柔らかい成長部分を食べる文化はボルネオ島の先住民族のものである。日本でいうとタケノコを食べる文化と同類である。もちろんボルネオでもタケノコを食べる文化はある。それ以外にもヤシの仲間の成長点のずい,バナナの茎のずい,この写真にあるような植物の柔らかいずいなどを食料としている。

中央市場|建物の外にも露店がある

熱帯では本木性のマメ科植物には大きな鞘をもつ種子をつけるものが多い。そのような木には30cmほどもある茶色の莢がたくさんぶら下がっているのでときどき写真にしている。種類のよっては中の種子(豆)は食用になる。フィリピンのパナイ島ではおばさんが手間ひまをかけて豆を莢から取り出していた。ここの市場で売られていたものも莢の部分は食べられそうにないので豆を取り出して食材にするのだろう。

世界最大の豆として有名なものはモダマ(藻玉)である。「熱帯果物紀行」にはモダマの木と豆の写真が掲載されている。木質の莢は60-120cmにもなり,その中には莢に見合った5-7cmにもなる大きな豆が入っている。豆は黒く光沢があり,威厳がある。ネットで調べても食用になるという記事はなかった。

シブの街並み

街路樹|オオゴチョウ

街路樹|調査中

街路樹|ゴールデンシャワー

シビックセンター内にある博物館(文化遺産展示ホール)に行こうとして市バスの窓口でたずねると「Sungai Merah」とメモにしてくれた。バスに乗り,このメモを車掌に見せると1.4リンギットだという。

博物館は町から4kmのところあるのでいやな感じがした。サラワクではこのいやな感じがよく的中した。市バスの関係者だからといって,ガイドブックに記された施設名をちゃんと知っているとは限らない。

街路樹|ココヤシ

シブの街並み点描

今日はお店番なの(ウソ)

ムスリム墓地

トーチジンジャー

婦女子家政訓練所

中国系の仏教寺院

文化遺産展示ホール

果たして・・・,バスから降りると「ここはどこ」という状況である。商店の男性は「町の方向に3kmほど戻ったところだよ」と教えてくれた。せっかくここまで来たのだから歩いてみようと考えたのが甘かった。道路がロータリーになっているため,本来の道と平行する西側の道に入ってしまい,そのまま町に戻ってしまった。午後は正しい道を歩き,ようやく特徴的な形の屋根を見つけることができた。

ボルネオ島では陶磁器の大半は中国からの輸入品であった。ユーラシアの東西を結ぶシルクロードは陸路のイメージが強いが,宋の時代以降は海路が中心となった。特に中国特産の陶磁器はその重量から海路が主役であった。貿易船は中国と東南アジアも結んでおり,各地で中国陶磁器が発見されている。ボルネオの先住民族も中国船から大量の陶磁器を買っている。特に大きな甕(かめ)は彼らの必需品であった。

シブの華人社会の中核をなしているのは福建省福州人である。清朝末期の戦乱で苦しむ同郷人を救うため,福州人の黄乃裳は1889年にサラワクの白人王となったチャールズ・ブルック(英国人)と交渉し,シブ地域での開墾移住を取り決め,翌年1000人以上の人々と一緒に移住した。その後も福州人の移民は続き,地域の華人の多数派となっている。ここに展示してある中国系の服装はおそらく福州人のものだろう。

ナイトマーケットの設営

シブでは宿の周辺には何軒かの食堂はあるものの,18時を過ぎてしまうと閉まってしまう。僕の夕食時間帯は19時なので滞在最初の日は夕食に苦労した。幸い宿の近くの食堂がまだ営業しており,チキンと卵入りビーフンにありつくことができた。二日目はナイトマーケットを見つけ夕食の心配は全くなくなった。

ツバメの巣

ナイトマーケットの会場となっている駐車場の周囲には庇の張り出した2階建ての建物があり,その軒下にはツバメが巣を作っている。巣作りの習性は日本と同じである。

ツバメ(スズメ目・ツバメ科・ツバメ属)は渡り鳥である。日本には夏鳥として春先に飛来し,繁殖し,越冬のため台湾,フィリピン,ボルネオ島北部,マレー半島,ジャワ島に戻る。民家の軒先などに泥と枯草を唾液で固めて巣を作る。これは,天敵であるカラスなどが近寄りにくいからだと考えられている。

日本人は国内の動向からツバメは渡り鳥だと考える人が多いだろう。つまり,東アジアのツバメは北で繁殖し,南で越冬するという渡りである。ところが,シブの町のツバメは日本のように泥で建物の軒下に巣を作り繁殖していた。こうしてみると,ツバメにも留鳥タイプと渡り鳥タイプがあるようだ。

19時頃から人出も多くなる

ナイトマーケットは17時頃から近くの広い駐車場で設営が始まり,19時ころから人出も多くなる。ここでは日用品や衣類なども売られているが,メインは食べ物の店である。

華人とマレー系が共存している町なので食べ物も二系統となる。それにしても豚肉を完全な禁忌としているムスリムと肉といえば豚肉の中国系が一つの広場で屋台を出しているのであるから不思議な光景ということができる。

ライトアップされた七層観音塔

夜になると七層観音はライトアップされこれもきれいだ。19:30を回っても寺院の中に入ることはできた。入り口を照らしている提灯の灯りがとても艶めかしい。現在は電球になっているのだろうがそれでもなかなかの風情を醸し出している。もう少し露出を押さえた写真にすれば効果的だったのではと反省している。


ミリ   亜細亜の街角   カピット