亜細亜の街角
2泊3日でミンダナオ島を横断する
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ミンダナオ島  (地域地図を開く)

ミンダナオ島は面積が9.5万km2,フィリピンではルソン島に次いで大きい島である。フィリピンはルソン島とその周辺の島々,ビサヤ諸島,ミンダナオ島とその周辺の島々という3つの群島で構成されされており,ミンダナオ島を含む群島は国土面積の約1/3を占めている。

ミンダナオ島のサンボアンガからボルネオ島まで連なるスールー諸島,ボルネオ島北部,パラワン島に囲まれたスールー海周辺は15世紀から19世紀にかけてイスラム教のスールー王国が支配していた。

現在でもイスラム教徒の比率が高く,カソリックが大多数を占めるフィリピン政府に対して独立闘争を行ってきた。最近ではミンダナオ島西部はアブ・サヤフやジェマ・イスラミアといったテロ組織が拠点を置き,外国人の滞在,移動にはリスクが高い。

スリガオ(05:40)→カガヤンデオロ(08:10) 移動

05時にチェックアウトしてトライシクルでバスターミナル行のジープニーの発着所に向かう。ところが大聖堂の手前で進入禁止となっていた。少し歩いてジープニーの走っている通りに出ても,今朝は一台も走っていない。

日曜日のせいか,時間が早すぎるせいかは分からないがこれは困ったことだ。乗合のトライシクルがバスターミナルまで10ペソで行ってくれるというので,ありがたく利用させてもらう。

バスターミナルには05:30頃に到着した。カガヤンデオロ行きの直行便ではなく,途中のブトゥアン行が見つかった。オーディナリー(エアコンなし)はすぐ出るというので乗車する。

フィリピンではエアコンバスは最大限に冷房を働かせるので防寒が必要になる。それに対してオーディナリーは窓を開ければ風が入ってくるのでそれほど苦にはならない。

運転手の後ろの席は足元に荷物を置けるので都合がよい。通路の反対側の男性はオンドリのヒナを箱にも入れず手で持って運んでいる。すでにフンが床を汚している。こんなのありかな・・・。

バスは確かにすぐ出発した。道路状況はよく,バスは路上の遅い車両を次々と追い越していく。運転手の技量はなかなかのもので,片側一車線の道路を時速70-80kmくらい(スピードメーターは動いていなかった)で飛ばしていく。

ブトゥアン(08:45)→カガヤン・デ・オロ(13:00) 移動

08:10にブトゥアンに到着する。所要時間は2時間強といったところだ。このバスターミナルで朝食をとっている間にカガヤンデオロ行のオーディナリーバスは出てしまい,310ペソのA/Cバス(オーディナリーは200ペソ)に乗ることになった。やはり車内温度は長袖が必要なほどであったが,暑い日中の移動なのでさすがに快適である。

ミンダナオ島に入ってもココヤシの木は非常に多い。ココヤシはきれいな林を作っており,ところどころに残された切り株はまるでアリ塚のような景観である。

ココヤシ以外ではバナナ,水田,マンゴーが目についた。走行中の振動はかなりのもので,座席の横に置いたメインザックがだんだんずり落ちてくるほどだ。13時過ぎにカガヤン・デ・オロに到着した。

カガヤン・デ・オロのロッジ

この町では1泊して翌朝には移動するので東バスターミナルの北側にあるロッジに泊まることにした。いかにも旅行者のための宿という感じで,廊下の両側に小さな部屋が並んでいる。僕の150ペソの部屋は2畳,1ベッド,T/S共同であり,清潔さは水準以下である。

この宿の1階にはカラオケ屋か飲み屋があり上の階までひどい音量が響いてくる。明け方も03:30頃から廊下の話し声が聞こえてきて,睡眠に関しては劣悪な環境であった。

半水上集落がある

宿のすぐ近くに海岸がある。周辺はエビかサバヒーの養殖池となっており,すでに放棄されているようだ。一部の池ではマングローブの若木が成長している。

養殖池以外にも水域は広がっており,道路はそこから一段高くなっている。水域はマングローブの林となっており,常緑の葉の緑が目に鮮やかだ。

大きな川のような水路があり,その先に水上集落がある。現在は水の少ない時期なのか,水面は板を渡した通路のだいぶ下にある。この集落の一部は地面の上にあるが,すべて高床式となっている。大潮になると全体が水上集落となるのだろう。集落の最前線はもう完全に海となっている。

ここの子どもたちはとても礼儀正しい。外国人に対して必要以上に馴れ馴れしくはないし,カメラを向けるとちゃんと笑顔でフレームに入ってくれる。

干潟のマングローブ林

近くには海岸があり,10人ほどの人たちが海水浴を楽しんでいた。この海岸はミンダナオ島とビサヤ諸島に囲まれているので波は静かだ。

帰り道でページトップの写真にある水中にしっかり根を下ろしているマングローブの幼木を見かけた。水面上に出ている部分は1mに満たず,潮が満ちると全体が水中に沈んでしまうかもしれない。そのような環境でもマングローブはたくましく成長を続ける。

西バスターミナルで翌日の移動情報を収集する

カガヤンデオロの町は見学するつもりはなかったが,バスターミナルでちょっとした誤算があった。この町には東と西に二つのバスターミナルがある。東のAgora BT は東部方面を担当し,西のWest Bound Blue BT は西部方面を担当している。

僕は東から来て西に移動しようとしているので,翌日の情報を収集するためには西BTに行かなければならない。二つのBTは10kmほど離れており,その間はジープニーが結んでいる。

カガヤン・デ・オロはミンダナオ島の北海岸に位置しており,地域の中心都市である。ここから西はミンダナオ島の危険地域ということになる。スルガオ→サンボアンガの行程の1/3くらいのところである。

ここからサンボアンガまでは506km,オーディナリーバスの料金は1.3ペソ/kmなので約665ペソということになる。所要時間は10-12時間であり,安全のため暗くなってからは移動したくないので,途中でもう1泊することになると計算した。もっともうまく早朝の直行バスが見つかれば話は別である。

西バスターミナル周辺を歩いてみる

カガヤンデオロ(07:30)→パガディアン(15:00) 移動

今日の移動を整理するとカガヤンデオロ(07:30)→イリガン(09:45)→川越え(10:50)→パガディアン(15:00)となる。やはり,サンボアンガまで移動することはできず,パガディアンでもう1泊することになった。

06時にチェックアウトしてジープニーのところに行こうとすると路面の一部が冠水している。夜中に一雨があったらしい。ジープニーの並んでいるバスターミナルの一画は完全な洪水状態で,深さが10-20cmの水たまりとなっている。

乗り場の方は一段高くなっているのでジープニーにはアクセスできるが,乗り場に行くには水没地域を渡らなければならない。幸いなことに1か所だけ渡し板があり,なんとか乗り場エリアにたどり着くことができた。

ここの食堂はすでに営業していたのでごはんと魚のスープで朝食をいただく。経営者はイスラム教徒であり,ミンダナオ島にいることを実感させられる。それにしてもフィリピンではよくカツオのスープをいただいた。割合としては鰺やサバヒーよりずっと多い。

フィリピンのカツオ漁はすべてまき網によるもので,2009年の漁獲量は19万トンと日本のまき網19万トン,竿釣り5.7万トンと比べてもそん色はない。

1970年代までは中西部太平洋におけるカツオの漁獲量はほとんど日本によるもので30万トンほどであった。しかし,現在は周辺各国がカツオのまき網漁を行っており,漁獲量は175万トンに増加している。

そのためか,黒潮に乗って日本近海にやってくるカツオは1970年代から減少し,現在の主力漁場はマリアナ諸島周辺となっている。

バスがキャンセルされる

ジープニーで西BTに移動しバスを探す。パガディアンと表示のあるオーディナリーバスが停まっており,それに乗り込む。荷物スペースがないので3人掛けの座席の一つに荷物を置いていると,すぐに混雑が始まり,ひどく窮屈な状態となる。

イリガンまではその苦しい状態であった。車掌は料金を集めに来るがまずイリガンまでの75ペソが徴収された。イリガンのBTから動き出しと15ペソと小刻みに料金を取られる。その理由は10時を回ったところで明らかになった。 バスが停まり,乗客は荷物をもって下車し歩き出す。乗客が「バス,キャンセル」と教えてくれた。運転手に「パガディアンは」と尋ねると,「あっち」と指で示してくれる。

乗客と一緒に300mほど歩くと橋の周辺に人々が集まっている。幹線道路に架かる鉄橋型の橋の一部が損壊しており,車両は全面的に通行止めになっている。近くに仮設の橋が架けられており,双方の乗客が片側交互通行の形で仮設橋を渡っている。

橋の向こう側には同じルーラル社のバスが待機しており,他の乗客と一緒に乗り込む。このバスには運転席の周囲に荷物スペースがあったので助かった。姿勢が楽になったのでようやく外を眺める余裕も出てきた。

昼過ぎから雨になり,その中で水牛を使って水田の荒起こしをする光景が何回か出てきた。この辺りは平地が多く,水田が一面に広がっている。15時過ぎにパガディアンのバスターミナルに到着した。期待通りに近くにロッジの表示が見えた。今日はこれ以上の移動は無理なのでここで泊ることにする。

IBT Lodge

IBT Lodge はバスターミナルから看板が見えたのでここにした。部屋は小屋風のものがいくつかつながっている形式になっている。部屋の広さは6畳,1ベッド,まあまあ清潔である。

トイレは共同であり,水は貯め水のため簡単に水浴びというわけにはいかない。事務所に机があったのでここで日記を書いていると,日本語が珍しいのかギャラリーが集まってくる。

17:30から降り出した雨は断続的に夜半まで降り続いた。母屋の屋根に降った雨水は集められ,1600リットルの大きなプラスチック製のタンクに貯められている。この仕組みが分かったので翌朝,歯を磨いた後はボトルの水で口をすすいだ。

パガディアン(06:45)→サンボアンガ(13:30) 移動

06時にチェックアウトして道路を挟んで向かい側にあるバスターミナルに向かう。水の自動販売機があったので500CCのボトルをいっぱいにしておく。この冷えた飲用水の値段はわずか1ペソである。それに対して,500CCの水のボトルは15ペソである。

バスターミナル内のムスリム食堂はすでに営業しており,カツオのスープ(水煮)をいただく。この料理はフィリピンではほとんど外れがなかった。国民の83%がカソリック(キリスト教全体では93%)のフィリピンにあって,ミンダナオ島は例外的にムスリム(イスラム教徒)人口の多いところである。

ユダヤ教から派生したイスラム教は食べ物に対する禁忌がたくさんあり,キリスト教徒と一緒に食事をするのは難しい。

特にフィリピンでよく口にされる豚肉はイスラムでは大きな禁忌となっており,ムスリムの人たちは誤って口にすることのないようにムスリム食堂を利用する。このため,バスターミナルにもムスリム食堂が存在することになる。

サンボアンガ行のブースにはオーディナリーバスが入ってきた。しかし,それはここ止まりのものだと乗車を断られた。続いてRular Tour のA/Cバスが入線し,料金をたずねると340ペソと格安であった。

パガディアンからサンボアンガまでは275km,僕の予想したオーディナリーバスの料金は350ペソなので,このA/Cバスはそれより安い計算だ。

メインザックは上の網棚に置くことができたので,久しぶりに荷物にわずらわされない移動となった。バスは06:45に出発した。オーディナリーバスは沿線の人々の足となっているため頻繁に乗降を繰り返すが,A/Cバスはバスターミナル以外ではほとんど停車しないので時間の節約になる。

フィリピン国家警察のチェックポストがやたらと多い

道路にはPNP(フィリピン国家警察)のチェックポストがやたらと多い。もちろん,他の島にもチェックポストはあるが,ミンダナオ島西部では共産主義の新人民軍とイスラム過激派という紛争地を抱えているのでかなり厳重である。警察といっても自動小銃を携行しており,ほとんど軍隊といってよい装備である。

車掌は7時間でサンボアンガに到着すると言っていた。平均時速は40kmといったところだ。イピリには10:15に到着した。途中にはいくつかのPNP(国家警察)のチェックポストがあり,イピリの少し先ではサンボアンガから来たバスに迷彩服の警察官もしくは兵士が乗り込み,内部をチェックしていた。

この辺りは政府と対立するイスラム勢力の活動がさかんな地域である。イスラム勢力の中には外国人の誘拐を専業にしている集団もあり,陸路の移動は決して安全とはいえない。 11:15くらいから昼食休憩に入ったようだ。うたた寝をしている間に車掌も運転手もいなくなった。あわてて外に出て食堂を探すと彼らがおり,ランチタイムと教えてくれた。

あわてて注文を出し,僕としては最大限の速さで食べる。しかし,こんなときに限ってカツオの量が多く難儀する。バスは僕が乗車するとすぐに動き出した。

沿線の景色はココヤシの林が半分以上を占めていた。なだらかな山の頂上まで続くココヤシの農園はなかなか壮観である。平地はほとんどが水田となっており,稲刈りと荒起こしが同時進行中である。田植えが終わったばかりの水田もあり,まるで季節感がない。

比較的大きな町を通過する

ヤシ農園のようだ

サンボアンガに到着

車掌の言った通り13:30にサンボアンガに到着した。ここはまったく見覚えのないところだったので,バス会社の人にダウンタウン行のジープニーを教えてもらった。

ジープニーの終点は町の中心部にあり,そこも見覚えのないところであった。荷物をかついで歩き回るのは面倒なので宿まではトライシクルを利用したら,ものの3分で到着した。

ミンダナオ島を横断するための交通費はスリガオ(155)→ブトゥアン(310)→カガヤン(280)→パガディアン(340)→サンボアンガとなり合計は1085ペソであった。


スリガオ   亜細亜の街角    サンダカン→ コタキナバル 1