Home 亜細亜の街角 | Poipet / Cambodia / May 2003

ポイペト  (参照地図を開く)

タイのアランヤプラテートと向かい合うカンボジア国境の町。カジノが解禁されているためタイ人のお金持ちが大挙して遊びに来る,国境での怪しげなビジネス目当てに多くの人々が流入し,非常に治安が悪い。外国人にも国境が開かれているので,多くの旅行者がここを通過する。日本人旅行者が巻き込まれる事件も何件か発生している。

できれば,アランヤプラテートに宿泊し,午前中に入国し,信頼できる乗り合いの車を見つけて,すぐにシエムリアプかバッタンバンに移動したほうが良い。決して一人で車に乗らないこと。

バンコク→ポペト 国境移動

カオサン(06:30)→モーチット(07:20)(08:00)→アランヤプラテート(12:30)→ポイペト(13:00)と移動する。宿の前のバス停からモーチット・バスステーションにまでNo.3の市バスで移動する。早朝6時半だというのに満席でしばらく立つことになる。モーチットは巨大だ。建物の外と内側にチケット・カウンターがあるので目的のものを探すのはちょっと大変だ。

アランヤプラテートまではすべて平野である。タイのバスはエアコンが入っているし,道路も良いのでとても快適である。アランに到着するとバイクタクシーとトクトクが集まってくる。カンボジア国境までは10km,バイタクで40Bである。

タイ側のイミグレで出国手続きをして国境ゲートをくぐる。カンボジア側のビザ発給所で書類を書きパスポート,1000Bと一緒に出すとすぐにビザが発給される。あとは入国カードを書き,イミグレーションに出すと入国の儀式は終了である。

タイからカンボジアに入るとき,日本人旅行者につきまとう「自称ガイド」がたくさん現れる。話しかけてきても返事をしない方がよい。欧米人はこのような輩を相手にしないので,もっぱらお人好の日本人をカモにしようとしている。

入国手続きなどで彼らのお世話になると,必ずガイド料の請求が来ること請け合いだ。宿や乗り合いタクシーは自分で探すこと。必ず料金にコミッションが上乗せされる。

Reah Smey Phnom Penh GH

イミグレーションの近くにいくつかの立派な建物がある。ほとんどが公認のカジノをもつホテルと考えて差し支えない。イミグレーションから少し行くとロータリーに出る。その少し先に何件かの宿がある。

「Reah Smey Phnom Penh GH」はエアコンを使わないという条件で150Bであった。英語はほとんど通じない。部屋は6畳,T/S付き,Wベッドでまあまあ清潔である。僕は不幸にも国境ゲートから自称ガイドにつきまとわれ,部屋代を200Bにされてしまった。だいぶ腹が立つ。ちなみに,エアコンを使用するとプラス100Bが必要になる。

国境の町

食事は宿の隣の食堂をよく利用した。この食堂は朝から大いに繁盛している。英語はほとんど通じないので,他の客が食べているものを一通りチェックして,鳥ごはんを注文する。ここではトリを骨ごとさばくので,大骨・小骨がまじっており始末が大変だ。

ポイペトの町は比較的お金があってここで商売をする人と,近郊で食い詰めてこの町に流れ込んできた人々に区分されそうだ。多くの人々は裏通りの不衛生なスラム状態の家に住み,タイ側に働きに出たり,非合法のビジネスに使われている。

旅の必須アイテム

僕は旅の必須アイテムの中に子どもたちへのプレゼントを入れている。それは決して高価なものであってはならない。子どもたちが見て,触れて,遊べるようなものがよい。子どもたちが大勢いる場合に備えて,ある程度以上の数量も必要だ。このような条件で考えて,@水ヨーヨー,A折り紙,Bフーセンを用意することにしている。

水ヨーヨーは日本からもっていく。インターネットで探すと,100個1000円くらいでヨーヨーセット(ヨーヨー,ゴムひも,パッチン,パッチン用台)が手に入る。水ポンプも必要なのでちょっとかさばるが,子どもたちに大うけすることは請け合いである。

折り紙はスーパーや100円ショップで手に入る。子どもたちにオリヅルを教えてあげると,とても喜ばれる。出来上がったところで集合写真をとるのもよい。フーセンは旅先で買うようにしている。タイで買うと100個入りで50B-75Bというところだ。フーセンは小さい子ども用に最適のアイテムだ。

寄付金集め

にぎやかな音楽とともに奇妙な一団がやってきた。大きな2体の着ぐるみが体を揺らしながら進んでいる。周囲には子どもたちが集まる。お金を集めている人もいる。

最後尾に僧侶がいたので,お寺の寄付集めであることが分かった。お寺を建てたり,仏像を新調するためにはたくさんのお金がかかる。ぼくも心ばかりを寄付する。

ポイペトの裏通り

メインの通りを1本外れるとそこはもう裏通りになる。道路は舗装されておらず,粗末な民家の並ぶ地域では捨てられた衣類が散乱している。ごみ収集の仕組みが無いので,長い間放置されているようだ。水道も下水も無い。場所によっては廃水の悪臭が漂い,ほとんどスラム状態である。それでも国境の町に出てくる人は後を絶たないようだ。

そのような環境でも子どもたちは元気に働き,元気に遊んでいる。洗濯物を運んでいる女の子がいる。「ちょっと止まって」と言ってカメラを向けると,とびっきりの笑顔がファインダーに写っている。写真のお礼はフーセンにする。

裏通りのさらに奥まった路地で幼児を抱いた子どもを撮ろうとしたら,路地の奥から同じように弟や妹を抱いた子どもたちがたくさん出てきた。東南アジアでは子どもを横抱きにして腰骨で支えるようにする。そして,少し大きな子どもたちの仕事は,小さな弟妹のお守りである。みんなに並んでもらい集合写真にする。この一枚も僕のすてきな記念品になった。

裏通りの商店街の店先に,生活用水が入った大きな水がめが置いてある。その子は水がめにつかまりながら外を見ていた。カメラを向けてもその表情は変わらず自然な感じの写真になった。とてもはにかみ屋で,モデル代のキャンディーを出すと家の中に逃げ込んでしまった。

この町の子どもたちは写真好きだ。少女の写真を一枚撮ると,彼女は家から弟を抱えてきた。「この子と一緒に撮ってよ」とアピールしている。はい,はい,分かりました。あれ,フラッシュが光ってしまった。自然な肌色を出すためやり直す。

小学校の制服

裏通りの人々の暮らし

この町はどこに行っても子どもたちで溢れている

あちらこちらで子どもたちに囲まれる

縫製工場と廃棄物

小学校を訪問する


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