慶良間諸島
慶良間諸島は沖縄本島の西方約40kmに点在する大小20あまりの島からなる島嶼群である。行政上は渡嘉敷島を中心とする渡嘉敷村と座間味島を中心とする座間味村の2村に分かれている。
渡嘉敷島西部の海域と座間味島と阿嘉島の間の海域は「慶良間諸島海域」という名称で2005年にラムサール条約登録地となった。また,2014年3月には慶良間諸島および周辺海域が「慶良間諸島国立公園」に指定された。この国立公園指定は慶良間諸島観光を後押しすることになるだろう。
慶良間諸島は山がちな地形であり,一見して隆起サンゴ礁の島とは思われない。その成り立ちを調べると,「慶良間諸島の生い立ち」という文献が見つかった。
それによると,150-200万年前には慶良間諸島は本島山原につながる山脈の一部であったという。この時代に本島南部は水面下にあり,久米島や粟国島は独立した火山島であった。
その後,本島南部は隆起し北部と陸続きになり,慶良間諸島はしだいに沈降して現在のような小さな島の集まりになってしまった。慶良間諸島の山がちな地形はかっての山稜のなごりである。
この学説は類似の文献が見つからなかったので,広く支持されているのかどうかは分からない。しかし,慶良間諸島と本島北部との地質質的類似,琉球石灰岩の垂直方向への広がり(海面下1000mから海面上200m)をよく説明できる。
那覇バスターミナル
今日も那覇バスターミナルから移動を開始する。那覇から成田空港へのフライトを確実にするため,那覇→渡嘉敷島→那覇とフライトの前日には那覇に戻る日程とした。
フェリーはとまりんから出ている
泊港の旅客ターミナルである「とまりん」の海側の写真はフェリーに乗って出港しないと撮れない。前に下見に来たときもほぼ同じ時間帯であり,二階のテラスから港内に停泊していた三隻のフェリーを眺めていた。
フェリーとかしき
まず,ここの一階で渡嘉敷島行きの往復乗船券(3080円)を購入する。この中には環境協力税100円が含まれているはずだ。渡嘉敷村は観光資源の維持・管理に必要な費用の一部に充てるため入域者(中学生以下を除く)から100円を徴収する条例を制定している。渡嘉敷島の景観を維持・管理するためには必要な費用であり,旅行者の僕としても喜んで協力させていただく。
渡嘉敷島への交通は村営フェリーと高速船の「マリンライナーとかしき」がある。僕はゆっくり派なのでフェリーを利用することにする。所要時間の70分は景色を眺めるのにちょうど良い時間である。
フェリーの運行時刻は泊港(10:00)→渡嘉敷島(11:10)(15:30)→泊港(16:40)となっているので,その気になると日帰りも可能であるが,それでは余りにももったいない。
近くの公園に子どもたちがやってきた
フェリーには09時20分頃にいったん乗船したが,近くの公園に子どもたちが屋外授業に来ていたので係員に断って下船する。この子どもたちは秋を探しに来ていると引率の先生が教えてくれた。
子どもたちの探す秋は頭上にある
芝生の上には落ち葉やテリハボクの実が落ちており,子どもたちはそれらを袋に入れている。彼らの頭上には枝についたテリハボクの実が見える。
フェリーとかしき|2階船室
フェリーとかしきの船室は2階にあり,イス席と床席に分かれている。僕は写真を撮るため船室には入らず,2階のデッキ席と3階の展望デッキ(ただの甲板)の間を行き来いていた。
波之上臨港道路は海をまたいでいる
フェリーは定刻の10時に出港した。他の2隻もほぼ同じ時間に順次出港する。泊大橋がしだいに近づいてくる。この橋の上を泊港を立体的に横断する波之上臨港道路が通っている。
旗を掲げて出港する
3階の展望デッキ(ただの甲板である)に出るとマストに旗が上がっているのに気が付いた。これは国際的に船舶だけに通用する旗りゅう信号(国際信号旗)である。
信号旗には文字旗(A〜Zまでの26文字)と数字旗(0〜9の10種類)などがある。それぞれの旗には船の状況を表す意味があり,複数の組み合わせにより,さらに多くの意味の信号を送ることができる。現在は電気的な通信手段が発達しているので旗りゅう信号の出番はほとんどないが,いくつかのものは慣習的に使用されている。
中にはL旗(停船命令)のようにぶっそうなものもあり,さらにSN旗(S+N)は「停船せよ,従わなければ砲撃する」という意味をもつ。こちらの方は通信を途絶している船舶を停船させるときに必要な手段となっている。
進行方向には群青色の海が広がる
2階の船首デッキにはいくつかのイスが並べられており,進行方向の風景を眺めることができる。泊港を出るとすぐに海の色は群青色になる。このような風景を眺めることができるのは船足の遅いフェリーならではである。
波頭はどうして白いのだろう
舷側には船が前方の水をかき分けて進行することにより白い波が生まれ,周辺の群青色との対比が美しい造形を作り出している。白い波は海水中に気泡が混ざり合うことにより生まれる。透明な大気と透明な水が混ざり合うと白濁するというのは考えてみると奇妙な現象である。
これは石鹸の泡が白く見える,あるいは本来は透明な塩や砂糖の小さな結晶が白く見えるのと同じ現象である。ポイントは小さなものがたくさん集まっていることである。光は小さな物体に当たると反射するが,物体の表面は鏡のような滑らかな平面ではないのでいろんな方向に反射する。これを拡散反射あるいは乱反射という。
太陽光はいろんな可視光色の成分を含んでおり,それが乱反射されるると人間の目はすべての波長成分が入ってくるため白く感じることになる。海水も大量の気泡を含むと,表面で乱反射が起こり白く泡立つことになる。
さらに,気泡は光の波長より大きいため海中でもミー散乱あるいは乱反射が起こるため,白く泡立った領域の外側にも青色の薄い領域が生じる。
というのがにわか科学者になった僕の見解であるが,正しいかどうかははっきりしない。ネット上にもどうして波が白く泡立つのかということについて科学的な解説をしてくれる情報は見つからない。
この岩礁の背後に渡嘉敷港がある
前島は渡嘉敷港のすぐ沖合にある差し渡し500mほどの小さな島である。この島は渡嘉敷港を守る天然の防波堤となっている。
接岸準備が始まる
2階の船首デッキで眺めていると1階甲板では接岸の準備作業が行われている。
渡嘉敷港
港に入ると島の中央部を走る山並みが見える。かっては慶良間諸島は一つの大きな島であり,地殻変動により沈降したため山稜の部分だけが島として残ったという学説を支持しそうな地形である。
渡嘉敷港旅客待合所
船は舫い綱の先端に付いている細い重り付きのロープを岸壁の係員に投げ渡し,係員はそのロープを引いて舫い綱を手繰り寄せ,岸壁に舫う。そこを支点にスクリューを回すと船はゆっくりと岸壁に近づいていく。
船が完全に停止すると2階船室横の舷側から渡し板が下ろされ,乗客はそこから下船する。航行中,この渡し板は金属のカゴで囲われていた。もちろんこの船はフェリーなので前方のエプロンを下ろし,そこから荷物などが出し入れされる。
岸壁には旅客待合所があり,そこを抜けると「けらま荘」の車が待機してくれていた。宿泊予約を入れておいたけらま荘は中央の山を越えた反対側にあるので車の送迎はまちがいなく必要である。
阿波連ビーチ周辺
阿波連ビーチはきれいな半円形であり,沖合には小さな島がある。ビーチの周辺にはサンゴ礁が発達しており,シュノーケルでのんびりサンゴ礁を楽しむことができる。もっとも僕は海に入る準備をしてきていないので,ビーチをのんびり散歩させてもらった。
阿波連ビーチの北側には人気のないビーチ,さらに半島のような地形の先には渡嘉志久ビーチがあり,天気に恵まれ,そこでは最高の海の色を楽しむことができた。
宿泊はけらま荘
宿泊予定のけらま荘は阿波連ビーチにある。那覇から予約の電話を入れたら二つ返事で予約がとれた。ついでに,渡嘉敷港までの送迎の話もあり,フェリーで行くと伝えるとちゃんと待機してくれた。
あまり余所の悪口は言いたくないが,当初計画していた座間味島の民宿の対応はひどかった。そのおかげで渡嘉敷島の二泊三日を楽しむことができたのでよしとしよう。
民宿けらま荘はすべて個室となっており,バス・トイレ共用の和室6室,バス・トイレ付の和室が3室となっている。僕は共用の和室を選択し,朝食付きで1泊4200円であった。歩いて1分のところに商店もあるし,歩いて3分のビーチの近くには何軒かの食堂もあるので食事の心配はない。もっとも当てにしていた食堂の2軒は休業しており,唯一,営業している食堂(飲み屋)のお世話になった。
阿波連(あはれん)ビーチ
阿波連ビーチは絵のようなパステルカラーであった。少し茶色がかったパステルクリーム色の砂浜,その砂浜の色を反射するパステルスカイ色の渚,白い砂浜と浅い海が続くのでずっと先まで続くパステルグリーンの海である。
ビーチの終端には大きな岩があり,その背後には展望台のある半島状の地形となっている。半島地形の先端部は岩礁の連なりが海に向かって伸びている。海に入らなくてもこの景色は十分に目を楽しませてくれる。
左側には漁港も見える
反対側にも同じような景色が続き,ビーチの先には漁港の施設が見える。11月に入っているので水に入る人はときおりシュノーケルで浅いサンゴ礁の海を楽しむ人がいるだけだ。
渡嘉敷島ではダイビングのライセンスがとれるのか,毎日,1グループが浅い海で講習を受けていた。そのような人たちがいない時間帯は,長さ500mほどのビーチをほとんど一人占めである。
波紋が砂地に映る
水の透明度が高いので波打ち際では波紋が白い砂地に映り込んでいる。ほんの一瞬もじっとしていない波の動きにより,砂地の波紋もゆらゆらと動き,砂浜に腰を下ろして眺めていると,脳の活動が停止状態になってしまう。このような時間は僕の旅行ではちょっと得難い経験である。
地図で調べたら離島となっていた
阿波連ビーチの正面にある岩礁の名前を調べると「離島」となっていた。まさか,正式名称が「離島」ということではないだろうね。
阿波連ビーチの北側は岩礁地帯に続いている
ここがビーチの北端にあたる。大きな岩はもう少しで島から切り離されようとしており,わずかに残った接続部にはトンネルができている。固い岩石も絶え間ない水の浸食により少しずつ削られていく。
海に突き出した岩の途中に小さな割れ目やすき間があると周囲より波による浸食が早く進み,次第に小さな洞窟ができる。さらに浸食が進むと先端部の岩は陸側と切り離されたり,接続部にトンネルあるいはアーチが形成される。
この岩のトンネルも時間とともに大きくなり,その先の大岩は砂浜に孤立することになる。大岩の背後に連なる岩礁もこのような過程で形成され,もとの岩の基部だけが残されたものであろう。
近くの展望台に上る途中でクバ林が見える
クバは土地の言葉であり和名はビロウ(ヤシ科・ビロウ属)となる。日本では九州以南の地域の海岸近くに自生しており,八重山では神が降りる木として大事にされている。
大きく円形に広がった若葉はそのまま重しで形を整えうちわ(扇子)にもなるし,垂れ下がるようになった古い葉は乾燥させると蓑の材料になる。草あるいは木の葉の繊維としてはアダンとともに重要な島の資源となっている。
クバは渡嘉敷島でも重要な植物資源であったはずなので,集落の近くにあってもなんら不思議はない。ところが,阿波連ではクバの純林ができているのちょっと驚いた。島の人がなんらかの目的で植林したものであろう。クバの寿命は300年ほどとされているので,大切に育てると,長年に渡り利用することができる。
展望台に続く石段
石段といっても基盤岩を削ってステップを造ったものである。
展望台からの眺望|阿波連ビーチ
展望台からの眺望の写真は渡嘉敷島から戻る日(2日後)のものである。ようやく晴れ間が広がったので阿波連ビーチも本来の色彩を取り戻した。少し灰茶色に見える部分はすべてサンゴ礁である。ビーチからではこのような色彩の差異は簡単には分からない。この海の色は十分に素晴らしいものであるが,太陽との角度との関係があるのか,北側の渡嘉志久ビーチの色には及ばない。
湾状の海は一面のサンゴ礁となっている。慶良間諸島の周辺には高密度のサンゴ礁が広がっており,サンゴの種類も248種が確認されている。沖縄本島に近い慶良間諸島は本島サンゴの供給源となっている。
本島周辺海域では海水温上昇による白化,赤土流失,オニヒトデの大発生により,しばしばサンゴ礁の大規模な劣化が報告されている。本島のサンゴ礁は全滅とはいかないまでも危機的状況にあるのは確かである。
一度劣化したサンゴ礁を人為的に再生(サンゴの植え付け)するのはとても困難な事業である。サンゴ礁の再生には海の環境の改善が必要不可欠であり,人間にできることはその一点であろう。
海の環境が改善されると,慶良間の海から流れてくるサンゴの受精卵が着床し,新しいサンゴ礁が再生される可能性は高い。現在でも慶良間諸島は本島に受精卵を供給し続けている。
そのように重要な役割を担っている慶良間諸島のサンゴ礁もダイビング人気の急上昇により,年間10万人ものダイバーが訪れており,過剰使用が問題になりつつある。慶良間諸島のサンゴ礁を健全に維持するために何をしなければならないか,何をしてはならないかを考えていただきたい。
展望台からの眺望|太陽の角度により海の色は変わる
同じ展望台から見ても観察者と太陽の位置関係により海の色は大きく異なる。特に水面からの反射光が観察者の目に直接入る場合は白っぽくなる。
展望台からの眺望|北側にも小さな砂浜がある
展望台は小さな岬の上にあり,その北側にも狭い砂浜がある。この砂浜には陸側の小道からアクセスすることができる。狭い砂浜の北側には半島状の地形があり,その先は渡嘉志久ビーチとなっている。海岸から岩場伝いには行けないので,陸側を大回りして歩くことになる。
シュノーケルを楽しむ
11月の阿波連ビーチでもシュノーケルで水中のサンゴ礁を楽しむ人が散見された。ビーチに続く浅い海はシュノーケルには好適であるが,多くの人が日焼け止めを塗って海に入ったり,サンゴを踏み荒らすようなことが続くと,サンゴ礁は劣化していく。
海側に下りる危ない道がある
展望台は岬状の地形の先端部にあり,そこから海側に下りる危なげな道がある。そこを降りていくと小さな石が置かれ,周辺には白い骨が散乱していた。
岩礁の一部にサンゴのかけらが堆積している
海岸まで降りると周辺は岩場と岩礁地帯となっており,特定の場所にはサンゴのかけらがうず高く積み上がっていた。波の影響で溜まりやすい場所があるようだ。
海とつながっている小さなプールは小魚の楽園である
岩礁に囲まれた小さなプールがあり,そこには小魚が群れていた。海につながっていても大きな魚はここまで入ってこないので安全な隠れ家となっている。その中で目立つのは身体全体が青いもので,これは美ら海水族館で見かけたアオバスズメダイであろう。他のものは砂地に対して保護色になっており,目立たない。
水の透明度は高い
慶良間周辺の水の透明度は素晴らしく高い。浅い水域となっている岩場では波紋がきれいに映し出されており,砂浜とは異なる趣をもっている。
カキの仲間がびっしり付着している
潮間帯の岩場の上部に折り重なるように付着している貝は与那国島の久部良漁港の岸壁で見たものと類似している。久部良の漁業関係者はカキの仲間だが食べられないと教えてくれた。カキは二枚貝であるが片側の貝殻で岩やコンクリート岸壁に付着することができる。
久部良漁港でもここの岩場でも潮間帯のかなり上に付着しているのはちょっとした謎である。特にここの岩場のものは現在の水面から1mほども上にあり,どのような生態をもっているのか興味のあるところだ。
海食洞窟が口を開けている
典型的な海食洞窟が口を開けている。このように海に突き出した岩の一部に小さな割れ目やすき間があると周囲より波による浸食が早く進み,次第に小さな窪みができる。いったん窪みができると波の力はそこに集中するようなり,さらに浸食は加速され洞窟ができる。
固い岩でも時間とともに浸食され風化していく。「この世の中のすべてのものは姿も本質も常に変化するものであり,一瞬といえども同一性を保持することができない」というのは仏教における諸行無常である。
そのように,変化していくものにすがろうとするところから苦が生まれるというのが仏教の基本的立場である。衆生救済を旨とする大乗仏教には賛成しかねるが,苦の原点を変化していくものを押しとどめようとする執着心に帰着させた考えは僕自身の生き方に大きく影響している。
鯨海峡
渡嘉敷島の4-5km西には慶良間海峡を挟んで南から外地島,慶留間島,阿嘉島が連なっている。この海峡は「鯨海峡」とも呼ばれる。慶良間諸島の周辺には冬場にザトウクジラが見られるのでホエールウオッチングが人気である。
ザトウクジラ(Megaptera novaeangliae)はクジラ目・ヒゲクジラ亜目・ナガスクジラ科に属する大型のクジラであり,標準的な個体では体長11-16m,体重30トンほどになる。ザトウクジラは北半球にも南半球にも生息し集団で極地と暖かい海域の間を回遊する生態をもっている。
北半球の集団は夏場は北極近くの海域で大量のオキアミ,ニシン,サバ,カラフトシシャモを摂食し半年分の脂肪を蓄える。冬場はハワイや沖縄・小笠原あたり暖かい海域に移動して出産・繁殖・子育てをする。
暖かい海にはザトウクジラのエサには乏しいが,生まれたばかりの子クジラは寒い海には耐えれないため,出産と育児は暖かい海域で行う。そして,春になると子クジラと一緒に北極の海に向かい,1年間の回遊距離は9000kmにもなる。クジラは体格も大きいが,地球規模の長距離移動者でもある。
南半球の集団は夏場に南極海で主にオキアミを摂取し,冬場はオーストラリア近海で子育てをする。オーストラリアではホエールウオッチングが年に150万人の観光客を集め,2億5000万米ドルの経済効果をもたらしている。オーストラリ政府が日本の調査捕鯨に強く反対しているのにはこのような理由もある。
ザトウクジラは捕鯨のため1960年代の初頭には大きく数を減らした。北太平洋では1400頭ほどにまで落ち込んでおり,南極海ではかって10万頭が生息していたが,3000頭ほどにまで減少した。IWCによりザトウクジラの商業捕鯨が禁止されたことにより,北太平洋の個体数は2万頭にまで回復し,南極海の個体数も4万頭ほどまで回復している。
ザトウクジラの個体数がどこまで回復すれば商業捕鯨が復活するかはクジラを巡る感情論あるため予断を許さない。感情論とはクジラは偉大で知性の高い動物であり,人間になんら害を及ぼさないおとなしい動物なので捕獲して食べるなどということはもっての他であるというものである。
この感情論が世界の世論をミスリードしており,実際の資源量や生態系のバランスなどをまったく考慮しない反捕鯨活動に結び付いている。
僕は特別のクジラ愛護主義者ではないので,一部のクジラばかりが増加してシロナガスクジラのように繁殖力の弱い種が淘汰圧力を受けたり,クジラの餌になるオキアミや小魚などの資源量の減少などを総合的に判断すべき事案だと考える。
オオカミを失ったイエローストーン国立公園ではエルクが増えすぎて自然の植生が劣化してしまったり,オオカミに頭を押さえられていたコヨーテが劇的に数を増やしてしまった。
生態系の頂点に近い種が絶滅したり個体数を異常に増加させるとは生態系の大きな擾乱要因となる。もっとも,地球にとって個体数の調整が本当に必要なのは人類であることは明らかである。
平成23年度卒業記念制作画
題は「輪」となっており,これは平成25年の「今年の漢字」を先取りするものとなっている。京都の清水寺では毎年,その1年を代表する漢字一文字が発表される。平成25年の「今年の漢字」が「輪」に決まり,清水の舞台に設けられたステージで縦1.5m,横1.3mという特大の和紙に森清範貫主が大筆でしたためた。
「今年の漢字」は日本漢字能力検定協会(京都市)が1995年から公募で決めており,最も応募数の多かったものを発表している。平成24年は「金」,平成23年は「絆」であった。
ダイビングの船だけが動いている
阿波連漁港は閑散としており,ダイビングの船だけが動いていた。周辺の海は不漁が続いており,魚がどこかに移動してしまったと漁業関係者が話してくれた。漁に出られない人たちは浜で網の補修をしている。
昼間からゆんたくというわけではなく仕事休憩であった
夕方,北側のビーチを再訪する
阿波連ビーチの北側の小さなビーチには集落からアクセスすることができる。夕方の時間にアダンの林を抜けて小さなビーチを再訪した。
アダンの木の下にはヤドカリの跡が残されている
アダンの木の下には本体から落ちた実が散乱しており,周辺にはなにかを引きずったような跡が残されている。これはオカヤドカリのものだろう。
甲殻類(エビやカニの仲間)はキチン質と呼ばれる硬い含窒素多糖類の殻で体表を覆って身を守っている。しかし,身体の機能上,腹部はキチン質には覆われていないためそれが弱点となっている。カニは腹部を甲羅の中に巻き込んでこの弱点をカバーしている。
それに対してヤドカリ類は腹部が弱点のままであり,それを補うため貝殻などに腹部を入れて身を守っている。外敵に襲われると貝殻の中に入り込み,鋏脚で入り口をぴったり塞いで防御態勢をとる。
オカヤドカリは陸上進出のため貝殻の中に少量の水を蓄え,柔らかい腹部が乾燥するのを防ぎ,陸上での鰓呼吸も可能となっている。また,陸上生活に適応するため鋏脚や歩脚は太く頑丈になっている。しかし定期的な水分補給や交換が必須であり,水辺からそれほど遠く離れられない。主に海岸近くの林の中に巣穴を作り,採餌や繁殖以外のときは隠れて暮らしている。
オカヤドカリが雑食性で海岸に打ち上げられた魚介類,朽ちた木の葉やアダンの実など食べられるものはなんでも口にする。必ずしも夜行性というわけではないが,強い日射は貝殻内の水を蒸発させるので大敵である。また,天敵を避けるためにも夜間に採餌することが多く,朝の砂浜には彼らの移動痕が残される。
陸上生活にある程度適応したといっても繁殖には海が欠かせない。陸上で交尾したメスは卵を抱えて暮らし,孵化の直前に海岸で幼生を放出する。幼生は海でプランクトン生活を送り,幼体の時期は普通のヤドカリのように海岸で暮らし,成体になると海岸近くの林の中で暮らす。
サンゴのかけらに混じって赤いものがある
この赤いものは琉球瓦の破片である。かって海岸の一部はゴミ捨て場であり,不燃物が捨てられていた。不燃物といっても出るのは瓦くらいのものであり,その破片は波に洗われ,このような姿になっている。
まるでコンクリートで固めたようだ
琉球石灰岩が岩を抱き込んでいる。嵐などでサンゴ礁に運ばれてきた石がサンゴ礁の成長により,中に閉じ込められてしまい,このような姿になったと考えられる。
琉球石灰岩の上を歩くには丈夫なクツが必要だ
海岸に露出している古いサンゴ礁起源の琉球石灰岩は波の浸食を受けて鋭い凹凸ができており,その上を歩くには丈夫なクツが必要である。僕はけっこう底の厚いウオーキングシューズを履いていたが,自宅に戻り靴底をチェックすると滑り止めがほとんど無くなっていた。
夕日の風景は期待外れであった
波照間島で感じの良い夕日に出合えたので西海岸にある阿波連でも夕日を眺めて時間を過ごすことにした。阿波連の北側ビーチには人影もなく,海に突き出した大きな岩の上は夕日見物の特等席である。残念ながら肝心の夕日はほとんど空や海を染めることはないままに雲の中に消えていった。その後,上空の雲がほんのり茜色になっただけである。
こんな時間帯に魚釣りの人がいる
夕日が落ちるとすぐに薄暗くなるので集落に戻ることにする。そんな時間帯に岩礁の上で釣りをする人を見かけた。先ほど通りかかったときには誰もいなかったので,反対側から移動してきたか,この時間から夜釣りということなのかもしれない。
夕食はただ1軒開いていた食堂でいただく
阿波連ビーチに向かう通りには何軒かの食堂がある。しかし,夕食時にはどこも営業していなくて唯一開いていた半分飲み屋でチキンから揚げプレート(750円)をいただいた。味はまあまあであるが,僕としては沖縄の普通の料理を食べたかったのでちょっと不満が残った。翌日の夕食もここしか開いておらず,しかもメニューの選択がほとんどできないので同じものを注文することになった。
夕食後はクバの林を探検する
集落から展望台に向かう道の横にクバの大きな林がある。枯葉が小さな山になっていたのでなにかいそうだと夜の探検となった。見つかったのはオカヤドカリであった。
もっとも,ヤシガニも小さいうちは貝殻を背負う習性をもっているのでヤシガニかもしれない。オカヤドカリはヤシガニほどは陸上生活に適応できていないので海岸からこれくらい離れるのは危険なはずだ。
道路とクバ林の間にはほとんど水のない水路があったので,水分補給はこのような場所でもできるのかもしれない。見つかった個体数が多かったのでオカヤドカリとしておこう。
オカヤドカリはヤシガニと比べてずっと小柄であるが,貝殻の外に見える上半身はヤシガニと同じである。予想していた通り,枯葉の山の周辺にいくつかの個体が見つかった。
使用したのは停電時に備える室内灯なので光はそれほど強くはない。光が当たると多くの個体は逃げるようだ。片手に明かりを持ちながらカメラを操作するのは難しく,撮影にはちょっと苦労した。