私的漫画世界
自由と冒険を求めるお嬢様が取り組むなんでも屋稼業
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笠井スイ

笠井スイは長野県在住の漫画家です。実家は長野県でもかなり山奥にあるようです。本人談では標高900m以上で「限界集落」に近い地域であること,町からバスが週1便往復し,そのバスでお年寄りが通院していることが語られています。

う〜ん,その地域には小中学校あるでしょうが,高校はどうだったんでしょう。冬季の積雪を考えると町まで自転車通学は無理でしょう。ともあれ,そのような地域で育った笠井は中学時代からコマ割りをしてマンガを描き始めています。

ただし,ストーリーを作って,それをマンガの形に仕上げることができなくて,最初に作品を完成させることができたのは高校を卒業する頃でした。作品が出来上がると誰かに読んでもらいたくなるのは人情です。

笠井にとって作品の発表の場は『同人誌』でした。同人誌は笠井にとっては武者修行の場であり,ここで作品の質を磨いてから出版社に持ち込みをしようと考えていました。同人誌におけるサークル名は『鳩』あり,現在は同じ名前のブログで不定期に情報を発信しています。

同人誌活動が始まって2作目から編集部に持ち込みますが,本人談では『けちょんけちょん』の評価だったとのことです。途中で1年ほどのブランクがあり,新たな気持ちで描いたものを『コミティア(プロ・アマを問わないマンガ家が自主出版した本を発表や販売をする展示即売会)』に出しました。

これを見た(現在も笠井の担当をしている)編集担当者から「コミティアで見ました」というメールが届き,本人談では「一本釣りされてついていくことになった」そうです。この時期はマンガ以外の人生を考えられなくて,「これを逃したら私はどうやって生きていけばいいんだ」というくらいに思いつめていました。

実際の商業誌デビューまでには少し間があり,その間は同人誌活動を続けています。笠井の商業誌デビューは2008年10月の『Fellows!』創刊号です。デビュー作品である『花の森の魔女さん』は単行本『月夜のとらつぐみ』に収録されています。

『Fellows!』創刊号では森薫の『乙嫁語り』の連載も始まっており,創刊号に参加する作家の名前を見た森は「あっ!鳩の人だ!!」と驚いたそうです。

巷間には「森薫と絵柄が類似している」あるいは「森薫のアシスタントをしていたのでは」などという情報が流されていますが,『Fellows!』創刊号まで二人の接点はありません。

二人の絵柄を比較しても目の描き方がずいぶん異なっており,顔の造作だけでも容易に別人の作品であることが分かります。服装の描き方はリアルに質感を出そうとすると,やはり似たようになるのは避けられません。

デビュー後は不定期に作品を出しており,2009年6月からは「ジゼル・アラン」を連載しています。2013年2月に隔月誌であった『Fellows!』が年10回発行の『ハルタ』に変わっても隔月で連載を続けていますが,最新情報では休載中となっています。長野の田舎育ちのお嬢さんの作品がこれからも読めるように早く元気になっていただきたいと祈っています。

『ジゼル・アラン』の時代考証

私はヨーロッパの近代社会の知識を持ち合わせていませんので,『ジゼル・アラン』における時代考証がどのくらいしっかりしたものであるかは分かりません。それでも単行本の第1巻のきれいな表紙絵の胸元を見ただけでブラウスが足りないことぐらいは分かります。

この服装は第1話に出てくるものであり,さすがに第2話になると襟の高い服になっており,こちらは合格です。第1話ではこの服装でエリックに肩車してもらうというこの時代にはありえないような場面も出てきます。

でも,この物語は森薫の『エマ』ように時代考証に情熱を傾けたものではなく,女性の自由が制限されていた時代に,資産家のお嬢様が『なんでも屋』として持ち前の好奇心と冒険心で依頼された問題を解決していくものです。

読者の方もあまり時代考証にはとらわれずにストーリーの面白さと細部までていねいに描き込まれた描画を楽しんでいただきたいと思います。

物語の舞台はフランスと思われる20世紀初頭のヨーロッパとなっています。登場人物の多くはフランス風の名前です。ときには英語が出てきてもそれはご愛嬌ということで目をつぶり,先に進んでください。

各話のタイトルが面白いですね

単行本の1冊には5話が収録されています。このタイトルがなかなか工夫されています。その多くは格言や故事,ことわざを題材としており,ときにはそのパロディとなっています。そのせいか,タイトルの後には一様に『?』が付いています。

左の蘭に第4巻までの掲載作品一覧を掲載しておきます。『猫』が多いのは作者が大の猫好きであるためです。そういえば,笠井スイの商業誌でデビュー作品「花の森の魔女さん」にも二匹の猫が登場していますし,「ジゼル・アラン」の最初の仕事も猫探しです。

第1話「好奇心は猫を殺す」は日本ではなじみのないことわざです。出典は英国であり,「猫は簡単には死なないが,その猫でも持ち前の好奇心が原因で命を落とすことがある」という意味です。これが転じて「過剰な好奇心は身を滅ぼす」という戒めとしても使用されます。

第3話「恋は思惑の外」はおそらく江戸時代の浄瑠璃に出てくる「恋は思案の外」の現代語なのでしょう。意味は「恋は常識や理性では割り切れないものだ」ですが,同人誌の作品に「恋は思惑の外」というタイトルがありますのでそちらからの引用なのでしょう。

第6話「老いたる馬は道を忘れず」は韓非子に出てきます。意味は「道に迷ったとき老馬を自由にして後からついて行けば道がわかる」ということであり,これが転じて「経験を積んだ者は自分のとるべき道を誤らない」という意味で使用されます。

第7話「琴瑟相楽しむ」は詩経(中国最古の詩編)に出てくる「琴瑟(きんしつ)相和す」の変化型でしょう。琴と瑟は中国最古の弦楽器であり,「琴瑟相和す」は二つの楽器の音色がよく合っていること,転じて夫婦仲が良いことを意味します。

第8話「虎を千里の野に放つ」は「危険なものを野放しにする」ことを意味しています。ネットで検索すると「猫辞典」にこのことわざが掲載されており,ページを開くと「子猫を狭い家に放つ」という言葉が一緒に載っていました。これは「狭くても工夫して猫たちは活発に遊んでくれる」ことを意味しており,愛猫家の間で通じるもののようです。

第10話「猫は虎の心を知らず」は「つまらない人間は大人物の心の中はわからない」ことを意味します。類似の表現は他にもありそうですが,作者は猫好きですので,ひたすら『猫』が入ったことわざにこだわっています。

第12話「花の園よりオレンジの庭」は類似語があったような気がしますが,思い出せません。「花より団子」では風情がありません。

第13話「花発けば風雨多し」は唐代の詩人「于武陵」の「勧酒」と題した五言絶句の一節にあります。全体は次のようになっています。

勧君金屈巵  君に勧む金屈巵(きんくっし)
満酌不須辞  満酌辞するを須(もち)いず
花發多風雨  花發(ひら)いて風雨多し
人生足別離  人生別離足る

出典は分かりませんが,日本語訳はこのようになります。
あなたにお勧めしましょう この金の杯を
なみなみとついだ酒を どうぞ遠慮しないでくれたまえ
花が咲くととかく風雨に吹き散らされるもの
人生には別れがつきものだ

最後の2行を作家の井伏鱒二は「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳しており,この一文は私の記憶の片隅に残っています。

第14話「栴檀は双葉より芳し」は「大成する者は幼いときからすぐれている」ことを意味しています。ここでいう栴檀とは別種の香木である白檀のことです。双葉とは種子から最初の芽が出た状態であり,双葉のものを双子葉,一葉のものを単子葉といい,植物の大きな分類要件になっています。このことわざとは反対の意味をもつことわざも多く,「大器晩成」あるいは「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」というものもあります。

第15話「水を得た魚の如し」は「魚の水を得たるが如し」あるいは「水魚の交わり」ともいいます。原典は三国志にあり,「水魚の交わり」は「魚と水のように離れることのできない親密な関係」を意味します。それに対して「水を得た魚の如し」は「その人の能力が発揮できる場所を得て大いに活躍する」という意味になります。

第16話「鳴かぬ蛍が身を焦がす」は省略形でこれだけでは意味が通じません。本来は「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」であり,「口に出してあれこれ言う者より,口に出して言わない者のほうが心の中では深く思っている」ことを意味します。

第17話「待てば海路の日和あり」の直接的な意味は「海が荒れても待っていれば出航にふさわしい日が必ず訪れる」であり,転じて「今は状況が悪くとも,あせらずに待っていればそのうち状況が変わる」という意味になります。

第18話「水は方円の器に随う」は「人は交友・環境しだいで善悪のいずれにもなる」ことを意味します。原典は韓非子であり,君主と人民の関係について「人民は君主次第で善くも悪くもなる」と説いています。

第19話「闘う雀人を恐れず」の直接的な意味は「スズメのような小鳥でも争いに夢中になると人が近づいても逃げようとしない」であり,転じて「物事に熱中している者は怖い物なしで,身の危険も顧みず大きな力を発揮する」という意味になります。

第23話「花咲く春に会う」は「今まで不遇でいた人が認められて世に出る」ことを意味します。作品中では小説家への道を進もうとしていたエリックが人気作家の影武者として執筆しており,ジゼルに会わす顔がないと苦悩しています。そんなエリックをジゼルが部屋の前で待ち伏せして懐かしさのあまり,抱きつきます。

第24話「鳥なき里の蝙蝠」は「鳥がいないところではただ飛べるというだけでコウモリが偉そうにする,あるいは偉そうに見えることから,本当に優れた人がいないところではちょっとその分野に知識等があるだけでその道の権威然とすること」の例えとなっています。さすがに現在ではほとんど目にしたり耳にすることのない言葉となっています。

第25話「鷹は飢えても穂をつまず」は「気位の高い鷹はどんなに腹をすかせているときでも,人間の作った稲穂をついばんだりしないという意味から,節義を守る人はいかなるときでも不正な金品を受け取ったりしない」という意味になります。

25話,26話のタイトルは対になっており,ジゼルの視点から考えると「蝙蝠」とされているのはサミュユル・ユレ,「鷹」とされているのはエリックなのでしょう。「蝙蝠」が威張っている世界でも「鷹」は「蝙蝠」の代筆などはしないものだと言いたいのでしょう。

第26話「歩く姿は百合の花」は「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の省略形であり,「美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを花にたとえて形容する言葉」とされています。 百合に例えられたのはコレットです。

第27話「鶯鳴かせたこともある」は「咲き匂う梅が鶯を留まらせて鳴かせるように,かつては美しく色香もあって男たちにちやほやされた時代もあった 」という意味になります。しかし,話の内容は祖父の残したガラクタにしか見えない遺産の売却をジゼルが依頼されるものであり,内容とタイトルをどう結び付けたらよいか悩みます。

おそらく,このガラクタに見える数々の品物はそれぞれ祖父の人生において輝いていたことがあるのでしょう。しかし,本人が亡くなると品物にまつわる輝きも思い出も一緒に消え去ってしまうのです。

第28話「あってもなくても猫のしっぽ」は「あってもなくても,どっちにしても大したことはないと」いうたとえとして使用されます。第28話のジゼルのお仕事はどちらにころんでも大したことではないという意味なのでしょう。


コミック・ナタリー ジゼル・アラン ウェブ原画展

日本にいると出不精になる私はマンガの原画を見たことがありません。嬉しいことにコミック・ナタリーが「ジゼル・アラン ウェブ原画展」を企画してくれました。左ブロックの終わりの方にリンクを紹介しておきます。企画の目的とその方法については次のように記されています。

笠井スイがFellows!(エンターブレイン)で連載中の「ジゼル・アラン」は,好奇心旺盛なお嬢様ジゼルが何でも屋として奮闘する物語。胸躍らせる話運びとともに,新人離れした精緻かつ色気のある筆致でも人気を獲得している。

コミックナタリーはその原画に触れる機会を得,どうにかしてこの魅力をウェブ上でもお伝えできないかと熟考。スキャンではなくカメラで撮影し,できる限りまでズームアップできるようにした。名付けて「ウェブ原画展」。高解像度のため,細い回線では動作が遅くなることはお許しいただきたい。
(コミックナタリー ジゼル・アラン ウェブ原画展より)


このサイトでは原画サイズ(おそらくB4サイズ,36.4cm×25.7cm)以上に画面を拡大できますので,単行本では確認できない細かい描画を堪能することができます。『コミックナタリー』さんには申し訳ありませんが,原画サイズの画像を転用させていただきます。

さすがにこのような画像の転用・加工は著作権に触れますので,(他のスキャナー画像も本来なら著作権法違反ですがコミックスの世界では大目に見られているようです),ご指摘があれば画像は削除します。


虎を千里の野に放つ?(第8話)

作品紹介を第8話から始めるのは作品内で物語の時系列が前後しているからです。第1話は良家の子女でありながらアパートの大家をしているジゼルが「なんでも屋」を始めるところから始まります。

令嬢に見えるジゼルがどうして街場のアパートの大家をしているのか,家族はどうなっているのか,年齢はいくつぐらいだろう・・・などという疑問を読者に抱かせる設定について,あとからエピソードの形で挿入される形式になっています。

しかし,作品紹介ではまず先ほどの疑問に答えておくべきですので,実家にいたときのエピソードから始めるわけです。

ジゼルの実家アラン家は裕福な資産家です。母親はジゼルが小さな時に亡くなっており,父親と姉のジョゼットと一緒に暮らしています。もちろん,大きな屋敷には執事や大勢のメイドもいます。ジョゼットは良家の子女として申し分ない性格であり父親やメイドから信頼されています。

ところがジゼルは天真爛漫,愛読書は「冒険女王」であり,自由と冒険を求め屋敷内で活発に動き回っています。ジゼルのこのような行動は父親としばしば衝突します。

ある日,ジゼルはメイドの呼ぶ声にクローゼットの中に隠れ,その天井裏に上ることが出来ることを知ります。ここがジゼルの秘密の隠れ家となり,狭い空間に自分のお気に入りのものを持ち込んで秘密基地にします。

ところが,持ち込んだ灯りが父親の部屋のものでした。父親は誰かが盗んだことを疑い,召使いたちに探し出すまで寝るなと厳命します。ジゼルは正直にランプを差出したところ,父親の平手打ちにあいます。

ジゼルは父親に「小説も使用人も悪くない! 発言を取り消して下さい」というメッセージを残し,暗闇の秘密基地でハンガーストライキを決行します。4日目に父親の心配は頂点に達し,その機をとらえてジョゼットがジゼルを自分のアパートの大家にして,屋敷から出すことを提案します。

こうして,ジゼルは晴れて広い世界と自由を手に入れました。ということで,この話のタイトルは「虎を千里の野に放つ?」ということになりましたが,この虎に例えられたのは自由を愛する13歳の魅力的な美少女なのです。

ジゼルの実家を外から観察すると父親,ジゼルの双方に問題がありそうです。ジゼルは自分の味方である執事のモネの言うことはちゃんと聞きます。父親はその差異に気が付くべきです。

娘の行動ではなく,どうしてそのような行動をするのか,いったい何を考えているのかを理解してあげるべきです。同じことはジゼルにも言えますが,親子の関係では年長者が知恵を巡らすのは当然です。

このことは現代においても通用します。子どもがしたことを責めるのではなく,どうしてそうしたのかを親はちゃんと聞いてあげるべきです。その結果,やはり子どもに問題があるということになれば,ていねいにそのことを説明すべきです。

それが,しつけというものです。頭ごなしにやったことを責められても,子どもは親は自分を理解してくれないと思うようになるだけです。

ジゼルのお仕事

ジゼルはアパートの大家ですからおそらくその家賃収入で暮らすことができます。実家からの援助もありそうですので特に働かなくても暮らし向きには困りません。

しかし,自由を手に入れた13歳は「なんでも屋」を始めます。とはいうものの,お屋敷育ちで知識は人一倍あっても現実の社会についてはほとんど何も知りません。アパートの住人のエリックは家賃滞納を口実にしばしばジゼルの仕事につき合わされます。

最初の仕事はクレベル夫人の依頼で猫探しです。ロシアンブルー種の猫は全身が灰色であり,エメラルド・グリーンの目が特徴的です。当時のヨーロッパではそれほど多くはなかったと思われます。

ジゼルとエリックは首尾よく猫を見つけ出しますが,すでに夫人の猫は戻って来ています。ジゼルは連れてきた猫をアルセーヌを名付けて飼うことにします。

次の依頼はアパートの住人リシュの娘エミリーを植物園に連れて行くことです。その日はエミリーの誕生日であり,父親のリシェと一緒に植物園に行く約束でしたが,翻訳事務所に勤務している父親は急な仕事が入り,ジゼルに代役を依頼します。

路面電車(トラム)の中で父親を呼ぶ子どもの声に反応したエミリーを見てジゼルは彼女の気持ちを察し,リシェに事務所に向かいます。上司は納期は明日の午後ということでリシェの外出を認めません。

ジゼルは外国語の原稿を手に取りそのまま(翻訳して)読み上げます。リシェがそれを筆記し,二人がタイプしていきます。翻訳の仕事は日中で終わり,リシェとエミリーは植物園の閉園に間に合います。

このあたりのジゼルの描画はコマによりかなりバラツキがありますが,回を追うごとに安定していきます。

次の仕事は空家の大掃除であり,やはりエリックがつき合わされます。ジゼルは力仕事はできないのであまり役にはたちません。

「これは私にだけしかできない仕事だと思う」ということで挑戦したのが暖炉の煙突掃除ですが,下から上に向かって掃除したため煤を被ってしまいます。「side story」ではエリックにそのことを指摘されジゼルは落ち込みます。

この家はちょっと高いところに位置しているので屋根の上から街を眺めることができます。ジゼルの実家であるひときわ大きな建物も見えます。エリックの実家もこの町にあります。

次の仕事は近くの森に遺棄された廃船に住みついている少年リュカの説得です。現在でいう都市計画のジャマになるのでそこを引き払ってくれというものです。

廃船の森を訪ねたジゼルはここで少年が工夫して暮らしていることを知ります。ジゼルはここを公園にするより森として残した方がよいと判断し,「森を守ろう」というビラを印刷して街中に貼り,アパートの住民とともに抗議活動を始めます。

ジゼルは自ら人質になり,リュカに工事の中止を要求させます。二人は友情を深めますが,不用意なタバコの投げ捨てにより火災が発生し,船も焼失します。リュカは孤児院に送られ,二人は大きくなってもずっと友達でいようと約束します。

執事モネの登場(第6話)

このときの人質事件が新聞に載り,アラン家の執事のモネの知るところとなります。モネはあわてて屋敷に届いた新聞をすべて焼却させ,休暇をとってジゼルのアパートに向かいます。モネは謹厳実直ですから到着早々住民と一悶着を起こします。

しかし,ジゼルにとっては屋敷で数少ない自分の味方ですから,買い物の品々を放りだして抱きつきます。モネは「落したものをお拾い下さい 食べ物を粗末にしてはいけません」と諭すと,ジゼルは「はいっ」と一つ返事で従います。

仕事部屋でモネはジゼルとエリックを前に人質の写真が載った新聞を出して,その事情を聞きます。モネは依頼主を裏切るのは仕事ではなく遊びだと断じます。

そのとき,となりの部屋で本が崩れ大きな音がします。モネはこの状況を見て,「自分のことすらちゃんとできない人がなんでも屋をできるはずがない」と再び断じます。

ジゼルは彼の指示でせっせと本を片付けます。モネは自立=自己管理と考えていますのでなんでも屋以前に自分で自分のことをちゃんとできるようにさせます。モネの言うことは的を得ており,ジゼルも逆らうことはありません。

大家の仕事も一段落させてようやくなんでも屋の仕事にとりかかります。次の仕事はクレベル夫人の友人の誕生日をにぎやかに祝うことです。ジゼルの仕事ぶりをチェックするためモネも同行することになります。

クレベル夫人はパメラ夫人に三人を友人だと紹介します。年齢のバラバラな三人にパメラ夫人はちょっと首をかしげます。ジゼルはピアノの上に弦の切れたバイオリンがあるのに気付きます。パメラ夫人が夫が生きていた頃はよく一緒に合奏してたと寂しそうに話すのを聞いてジゼルはひらめきます。

ジゼルは夕食の準備を三人に任せて外出します。夕食が出来上がった頃,家の中にバイオリンの音色が流れてきます。ごちそうをいただき,パネラ夫人を合奏に誘い,ジゼルの「おもてなし」はなかなかのものです。

モネが「取り返しのつかないことになったらその責任は誰が取る」とたずねるとエリックは「そんなの ジゼルさんに決まってるじゃないですか」とあっさり答えます。モネは「今日のお仕事 なかなか見事でございました」と評価し,後事をエリックに託して屋敷に戻ります。

このように,ジゼルはアラン家を棄てて「なんでも屋」として自立の道を選びます。しかし,なんといっても13歳です,エリックという味方がいなくなると困ったことになります。


エリックの引っ越し(第13話)

商売敵のギーの話しが何話か続き,13話ではエリックが小説で生きていくためにアパートを出ることになります。ジゼルは「お前の夢が叶ってうれしい」と荷造りを手伝います。

しかし,途中で涙があふれるのを止めることができません。エリックはジゼルに祖父の書いた本を渡し,「ずっと好きでした」と告白します。

しかし,ジゼルは求愛とは理解できず,「私もエリックが好きだ お前は私のはじめての友達なんだ ずっと友達だからな」と返します。エリックはにこやかに「・・・はい」と答えます。

エリックと入れ替わるようにリュカが戻ってきます。エリックの仕事は自分の小説を書くことではなく,飲んだくれの有名作家のゴースト・ライターでした。これでは,ジゼルの期待を裏切ることになるとエリックは苦悩します。

一方,ジゼルはエリックなしでもいくつかの仕事を片付けます。廃業の近いサーカスでは子どもたちが芸を練習するのを助け,団員との交流によりついに女団長を翻意させます。

その合間に,ジゼルはエリックの新しい住所を訪ねますが,ジゼルの期待する小説家とはちがう道に入ってしまったエリックは合わせる顔がありません。

エリック自身の書いた小説はかの有名作家から酷評されます。エリックに会いたいジゼルは彼の部屋の近くで待ち伏せし,戻ってきたエリックに懐かしさのあまり抱きつきます。

これが第4巻の最終話です。タイトルは「花咲く春に会う」ですから,エリックに再び転機がが訪れるのでは推測します。第5巻は2015年の2月14日発売予定です。ところがお約束の日が過ぎても本屋の店頭に第5巻が並ぶことはなく,7月まで待たされることになりました。


エリックとの再会(第24話)

ジゼルは彼の部屋の近くで待ち伏せし,戻ってきたエリックに懐かしさのあまり抱きつきます。エリックはジゼルを部屋には入れたがりませんが,ジゼルは手紙があるからと中に入ります。

エリックはつらそうに「俺 いま ゴーストライターをやっているんです」と打ち明けます。小説家を目指してジゼルのアパートを出た大事な友人の苦悩を目の当たりにしてジゼルは「帰るならお前も一緒だ 代筆なんかなんになるんだ」と話しますが,エリックは「あなたに何が分かるんだ」と声を荒げます。

エリックの気持ちはよく分かりますね。彼にとってジゼルは想い人であり,小説家として名を成さない限りは再びジゼルの前に立つことはできないという心境です。エリックは部屋を出て,残されたジゼルはエリックの小説原稿を見つけます。

ジゼルはそれを一読してダレルを訪ね,エリックの居場所を訪ねます。ダレルは大事な作家のことは家族以外にはお知らせできないと断ります。

ダレルはさらにエリックの代筆は多くの人々の仕事を生み出す尊いものだと説明しますが,ジゼルは「誰かを犠牲にしてやる事を尊いとは言わない」と断じます。

ジゼルは自転車でダレルの車の後を追い,ユレの邸宅に乗り込みます。自転車で追いながらジゼルはエリックの書いた「青いゼラニウム」を頭の中で反芻します。

ユレの屋敷でジゼルは「青いゼラニウム」に対するユレの酷評を聞いても動じることなく,エリックを外に連れ出し再会を喜び合います。恋愛とは異なるもののジゼルのまっすぐな気持ちを知り,エリックの苦悩は少しは軽くなったかもしれません。

もともと十分な文章表現力をもっているエリックですので,テーマとストーリー展開を磨けば小説家としてやっていけることでしょう。

今後の展開としては,ジゼルのアパートに戻り,あまり売れない小説家と何でも屋の助手を兼務するというのはどうでしょうか。なんといっても,ジゼルとエリックの何でも屋コンビは板についています。


月夜のトラツグミ

笠井スイは「寡作の人」です。おそらく,同人誌時代の小作品を除くとこのページに紹介した作品以外のものはほとんど無いと思います。「猫とパンケーキ」などは同人誌(アマチュア)時代の作品でありながら完成度は高いですね。

・花の森の魔女さん(Fellows!)
・月夜のとらつぐみ(Fellows!)
・水面の翡翠(Fellows!)
・仏頂面のバニー(Fellows!)
・遥かファンティエット(Fellows!)
・Story Teller Story Erisa(同人誌2007年)
・Story Teller Story Nancy(同人誌2008年)
・猫とパンケーキ(同人誌2008年)