山田貴敏
山田貴敏(1959年生)は岐阜県出身であり,高校時代は美術部,中央大学に在学中に漫画研究会に所属していました。しかし,本人談では高校時代には一つの作品も完成させていませんし,漫画研究会もタダで漫画が読めると誘われ入部したもので,たまに漫画を読みに行く程度の活動でした。メインの活動はバイト,合コン,彼女を作ることであり漫画とは距離をおいた生活でした。
そのため漫画研究会の同級生から『60ページの漫画を書き上げたらカツ丼をおごる』と持ちかけられ,一念発起して描きあげたのが「二人ぼっち」です。この作品が講談社新人漫画賞佳作を受賞しします。
続いて「マシューズ −心の叫び−」で同賞に入選し少年マガジンでデビューしました。この当時の新人漫画家はまず売れている作家のアシスタントからスタートするのが一般的でしたが,山田はそれを飛び越えて一足飛びに漫画家になってしいました。
1990年からは小学館に移籍し,少年サンデー,ヤングサンデー,ビックコミック・オリジナルなどで執筆しています。2000年からは作者の最大のヒット作となっている「Dr.コトー診療所」の連載を開始し,2004年度の第49回小学館漫画賞を受賞しました。しかし,単行本で25巻が出てから長期休載中となっています。
2011年11月の作者のブログには『病気療養中であり,万全の状態で連載を再開することを念頭に治療に専念していますと』いう内容が掲載されています。病気から一日も早く回復し,執筆活動を再開することをお祈りしています。
山田貴敏の絵柄は少年マガジン時代の初期作品と「Dr.コトー診療所」ではかなり異なっています。その中間に位置する「いたたきます!」はそのどちらでもない絵柄であり,作品に合わせた絵柄を選択しているようにも見えます。
「Dr.コトー診療所」の舞台
「Dr.コトー診療所」は「古志木島」という離島の診療所に赴任してきた五島健助が主人公となっています。「古志木島」にはモデルがあり,作品中には鹿児島県の西側にある「甑島(こしきじま)」であると記されています。
行政区画は薩摩川内市となっていますが,現在の最寄りの九州の港は「いちき串木野」であり,島までは40-60kmといったところです。
甑島(列島)は北から上甑島,中甑島,下甑島の3つの島からなっており,下甑手打診療所において30年間離島医療に携わってきた瀬戸上健二郎医師が主人公のモデルとなっています。
甑島の人口は1950年には2万7千人を超えてましたが,1970年には1万2千人,2000年には約7千人と減少を続ける過疎の島です。
東京オリンピックのあった1964年には串木野港と中甑港,阿久根港と里港を結ぶ航路に定期船が運行されていました。現在では串木野新港から運航している高速船とフェリーが主要な交通手段となっています。
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テレビドラマ化
「Dr.コトー診療所」はフジテレビ系列でテレビドラマ化されました。第1期は2003年,第2期は2006年に放送され,20%前後の高い視聴率を獲得しました。こちらの舞台は沖縄県八重山諸島にあるとされる架空の志木那島(しきなじま)であり,実際のロケ地は与那国島でした。
私はテレビドラマは見ませんので与那国島を訪問してもロケ地を見たいなどとは考えていませんでしたが,たまたま石垣島の宿で知り合った女性が観光地となっている診療所のオープンセットの受付になるということでしたので,立ち寄ることにしました。
診療所以外にもドラマの撮影では与那国島の各地の自然や民家,漁業共同組合,港湾施設が使用され,与那国島の観光名所となっています。
与那国町役場の「Dr.コトー診療所ロケ地マップ」 はこちらを参照して下さい。私が与那国島を訪問した時の旅行記は「与那国島2」 を参照して下さい。
与那国島は石垣島と台湾の中間に位置しており,石垣島からは124km,台湾までは111kmのところにある日本最西端の島です。黒潮が洗う外海の孤島であるため,昔は「渡難(どなん)」と言われるほど渡航が難しい島でした。
最寄りの島は石垣島であり,現在はフェリーと飛行機でアクセスすることができます。フェリーは福山海運が「フェリーよなぐに」を週2便で就航させており,石垣島発は火曜・金曜の10時,与那国島発は水曜・土曜の10時,所要時間は4時間です。
このフェリーは観光客も利用することができますが,主要任務は生活物資を運搬することです。与那国島のような離島では生活物資の多くを自給することはできませんので,最寄りのハブとなる島から運んでこなければなりません。
志木那島にも定期的な生活物資運搬船が来ていると思われますが,急患が発生した時は漁船で6時間かけて設備の整った病院に搬送するという設定になっています。
このドラマのロケ地を与那国島にしたのは大正解でした。私はテレビドラマは見ていませんので確たることは言えませんが,与那国島の自然の美しさが視聴者の支持を集めたことは容易に想像できます。私は3日かけて島の一周道路を歩き,南国の美しい自然にずいぶん写真の枚数が多くなりました。
事件が異常に多い島
医者ものの作品では様々な患者を登場させ,一つの物語に仕上げることができます。都会の病院という設定であれば話のタネには苦労しません。
ところが「Dr.コトー診療所」の舞台となっているのは人口1000人程度の「古志木島」です。設備が必要な患者が発生した時は漁船で6時間かけて本土に搬送するという設定になっていますので,「古志木島」で手術が行われるのは,6時間の搬送に耐えられない事態が生じたときに限定されます。
このような条件に当てはまる患者はそうそう発生しません。そのため,さまざまな事件により緊急患者を作り出すことが必要になり,無理やり事件を仕立て上げざるを得なくなり,リアリティに疑問符がつく展開となります。
また,五島医師のあまりにも天才的な診断と外科手術の腕は手塚治虫の『ブラックジャック』と大同小異であり,大人の物語としてはやはりリアリティの面から疑問符がつきます。また,物語の中の設定や問題のとらえ方にもいくつかの疑問符がつきます。
下表に5巻までに出てきた主要な病状を上げてみました。ざっとみても,消化器外科,心臓血管外科,産婦人科,整形外科,脳外科,呼吸器外科などの分野をカバーしています。また,全身麻酔手術では全身管理を行う麻酔科医が必要です。現代医学は高度に専門化が進んでおり,同じ外科の範疇でも二つ以上の分野で専門的な知識と技能を習得する医師はまれです。
もちろん,「Dr.コトー診療所」における一つ一つの話は感動的なヒューマンドラマとなっており,この点は評価することができます。物語の舞台を離島に設定するにしても,天才的な医療技術のみを前面に出すのではなく,五島医師と島の人々との人間的な触れ合いをメインテーマにすれば,より自然な話とすることができたでしょう。
(おそらく)都会育ちの五島医師は島の人々の生活から学ぶことは相当多いはずです。また,そのような交流を通して離島の抱えている問題点を描くこともできます。
ゴミのリサイクルセンター,大規模なリゾート開発などの非現実的な大事件を持ち込んで話を作るのではなく,島民の生活に密着した小さな事件の中から物語を紡ぎ出す方が地に足の付いた作品となると思うのですが。
私は五島医師の天才的な外科手術にはなるほどね程度の感想をもつだけですが,五島医師が関わることになる事件の背後にある,過疎化や高齢化が進む離島の状況には興味がありますので,作品の中からいくつかの問題を私なりにまとめてみました。
単行本 | 患者 | 病名 |
---|---|---|
第1巻 |
タケヒロ |
虫垂炎 |
第2巻 |
クニオ |
カサが突き刺さる,肺損傷 |
第3巻 |
密航者 |
銃創 |
第4巻 |
熊谷幹事長 |
スキルス胃癌 |
第5巻 |
古川公平 |
末期癌 |
各話のタイトル
「Dr.コトー診療所」の各話のタイトルは「KARTE.1 Dr.コトー 島に着く」のように「Dr.コトー」が●●をするという形式となっています。左の表に5巻までのタイトルをまとめてみましたが,容易に話の内容が類推できません。これはちょっと困ったものです。
離島の過疎化と高齢化(第1巻より)
五島医師が「古志木島」に赴任した時,前任の医師の印象からほとんど信頼されていません。その急先鋒は漁労長の安藤重雄とせんじ薬で島民から信頼されている内つる子です。五島医師がつる子を見たとき彼女の目頭付近の黄色腫に気が付きます。それは高血圧の人に固有のサインです。
つる子は島で一人暮らしをしており,島を出ている息子は一緒に暮らすよう説得しますが,つる子は夫の墓のあるこの島から出る気はありません。息子が休暇をとって訪ねて来た時も『だれも来てくれなんて頼んでないわ』と冷たい対応をとります。
つる子の言葉は現在の日本の「高齢化社会,地方の過疎化」問題をストレートに表しています。つる子にしても息子や孫たちと暮らすのは望ましいことなのですが,生まれ育った島を出ることは老人にとっては自分のアイデンティティを失うほどの耐えられないことなのです。
また,島にいれば自分の作ったせんじ薬により島民が喜んでくれるという生きがいもあります。島を出て息子夫婦と同居するということはその二つを取り上げてしまうことなのです。
一方,多くの若者や現役世代にとっては過疎地域では生活基盤が確立できないという事情があり,就職のため都会に出て行き,そこで生活基盤をもつようになります。
これが地方から都市へ若年人口が移動するメカニズムです。このような流出形態は子どもを産む世代(20代,30代)の女性に顕著であり,それは地方における子どもの減少→地域人口の急減と急速な高齢化に直結します。
日本創成会議・人口減少問題検討分科会が公表したデータでは福島県を除き調査対象とした約1800の市区町村のうち,若年女性が2040年までに半数以下に減ってしまうところは896と約半数にのぼっています。
結果として,地方自治体の多くは過疎化と高齢化が同時進行することになり,現在でも高齢化率が40%を越えることも珍しくはありません。そうなると,地域コミュニティや財政的に自治体の維持が難しくなります。
程度の差はあれ,このような地方人口の減少と高齢化は40年以上も前から始まっており,高齢化率が50%を越えた地域は「限界集落」と呼ばれるようになっています。このような地域では冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっており,時間経過とともに消滅する運命にあります。
「限界集落」は比較的狭い地域の話しですが,市町村といった自治体の単位でも生産人口の減少により税収が減り,行政サービスに必要な費用を賄いきれなくなります。
テレビドラマのロケ地となった与那国島(人口約1500人)は島全体で与那国町となっています。しかし,人口減のため町は財政難となり,町の借金は島民一人当たり190万円にもなっています。
地方自治体の財政では一般会計,病院・水道などの特別会計,公債の残高などから財政健全化率が算出され,破たん状態にあると判断された場合は「財政再建団体」となり,国の指導・監督のもとで「財政再建計画」を策定することになります。
このような状態に陥っても自治体が抱える公債の減免は原則として認められませんので,夕張市のように行政サービスは大きく低下し,それが人口流出を加速することになります。
安倍内閣は重要政策課題として「地方創生」と掲げていますが,その処方箋はまったく明らかになっていません。この政策はほとんど2015年の統一地方選挙を念頭にしたものであり,過去のように補助金バラマキ型のものになることが懸念されます。
地方に巨大なハコモノなどのインフラを整備した平成8-9年のツケが地方財政を大きく圧迫していることは忘れられてしまっているかのようです。ハコモノは補助金で建設可能ですが,その維持費用は地方自治体が支払うことになります。
人口規模や地域のニーズに合わないインフラは地方財政を圧迫するだけのものになることを認識すべきです。また,地方の抱える大きな問題は道路,橋,水道など地域生活に密着したインフラの老朽化です。
日本人はインフラを整備することに情熱を傾けますが,メンテナンスについてはほとんど考慮していません。実際,新しいインフラのメンテナンス問題が発生するのは30年あるいは40年後なのですから無理もないことです。
そのため,高度成長期に建造した公共インフラが更新時期になっても,地方ではほとんどその準備ができていないのが実状です。私などはもう地方の新規インフラ整備は中止し,現在のものが機能を持続することに全力で取り組むべきだと考えます。無理な成長よりも安定した社会を目指すべきなのです。
もっとも,地方のインフラ整備と地方から大都市への人口流出はほとんど関係がありません。地方のハコモノを整備したところで,現実の社会現象として大都市への人口集中は避けられません。
この現象は日本だけの特異点ではなく,他の先進国でも同様です。豊かさや文化の成熟度が高くなると都市での快適な暮らしを求めるのは当然のことであり,それが都市の高い生産性と消費につながっています。
人口減少社会,過疎地域の急速な拡大を考えると行政区画(地方自治体)を単位とする社会インフラのユニバーサルサービスはあまりにも投資効率が悪いものとなります。地方を県あるいはより広域の地域連合の単位でとらえ,中核都市を中心に自立した地域的な特色のある経済圏とする政策が求められます。それが新しい地方の創生ではないでしょうか。
都市の高い生産性が地方から大都市への人口流出の大きな要因なのですから,地域としての一定程度,生産性を向上させないと現在の流れは緩和できません。
現在の人口移動形態は地方→大都市ですが,その都市において一部の人々は「ワーキング・プア」と呼ばれる「貧困層」を形成しています。
特に勤労世代(20-64歳)の単身女性の場合は3人に1人が「貧困層」とされています(朝日新聞)。ここでいう「貧困層」とは発展途上国の「絶対的貧困」とは定義が異なり,「相対的貧困」であり,下記のように定義されています。
世帯所得を基に国民一人ひとりの可処分所得を算出し,それを順番に並べて真ん中の人の所得の半分(2007年調査では114万円)に満たない人の割合をいう。2009年の日本全体の貧困率は16%であり,経済協力開発機構(OECD)も同様の指標を使っている。
かって「一億総中流」と呼ばれた時代は過去のものとなり,日本の貧富の格差は米国(17.3%|2010年)並みに拡大しているしていることを数字で裏付けています。
このような時代においては地方で(収入は低くても)のんびり生きる方がずっと人間的であると思うのですが,なぜか地方の市町村からは若い女性の流出がもっとも深刻なのです。安倍首相いう女性が(一部の女性だけが)輝く社会の底辺には多くの「貧困層」の女性が存在していることを忘れてはいけません。
医療過誤と報道(第2巻より)
週刊トポスの巽記者が「古志木島」にやってきます。巽記者はかって五島医師が大学病院に勤務していた時,医療過誤により妹を失っています。彼はそのときの状況を五島医師を名指しで「重症患者 女子高生を見殺し」あるいは「金で命の選択!?」などという特集記事を書いています。
この記事には重大な事実誤認があり,五島医師の名誉を著しく傷つけています。そもそもこのような医療過誤が発生した時は病院側は過誤の内容と原因を調査して社会に公表する義務があります。
その内容がどのようなものであったかは作品中に触れられておらず,週刊誌にあたかも金銭の授受により五島医師が別の患者の治療を優先させたように書いています。これは,明らかな名誉棄損であり大学病院側が訴訟に持ち込まないのが不思議です。
だいたい,研修医一人の体制で夜間救急体制をもつような大学病院はありえません。そこに重篤な症状の救急患者が2名も搬送されて来た場合,病院側は救急体制がとれないので少なくとも1人は別の病院に搬送して下さいと救急隊に依頼するはずです。救急体制をもっている病院はそこだけではありません。
この大学病院は無責任にも二人を受け入れてしまい,本来は当直ではない五島医師に応援を求めています。五島医師が駆けつけると,研修医の三上医師は胸部打撲の患者に「セルシン」を投与して心肺停止状態にしてしまいます。
いくら当直が初めてだといっても外傷性患者に鎮静作用や筋弛緩作用をもつ「セルシン」を投与することなどありえません。当然,看護師もこの程度のことは気が付くはずです。これが第一の医療過誤です。
五島医師は心肺停止状態の患者の蘇生に追われます。一息ついたところでもう一人の女子高生の患者の付き添いの巽から「おいっ,誰かいないか」と声がかかります。
救急患者を放置しておくとは,いったい,この大学病院の救急体制はどうなっているんでしょう。この状態は第二の医療過誤です。あまりにもありえないような筋書きに唖然とします。
五島医師が女子高生の容体をみると脾臓か肝臓の破裂の可能性があります。看護師から「最初の患者の血圧が下がっています」と呼ばれた五島医師は巽に「私はすぐ戻ります,その間は彼がちゃんと診ますから」と告げて,その場を離れます。
一人にされた三上医師は雲隠れしトイレで耳をふさいでいます。女子高生の患者は放置され,なぜか巽が集中治療室のドアを開けて「妹が息をしていない」と告げに来ます。この大学病院の夜間救急体制では集中治療室以外には看護師もいないようです。この場面だけでも重大は医療過誤になります。
また,三上医師が患者を放置して雲隠れしたというのであれば病院の「医療倫理審査会」や厚労省の「医道審議会」において問題となり,医師免許の取り消しや一時停止となる重大な事象です。
巽は五島医師から話を聞いていながらどうして妹の息が止まるまでなんの行動も取らなかったのかも不思議です。結果として女子高生は死亡し,巽は週刊誌に記事を書きますが,女子高生が放置された件や治療を任された医師が雲隠れしたという自分が見聞きした事実はどうなったのでしょう。
通常の社会人であればまず病院の責任を問います。ましてや,週刊誌の記者ですから事実関係の調査は基本中の基本です。にもかかわらず巽は事実とはまったく異なったことを書いてしまいます。
これは,病院関係者のだれから取材したものなのでしょうか。いくら,いいかげんなことを書くのが商売とはいえ,これはあり得ないような展開です。
病院側もどのように対応したのか述べられていませんし,三上医師は大学病院に残り,五島医師はそこを追われた経緯も記されていません。このような,あり得ない無いことを4回ほど積み上げた物語の展開が,この作品の質をずいぶん落としています。
「古志木島」にゴミ処理場を誘致?(第2巻)
芦田代議士が「古志木島」にやってきます。目的は大規模なゴミ処理場の誘致の根回しです。この設定も?が3個くらい付きます。船で6時間もかかる離島にどこのゴミを処理するというのでしょう。
芦田代議士は焼却という言葉も使用していますので一般家庭のゴミを対象にしているようです。処理場の業務はゴミの分別,リサイクル,焼却そして最終処分ということになります。
しかし,わざわざ遠く離れた離島にそのような施設を造る意味がありません。都市のゴミを船に積み込み,6時間かけて運搬し,処理場に送り込むコストを考えると,とてもそのような計画が実現する可能性はありません。
さらに,ゴミ処理場の工程の先には最終処分場が必然的に必要になります。小さな島では最終処分場の広い面積の用地を確保するのは困難ですし,地下水汚染の影響も考慮しなければなりません。
船で6時間の離島では本土から送水管を引くのは難しいので,飲用水や生活水は自前で確保しなければなりません。いったん,地下水が汚染されると島全体の水資源が使用できなくなる可能性があり,そうなると島での生活は難しくなります。
また,漁労長が心配しているようにゴミの島の周辺でとれた魚介類の価格が下がることは十分に考えられます。そのような杜撰な計画が国主導で進められるとは到底考えられません。
仮に経済的な処分費用が実現できたとしても,計画の次のステージでは環境アセスメントがあり,確実に島民の生活を脅かすということであっさり否定されることでしょう。
この話もゴミ処理場の誘致計画が相当あり得ないものであることが弱点となっています。規模を拡大する経済活動の結果,必然的に排出されるゴミ問題は世界共通の重大問題です。
日本ででもかって香川県の豊島(てしま)に違法な産業廃棄物が大量に放置あるいは野焼きされ,1990年に兵庫県警が摘発しました。香川県は大量の違法産廃の放置に対してまったく対応せず,兵庫県警の強制捜査後にようやく産廃業者に対して産業廃棄物処理業の許可の取り消し及び産業廃棄物撤去等の措置命令を行います。
この業者が産廃を扱い始めてから15年が経過しています。この業者には撤去費用などねん出できるはずもなく,結局,281億円の国費が投入されました。歴代の香川県知事は責任を問われることもなく,現職の知事が住民に謝罪しています。日本の地方自治体はゴミ問題に対してこのように不感症な時期もありました。
現在のもっとも深刻なゴミ問題はなんでしょうか。それは,二酸化炭素と原子力発電所から排出される使用済み核燃料です。
二酸化炭素は地球温暖化の主要な原因物質であり,排出量の削減が世界的な課題となっています。この問題が世界的に認知されるようになった1988年頃の世界の排出量は約220億トンでしたが,2011年は313億トンと5割ほど増加しています。
2011年のデータでは中国と米国で40%強を占めており,この二国抜きの削減計画はほとんど意味をもたない状況です。このままでは今世紀中ごろから顕著になる世界的な気候変動は避けられません。
また,グリーンランドの氷河(氷床)の崩壊のように,ある閾値を超えてしまうと現象が非可逆的に進行してしまうものもあります。グリーランドの氷床には世界の海水面を7.2mほど上昇させる量の水が蓄積されており,その10%でも溶出すると世界の海岸線が変わってしまいます。
もう一つの使用済み核燃料の処分も日本にとっては大きな課題です。コストがかかり使用できないほどのプルトニウムを生み出すリサイクル計画を放棄して,直接地層処分にするにしても,地震と火山を抱える日本では10万年スパンで安定的な地層などはどこにもありません。
また,老朽化した原子炉の解体・処分についても技術的に確立しているわけではありませんし,その後に必要な最終処分場も白紙の状態です。そのような処分費用がどれほどの金額になり,誰が負担するのかすら明らかになっていません。
2050年には石油ピークが到来するでしょうし,気候変動による大規模な気象災害が頻発するでしょうし,使用済み核燃料は行き場のないまま冷却プールからあふれているかもしれません。
これらはすべて私たちの子どもや孫の世代が背負っていかなければならない負の遺産です。豊かで快適な生活にはエネルギーは欠かせません。現在のエネルギー産業の枠内では処分のできない廃棄物が大量に発生します。それでも,人類は目先の豊かさと快適な生活だけしか頭にないようです。
人口1000人の離島にESWLとは(第3巻)
芦田代議士は尿管結石を機会に入院してもらい,「古志木島」の自然の豊かさと美しさを認識してもらいました。もちろん,尿管結石の方もうまく流れ出たようです。芦田代議士はそのお礼として2億円もするESWL(体外衝撃波結石破壊装置)を寄付してくれました。これは人口1000人の離島にはまったく不要不急の医療機器です。
人体の中では腎盂,腎杯,尿管,胆道系などに結石ができることがあります。これらの部位には正常時は液体が生み出されたり流れたりしています。ところが,その中の成分が結晶して石のようになってしまうことがあります。これを結石といい,尿管にできたものを尿管結石,胆管にできたものを胆管結石といいます。
結石の大きさにより症状は異なり,小さなものは本人の自覚がないまま自然に流れ出てしまいます。しかし,中には結石が液体の流れを阻害してしまうことがあり,そうなると激しい痛みや病気の症状が現れます。
尿管結石の場合は激しい痛みとなりますので早急な対応が必要になります。ただし,患者が短時間で重態になるという性質のものではありませんので,本土に搬送しても十分間に合います。
以前は薬物により結石を溶かしたり,手術も行われていましたが,現在ではESWLにより,体の外から衝撃波を加えて,結石のみを破壊する方法が主流となっています。
この方法は患者の体にほとんど負担とならない点が長所となっています。ESWLは機械の中で発生した衝撃波(音波の一種)をレンズで光を集光するように結石にむけて集中させて結石を細かく砕き,尿と一緒に排泄させる治療法です。患者負担の少ない優れた方法ですが,物語の時期にはとても高価でした。
そのような高価な医療機器を人口1000人の離島の診療所に設置することの是非が問題となるわけです。『離島の過疎化と高齢化(第1巻より)』でも書きましたが,社会インフラのユニバーサル・サービスは望ましいことであっても,厳しい地方の財政状況を考えると維持は困難です。
そのため,地域の中核都市のインフラを集中整備し,周辺地域のインフラを一緒にカバーしようとする発想が必要です。自治体の垣根を取り払い,より広域で公共インフラを考えなければならない時期になっています。
人口1000人の離島に高価な医療設備を設置する問題点はそこにあります。本土にある地域の中核都市に高価な医療インフラとスタッフを集中させ,周辺地域との間の緊急搬送システムを整備する方がずっと理にかなっています。船で6時間は絶対的なものではなく,ドクターヘリなら2時間で往復できそうです。
そのような体制を敷いておくと,通常の医療はローカルの診療所で行い,必要時は地域の中核病院に搬送することができます。「古志木島」の診療所に2億の機器を導入することは人口1000人の島に巨大な公民館を建設するのと同じくらいの無駄な投資ということになります。
「古志木島」に大規模リゾート?
「古志木島」に大規模リゾート開発の話しが進行しており,ホーネン開発の重野が村役場を訪問します。村長は村をあげて協力すると話しますが,小さな島における大規模リゾート開発がもたらす問題にはほとんど考えが至らないようです。
彼の眼にはリゾート開発→観光客の増加→島の雇用と収入の増加というバラ色の一面しか見えていないようです。この話が描かれたのは2000年代の初めですが,その10年ほど前はバブル経済に後押しされたリゾート法(1987年成立)により日本各地で乱開発が進められた時期でもあります。
その多くは経営破たんし開発地域に深刻な爪痕を残しています。リゾート開発を受け入れた地域にとってはより多くを求めたため,地域経済に大きな歪みをもたらしてしまいました。
人口1000人の「古志木島」に大規模リゾートを開発するということは,「Dr.コトー診療所」のテレビドラマの舞台となった与那国島(人口約1500人)に巨大なリゾートホテルを建設するようなものであり,とても経済的に引き合うものではありません。
与那国島が属する八重山諸島に西表島があります。面積は八重山の中心となっている石垣島より少し大きく289km2ありますが,人口はわずかに2300人です。島の大半は山岳地帯で原生林に覆われています。
人々は農業と観光業で暮らしています。観光業といってもほとんどが家族経営のものであり,宿泊施設も少し大きな民宿程度のものです。
その西表島に『ニラカナイ』という部屋数140の大きなリゾートホテルが建設されました。西表島は原始の島としてその自然環境が最大の観光資源であり,大きなホテルの建設にあたっては最大限に環境に配慮する必要があります。
ところが,ホテル建設は環境アセスメントをスキップして強行されました。日本生態学会,日本魚類学会,沖縄生物学会,WWFジャパンなどは環境影響を危惧し,建設工事開始後に工事を中断し環境アセスメントを実施することや計画の再検討を求める要望書が提出されました。
しかし,その要望はまったく無視されホテル建設は強行され2004年に開業しました。その後に地域住民や島外支援者が開発の差し止めを求めて提訴しましたが,一審,二審とも敗訴しています。
西表島では現在でも反対運動が続いており,観光業に携わる店やなどには「ニラカナイの宿泊客はお断り」などという掲示が出されています。このようにして地元と軋轢をもつようなリゾート開発ですが,地域の雇用を支えている側面もあり,人々を分断するものとなっています。
個人的には島の経済の拡大よりも持続性や島民のまとまりを第一に考えたいところです。リゾートホテル事業がうまくいかなくて撤退するということになれば,後には傷ついた自然と分断されたコミュニティが残されるのです。