吉田 秋生
吉田秋生(よしだ・あきみ)は東京都出身の女性漫画家であり武蔵野美術大学をちゃんと卒業しています。1977年に「ちょっと不思議な下宿人」で漫画家デビューを果たしていますので,在学中もしくは卒業してからということになります。
吉田の初期作品は3巻からなる「吉田秋生傑作集」で確認することができます。幸いこの三冊の単行本に収録されている短編には初出が記載されていますので,初期作品における描画の変遷を時系列で追うことができます。
1977年12月:楽園のこちらがわ
1978年09月:夏の終わりに
1979年05月:楽園のまん中で
1980年01月:風の歌うたい
1980年03月:はるかな天使たちの群れ Part1
1980年04月:はるかな天使たちの群れ Part2
1981年冬号:十三夜荘奇談
1982年01月:夢見る頃を過ぎても
1982年03月:ジュリエットの海
1982年05月:夢の園
1982年09月:きつねのよめいり
1982年11月:最後の夏
1982年10月:解放の呪文
こうして見ていくと1982年の「夢見る頃を過ぎても」あたりで描画スタイルが確立したようです。「吉祥天女」から「BANANA FISH」の最初までの絵柄は大友克洋の影響を強く受けており,「BANANA FISH」の途中から細い線を駆使した本来の絵柄に戻っています。
初期のストーリーでは大友風の絵柄が似合っています。しかし,作者は途中からは主人公を「神の器」に設定し直しており,それが従来の絵柄に戻すきっかけだったように感じます。
それにしても少女漫画家にもかかわらず短編集の中には恋愛が主要テーマとなっている話はほとんどありませんし,そもそも少女が主人公になっている話すら珍しいのです。
当時の少女漫画の読者層がどのように評価していたかは分かる資料がありませんが,おそらく異端児であったことでしょう。上記の作品はほとんど「別冊少女コミック」に掲載されています。
1970年に創刊され「花の24年組」の活躍の場であった「別冊少女コミック」は次第に「少女コミック」との関連性が薄くなり,1980年ごろにはやや高い年齢層に向けた少女漫画誌として地位を確立し,クセの強い作品や独自路線の作品が多く掲載されるようになっています。
少女漫画の異端児である吉田はこの雑誌で育ったようなものです。初の長編となる「カリフォルニア物語」で一定の評価を受けるようになり,「吉祥天女(1983-1984年)」「BANANA FISH(1985-1994年)」と短篇から長編に衣替えをして作品を出しています。
従来のちょっと屈折していても普通の男女を主人公にしていたスタイルが「吉祥天女」では天女の家系とされる魔性の少女を登場させ,「BANANA FISH」では神の器をもつ少年を主人公にしています。この超人を主人公とする路線は「YASHA-夜叉-(1996-2002年)」「イヴの眠り(2003-2005年)」と続いて行きます。
同時に従来の短篇に見られる普通の男女を主人公とする路線では「河よりも長くゆるやかに(1983-1985年)」「櫻の園(1994年)」「ラヴァーズ・キス(1995-1996年)」の作品系譜があります。つまり,1985年から10年間は二つの路線の作品を並列して発表していました。
現在は鎌倉の名所や風物を背景にして4人姉妹の生活や人間関係をていねいに描いた「海街diary(2007年-)」を執筆しています。この作品は従来の二つの路線のどちらにも属さないものです。
古い町を背景にしたしっとりとした物語になっており,吉田秋生の新境地と評した新聞記事にうなづけるものがあります。30歳を過ぎてから新しい系統の作品に取り組み,成功を重ねてきた彼女は現在でも特異な少女漫画家であることに挑戦し続けています。
「BANANA FISH」と「YASHA」
この2作は(正確には「イヴの眠り」を含めた3作)は吉田秋生の作品群としては毛色が変わっています。「BANANA FISH」では特殊な薬物が重要な位置を占めており,「YASHA」は神経細胞発育因子(NGF)により人工的に造り出された超天才児の物語となっています。
それ以前の吉田秋生の作品の傾向からすると,このようなサイエンスがらみの話はまったく出てきませんのでその特異さが際立っています。常識的にはなにか,例えば編集部との打ち合わせて次はサイエンスとアクションものにしましょうというような特別なきっかけがあったような気がします。
そのような考えが頭のどこかに残されていたのか,「YASHA」の設定で自分の記憶にひっかかるものがありました。主人公である有末静は「神経細胞発育因子(NGF)」の遺伝子を注入された受精卵から誕生した,「人工的に生み出された天才児」という設定です。この設定は「ロビン・クック」の「ミューテイション(突然変異)」の中に見ることができます。
同じように「BANANA FISH」のキーワードである「幻覚作用をもつ特殊な薬物」と「自傷行為」から連想すると私の記憶では「スティーブン・キング」の「ファイアスターター」が出てきます。もっともこちらは超能力開発用の薬物であり,被験者の中から複数の人が幻覚作用により自傷行為に及んでいます。
「BANANA FISH」で取り上げられている薬物は南米先住民のシャーマンが広く使用している幻覚作用をもち神と対話できるある種のアルカロイド成分を基に人工的に合成された物質であり,こちらの方に作者のヒントが隠されているのかもしれません。
また,化学合成された代表的な幻覚剤であるLSDを服用すると,被暗示性が高まり,人の表情や態度,周囲の環境の変化に鋭い反応を起こします。日常的には経験することがないほどの強い感情が現れ,至福の喜びを感じることがあれば想像を絶する恐怖によりパニックを引き起こすこともあります。このLSDによる被暗示性の強化も「BANANA FISH」に影響しているかもしれません。
いずれにしても,私の記憶の連想や推測が当たっているかどうか判断する材料はありません。しかし,とても理系女子とは思えない作者がサイエンスがらみの物語を作るにあたり,先行する作品を広く調査するのは自然な流れであり,その中から自分の創作意欲を刺激するようなアイディアを見つけ出したと考えられます。
このようなサイエンスがらみの作品におけるある種の類似点は多くの作品に見られるものであり,作品本来の質をいささかも毀損するものではありません。「BANANA FISH」も「YASHA」も作者の創造性が十分に発揮されており,新しい「吉田ワールド」となっています。
A Perfect Day for Bananafish
「BANANA FISH」という不思議なタイトルは1948年に発表されたJ・D・サリンジャーの短編小説「A Perfect Day for Bananafish」にちなんでいます。
サリンジャーの代表作といえば「ライ麦畑でつかまえて(1951年)」ですが,「A Perfect Day for Bananafish」もその不可解な内容から彼の作家活動においてきわめて重要な位置を占めています。日本語タイトルは「バナナフィッシュにうってつけの日」となっています。
この短篇は主人公の「シーモア・グラース」が妻と二度目のハネムーンに出かけ,フロリダのビーチで過ごすごく普通の一日が記されています。
前半はシーモアの妻ミュリエルとその母のとりとめのない会話となっており,後半はシーモアと友人の娘である少女シビルとのたわいもない会話が続きます。その日の夜,ホテルの部屋に戻ったシーモアは寝ている妻の横で拳銃自殺をとげます。
バナナフィッシュが登場するのは次のような場面です。シビルに促されて海に入ったシーモアは彼女にバナナフィッシュの話をします。
あのね,バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くんだ。入るときにはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが,いったん穴の中に入ると,豚みたいに行儀が悪くなる。ぼくの知ってるバナナフィッシュにはね,バナナ穴の中に入って,バナナを78本も平らげた奴がいる。
シーモアの話に出てくるバナナフィッシュはバナナを食べ過ぎて太ってしまうので二度と穴の外へは出られなくなり,バナナ熱にかかって死んでしまいます。
上記の寓話が何を意味しているのかがシーモアの突然の自殺の謎を解くカギとなっているのかもしれません。また,主人公の名前が「シーモア・グラース」,つまり「See more glass」となっていることも何かを暗示しているのかもしれません。
日本でも鉄道自殺を防止するために駅のホームには大きな鏡が取り付けられています。これは,自殺志願者に他者の視線を感じさせ,他者の目に映る自分の姿を自覚させる効果が期待されています。
ビーチでシビルは「シーモア・グラース」と呼びかけています。それはシーモアにとってはどのように(自殺を思い留まらせる方向あるいは自殺の意志を固める方向)響いたかは分かりませんが,少なくとも自分を再認識するきかっけにはなったことでしょう。
バナナフィッシュの寓話で重要なのは「バナナのはいっている穴」と「二度と穴の外へは出られなくなること」の意味を読み解くことです。サリンジャーは「無垢なもの(イノセンス)に対する憧れが強い人」であると評価されています。
そう考えると,「バナナのはいっている穴」とは汚れた大人の社会であり,そこに入った魚(無垢な魂をもつ少年)は汚れた社会に染まり,元の無垢な自分には戻れないと解釈することができます。
ビーチの場面においてシーモアは穴の中に,シビルはまだ穴の外で自由に泳いでいる存在となります。シビルに「See more glass」と呼ばれたとき,シーモアは二人の立ち位置の間には絶対的な障壁があることに気が付き,その結果,バナナ熱による死を待つ身ならば一思いに・・・と考えたのかもしれません。
シビルによって自分の立ち位置を自覚させられたシーモアにとって,その日が「A Perfect Day for Bananafish」になってしまいました。もちろん,この分析は個人的なものであり,100人の人がこの小説を読めば100通りの分析が生まれることでしょう。
コードネーム「BANANA FISH」
作品中では月龍が「BANANA FISH」の原型は「ブルグマンシア」の突然変異株であるとゴルツィネに説明します。「ブルグマンシア」は学術名の「属名」にあたり,その中には複数の植物が含まれています。原産地は中南米の熱帯域ですが,意外にも暑さに弱く,高地にだけ生育しています。日本でも生育可能であり,園芸種として広く出回っています。
和名は「キダチチョウセンアサガオ属(Brugmansia)」ですが,近縁種に「チョウセンアサガオ属(Datura)」があります。どちらもナス科に属しています。「チョウセン」の名前は冠されていますが,原産地とは無関係であり,単に海外から入ってきた程度の意味で使用されています。
また,「アサガオ」となっていますが,アサガオは「ヒルガオ科」の植物であり,単に花がアサガオに類似していることから別種の植物にもかかわらず「アサガオ」の名前が使用されています。そういえば,一部のアサガオの種子にはLSD類似物質のLSAが含まれており,強くはないものの幻覚作用を引き起こします。
「チョウセンアサガオ」は一年草もしくは多年草であり,園芸種は属名から「ダチュラ」とも呼ばれています。「キダチチョウセンアサガオ」は名前のように木本であり,低木もしくは高木となり,園芸種は属名から「ブルグマンシア」とも呼ばれています。
もっとも,この2種類の植物はかっては同じ「ブルグマンシア属」に分類されていたこともあり,しばしば混同されています。花はどちらもトランペットの形をしており,上向きのものがチョウセンアサガオ,下向きのものがキダチチョウセンアサガオと考えてほぼ間違いはありません。
園芸種にもかかわらずどちらの植物も複数のアルカロイドを含有しており,強い幻覚性と麻酔性をもち,日本でも毎年何件か食中毒事件が発生しています。この種のアルカロイドは分子量が比較的小さいため血液脳関門を通過することができ,脳内の神経伝達物質と類似した構造をもっているため脳内活動に影響すると考えられていますが詳しいメカニズムは解明されていません。
「チョウセンアサガオ」は江戸時代に日本に入って来ており,1804年に華岡青洲がこの植物から通仙散と命名した麻酔薬を作り,世界初とも言われる全身麻酔下で乳癌の摘出手術をしたことで有名です。しかし,青洲の妻は麻酔薬を完成させる過程で失明しています。
同じナス科のベラドンナ(ヨーロッパに自生)に含まれるアルカロイドから抽出されたアトロピンは致死量0.1gの毒物であり,浦沢直樹の「マスターキートン」の中では「禁断の実」の話に出てきます。
このアトロピンは有機リン剤中毒等の治療にも用いられ,地下鉄サリン事件における治療にも用いられています。サリンの毒性はアセチルコリンエステラーゼ等の活性部位に不可逆的に結合し,アセチルコリンの分解を阻害して神経伝達を麻痺させる作用によるものです。
それに対してアトロピンはアセチルコリン受容体を競合的に阻害しますので,サリンの薬理作用を拮抗させる方向に働きます。まさしく毒と薬は紙一重といったところです。
微生物,真菌,植物,動物を含むさまざまな生物によって生産されるアルカロイドは防御物質であり,多くの場合,他の生物には有害です。しかし,その薬理作用を制御することができると「妙薬」とすることができます。
「BANANA FISH」の場合は非常に強力な幻覚剤として機能します。通常の幻覚剤は使用した人間の精神状態,周囲の環境により至福の喜びを感じることがあれば想像を絶する恐怖のためパニックを引き起こすこともあります。
ベトナム戦争時における初期段階の「BANANA FISH」は100%ひどい悪夢や憎悪とともに凶暴性を引き起こし,自傷行為に至ります。このままではなんの利用価値もない粗悪な幻覚剤ですが,変性意識状態(幻覚を体験している状態)において外部からの刺激を受けやすいという側面をもっています。
これは薬物による暗示効果であり,「BANANA FISH」を飲ませ,「Aという男がおまえを殺そうとしている。殺られる前にAを殺せ!」という暗示を与えるとその通りのことが実行されます。
この暗示に逆らおうとすると耐えがたい苦痛を感じるため,(自分は殺したくないとどんなに思っていても)苦痛から逃れるために殺人を犯してしまいます。初期段階から12年が経過し,「BANANA FISH」の凶暴性因子は除去され,完全なる暗示薬物として利用できるレベルに達しています。
物語の展開
「BANANA FISH」は全19巻の大作であり,全体を大きく5つに区分することができます。
Part 1:単行本の01巻 :プロローグ
Part 2:単行本の01-06巻:「BANANA FISH」の謎解き
Part 3:単行本の07-11巻:アッシュの反撃
Part 4:単行本の12-14巻:ゴルツィネの復権
Part 5:単行本の15-18巻:最後の戦い
Part 6:単行本の18-19巻:エピローグ
Part 1:プロローグ
1973年ベトナム戦争のさなか,アメリカ兵士グリフィン・カーレンリースが突然,同じ分隊の兵士たちに自動小銃を乱射して死傷させます。その場に居合わせたマックス・ロボは彼の足を狙撃し取り押さえます。そのとき,グリフィンは「バナナ・フィッシュ」という謎の言葉をつぶやきます。
Part 2:「BANANA FISH」の謎解き
ダウンタウンのストリート・キッズのボスとして君臨するアッシュはゴルツィネの指示で銃撃された男から「バナナ・フィッシュ」という言葉とカルフォルニアの住所を伝えられるとともに小さなロケットを受け取ります。
「バナナ・フィッシュ」は廃人となった兄のグリフィンがしばしば口にしている言葉であり,アッシュは調査を開始します。ゴルツィネは「バナナ・フィッシュ」により中米でクーデターを発生させ,南米からのヘロインルートを手に入れようと米国の政治家や軍人とともにプロジェクトを進めており,アッシュの調査を阻止しようとします。
殺人の冤罪で刑務所に収監されたアッシュは兄グリフィンのベトナム時代の友人であり「バナナ・フィッシュ」の調査を続けているマックス・ロボと出会い,行動を共にすることになります。
カリフォルニアのドースン博士の家でアッシュとマックスは「バナナ・フィッシュ」が複数のアルカロイドを含む薬物であり,完全なる薬物暗示が可能な物質であることを知らされます。
彼らはゴルツィネの屋敷で「バナナ・フィッシュ」を投与されたショーターが暗示により英二を殺害しようとしている姿から自我を完全に破壊する薬物であることを目撃します。アッシュはショーターの「殺してくれ 自由にしてくれ」という言葉により彼を射殺します。
Part 3:アッシュの反撃
月龍の助けによりゴルツィネの屋敷を脱出したアッシュは反撃に出ます。ゴルツィネはコルシカ人財団の理事をしており,アッシュはコンピューター操作によりその表向きの会社の株価操作と収益源の一つであるGOOSEから6000万ドルを搾取します。これよりゴルツィネはマフィアのテーブルに着かざるを得なくなり米国を後にします。
その間にアッシュはマンハッタンの高級アパートを買い,そこを隠れ家としてオーサーに恐怖支配されたダウンタウンを取り返すため,オーサーの息のかかったボスを次々と殺害し,たまりかねたオーサーとボスの座をかけて決闘となります。
アッシュは勝利しますが,傷を負い,コルシカ人財団が経営母体となっている国立精神衛生センターに搬送されます。ほどなくして,テレビではアッシュ死亡のニュースが流されます。しかし,アッシュは米国に戻ったゴルツィネの目の前でセンターから脱出します。
Part 4:ゴルツィネの復権
「バナナ・フィッシュ」を使用して月龍は華龍を廃人にして自分が彼の後見人となります。月龍は華龍の名前でゴルツィネを招待し,交換条件を持ち出し手を握ります。月龍はコルシカ人財団の理事を次々と殺害し,ゴルツィネは財団で復権を果たします。一方,ゴルツィネは華龍を除く李一族をすべて殺害し,月龍が事実上の華僑の支配者となります。
月龍はアッシュの最大の弱点は英二であると見抜いており,ゴルツィネに「バナナ・フィッシュ」の情報漏洩を防ぎ,アッシュをゴルツィネの元に戻す提案をします。ゴルツィネはかってのアッシュの指導教官であったブランカを呼びます。ブランカはアッシュの隠れ家を突き止め,警告のため英二を狙撃します。
ブランカが敵に回ったことを知ったアッシュはマックスたちの収集した資料をゴルツィネに手渡し,自らはゴルツィネに捕らわれます。ゴルツィネはアッシュを再び「神の器」に仕立て上げ,中米における軍事作戦のプランを立案させ,新しい政界と軍部のパートナーとの会議で披露させます。
Part 5:最後の戦い
アッシュの能力を再確認したゴルツィネはアッシュの養子縁組を進めますが,アッシュは籠の鳥の生活に精神的な拒食症に陥ります。養子縁組披露パーティーの会場から脱出したアッシュはシンのグループとともにゴルツィネや月龍の配下と戦闘状態となり,多くの仲間が捕虜となります。アッシュは自然史博物館で月龍を捕え交換条件として捕虜を解放させます。また,捕らわれたシンの仲間も救出します。
アッシュ,シン,ケインの仲間とともにゴルツィネの雇った傭兵のフォックス大佐の部隊と戦闘状態となり,なんとか撃退したものの仲間の一部は捕虜となります。国立精神衛生センターにおける最後の戦いでゴルツィネとフォックス大佐,マナーハイムは炎の中で死亡し,「BANANA FISH」の資料も焼失します。
Part 6:プロローグ
「バナナ・フィッシュ」の秘密は公表されることはありませんでしたが,秘密クラブにおける少年の性的濫用については政府関係者も逮捕され,一大スキャンダルに発展します。スマイルズとゴルツィネの関係について証言する者も出てきます。マックスはジェシカと再び結婚し,このニュースを一つの区切りとして聞いているようです。チャーリーもマーディと結婚することになります。
シンは月龍を訪ね二人きりになったところで銃を突きつけます。シンはブランカから李一族における月龍の生い立ちを聞いており,殺害する気にはなりません。この二人の会話は物語のハイライトの一つですので引用してみましょう。
あんたはアッシュが英二に心を許すのが許せないんだ!
自分の得ることのできないものをアッシュが得たから!
それががまんできないんだ
もういいかげんにうしろばっかり見るのはやめろよ
あんたがどんなに呪ってもあんたの体の中に李一族の血が流れているのは事実なんだ。よくも悪くても・・・おれたちの指導者ってやつさ・・・
死なせるわけにはいかない 生きて罪を償ってもらう
チャイナタウンを取り戻すために
ぼくにはそんな力は・・・
おれが手助けすると言っているだろ
もう自分を呪うのも憎むのもやめろよ
そんなことはむなしいだけだ
そうかんたんには・・・いかないよ
兄たちを・・・憎むことだけが生きることのささえだったんだ
それがなければ・・・ぼくはもうとっくに・・・
あんたはもう・・・おふくろさんの仇をうったのだからおしまいにしろよ
おれもあんたを・・・憎んじゃいない
おれ あんたを・・・どうしても憎むことはできない
あんたはケガ人だ・・・あんたの心は血を流している・・・今でも・・・
そういうところは・・・アッシュと同じだ
ブランカは帰国を前に公園のベンチで本を読んでおり,そこにアッシュが現れてブランカの契約料と経費を込みで515ドル75セントを手渡します。争いのないときのこの二人の静かで知的な会話はとてもいいですね。
月龍のことを気にかけるブランカに対してアッシュはシンは月龍を殺せないし,自分もわざわざ出かけて行って彼を殺す気はないと語ります。英二が明日帰国すると話すブランカに対してアッシュは見送りにはいかない,自分は英二の人生に関わりをもってはいけない人間なんだと説明します。
出発間際に英二はシンに手紙を託します。シンはニューヨーク市立図書館でアッシュを見つけ,手紙を手渡すとともにどうして見送りにいかないかのかと問い詰めます。アッシュは英二を元の世界,殺し合いなどの無い世界に戻すんだと説明します。英二はアッシュがどうして空港に姿を見せないのか,その理由を理解しており,自分の気持ちを手紙にしたためています。
アッシュ・・・君の無事な姿が見られないからぼくは不安でたまらない
君は言ったね。”おれたちは住む世界がちがう”と
・・・でも,ほんとうにそうなのかな
ぼくたちは肌の色も目の色も生まれた国もすべて違う。
でも,ぼくたちは友達だ
それで十分なんじゃないかい?
ほかになにか必要なものがあるの?
ぼくはアメリカに来てほんとうによかったと思っている
いろんな人に会えた。
そして何より・・・君という人に会えた
君は何度もぼくに聞いたね
”おれがおそろしいか”と
でもぼくは・・・・・・君のことを恐ろしいと思ったことは一度もないんだ
初めてあったときから
それどころか 君はぼくよりずっと傷ついている
・・・・・・そんな気がしてしかたがなかった
おかしいだろう?
君のほうがずっと頭もいいし 体も大きくて力も強い
それなのに ぼくは・・・・・・
”君を守らなければ”と ずっと思っていた
”ぼくは何から君を守りたかっただろう?”
君はヘミングウェイの小説に出てくる豹の話をしてくれたね
山の頂で死んだ豹は自分が戻れないことを知っていたにちがいないと・・・・・・
ぼくは答えた
君は豹じゃない 運命は変えることができる・・・
そうだよ アッシュ 運命は変えることができるんだ
君は一人じゃない ぼくがそばにいる
ぼくの魂はいつも君とともにある
さよならアメリカ さよならN・Y・・・
でも 君にさよならは言わないよ アッシュ
ぼくらはまたきっと会える どんなに遠く離れていても・・・
君はぼくの最高の友だちだ
アッシュは手紙の途中で感極まって市立図書館の外に出てタオに刺されます。自分はもう助からないことを知ったアッシュは図書館に戻り手紙を読み終えながら意識を失います。その顔には満足そうな微笑みが浮かんでいます。
物語はここで静かに終わります。この手紙を読みながらアッシュは奇跡の生を終えます。8歳でレイプと殺人を経験し,数えきれない人間を殺傷してきたアッシュの短い一生はその最後に英二という理解者と出会うことにより,救われました。
「BANANA FISH」の前に発表された「吉祥天女」では小夜子の魂を救済してくれるかもしれなかった涼が死亡しており,一人生き残った小夜子の傷ついた魂はどのように救済されるかが気になっていましたが,「BANANA FISH」では普通の人間の無私の友情が「神の器」をもつアッシュの魂を救済する構図を完成させています。
「Part 4」ではあまりにも多くの人々が殺害されており,さらに優秀な傭兵部隊を相手にストリート・キッズが戦闘するというリアリティを欠く場面がこの名作の難点となっていますが,その向こう側のエピローグの部分が秀逸であり,この作品を名作と呼べるものにしています。
アッシュを巡る三人の人間
物語の中でアッシュと深い関わりをもつゴルツィネ,月龍,英二の三人のこころのありようについては書いてみたいのですが,相当の長文になりそうですので時間を置いてからにしたいと思います。特にゴルツィネのこころの分析は面白そうです。