御厨さと美
御厨さと美(本名は御厨哲美)は1948年生まれの男性マンガ家です。長崎県諫早市出身であり,作品中で豪介とマレッタが日本を旅行した時に向かったのが諫早市でした。
漫画家デビューは1970年の「黒いつるぎ」ですが,「ノーラの箱船(1977年)」まではほとんど無名に近い状態でした。短篇が多く「裂けたパスポート」は御厨さと美の代表作であり,唯一の長編といってよいものです。
彼の描く主人公は社会のはみ出し者が多いのが特徴です。「裂けたパスポート」の豪介は中学を卒業後にヨーロッパに渡り,裏社会の使い走りをしてヨーロッパを転々としてきました。マレッタは11歳で家を出て娼館で暮らしていた経歴があります。
「イカロスの娘」の日野さやかはやくざ絡みの土建会社の社長の娘であり,高校を休学して米国をバイクで旅行し,そこで飛行機の操縦に魅せられ,アラスカで操縦免許を取得します。「ノーラ箱船」のノーラは国連事務総長の娘にもかかわらず米国防総省の査察官に扮装して世界最大の空母を乗っ取ろうとします。
このような型破りの人物が活躍する物語はとても魅力的なのですが,一般受けはしなかったのか,作者の筆が進まなかったのか私の目を通した作品は数えるほどしかありません。
1982年に「イカロスの娘」を中断の形で終わらせてからはそれほど描いておらず,アニメ業界に転身したりCD-i の会社を設立したりしています。このような執筆活動の中断の要因として,ネットの世界では書痙により漫画の原稿が描けなくなったという説が流布されています。
1997年には「ルサルカは還らない」により漫画家として復活しますが,その後の作品はないようです。Wikipedia には2005年に東海大学講師に就任とあり,その後の動向は不明です。私と同じ団塊の世代ですので年金暮らしに入っているのかもしれません。
戦後の日本の経済事情
太平洋戦争で壊滅的な被害を受けた日本は戦後の一時期は大変な混乱期となります。終戦時に大勢の日本人兵士や開拓者がいわゆる外地に居住しており,引揚復員者と呼ばれています。その総数は700万人から900万人とされています。
終戦時の日本本土人口は7000万人程度であり,そのうち1割が外地から引き揚げてきたのです。1940年における日本のコメ生産量は900万トン,消費量は1200万トンですから300万トンほど不足しており,不足分は輸入や海外植民地からの移入に頼っていました。
1945年(終戦の年)には働き手を徴兵されたり,軍需工場に徴発されコメの生産量は700万トン弱まで落ち込んでいました。化学肥料が入手困難になったのも相当影響しています。さらに漁獲高も漁船が徴用されたり,戦争の被害を受けたりしたため1940年に比べて65%ほとに落ち込んでいます。
もともと,人口過多のためコメが自給できない国が戦争により海外からのコメの輸入がストップし,さらに海外から多数の引揚者が戻ってきたのですから飢餓が生じるのは当然です。都市住民は買い出しと称して農家と物々交換で食料を手に入れた時代でした。
時代が落ち着いてきたのは1948年頃からです。一方,戦争中には先延ばしにしていた出産が急増します。それに加えて徴兵されていた若い世代が復員したことにより,婚姻と出産が増加します。
その結果,1947年から1949年までの3年間の出生数は年間270万人弱という突出したものとなり,「団塊の世代」と呼ばれるようになります。現在の年間出生数は110万人を割り込んでおり,隔世の感があります。
この「団塊の世代」の中に作者も私も含まれています。この世代が日本の高度経済成長を支えるのはもう少し後のことになりますが,「団塊の世代」は良かれ悪しかれその圧倒的な世代人数で日本を変えてきました。
日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は1954年(昭和29年)から1973年(昭和48年)までとされており,その要因としては高い教育水準を背景に良質で安い労働力,軍需生産のために官民一体となり発達した技術力,余剰農業労働力の活用,高い貯蓄率(投資の源泉),輸出に有利な円安相場(固定相場制1ドル=360円),消費意欲の拡大,安価な石油などがあげられます。
1968年には国民総生産(GNP)が当時の西ドイツを抜き世界第2位となり,「東洋の奇跡」と形容されました。東海道新幹線や東名高速道路といった大都市間インフラも整備され,日本の景観は急速に変貌していきます。急速な経済成長の負の側面として,企業による公害や環境破壊が頻発し大きな社会問題となっています。
1970年の日本の平均賃金は7.8万円,1$=360円の固定相場制ですので217ドルに相当します。当時は年功序列賃金体系ですので大卒の初任給が100ドル足らずということになります。
一般市民が業務ではなく単なる観光旅行として外国へ旅行できるようになったのは1964年(昭和39年)のことであり,年1回500ドルまでの外貨の持出しが許されました。
1964年4月8日に出発したJTB 主催「第1回ハワイダイヤモンドコース・ハワイ7泊9日」の旅行費用は36万円でした。当時の国家公務員の大卒初任給が2万円弱でしたからその約18倍という超高額商品だったことになります。現在の価格に換算すると360万円ほどになり,海外旅行は庶民には高嶺の花でした。
同じ年のJALPACKヨーロッパ16日間は67万円でした。このような高額商品にもかかわらず,1964年の日本人出国者は13万人弱となっています。
主人公の「羅生豪介」の年齢設定は作者と同じで1948年生まれと推定されます。物語が始まった1980年には32歳ですので,作品中の33歳とほぼ符合します。つまり,作者は自分と同年齢のキャラクターをリアルタイムで描くようにしたということになります。
豪介は中学を卒業すると高校にはいかず,船でヨーロッパに渡ったという設定になっていますので,1964年の海外旅行自由化の直後か2年後くらいに日本を出国したことになります。
その後,豪介はヨーロッパに滞在し続け,当初は犯罪組織の使い走りなどもしたようですが,なんとか表と裏の中間くらいのところで生計を立てられるようになりました。物語の始まった時,豪介は33歳になっており,ヨーロッパ滞在歴はかれこれ15年という設定になっています。
さて,1980年になると日本の平均給与は29万円,為替相場は変動相場制に移行しており,1$=250円ですので1160ドルに相当します。10年前に比べるとドル換算の給与は5.3倍になっており,外貨の持ち出し制限も無くなっていますので若い女子社員でも花のパリにやって来ることができるようになりました。
作品中に出てくる豪介の飯の種には次のようなものが上げられます。
(1)パリを訪れる日本人観光客のガイド
(2)通信社に原稿を売り込むフリーランスのライター
(3)国家検定教師の免許を持つスキーのインストラクター
(4)犯罪がらみではない書類の運搬
(5)家出人の探索
この作品のどこに魅かれるのか
一言でいうとリアルタイムのヨーロッパ事情が分かり,知的好奇心が刺激されるということです。現在のようにインターネット上に情報が溢れている時代とは異なり,新聞・テレビにおける当時の海外情報は非常に貧弱なものでした。
1959年-1990年に放送された「兼高かおる世界の旅」は日本における海外紹介番組の草分け的番組ですが,私の知的好奇心にはさして響くものではありませんでした。
1987年-1992年に放送された「日曜特集・新世界紀行」は世界各地を取材し,その地域の文化,伝統,風俗,自然,あるいは遺跡や歴史的建造物を特集したり,その地域に住む人々の生活など世界の今を多角的に映像化したものです。内容を理解するのに邪魔な存在であるレポーターや旅人などを登場させず,ナレーションのみの演出でしたのでとても好印象をもちました。
NHKの「素晴らしき地球の旅」や「地球に好奇心(1998年-2004年)」も同様にナレーションだけの演出であり,日本ではほとんど知られていない世界を紹介してくれる良質のドキュメンタリーであり,私の家の書棚にはアナログ時代のビデオとして並んでいます。
さすがに最近はブルーレイ一辺倒であり,ほとんど見ることはなくなりましたが捨てられない宝物です。この時期のNHKはドキュメンタリーのあるべき姿をちゃんと理解していました。
ところが最近の紀行番組はどうでしょうか。俳優やタレントを旅人と称して番組に参加させ,ドキュメンタリーの要素を台無しにしており,ほとんど見る価値がありません。視聴率が欲しい番組とまっとうなドキュメンタリーの区別がつかないような公共放送には視聴料を払いたくはありませんが,いくつかの番組はまともですので払い続けています。
長々とテレビ番組の話を続けましたが,要は知的好奇心をまっとうにくすぐるところが「裂けたパスポート」の魅力ということです。少し時代が下がると「MASTERキートン(1988年-1994年)」という名作もあります。また,毛色は違いますが「ゴルゴ13」も同系統のおもしろさをもった作品です。
主人公が世界の各地でさまざまな事件に関与する形式の物語の中で読者は世界のさまざまな国や地域の内情をを垣間見られるという仕掛けになっています。もちろん,「裂けたパスポート」や「MASTERキートン」は個人目線の話であり,「ゴルゴ13」は世界を動かす人物からの依頼という違いはありますが,いずれも知的好奇心に訴える点は共通しています。
もう一つのポイントは人間の成長です。この物語の主人公は羅生豪介ですが,準主役というか共同主役となっているのがマレッタです。二人が出会ったのは豪介が35歳,マレッタが13歳のときです。
当時の豪介は表と裏の世界の境で生計を立てていました。マレッタは教化院から出所したばかりの少女であり,ブローニュの森で客をとっていました。マレッタの巻き込まれた事件をきっかけに豪介はマレッタの保証人となり共同生活を始めます。
豪介は外で女遊びをしてもマレッタとはプラトニックの関係を維持するとともに,マレッタをちゃんとした学校に入れようと骨を折ります。もっとも彼女の学費の半分を(独身の)マルタン署長に出させようとします。そのときの会話がしゃれています。
しかし,おまえもようやるよ
金もかかるだろうに・・・
まさか・・・おまえ・・・
まさかってなんだい
そりゃあ・・・まあ・・・
マレッタのことは俺にも多少は責任もあるし,
俺だって慈善は嫌いじゃないし,
いや,しかし・・・そうはいっても・・・
全額とはいっていない
半分・・・
人は人のために何かをやらなきゃならん
不運にも俺にもそういうめぐりあわせがきたというわけだ
あんたはやっぱ 珍しくものわかりのいいデカだぜ
(第2巻・第8話|マレッタ・コネクションより)
この作品中には上記のようなエスプリの効いた洗練された会話が散りばめられています。このような会話は物語に深みを与えてくれます。「マレッタ・コネクション」の最後にはマレッタと豪介の次のような会話もあります。
ずいぶんひどい顔ね・・・
気にするなって
素直じゃないなあ・・・
私を愛しているって言っちゃえ
なにっ?
いくつかの事件に巻き込まれながらマレッタは豪介を愛するようになりますが,豪介は(マレッタを愛してはいるものの)保護者の立場に終始します。この二人の恋愛はときにはコミカルであり,ときにはこころに沁みる名場面を生み出していきます。
豪介はUPIの契約記者となり表の世界で生きていくことになり,マレッタはときには暗い過去のためクラスメートのいじめを受けながらも学園生活の階段を上っていきます。出会ったときはどちらも社会のはみ出し者であった二人が,奇妙な共同生活の中で人間的に成長していく姿もこの作品の魅力の一つです。
第1巻・第1話|パリ発13時05分
1980年になると全食事付のヨーロッパ10日間のパッケージツアーの価格は30万円を切るレベルになっていました。1980年の大卒初任給は11万円をこえていますので,若い女性でも利用することができるようになりました。彼女たちはショッピングや観光地の情報には詳しくにわか添乗員となった豪介もたじたじといったところです。
第1話のタイトルが「パリ発13時05分」となっているのはどうしてでしょうか。私の海外旅行はアジア専科ですのでヨーロッパには行ったことがありません。おそらく飛行時間と時差の関係で,パリを午後に出ると日本には朝に到着するのだろうと推測しました。
現在はパリ・シャルル・ド・ゴール空港を13時40分(フランス時間)に出発するエールフランス機は08時35分(日本時間)に成田空港に到着します。飛行時間は約12時間です。逆方向は成田発11時45分(日本時間),パリ到着は17時10分(フランス時間)となっています。
物語中のパリ到着時間も17時前後のことだったのでしょう。空港に到着しても現地添乗員がいないので3時間も待たされたら,さすがにパックツアーの参加者は怒りますね。ということで豪介がピンチヒッターを依頼されます。
日当は500フランです。当時の為替レートでは1フラン=54円ですから2万2000円ということになります。1980年頃のフランスの給与水準は分かりませんが,月額2000-3000フラン程度と推測します。
現在のフランスの月額賃金の平均水準(中央値)は1400ユーロ程度であり,1000ユーロの場合も珍しくはありません。ちなみに1時間当たりの最低賃金は9.43ユーロです。フランスは週35時間労働が定着していますので1ヶ月に最低賃金で150時間働くと1450ユーロとなります。豪介の1日500フランの日当はとても良い稼ぎということになります。
このツアーのメンバーの瀬川京子が道に迷い警察の厄介になります。そのときの警官は豪介に「男なら旅券不所持で二日間留置されても文句はいえない」と強く注意されます。この当時は旅券不所持はこんな大事になったんですね。
京子はパリに絵画留学した片岡という婚約者を探しに来たのです。実は彼女の友人の恵子がパリに行き戻ってこないという事情もありました。4年待っても彼は戻ってこず,京子は(自分の縁談が進んでいるためなのか)彼と会って気持ちを確かめるためパリにやってきました。
京子に相談されても広いパリの中で一人の日本人を見つけ出すことは不可能です。ところが,二人の写真を預かった豪介はとある娼館の顔見世写真で恵子に似た女を見かけます。それが分かってから豪介は京子に探偵ビジネスを持ちかけるのですからかなり悪質です。
金になる機会を逃さないことが異国で生きていくための知恵なのでしょう。豪介は二人を発見しますが,片岡は日本に帰るつもりはないと言い,恵子は片岡と分かれるつもりはないと言います。
結局,豪介は京子に見つからなかったと報告しますが,京子は事情を察したようです。成田に飛び立つ飛行機を横目に豪介は「だれもかれもパリに来ると酔っちまいやがる。そして安手の物語の量産とくる」とつぶやきます。
第1巻・第3話|雷鳴急行
1956年のフルシチョフによるスターリン批判の衝撃はソ連の衛星国家となっていた一党支配体制の東ヨーロッパの国々も及んでいます。1960年代に入るとチェコスロバキアではノヴォトニー(党第一書記兼大統領)の統治体制は揺らぎ始めます。
1967年にはチェコスロヴァキア作家同盟大会において高名な作家たちが党批判を行っています。1968年にドゥプチェクがノヴォトニーに代わり共産党第一書記に就任しました。同時に出版物等に対する検閲も廃止され,旧体制の幹部たちに対する批判は高まります。その2か月後にノヴォトニーは大統領職を辞任し,スヴォボダが大統領に選出されました。
4月の党中央委員会総会で「行動綱領」が採択され,「新しい社会主義モデル」を提起しています。ソ連邦はこれを「反革命」的内容と危機感を強めていました。
1.党への権限の一元的集中の是正
2.粛清犠牲者の名誉回復
3.連邦制導入を軸とした「スロヴァキア問題」の解決
4.企業責任の拡大や市場機能の導入などの経済改革
5.言論や芸術活動の自由化
6.科学技術の導入を通した西側との経済関係の強化
この新しい改革は「プラハの春」と呼ばれており,チェコスロバキアの国民からは支持されますが,ソ連邦の共産党書記局は反革命的と断じて軍事介入を決定します。
1968年8月20日ワルシャワ条約機構軍が国境を突破し侵攻し,チェコスロヴァキア全土を占領下に置き,短いプラハの春は終焉します。1956年の「ハンガリー動乱」もワルシャワ条約機構軍の戦車部隊により蹂躙され,数千人の市民が殺害されています。
1985年にソ連共産党書記長に選出されたゴルバチョフは「ペレストロイカ」としてソ連型社会主義の範囲での自由化・民主化に着手しました。対外的には1988年の新ベオグラード宣言の中でソビエト連邦が東欧諸国に対する指導制を放棄したことを世界に表明しました。
これは即座にソ連のくびきにあえいでいた東欧諸国の民主化革命につながり,ハンガリー,ポーランドの一党支配体制は終焉します。この動きは連鎖的に他の東欧諸国に伝わり,旧体制の政権は崩壊していきました。これが東欧民主化革命であり,その過程でいくつかの国では流血の事態となりました。
東欧民主化革命の余波はソビエト連邦にも波及します。ソビエト連邦とはロシアを中核とする15の共和国から構成され,各国をつなぎとめていたものは社会主義でした。
しかし,ソ連型の社会主義は東欧諸国の支持をまったく失い,ソ連邦内でも独立の機運が高まります。そして,ウクライナの独立を機にソ連邦は崩壊し,各国は独立します。
ここで問題になるのはロシアの対応です。ロシアは東欧諸国に対する影響力は放棄しましたが,プーチン体制ではバルト三国を除く旧ソ連圏の国々に対する影響力は維持しておくことが最重要な外交政策となっています。
多くのロシア人が居住するウクライナがEUの支援でロシアの影響力から離れることはプーチン大統領にとっては許容限度を超えています。かってロシア領であったクリミア半島を住民の意思という形で編入し,ウクライナは連邦制にしてロシアの影響力を残したいというのがプーチンのシナリオでしょう。
これは,米国の裏庭ともいうべきカリブ海で反米国家のキューバが誕生した時,米国がとった行動と同質のものです。欧米諸国がロシアの国益を見誤ったことが2014年の危機の原因です。
物語の舞台では1978年のチェコスロバキアです。「プラハの春」はワルシャワ条約軍により踏みにじられ,旧体制に戻っています。プラハでは「チェコの各界を代表する250人が自由への回帰」を訴えた宣言書に署名し,当局の厳しい監視の中を西側に持ち出そうとします。
その運び屋に選ばれたのが豪介です。豪介は宣言書をもつブレンショーの秘書イングリッドとコンタクトします。ブレンショーはすでに逮捕されており,彼女の逮捕も時間の問題です。
豪介は宣言書を預かり,イングリッドをかつらと西側の服装で扮装させ,西ドイツの雑誌記者のパスポートを手に入れて,彼女を西側に亡命させようとします。この計画は国境の手前で露見してしまいます。
豪介は宣言書の隠し場所を教え,見逃してもらいます。イングリッドからは「卑怯者・・・人でなし・・・」という罵声を浴びます。実は豪介は彼女にも内緒で宣言書を8mmフィルムに複写しており,それは本来の送り先に届けられます。
しかし,「連れて行って・・・あなたの住んでいる自由な世界へ,私に私らしい生き方をさせてくれるところへ」と言って抱きついてきたイングリッドの言葉が耳から離れず,報酬の1万マルクはすぐにワインと女で使ってしまいます。
現実の西側世界は天国ではありません。どうしようも貧困や格差が存在する激しい競争社会です。ある人々にとっては東側社会の方が住みよいのかもしれません。それでも,自由は人々の根源的な欲求であり,人々は死を賭してでも自由のために戦います。
第3巻・第6話|ポン・デ・ザール橋で
マレッタは寄宿制の学園生活を送るようになります。フランスの教育制度5-4-3制であり,小学校(6-11歳),前期中等教育(11-15歳),後記中等教育(15-18歳)となっています。
義務教育は6歳から16歳までの10年間です。マレッタは前期中等教育を受けるため私立学校を受験しました。成績は問題なかったようですが,校長(と思われる女性)はマレッタの身元保証人となっている豪介と彼女の関係についてたずねます。
そうですね試験はいい成績でしたでしたわ
よかった・・・・・・
ただ,それだけが全てというわけではありませんのよ
いろいろ・・・申し上げにくいことも
はあ?
この学校には中流家庭の子もいるにはいますが・・・
・・・それなりに伝統的な規律も守らなければなりません
例えば・・・あなたをマレッタの保護者と認めていいかものか
あなたの国籍の問題もありますが・・・・・・
問題はむしろ・・・・・・
お聞きしてよろしいかしら
マレッタ・クレージュに対してあなたはどういう立場の人?
答えることが必要なんですね
入学手続きとして
ええ・・・
ありふれた世話好き…
そう書いておいて下さいよ
(第2巻・第8話|マレッタ・コネクションより引用)
この答えに校長は微笑みを浮かべます。もっとも豪介は身元保証人にはマルタン署長も追加しておきましたので合格ということになりました。
彼女の学費として豪介は毎月1500フランを送金しています。マレッタは豪介が彼女のことで無理をしているのでは心配し,豪介の重荷になりたくないと考え,特別奨学生試験を受けようと先生に相談します。この試験はとても難しいのですがマレッタは本気のようです。
この話に出てくる制服姿のマレッタは年相応に見え,とても清楚な雰囲気です。勉強家の彼女は一月ものあいだ昼食をけちって280フランもする高価で難しい本を買います。ところが本は350フランに値上がりしており,マレッタは憤慨しながら店を出ます。
その後を追いかけてきたアラブ人の青年シドにその本をプレゼントされます。彼はアラブの王族なのか,パリで大変な邸宅を構え,贅沢な暮らしをしています。マレッタは知的な物腰のシドと酒・ギャンブル・女にのめり込む豪介を比較してしまいます。
校長先生は豪介の部屋をたずねマレッタの特別奨学生試験の件を報告し,マレッタが豪介の援助を負担に思っていることを話します。マレッタの向上心を理解しつつも,豪介は自分の放埓な生活を校長に指摘され話を終わらせます。
豪介の感情は保護者からマレッタへの愛に変わりつつありますが,マレッタの向上心と現在の自分が釣り合わないことを自覚し,自分なりに階段を上ろうと決意したようです。豪介の気持ちはネームの多いこの作品でも文字にはなっていませんが,話の流れをじっくり解読するとそのように解釈できます。
シドとのデートで遅くなったマレッタは豪介の部屋を訪ね「今夜はここで泊まらせて・・・」と言い出します。校長からマレッタの気持ちを聞いており,同時に自分を向上させることについて思い悩んでいた豪介はマレッタの他人行儀な言葉に逆上し,ひっぱたきます。マレッタは床に倒れて呆然としています。
なぜ怒らん
今までのようにひっぱたきゃ ひっぱたき返さんのはなぜだーっ
ごめん・・・
酔っぱらってて言うことメチャクチャだけど
大意は分かる
ここ・・・わたしの家だったのね・・・
ごめん・・・
それにしたって短気だなあ やい何があった!
言うてみい
な,何もねえよ
ほんとに何もないか?
な〜いない ないないない
手を出して悪かった・・・ごめん
ふふ・・・
それでよし・・・じゃ 飲るか
二人の酒盛りになりますが,豪介はすぐに酔いつぶれてしまいます。豪介は経済問題に関するレポートを書き上げようとしていたのですが,彼の真意はマレッタには伝わりません。
マレッタとシドの関係はひどい結末となります。シドの第一夫人はマレッタの素性を調べ上げ,校長に洗いざらいを話してマレッタを学園から追放するよう忠告します。しかし,校長は「私どもには私どもの教育方針があります・・・お引き取り下さい・・・」とマレッタをかばいます。
校長はマレッタの悲惨な過去と豪介の斜に構えた生活態度の深い意味を理解します。しかし,第一夫人の調査員はマレッタの過去を何人かのクラスメートに漏らしてしまい,彼女は学園内で孤立します。シドとの関係も終わりとなり,マレッタは雨の中をポン・デ・ザール橋のたもとで待ちます。
同じころ豪介は校長からマレッタの受験が拒否されたことを聞かされ,事態を飲み込みます。豪介が橋のところに行くとマレッタは逃げ出します。豪介は原稿がUPI通信に売れたこと,さらには通信社の記者として契約したことをマレッタに告げます。「好きなだけ勉強させてやれるさ。まっとうな生活だぞ」と語る豪介にマレッタは抱きつきます。
作品中ではここがターニングポイントとなっています。豪介とマレッタの愛が芽生えるとともに,豪介の生活も堅気のそれに変わっていきます。「裂けたパスポート」はこのようにヨーロッパをいろいろな側面を紹介すると同時に,階段を1段ずつ上って行くような22歳の年齢差をもった二人の愛を描いて行きます。
豪介がマレッタに「愛している」と告白するのは「第6巻・第3話|マルメロの実焼いて」です。全55話の中にはさすがにそれはないでしょうという話も含まれていますが,何回も読み直した名作です。