平野 仁
平野仁はネット上ではほとんど個人情報が公開されていません。21歳の時,テレビ動画の会社に入社し,2年間アニメーターとして仕事をしています。その傍らで漫画を描き,出版社に持ち込んでいます。動画会社時代の最後の4か月間はアニメーターと漫画家の両方をこなしていたので,漫画家としてのデビューは23歳頃のようです。
当初の発表の場は大人の週刊漫画誌でしたが,1975年頃より少年誌・青年誌に活動の場を移し,漫画原作者の小池一夫とのコンビで代表作となる青春の尻尾(GORO),少年の町ZF(ビッグコミックオリジナル),サハラ(ビッグコミックオリジナル)などの作画を担当します。
この時期の作品はいちおう目を通したと思いますが,「少年の町ZF」を除き手元にはなく,内容もほとんど記憶していません。作者には悪いのですが平野仁の絵柄は人物描写が妙にリアルであまり好みではありません。「少年の町ZF」だけはストリーが秀逸でしたので単行本を収集しました。
それから35年が経過しており,その間,この作品はずっと私の書棚に並んでいます。ビッグコッミク版の単行本の困ったところは背表紙に赤色が使用されていることです。最近の赤い染料(インク)は改善されていますが,当時のものは太陽光による退色性が強く,10年も書棚に並べておくと退色(背やけ)が始まります。
宇宙微生物の侵略の構造
物語の骨格は宇宙人の侵略とそれに立ち向かう少数の少年たちの知恵と勇気ということができます。この宇宙人は目に見えない微生物状のものであり,作品中では茸(フッコ)と表現されています。微生物による宇宙からの侵略はSFの古典の中に見ることができます。
レイ・ブラッドベリの代表作となっている短編集「ウは宇宙船のウ(R is for Rocket)」と一対となる短編集に「スは宇宙のス(S is for Space)」があります。
この中に収録されている「僕の地下室においで」があります。漫画の世界では萩尾望都の「ウは宇宙船のウ」の中でほぼ原作に沿って漫画化されています。
宇宙からやってきた茸の胞子が発芽し,きのこになります。人間が食べるときのこは消化され血液中に広がり,細胞に入り込み,その人間は茸宇宙人に支配されるようになるという内容です。
きのこ人間は仲間を増やそうと会社を作り,航空便で米国中に通信販売で茸の胞子を送る事業を始めます。子どもたちはお小遣いを出してきのこを注文し,地下室で育て,成長したきのこを家族で食べてしまいます。
こうして,多くの米国人がきのこ人間に変わっていきます。この話ではきのこに支配されるようなっても外見も性格も精神活動もまったく変化しませんので,地球人は宇宙からの侵略にまったく気が付きません。
「スは宇宙のス」は1966年に出版され,日本語訳は1971年に出ています。この微生物による地球侵略が「少年の町ZF」の発想の大元にあるのでしょう。
もっとも,「少年の町ZF」では微生物による地球侵略にヴァンパイアさらには地球人類の進化におけるミッシング・リンクを組み合わせた内容になっています。というのは実際に宇宙船に乗って地球にやってきたのは灰(アッシュ)に率いられる少数の元地球人と彼らの指示で動くアンドロイドなのです。
茸(フッコ)は地球でいうと「単細胞生物」に近い存在であり,知的生命体の血液中でしか生きることができません。彼らは宇宙の漂泊者であり,どこかの天体に彼らが生きていける血液をもった知的生命体(作品中では必要体と表現されています)がいると,その生命体に寄生し,繁殖し,生き続けることができます。
フッコに寄生された人間は飢血体となり,他の人間の血を吸うようになります。この吸血行為によりフッコは吸血された人間に感染することができます。フッコは紫外線と空気を嫌いますので血液を介した感染が基本的な繁殖戦略となります。こうして,地域で孤立してない人間以外はすべて飢血体になります。
フッコは寄生主の知的精神活動を自らの知的水準を維持するために利用しますので,フッコに寄生された人間の知的生命体の精神活動はほぼ停止しますが,慣性により今までのような生活が可能であり,一定期間はフッコと共生することができます。
飢血体が日光に当たると紫外線の影響により,フッコに対する抗原が生まれ,体内に抗体が作られて石化してしまいます。おそらく,体内のフッコは抗体のために死滅するのでしょう。したがって,日光に当たった飢血体は硬化したまま大地に還ることになります。飢血体は日光に当たらないようにするため,完全な夜型の生活になります。
灰(アッシュ)とその仲間(デモノ)が現生人類と同じ姿で描かれているのは彼らが「ミッシング・リンク」であるからと説明されています。
人類はおよそ500-600万年前にチンパンジーと分かれ,猿人→ホモハビリス→ホモエレクトス→旧人→新人(ホモサピエンス)と進化してきました。この進化の過程は現在でも完全には確定しておらず,新しい化石が発見されると一部が塗り替えられる可能性があります。
35年前にはまだ人類化石はそれほど発掘されておらず,進化の過程で空白部分が生じていました。それを「失われた環(ミッシング・リンク)」と呼んでいました。現在ではこの空白領域は埋められており,人類進化の大きな流れはつながっています。
この作品では「ミッシング・リンク」を過去の地球におけるフッコの侵略によるものとしています。作品中では灰(アッシュ)たちは現生人類とは異なる人類種(サバ人)であり,フッコの侵略により絶滅したことになっています。
しかし,フッコは微生物ですので例えば他の天体に移動するにしても知的生命体の助けが必要となります。そのため,フッコは一部のサバを生き残らせ,フッコとの完全な共生ができるようにしました。それが悪魔(デノモ)ということになります。フッコは彼らを忠実な僕として宇宙空間をさまようことになります。
フッコと共生する限りサバ人はデノモとして永遠に生きることができるようになります。「囁き子」は知的生命体の走査のために派遣されるデモノの巫妖(ウイッチ)ですので,対象とする生命体と同じでなければならないのでフッコと共生する存在ではありません。いくつか難点があるもののなかなか見事な理屈が展開されます。
少年の町ZF
東京郊外に「ラボック光」と呼ばれるUFOの編隊が現れ,そのうちの一つが多摩市の東北東にそびえる高陣山のあたり消えてしまいます。翌日,それを目撃した11人の少年たちは光の正体を確認するために高陣山へ向かいます。この行動が町の人たちと少年たちを分ける哀しみの分岐点となります・・・…。
光の正体の探索を始めると、どこからともなく不気味な笑い声が響いてきて少年たちは翻弄されます。突然,向井洋介の悲鳴が聞こえます。少年たちが駆けつけると,倒れている向井の横に人形を抱いた少女が立っていました……。
少女は持っていた人形を真庭に手渡します。すると,テレパシーにより彼女と意志の疎通ができるようになります。少年たちが真庭に体を接触させると彼らにも「私は囁き子……悪魔(デノモ)の巫妖(ウイッチ)・・・」というメッセージが伝わります。
向井が倒れている理由を問われ「囁き子」はおびえます。真庭が向井が死んでいることを確認すると少年たちは殺気立ち,囁き子は逃げ出し,崖から湖に飛び込みます。真庭が続いて飛び込み彼女を助けます。
囁き子は寝袋に入れられ,少年たちは一晩を山で過ごします。向井は夜中に動き出し,朝日を浴びると石のように硬直します。翌日,少年たちが町に下りると住民は誰もいません。何か異常事態が進行しているようです。
夜になると学校には生徒たちが集まってきます。しかし。探題が友人に話しかけるとかりそめの平穏が破れ,生徒たちが襲ってきます。血を見ると飢血体の性格が現れ,生徒同士で噛みつきあいます。
車で移動中にも太郎が母親のところに駆け寄ると同じような大混乱が生じます。少年たちは町の人がすべて異質なものになってしまったことを自覚せざるを得ません。
彼らがニンニクを怖がることを知った少年たちはニンニクを吊るした車の中で一夜を明かします。街の人たちは車を遠巻きにしていましたが,朝の到来の前にいなくなります。
少年たちは町で起きている事態について囁き子にたずねますが,彼女は答えません。真庭は囁き子をレイプし,教会で結婚式をあげます。これにより,一部の情報を囁き子から引き出し,とりあえず教会が安全だと分かり,ニンニクを吊るして夜を過ごします。
囁き子はファイ螺旋を描く石材の列を示し,特定の場所にそれを造ると灰(アッシュ)たちのサイココマンドが及ばなくなると説明します。少年たちは寺の境内を探し当て,墓石で目指す石柱列を造り上げます。その過程でアッシュは娘の囁き子に戻ってくるように呼びかけますが,囁き子は真庭と行動をともにします。
ファイ螺旋の石柱列の完成により少年たちは安住の地を確保することができました。少年たちは資材を集め内部に小屋を立て生活環境を整えます。アッシュのサイココマンドは石柱列の内部には及びませんので,その外側で魔宴(フーガ)を見せつけようとしますが囁き子の機転と真庭の強い意志により失敗します。
アッシュは次の手を打ってきます。少年たちの基地には直接は手を出せないので周辺を酣(たけなわ)の木で囲もうとします。この木は成長すると切ることも,折ることもできず,抜くことも溶かすこともできないものであり,その木がすき間なく空の高みまで伸びます。この木の垣根に囲まれると外部との行き来は不可能となります。少年たちは外に出て闘い,芽を出した酣の木を引き抜いて事なきを得ます。
少年たちはアッシュたちに反撃するため放射性同位元素を含ませた弾をパチンコ(スリングショット)で打ち込みます。放射性同位元素はトレーサーとして利用できますので,放射線検出によりアッシュたちの寝ている場所を探し当てます。
この作戦により3人のデモノを殺害することができました。アッシュは三人を鳥葬にします。これは古く西アジアにあった拝火教の葬送儀礼ですが,この場合は意味が異なるようです。
アッシュは町の人々の鳥葬で少年たちを挑発し,話を一対一の決闘に持ち込みます。真庭は女司祭の眩火(くらか)と対決しかろうじて勝利します。アッシュは少年たちの基地を中心とし,7km四方の土地を少年たちに分け与えます。
そして,その境界に酣の木を植えることを宣言します。少年たちは成長途中の酣の木を乗り越え,町で熱気球を手に入れ無事に帰還します。これにより,少年たちは7km四方の土地で自給自足で生活し,必要により気球で垣根を超える可能性を確保することができました。
この作品のテーマは?
しかし,このようにストーリーを追ってみるとこの作品のテーマは何だろうという気になります。確かに少年たちは侵略者と知恵と勇気により勇敢に闘いましたが,その結果,手に入れたものは7km四方の土地ということになります。
おそらく少年たち以外の人類はすべてフッコに寄生されて慣性人間になってしまっているのです。その中で人間として生き残ることにどのような意味や価値を見出せばよいのでしょうか。
9人の少年たちと囁き子が人類という種を復活させることは不可能です。彼らにはあと100年ほどの時間を自給自足で生きていかなければならないという現実だけが残されており,それが生きる意味とどう結びつけることができるかは私には説明できません。
とすると,この作品のテーマは結果はどうあれ,このような侵略に対しては戦うこと自身に意味があるということなのでしょうか。