私的漫画世界
外国人に教わる日本文化はちょっと悲しい
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はしもとみつおとグレゴリー

「はしもと みつお」は「ミーニャの願い」で1976年の第11回手塚賞において佳作となり,翌年に「少年ジャンプ」で漫画家デビューを果たしています。しかし,その後は小学館の少年誌・青年誌を主たる活動の場にしています。絵柄はそれほど好きではありませんが,「水古風」や「ステーション」のように良い原作に巡り合えるとこころに響く作品となりますので収集してしまいます。

原作者の「グレゴリー」は物語の進行中はいっさい黒子に徹しており,日本人か外国人かすら分からない状態でした。彼の素性が明かされるのは第5巻の巻末です。そこには彼の簡単な自叙伝が記されています。要約すると次のようになります。

グレゴリーはイスラエル生まれであり,子どもの頃に隣りの老日本人から日本文化と日本語を学びます。その入り口となったのは手塚治虫や石森章太郎の漫画でした。彼は日本の漫画作品に傾倒し,1年足らずのうちに「漫画とは何か」ということをおぼろげながら理解しました。

10歳になると興味は文字に向います。となりの老人は夏目漱石,森鴎外に始まり,井原西鶴,松尾芭蕉,紫式部,清少納言に至る日本文学を講義してくれたそうです。この方は相当の文化人であったようです。グレゴリーは図書館に通いつめ,数年後には日本文学についてかなり理解を深めることができました。

高校を卒業する頃には日本に留学する意志は確固たるものになっており,両親の理解もあり,ある大学の日本文学科に入ります。グレゴリーは日本文学を研究する傍らで日本中を旅して回りました。

あるとき彼は「天空の滝」と出会います。この滝がどこにあるかは本人は明かす意志はないようです。彼はその滝を見たとき天啓を受けたそうです。この滝は彼にとっては「約束の滝」であり,その前で彼ははじめて自分自身になった(自分自身のこころを知った)と語っています。

彼は自分の日本研究の中心を「水」と「心」に据えることを決意しました。彼にとっての旅とは山を歩き滝に出合うことであり,自然の中に身を置いて俳句を詠むことを習慣としました。

彼にとっての日本は素晴らしい自然が残された国であり,それに加えて日本の伝統工芸は世界に類例がないほど精緻で繊細で洗練されたものであると記しています。また,茶道,能,武道,書道,華道,日本庭園など多くの伝統文化や芸術に可能な限り接するようにしました。

グレゴリーは日本で大学院を卒業しましたが,イスラエルにもどって就職しました。しかし,30代になり再び日本の土を踏み,図書館に通い,旅に明け暮れる日々を堪能しました。

そんなとき,知人の紹介でビッグコミック・オリジナルの編集者と会い,「コミックの原作をやりませんか?テーマは日本のこころを探す外国人の話…」と持ちかけられました。彼は承諾し,多くの苦労を重ねながら原作をものにすることができたと語っています。最終話を描き終えたグレゴリーは思い残すことなく故国に戻っていきました。


グレゴリーが何度も書き直した原作プロットは編集者からノーとなります。編集者の適切なアドバイスにより悩みと苦しみの中からようやく彼にも納得されるような原作をものにすることができたと語っています。

菊と刀

「水古風」は「日本人のこころを探す」ことをテーマにしていますが,それでは改めて「日本人のこころ」とはいったい何でしょうと質問されると,多くの日本人は戸惑いを感じるはずです。

作品中に断片的に描かれる日本人のこころはあるときは自然であったり,あるときは工芸品であったり,あるときは下町の路地であったり,あるときはビジネスの現場における人間関係であったりと極めて多様です。

主人公の「ミズコフ(水古風)」はそのような題材を通して「日本人のこころ」を読者に伝えようとしているのですが,それを読んで「うん…これは確かに日本人のこころだね」と納得する方はごくごく少数者ではないかと推測します。

外部から見ると日本人の精神構造あるいは行動原則は欧米人とはかなり異なっているようです。終戦から1年後の1946年に米国の女性人類学者ルース・ベネディクトは名著「菊と刀」を発表しています。

その土台となったのは太平洋戦争の帰趨がほぼ明らかになった頃,米国戦時情報局は彼女に日本研究の仕事を委嘱しました。目的は戦後の米軍による日本統治を円滑に進めるためとされています。日本人の行動様式を理解することは米国政府にとっては非常に重要な意味をもっていたのです。

政府の委託を受けてベネディクトは日本に関する書物,日本人の作った映画,在米日本人との面談等を材料として研究をすすめ,対象社会から文化類型を抽出しようとする方法に基づいて,日本文化の基調をレポートしました。「菊と刀」はこのレポートが土台となっています。

戦後統治という政治的な動機から生み出されたとはいえ,「菊と刀」は欧米人から見た日本社会の性格を初めて分析したところに大きな価値をもちます。彼女の業績により日本人は考えたこともなかった日本社会の性格や個人の行動様式を知ることになります。

もちろん,彼女の分析や類型化がすべて正しいというわけではありません。この著書に対しては日本の文化人から評価とともに批判も出ています。とはいえ,日本人が自分たちの社会構造や行動様式について考えるきかっけとなり,出版当時だけではなく,その後の日本人に大きな影響を与えたのは確かです。「菊と刀」の中で彼女はどのように日本社会や日本人を分析していたのでしょうか。

日本社会を特徴づけるものは上下関係による秩序であり,(その秩序の中で暮らすため)それぞれの人は(生まれ,身分,年齢などにより決められる)自分のあるべき位置を理解し,周りの人々が期待するような行動を重視する。

日本人は礼儀正しいといわれる一方,不遜で尊大であるともいわれ,固陋であると同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる。美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方で,力を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても菊と刀は一枚の絵の二つの部分である。


個人の内面に善悪の絶対の基準を持つ欧米の「罪の文化」に対して,彼女は日本の文化を個人の内面に確固たる基準を欠き,他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化しました。

これは現代日本人の行動様式にもつながるすぐれた考察であると考えます。日本人の心理学者中山治はその著書「無節操な日本人」の中で欧米の文化を「行動原理主義」,日本文化の本質を「情緒原理主義」としています。

これは,欧米の文化は(ユダヤ教・キリスト教における神との契約を基底として)いかに行動すべきかという基本的な信念(思想)を中心に据えています。これはベネディクトが分析した「内面にもつ善悪の絶対の基準」ということになります。

フランスの近代思想は「自由・平等・博愛」であり,米国の理念は「自由と民主主義」であり,彼らはその理念に基づき行動します。市民も国家の理念が危機に瀕した時は団結して銃を取ることを厭いません。

それに対して,情緒原理主義は基本理念をもたず,そのときの情緒に基づいて考え方や目標を設定し,行動します。太平洋戦争の前後で日本人の考え方や行動は180度転換していますが,大半の日本人は自己矛盾を感じることはなく,新しい体制や秩序をあっさり受け入れました。

日本人は内面的な確固たる基準をもたないため,新しい秩序に容易に対応することができたのです。よく言えば新しい体制・目標への順応性が高い,悪く言えば無節操ということになります。

この二つの日本人分析を比べると「日本人のこころ」は(地域社会における)他者の評価にとても敏感であり,それはそのときどきの社会秩序の中で生きるための方策であったように感じます。

引用した「菊と刀」の分析の後半部分も日本文化や日本人の行動が情緒が基準であるとすれば二つの論理的には矛盾する文化的あるいは心理的側面も矛盾ではなくなります。情緒は論理で組み立てられるものではないからです。

日本の情緒原理主義は行動原理主義に比べて劣っているあるいはまずいというものではありません。明治維新後の急速な近代化や戦後の経済復興は情緒原理主義が良い方向に働いた事例です。

しかし,「菊と刀」の時期から70年が経過し,日本では多くの伝統文化・習俗が記録の中だけのものになりつつあります。同時に国内においては少子化・超高齢化・人口減少・格差拡大社会が進行し,日本をとりまく世界情勢も大きく変化しています。また,気候変動のように一昔前には考えられなかった深刻な問題も進行しつつあります。

地球環境や日本の社会情勢を俯瞰すると時代遅れになりつつあるGNP至上主義ではない新しい日本の国家理念が必要な時期にきていると考えます。そのためには価値観を他者に委ねず,自分の価値観を内面に持ち,それに基づいて考え,行動する「個人」が求められています。

日本人のこころ

「水古風」の中では「日本人のこころ」あるいは「日本のこころ」という表現が何回も出てきますが,それらが何を意味するは定義されていません。話しの内容から推測すると日本の原風景に素直に共感するこころであり,伝統文化・伝統工芸を理解するこころであり,日本人の情緒や独特の人間関係を大事にしている人であったりします。

これらの全体,あるいは一部を体現している人を「日本のこころ」をもったと表現しているようです。これはなかなか難しいですね。人間が手を付けない限り自然はそう簡単には変わりませんが,人間や人間社会そのものは一世代で相当変化してしまいます。

特に大都市圏では特定の地域を除き伝統的な地域社会が成立しませんので,地域社会に根差した伝統的な文化も社会における人間関係も変化せざるを得ません。NHKの番組に「新日本風土記」という番組があり,NHKのウェブサイトではこの番組は次のように紹介されています。

日本人なら誰もが持っている懐かしい風景。長い歴史の中で培ってきた豊かな文化。来たる年の豊作や大漁を願って,神に祈りを捧げてきた日本人。それぞれの土地に根づく風習・自然・建築・工芸・食文化などを丹念にたどっていくと,日本人が長年かけていかに深い文化を築いてきたかを実感することができます。

「新日本風土記」は,日本各地に残された美しい風土や祭り,暮らしや人々の営みを描く本格的な紀行ドキュメント番組です。

番組の特徴のひとつは,短いけれどコクのある物語を集めたオムニバス形式。いわば,旅の短編小説集です。いくつもの旅の物語の中から,あなたの心をふるわす旅を見つけてみてください。

日本の暮らしや風景は,すさまじい勢いで変貌を続けています。「新日本風土記」が目指すのは,未来への映像遺産です。日本人の原点や原風景をしっかりと見つめたい。そして,未来の世代が,自分たちの足下を確かめるための材料を映像として遺したい。そんな思いを込めています。

なつかしくかけがえのない日本の風景にひたり,あなたの日本を再発見してみませんか?


上記の文章の雰囲気は「水古風」のテーマととても近い感じがします。NHKには1963年から1982年にかけて総合テレビで放送された「新日本紀行」という看板番組がありました。日本で初めての本格的な紀行番組であり,NHKのアナウンサーが日本各地の原風景を訪ね,それにナレーションやインタビューを加えるという体裁を取り入れました。

放送当時はビデオテープは大変高価であり,放送後は再利用されるのが一般的でした。しかし,「新日本紀行」は全作品が16mmフィルムで撮影されたため,現在にまで当時の貴重な地域の映像を残すことができました。

「新日本紀行」の番組開始時からすでに50年が経過しており日本の風景も伝統文化も大きく変わってしまいました。この番組は現在では貴重な映像遺産となっています。

「新日本風土記」は急激な変化の渦中にある日本をもう一度,見つめ,変わっていくもの,変わらないものを映像遺産として残していこうとする試みです。国営放送としてはあるべき姿を追求した番組なのですが,視聴率の方は「BSプレミアム」の番組ということですので1%程度と推定されます。

日本という風土が育てた日本人のこころはできれば未来の世代に受け継いでいってもらいたいものですが,ことはそう簡単ではありません。日本人の原点や原風景は相応の努力なしでは守っていくことができません。

若い世代を中心に新しい価値観やライフスタイルが激変しています。戦後の経済発展とともに始まった都市化,核家族化により人々は地域社会とのつながりが希薄になります。価値観や生活スタイルは文化そのものであり,伝統文化や里山の景観は地域共同体というしっかりとした枠組みなしには存続は危うくなりますので,日本の伝統文化や自然が危機に瀕するのは当然のことです。

大量消費社会の到来により,人々は競争に打ち勝ち,より多くの収入を得るためもてるエネルギーの大半を仕事につぎ込むことになります。バブル経済がはじけたことにより,企業における余剰人員は整理され,総中流の時代は終焉し,経済的格差が拡大する時代となります。

IT革命は社会をスピードと効率を最優先するものに改造して行き,人々はますます時間に追われる生活を送ることになります。そのアンチテーゼとして2000年代の初頭には「スローライフ」が提案されましたが,大きな広がりにはなりませんでした。

「水古風」や「新日本風土記」が取り上げる日本の原風景に素直に共感するこころ,伝統文化・伝統工芸を理解するこころ,日本人の情緒や独特の人間関係を大事にする人たちは生活全体に,あるいはその一部に「スローライフ」の精神が生きています。

残念ながら現在の日本で一定水準の生活を営もうとすると効率やスピードを優先する社会に適応しなければなりません。「筑紫鉄也」はその著書「スローライフ」の中でそれで人間は幸せになれるのかと問いかけています。

「水古風」や「新日本風土記」の目指しているものは失われていくものへの郷愁が根底にあり,「映像遺産」という表現は変わりゆく日本あるいは地域固有の文化を映像として残したいという願望のように思われます。

このような作品や番組をノスタルジア的なものと考えるか,自分にとって望ましいライフスタイルとは何かと自問しながら読むのでは受け取り方に大きな差異が生まれることでしょう。NHKの番組紹介にあるように,未来の世代が自分たちのアイデンティティを見出すための遺産となることを願わずにはいられません。

作品の雰囲気紹介|石化けの滝(第1巻)

導入部の物語はイスラエル人のミズコフがどうして日本にやってきて「日本のこころ」を探し求めるようになったかといういきさつが紹介されされています。イスラエルのヘブライ大学で教鞭をとっていた友納教授に師事していたミズコフは「あの滝は日本人のこころをもつ特別な滝だ・・・君をあの滝に連れていきたかった」という病床の友納の言葉を手掛かりに日本中の滝を巡り,友納のいう「あの滝」を探していたのです。

その滝は険しい山中にあり,村の者も近づくことすらありません。ミズコフは元川魚漁師で現在は民宿と田舎豆腐屋を営んでいる「鱒二」と出会い,鱒二の案内により「天空の滝」にたどり着きます。ミズコフは思わず「先生,とうとう来ました」と報告します。

病床の友納はこの滝を「天空を 三段五色 新豆腐」と俳句で表現しています。しかし,この滝は一段でありミズコフがその疑問を口にすると,鱒二は「日本人のこころを知る者だけ三段に見えるのだ」と答えます。

ミズコフはやはり三段の意味は分かりませんでしたが,帰りがけに鱒二の娘が見返り峠から見える「天空の滝」をミズコフに見せながら,山の下から緑・黄・赤と変化していく三段紅葉の説明を受け,ようやく友納の俳句の意味を理解することがことができました。三段は滝を形容するものではなく紅葉のことであり,紅葉の三色に滝の白,空の青を加えて五色になります。

ミズコフは東京の大学で日本文学の講師をしており,講義の中で俳句という17文字の詩の世界とこころについて話をしています。友納が言ったように現在の日本では「こころ」を探すのはとても難しくなっているのですが,ミズコフは学生たちに(実は読者に)「私と一緒にこころを探す旅に出ませんか,一緒に真の日本人になりましょう」と語りかけます。

作品の雰囲気紹介|歩く三太(第2巻)

筑前琵琶を習っているミズコフは師匠からかっての弟弟子アレクサンダー(ウェールズ人)の消息を探して欲しいと依頼されます。20年前,二人はかって同じ師匠のところで学んでいましたが,アレクサンダーは語りのパフォーマンスを巡って師匠と対立し,破門にされた経歴があります。

アレクサンダーはその後,琵琶法師として路上のパフォーマンスをひたすら続けますが,彼の琵琶と平家物語の語りに耳を傾ける人はいません。ミズコフは彼を見つけ出しその演目の素晴らしさに拍手します。

アレクサンダーは目をあけ,拍手の主が外国人であることを知りがっかりします。彼は琵琶の弾き語りを日本の中世の歴史やこころを人々に伝え続けるすごい仕事だと思ったが,この国にはそれが分かる人はもういないと嘆きます。

さらに,今の日本人は腑抜けだ,なんの主義主張もなく,ただたずらに忙しがっている,個がなくていつも集団で動きたがり,そこに列があれば無条件に整列する連中だ・・・この国にはもうこころがないと続けます。

ミズコフは兄弟子に会うことを勧めますが彼は「会わせる顔が無い」と断ります。ミズコフは兄弟子の師匠にアレクサンダーの琵琶の素晴らしさと彼が戻る気はないことを報告します。

ミズコフは二人の師匠をアレクサンダーの路上パフォーマンスのところまで連れていきます。師匠は自分の後継者はアレクサンダー以外にはいないと考えており,彼に「あんたの修行の成果を聞かせておくれ」と話しかけます。伝統文化を守ることの意味と,日本人的なこころの触れ合いと和解がこの一話に凝縮されています。

作品の雰囲気紹介|もみじ姫(第4巻)

作品中では「もみじ姫」の物語は「因幡草子」に収録されていると紹介されていますが,ネット上で検索してもまったくヒットしませんので作者の創作であろうと推測します。「もみじ姫」の物語は次のようになっています。

むかし,紅葉屋敷という武家屋敷がありました。とても見事なもみじの木のある家で,そこには父親と幼い娘が,二人で住んでいました。娘はとてもお転婆で,父親はたびたび叱っていましたが,たいそう頑固な娘は父親の言う事を聞こうとしません。

紅葉が特に素晴らしかったある雨の日,父親は命令により戦地へ赴くことになりました。娘に戦への旅立ちを伝えようと,父親は屋敷内を探しましたが,見つかりません。

ふと庭を見ると・・・娘は雨の中,濡れるにまかせてもみじの下で,遊んでいました。父親はそんな娘を見て,何も語らず旅立ち,やがて,帰らぬ人となりました。


作品中の「因幡草子」は鳥取の昔話を元にした仏教説話が大半ですので,「もみじ姫」は情緒的な内容であり,教訓のようなようなものは見えづらいので,それをどのように解釈するかが問われることになります。

この「因幡草子」研究の第一人者である開明大学の石神教授の娘聡子がミズコフの大学の大学院で同じ研究をしているという設定になっています。石神教授はこの物語を「娘の頑なさに父は愛想を尽かし,死への旅に赴くと際も意地を張って娘に別れを告げない。永遠に横たわる父娘の断絶を象徴する物語である」と解釈しています。

しかし,聡子はそれに満足せず新しい解釈を模索しています。ミズコフは聡子と一緒に講義を聞き,石神教授の娘が大学院に在籍していることを知ります。二人は帰りがけに雨に降られますが,聡子は雨の中でただ紅葉の美しさに見とれています。その姿を見てミズコフは何かを感じたようです。

石神家で雨宿りをすると,姉の幸恵が応対してくれます。石神教授は「もみじ姫」に関する新しい論文を発表しようとしており,聡子にも早く修士論文を書き上げた方がよいと勧めているようです。

幸恵の話では父親は幸恵とは普通に話をすることができますが,聡子とは性格がそっくりであり,どのように接してよいか分からないまま,避けているような態度を取り続けているようです。

父親の病室を訪ねた聡子に対して父親は家族で紅葉狩りにいったときの話をします。このとき聡子は傘を忘れますが,雨の中でやはり紅葉に見とれている娘の姿を見て父親は何かを感じ取り,娘との距離を置いたようです。

幸恵と聡子を紅葉狩りに誘ったミズコフは雨の中で紅葉に見とれていた聡子と「もみじ姫」との類似点を話します。それを裏付けるように父親の新しい論文の序文は次のようになっています。

「もみじ姫」の新しい解釈を導き出してくれたのは一人の女性である。真に物語を理解する鍵は常に時代を越えた個人の感情にある。私は人生の終わりに近づき,「もみじ姫」の父親と同じ体験をしたことを思い出した…。父親は娘を美しいと感じた瞬間,その娘が自分の手を離れる時を知る。美を確認した時,父にとって娘は他者となるのだ。

「もみじ姫」になんらかの教訓を見出そうとするのは誤りである。そこにあったのは永遠の父と娘の感情。美しいのはもみじではなくもみじを美しいと思う感情である。私にそれを気付かせてくれた娘に感謝を捧げる。


これを読みながら聡子は涙します。久しくこころが通わなかった父と娘はこの論文を機に和解することになりそうです。「美しいのはもみじではなくもみじを美しいと思う感情である」という一文を通じて日本人の情緒を端的に表現していいる話です。


ステーション

JL東日本山手線の新新宿駅は毎日数万人の乗客が乗り降りするターミナル駅です。その0番窓口に勤務する中村は大きな体と大きな声で乗客に挨拶し,元気を振りまいている名物駅員です。駅内でトラブルや困っている乗客がいれば,真っ先にかけつけて社内規則を曲げてでも問題解決に汗を流します。そのため多くの乗客から感謝の言葉が寄せられています。

磯山主任はスーパーステーションにふさわしくない存在として移動させようとしています。しかし,中村はトラブル時にはかけがえのない人間であり,渡辺駅長は彼の勤務態度を高く評価しており,理想の駅づくり構想の中核人材として考えています。

巨大駅を利用する人々と駅員との交流を中心に現代では忘れられがちになっている困っている人に対する思いやりや,それぞれの立場で仕事に情熱を燃やす人々を描き出すちょっと感動的な人間物語です。

希望の椅子

副題が「東都大学就職課物語」となっているように,主人公の野々山希望は東都大学就職課に勤務すしており,就職指導の達人として知られています。「彼の座った跡に座ると就職の希望がかなう」との縁起担ぎの言い伝えがあり,今日もさまざまな希望や問題を抱えた学生たちが彼のところに就職相談にやってきます。