手塚治虫
日本の漫画界に革新的な変化をもたらした手塚治虫は1960年代の中ごろまではトップクラスの人気を維持してきましたが,1960年代の後半になると漫画の読者層は子どもたちから青年層にまで広がっていきます。その結果,ビックコミックに代表される青年誌の登場により漫画界の地図が大きく変動しています。
その中で手塚治虫も生き残りのためいくつかの新しい作品を手がけていますが,少年誌でのヒット作はなく,少年漫画の潮流から取り残された存在となっていきます。編集サイドでも手塚治虫は古いタイプの漫画家であるとみなされるようになり,連載依頼が途絶えるようになります。
「ブラックジャック」は漫画家として最大の試練に立たされていた手塚治虫が少年チャンピオン編集部に持ち込んだ企画でした。手塚の花道を飾る引退作品となったかもしれないこの作品は1973年に連載が始まります。
一話読みきりの形式にしたのは当時の少年チャンピオン編集部の編集方針であったようです。読者の反応が悪ければ数回で打ち切りもあり得た状況です。ところが読者の反応は上々であり,3週目で連載の続行が決定されたといういきさつがあります。「ブラックジャック」はほぼ同時期に発表された「三つ目が通る」ともに手塚治虫にとって少年漫画における最後のヒット作となりました。
手塚治虫の最高傑作の一つ
少年チャンピオンに掲載されたこの作品は社会的評価として手塚治虫の最高傑作の一つにあげられています。漫画家の手塚さんは医師免許をもっていますので,この作品は自分の専門分野を生かしたものになっています。
作品中には多くのあまり知られていない病気が出てきます。また,手術の様子や薬品の投与にも専門用語が使用されており,現実感を演出しています。作品中にはいくつかの問題点があるもの,漫画の新しい分野を開拓した作品であり,私も彼の最高傑作の一つであると考えています。
全25巻の中には234話が収録されています。1話あたりのページ数は通常20ページですので,ときどき2回連載の40ページのものが含まれているようです。
もっとも,第25巻の最終ページには「手塚治虫先生が発表された全編の中から,厳選されたすべての作品を収録しています」というちょっと奇妙な但し書きが付いています。
連載誌に掲載されたものの中には社会的に「これはまずい」と考えられる話が含まれていたのかもしれません。確かに単行本収録作品の中にも,描写に問題がありそうなところは散見されます。
ブラックジャックの手術により,ほとんど不可能と思える怪我や病気から魔法のように回復するとができます。その代わり,彼の手術料は30年前の貨幣価値で1000万円の単位となり,普通の人はおいそれとは払える金額ではありません。
そんなときブラックジャックは手術料を4桁ほど下げたり,役所や企業から出させた手術料を患者のその後の生活のために匿名で寄贈するようなこともあります。そのような「人情」と「勧善懲罰」の側面は読者である少年をを意識してのものでしょう。
連載当初は主人公の容姿や手術シーンに人間の血や内臓などが描かれることから,当時流行であった恐怖マンガに分類されていたようです。これはとてもまっとうな分類とはいえません。
単行本の9巻からは「ヒューマン・コミックス」に分類が変更されています。秋田書店はこのように作品に特定のレッテルを貼っていましたがあまり意味をもちません。
手塚治虫は生涯にぼう大な作品を残しており,追悼の言葉には「ヒューマニズム」,「環境」,「差別への抵抗」というような内容が並んでいます。
ブラックジャックあるいは手塚治虫のヒューマニズムについては大いに語られているようですが,ブラックジャックはヒューマニズムをテーマにした作品かというと,とてもそのようには思われません。
ヒューマニズムにあふれる医者がその生い立ちがどのようなものでも,命の代償に普通の社会生活を送っている患者や家族がとても払いきれない金額を要求するなどということはありえません。
そもそも少年誌に掲載された作品について,ヒューマニズムの程度や作者傾向について論じるのはそれほど意味のあることとは思われません。
個人的に言わせてもらうとこの作品のテーマは「医学を舞台に神の手により不可能を可能にするロマン」であると考えます。この「ロマン」と「生命への賛歌」,「反戦」は手塚治虫の生涯を通じてのテーマであり,本人も折りに触れてそのように語っています。また,「反差別」や「自然保護」も手塚治虫の大きなテーマとなっています。
手塚治虫の代表作の「鉄腕アトム」のテーマは未来の科学技術のロマンであり,「ジャングル大帝」は人間と自然との関わり,「きりひと賛歌」のテーマは「生命の賛歌」,「反差別」であり,「火の鳥」は生命の輪廻を通して俯瞰する「生命の賛歌」です。
手塚治虫の作品は多くの戦争あるいは紛争の場面が描かれますが,それらを肯定的に描いたものはありません。戦争とは人と人が殺し合う愚かな,しかし,人類にとっては根源的な性向であり,その犠牲となるのは兵士だけではなく,多くの子どもたちであることを彼は告発しています。
ブラックジャックには医学の名のもとに(可能かどうかは別にして)人間や動物の身体を改変するという「生命倫理」の一線を越えている場面が散見されます。そのような描写は手塚治虫の生涯のテーマである「生命への賛歌」にはっきり抵触するものです。
生命への賛歌とは生命に対する畏敬の念を原点としなれればなりません。人間や動物の身体を改変する(人間の手を羽に改造したり,鹿の脳を胸部に移植させて知能を高めたり,人間の脳を馬に移植する)ことなどは,医学や生命工学を舞台にしたロマンではなく生命を弄ぶ行為であり,生命に対する冒涜です。人は生命の仕組みを完全に理解するようになってもしてはならない一線があり,そこから先は神の領域としなければなりません。
また,死にゆく生命をこちらの世界に引き留めようと神技のメスをふるうこともいつも正しいとは限りません。生物としての人間を考えた場合,天寿を全うするのが本来の姿なのです。現在の医療は過剰に天寿に介入しており,その結果は多くの不幸せな高齢者を生み出しています。
医療は平均寿命を伸ばすことしかできません。その結果,平均寿命と健康寿命のかい離がどんどん大きくなっていきます。自分の中では医療は本当に人を幸せにしているのかという疑問がどんどん大きくなっていきます。
日本では医療の進歩により平均寿命は大幅に伸びたにもかかわらず,高齢者が幸せな生活を送っているかというと必ずしもそうではありません。多くの介護施設や病院は(不穏当な表現で申し訳ないのですが)「死を待つ人の家」のようになっています。
私は自分の尊厳が守れないようになったときは安楽死を望んでいます。過度の苦痛の中での延命治療などは願い下げです。人間は生きるために生きているのではありません。自分の生きる目的やそのための身体的・精神的な手段が失われたとき,どのように自分を処するかを自分の判断で実行できるような社会が望ましいと考えています。しかし,尊厳死に関する日本の法律はまだその入り口にさしかかった程度の状態です。
尊厳死は人間の生存権に抵触するものではありません。尊厳死の選択は自発的なものであり,社会の価値観や周囲の人々の価値観に影響されるようなものであってはなりません。自分の人生の主役は自分なのですから,自分の判断で最後の時を迎えたいという素朴な要求なのです。
姥捨て山の論理は「生産性のある人間のみが生きるに値する」というものであり,社会の一つの価値観の押し付けにすぎません。大切なことは人生の最後にあたり,自分はどうありたいかという主体的,能動的な価値観をもつことなのです。
ブラックジャックは命を引き留めることに全力を尽くしますが,物語にはその反対の立場をとる「ドクターキリコ」を登場させて,命を救うことはいつも正しいことなのかと反論させます。ただし,このような議論は医者が判断するのではなく,最終的には患者個人の価値観によって決められるべきものです。
作品中では恩師・本間丈太郎の命を救えなかったブラックジャックが描かれています。肩を落とすブラックジャクに「人間が生き物の生死を自由にしようなんて,おこがましいとは思わんかね」という本間の言葉が聞こえてきます。
個人的な評価ではブラックジャックは多くの欠点をもっており,医学的にはあり得ないような話も多く含まれています。キャラクター設定にも問題があり,命の代償に払うことのできないほどの金銭を要求する姿勢にも大きな疑問を感じます。しかし,漫画の世界に医療ドラマという新しい分野を開拓し,命の問題と正面から取り組んでいる姿勢からこの作品を手塚治虫の最高傑作の一つと考えるわけです。
ブラックジャックの生い立ち
ブラックジャックは本名を「間 黒男」といいます。苗字はともかく「黒男」という名前の方はブラック・ジャックという彼の通り名に合わせるため,とってつけたようなものになっています。
物語が始まる頃には母親は他界しており,父親は再婚してマカオ在住の実業家として成功しています(52話)。父母の離婚の原因は作品中には詳しく述べられていません。「父親が海外に出張したとき,女と逃げてしまった」という表現があるだけです。
ブラック・ジャックは小学校低学年の頃に母親と一緒に不発弾の爆発事故に遭遇します。この事故で彼は瀕死の重傷を負い,本間医師の手術により手足を失わずに済みました。しかし,母親は手足を失い,寝たきりの状態となります。
父母の離婚はこの事故の前か後かははっきりしていません。第52話では父親から「その顔のキズはどうしたんだ」と聞かれます。このことは事故の前に父親が失踪したことを示唆しています。しかし,193話では事故の後でマカオに仕事で行ったとあります。
爆発事故のあとブラックジャックの生活は一変します。四肢を失った母親は寝たきりの状態となり,彼も普通の生活に戻るため死に物狂いのリハビリテーションに励まなければなりませんでした。
事故の傷跡は彼の容貌も変えてしまいました。髪は恐怖のあまり半分白くなり,左顔面は黒人との混血の少年から移植された皮膚のため黒くなっています。
特異な容貌は同世代の子どもたちの好奇の視線にさらされ,差別やいじめの対象になったことは想像に難くありません。さらに,父母の離婚,寝たきりの母親は彼の人格形成に大きな影響を与えたことでしょう。
彼は本間医師の影響を受けて医者になります。ただし,医師としての国家試験はパスしたため「無免許」という設定になっています。この設定は日本の法律からするとあり得ないことですし,物語の中で医局員時代を経験していることとも矛盾します。医局員とは大学病院などの医局に所属する医師と定義されますので,少なくともこの時期には医師免許は持っていたはずです。
彼を無免許医師としているのは物語を面白くするためだけの理由によるものですが,医師免許をもっていても自由診療にすれば言い値の医療行為は可能ですから物語の展開には影響しません。それよりも,日本国内で医師免許なしに医療行為をしたら,(腕の良し悪しに関係なく)医師法違反ですぐに逮捕されます。
少年チャンピオンの編集部は「ブラックジャック」を当初は数話の読み切りという構想であったようです。そのため,第1話から第6話までの最後には「ブラックジャック,日本人である以外,素性もなまえも分からない…」というエピローグ風の語りが付けられています。
この設定は1968年に始まった「ゴルゴ13」のものと類似しています。一つの依頼事項を遂行するときの報酬が世界最高水準であることも共通点としてあげられます。「ゴルゴ13」は(現在も連載中ですが)当初の構想通りに出自を明らかにすることはありませんでした。
ところが「ブラックジャック」では第7話からはそのような語りがなくなり,彼の出自もあっさり明らかになってしまいます。これは,編集部が長期連載にゴーサインを出したためと考えられます。
「ゴルゴ13」では仕事を遂行するマシーンの物語に徹していますので出自に明らかにする必要はありませんが,「ブラックジャック」では人間関係が物語の重要部分を占めていますので,出自に触れなければ物語を広げることができません。
手塚治虫の当初の構想では神の手をもつ医療行為だけを物語の中核に据えようとしたようですが,「さいとうたかお」がいみじくも語っているように,「殺し屋の物語は殺しの手段が作品の命と考えており,そのアイディアが尽きたらお終い」となります。
実際には「ゴルゴ13」は依頼者の語る依頼事項を通して読者に世界や歴史の裏側の事情を知らしめることを主題にして物語の世界を無限に広げることができました。
「ブラックジャック」も当初のスタイルでは同じような壁に直面することになり,方針を変えたようです。私などはついでに無免許医の肩書も外した方がよりまっとうな物語になったように感じます。
ブラック・ジャックの性格
ともあれ,彼は天才的な外科医として日本はおろか世界中からその存在が知られるようになります。第1話はそのような状況からスタートします。彼のキャラクターは「孤独を好むクールな人間」として描かれています。
彼の住居は崖の上の古い孤立した一軒家であり,稼いだ金で豊かな自然が残っている無人島を買い取っています。おそらく,そのような島で一人で過ごすのは彼が精神的なバランスをとるために必要なことだっだのでしょう。
もっともクールなキャラクターは慈善に対する拒否反応のようにも描かれています。「わたしはこの間の手術代のツリを持ってきただけだ,人の世話なんかまっぴらだ(114話)」といって5000万円の手術代のツリを4990万円渡すようなことをしています。
彼のクールさは人助けに対する極度の照れ隠しとなっているようです。実態としてのブラック・ジャックは人間性に溢れているのですが,彼の少年時代のつらい経験がこのように屈折した性格を形成したようです。
クールな反面,命を救うことに対する情熱がほとばしるような場面も散見されます。79話では「それでもわたしは人を治すんだ。自分が生きるために」と叫んでいます。こうなると,彼の請求する法外な治療費はいったい何のためのものであったのかという疑問が出てきます。
ブラック・ジャックのロマンス
ブラックジャックはその天才的な外科手術の技量とクールな性格のため,女性患者や女性医師から慕われるようになります。しかし,物語の中でロマンスが成就したことは一度もありません。
唯一,第38話では如月めぐみとの恋愛はうまくいきかけたのですが,彼女は悪性の子宮ガンになってしまい,ブラックジャックが彼女の子宮と卵巣を摘出します。
子宮や卵巣を摘出すると子どもの生めない体になりますが,性転換の手術ではないので彼女が女性であることに変わりはなく,男性になるわけではありません。手術後も女性ホルモンの定期的な投与により普通の女性として生活することができます。
手術前の如月めぐみに愛を告白しキスを交わしたとき,めぐみは「これきりなのね・・・手術が終わったらこの気持ちもかき消えてしまうのね・・・」と口にし,ブラックジャックは「いや,そうじゃない。この瞬間は永遠なんだ」と応えます。
にもかかわらず,この話ではブラックジャックと恵との恋愛関係は手術を契機に終了し,めぐみは男装の船医となります。
子どもを生めなくなったことがめぐみとの恋愛関係に終止符をうつ原因だとするならば,この話は子どもの生めない体になった女性は女性ではなくなるというひどく間違ったメッセージを大人の知識をもち合わせていない子どもたちに与えてしまいます。
それを強調するかのように男装をしためぐみを登場させるあたりはあまりにもひどい描写となっています。永遠の愛の瞬間は「冷凍保存」されるべきものではなく,その後に継続される愛のともしびとなるべきものでしょう。
ブラックジャックの恋愛は結婚には至りませんので物語の終了するまで独身ということになります。彼は崖の上の一軒家で自称奥さんのピノコと二人暮しを続けることになります。
第192話では夢の中で実年齢相当に八頭身の美女となって現れたピノコに対して,「おまえはわたしの奥さんじゃないか,それも最高の妻じゃないか」と告げます。この先,ブラックジャックはピノコとの奇妙な生活を続けることでしょう。この話はどのようなメッセージをもつものなのかは分かりません。
キリコと琵琶丸
物語の中にはブラック・ジャックと対照的な人物が二人登場します。一人は「琵琶丸」と呼ばれる盲目のハリ師です。彼は病人のにおいをかぎつけ,無償でハリ治療を行います(96話)。
琵琶丸は手術を否定し,ハリにより人間の体が本来もっている自然治癒力を高めるようにしています。彼の腕は確かであり,ハリ治療を受けた患者はほとんど治ってしまいます。
無償の医療行為ということでブラックジャックの天敵のような人物ですが,意外と馬が合うようです。奥底温泉の湯治場で二人は再会します。目的は湯治ではなく,近くの庵に住んでいる憑ニ斎という刀鍛冶にメスを鍛えなおしてもらうためです(109話)。彼の手にかかるとメスもハリもすばらしい切れ味のものに変わります。その直後に憑ニ斎は心臓発作で倒れます。
琵琶丸はハリを打ち,ブラックジャックは心臓を直接マッサージしますが甦ることはありませんでした。彼の遺言には「天地神明にさからうことことなかれ。おごるべからず。生き死にはものの常也,医の道はよそにあると知るべし」と書かれていました。おそらく誰かのものを引用したものでしょうが含蓄のあることばです。
もう一人のキリコは医師の資格をもっていますが,安楽死を専門にしています。もちろんこの時代にも積極的な安楽死は犯罪ですので,彼は特殊な装置を使用いて呼吸中枢のある延髄をマヒさせます。患者は眠くなり,夢うつつのまま死亡します。これではまったく証拠が残らず,自然死として扱われます(79話)。
彼は軍医として戦場で多くの助かる見込みの無いけが人を苦しみから救うために安楽死を始めました。現代では医学の発達により自力呼吸ができない植物状態の患者でも,チューブでつなぐことにより延命させることができます。
ガンの末期状態の延命治療も患者や家族の苦痛を増大させるものになっています。尊厳死を求める患者の家族の依頼により,チューブを外した医師は殺人罪で起訴されることになります。
人間の尊厳を考えるならば,キリコのような医師も必要になるでしょう。「生き物は死ぬ時には自然に死ぬものだ。それを人間だけが無理に生きさせようとする…,どっちが正しいかねブラック・ジャック」と彼は問いかけます。
15歳のときに炭鉱の爆発事故にあい,その後,植物状態で55年間を過ごした患者の安楽死においてもブラックジャックとかちあいます(85話)。患者の肉体は骨と皮になりながらも15歳のときから老化が進んでいません。
ブラックジャックはこの患者を手術をして意識を取り戻させます。その瞬間に患者は一気に老化し,老衰で亡くなります。このようなケースではキリコの言葉が重みをもちます。