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新谷かおる

新谷かおる(男性,1951年生 )は少年誌,男性誌を中心に活動していますが,少女漫画家志望であったとwikipedia に記されています。代表作は「エリア88」,「ふたり鷹」,「ガッデム」,「クレオパトラD.C.」,「砂の薔薇」などであり,戦闘機,バイク,車,銃器などメカニック絡みの正統ストーリー漫画の中でロマンとシリアスなギャグを織り込んだ作風が特徴です。

師匠である松本零士の影響を受けながらも,少女漫画のような繊細なペンタッチで人物は描かれています。また,メカニックの描き方も松本零士の独特のバースを受け継ぎながら,さらにリアルに進化せています。

このような作風から「少女漫画の感性と少年漫画の熱さを併せ持つ」と評されています。個人的にはそのような独自の作風にぴったり適合した作品が「ふたり鷹」と「ガッデム」であると考えています。戦争や戦闘を扱った作品では新谷かおるの特性が半減しています。

ふたり鷹

「ふたり鷹」は少年サンデー誌上で1981-1985年にかけて連載されたバイクレースを題材とした作品です。wikipedia には「タイトルは日本映画にありがちなダサいものにした」という記述があります。同じように四輪ラリーを扱った「ガッデム」に比べると,格段に垢抜けしないタイトルとなっています。

とはいうものの,生れた病院と生年月日を同じくし,同じ「鷹」という名前をもつ二人の人生の軌跡がバイクレースの世界で再び交錯するという運命の物語に対しては適切なネーミングであったとも考えられます。

連載開始当初は読者人気投票での順位が伸びず,新谷自身ははレースになぞらえ「下位からのスタートとなり,打ち切り寸前だった」と語っています。それまで月刊誌や隔週誌を舞台にしてきた新谷にとって「ふたり鷹」は初の週刊誌連載であり,読者対策に試行錯誤が重ねられたようです。その結果,人気は上昇し,本格的バイクレース漫画の草分け的存在となり,第30回(1984年度)小学館漫画賞を受賞しています。

二人の鷹の出会い

この物語の主人公である沢渡鷹と東条鷹は同じ日に同じ病院で生まれており,奇しくも同じ「鷹」という名前を付けられました。新生児室に二人がいるときに火災が発生し,医師である沢渡の父親は子どもたちを助けようとして死亡しています。

沢渡の母親(緋沙子)は再婚をせず,亡夫の忘れ形見の鷹を女手一つで育て,現在はカリスマ美容師として芸能界にも多くの顧客を持つ美容院を経営しています。東条の父親は東亜自動車の社長をしており,夫人は3年前に亡くなっており,鷹と妹の美亜と暮らしています。

物語は二人の鷹が17歳のときから始まります。沢渡はバイクのストリート・ライダーとして奥多摩で過激なバトル走行を繰り返しています。一方,東条はブルーウエイ・レーシングチームに所属しておりサーキット・レーサーとして頭角を見せ始めています。

沢渡の知り合いが暴走族により事故死させられた事件をきっかけに二人の鷹は運命に引き寄せられるように再会します。そのとき東条は「(事故の)原因はきみだ」と明言します。

運命の出会いは筑波サーキットで再現します。この日は東条のデビュー戦になりますが,ひょんなことから(ライセンスの無い)沢渡も練習走行に参加します。東条に敵意をもつ沢渡は練習走行中の東条に勝負を挑みます。しかし,レース・ライダーとの速さのちがいを見せつけられることになり,レースを始めることを決意します。

ここまでは第4話までの流れです。ずいぶんシリアスな物語に見えますが,それは沢渡と東条の関係に限定されています。鷹と緋沙子のスキンシップは兄弟げんかのレベルであり,母一人・子一人の家庭とは思われないほどにぎやかな生活を送っています。

息子にはけっこうつらく当たっている描写も,人一倍強い愛情の裏返しであることがその後の展開で明らかになります。鷹の担任に進路相談で呼ばれたときは「人から教えられたり,すでに書いてあるものをみて覚えるのは簡単なことですわ。でも,人生の大半は教えてもらえないし,書いてもありません。生き方は自分で見つけるしかないんです」と本人任せであることことを宣言します。

レベルの低いけんかはしていても,人生の大事なところはちゃんと押さえる母親ということができます。コルベット・スティングレーを自在に乗り回し,ときには大立ち回りを演じる緋沙子の性格と行動力はこの物語の非常に重要なポイントとなります。

沢渡は大学には行かないと宣言しますが遠縁の花園明美(男)が居候することになり,そのバランスで無理やり関東大学を受験させられ,補欠で合格します。花園はメカニックとして非凡な技量をみせることになり,関東大学自動車部におけるレース活動に始まって沢渡のレースをの多くをサポートすることになります。

耐久レースへの参戦

沢渡が最初に出場した「鈴鹿200キロレース」やその直後の「競争技世界一決定戦」はむちゃくちゃな内容であり,「本格的バイク漫画」からすると汚点に近い内容です。少年漫画とはいえ,ある範囲のリアリティがなければこのような作品は成立しません。

そのことが分かったのか,次の「鈴鹿耐久4時間」からはまじめなレースとして描かれています。「鈴鹿耐久4時間」で沢渡は咲也ひろみとペアを組み雨中のレースを制して優勝します。一方,東条は英国の名門,チーム・フェザーに入ります。

グランプリ・レース専門のチーム・フェザーは耐久レースにも参加することになり,スペシャル・メンバーズ・テストに合格した東条は2日後の「シルバーストーン100キロ」レースに新マシーンで出場し,不可能といわれたノーピッを達成して優勝します。東条は翌週の「ドニントン・パーク250キロ」でも優勝し,国際A級ライセンスを取得します。

チーム・フェザーはヨーロッパ選手権第8戦・フランスから耐久レースに本格的に参戦することになります。その直前に沢渡は「鈴鹿8時間耐久レース」の後にストリーキングを演じたアルダナとともにエルフ・モトで耐久レースに参加するためヨーロッパに向かいます。

第8戦は開始直後に2台が接触する大きな事故があり,車体が炎上します。この事故に後続車も巻き込まれ,東条は事故車のライダーをはねてしまいます。大きな炎を見たこと,およびライダーが死亡したことを知って東条は幼児退行症となります。

精神的なダメージは仮に回復してもレーサーとして復帰するにはは大きな危険が伴うかもしれない状況です。症状の回復しない東条を残して沢渡は西ドイツ・ホッケンハイムで行われる耐久8時間レースに出るためフランスを後にします。このレースをテレビで観戦していた東条は「タカ・サワタリ」の紹介時にかすかに反応します。そして,スタート時の轟音により正気を取り戻します。

このレース中に東条の父親と緋沙子が二人の鷹が病院での火事により取り違えられた可能性について話し合っています。東条の父親は「これが…本当なら…沢渡さん…あなたはどうしようと…二人にこれを教えて…正当な親のところに帰れ…と」とたずねます。

緋沙子は「そう…できます…あたし白状しちゃいますけれど…うちの鷹が,あなたと真理子さんの子どもだとわかっても…あなたにお返しするつもりは毛ほどもありませんのよ!!」,「かってないいぶんかもしれませんけれど…お腹を痛めて子どもを産むのは女の資格!育ててはじめて…母親の資格があるような気がするんです…」と答えます。このときの緋沙子は母親としての情愛に満ち溢れており,少なくともこの場面では作品の主人公になっています。

物語が始まったのは1981年であり二人の鷹は17歳の設定ですので,誕生年は1964年(昭和59年)ということになります。この頃には日本全国で病院における赤ちゃんの取り違え事件が頻発しています。多くの場合は血液型が合わないことから気が付いたようです。

乳児の段階で気が付いたなら子どもの交換は可能ですが,物心がついてからということになれば大変なことになります。このあたりの事情について「平成医新」というブログでYさんとAさんの取り違え事件に関して次のように記されています。

「自分の生んだ赤ちゃんを間違えるはずはない」と誰もが思うかもしれない。しかし出産後の赤ちゃんは顔のむくみが次第に取れゆき,毎日のように顔の表情が変化していくのだった。たとえ多少顔つきが違っていても,まさか自分の赤ちゃんが取り違えられたとは誰も想像しないことであった。

間違えられた子供は,すでに物心のついた幼稚園生である。子供を交換するといっても単純なことではない。オッパイを含ませ,おしめを取り替え,鼻が詰まったときには口で吸って,生まれたときから自分の子供として育ててきた子供である。4年間も実子として育ててきた子供を,他人の子供だったからといって,「ああそうですか」とすっきりと簡単に割り切れるはずはなかった。

間違って育てられた子供も大変であった。昨日までAちゃんと呼ばれていたのが,違う両親からBちゃんと呼ばれるのである。混乱しないはずはない。昨日までお兄ちゃんと呼んでいた弟は,昨日までのお兄ちゃんは違うお兄ちゃんで,明日からは別のお兄ちゃんをお兄ちゃんと呼ばなければいけない,このようなことは子供には理解不可能なことであった。

YさんとAさんの家族は相談の結果,しばらく一緒に生活をして,徐々に慣れさせてゆく方法をとることになった.市内の旅館で2組の家族が19日間の共同生活をおこない,そして子供の反応をみながら実子を引き取ることになった。

母親にとって実の子供,育ての子供,どちらであっても,子供は自分の子供である.子供を思う気持ちに変わりはない。知らないで過ごしていれば幸せだったのに,「血液型なんかなければ良かったのに」と科学の進歩を恨んだりもした。だが知ったからには仕方がない,泣く泣く交換に踏み切ったのである。

両夫婦の苦悩,子供の戸惑い,これらは他人が想像する以上に大きなものであった。子供を交換しても,それまでの子供を忘れることはできなかった。子供は本当の両親を「お父さん,お母さん」と呼べず,夜になると育てられた家に帰りたいと泣いて両親を困らせた(引用了)。

このような取り違えを防止するため,病院では新生児の足裏にマジックで名前を書いて識別していました。しかし,インクが蒸発して赤ちゃんが中毒症状を起こす事件があったためその方法は中止されました。

赤ちゃん取り違え事件以降,親子の識別のため母親の腕と赤ちゃんの足には同じプラスチックのバンドがつけられるようになりました。プラスチックのバンドは出生時に付けられ,入院中はいかなる理由があっても外すことはできず,帰宅した後に外すようにしました。

作品中では産着に名前は記されていたという設定になっていましたが,火事により産着に火がつく危険性があったため,消防士が脱がして防火服の内側に入れたことにより,取り違えが発生しました。

この物語では家族の全員がそのことを知り,なおかつ今まで通りの生活を続けることを選択しています。子どもたちが成人年齢近くに達している場合はこのような選択もありでしょう。家族として暮らしてきた年月の重みは遺伝的な親子関係より重いということです。

東条の転機

正常に戻った東条は医師からも健康体であることを告げら,マリーにホッケン・ハイムへの航空券の手配を依頼します。父親は彼に「レースから引退するように,東亜自動車の次期社長として命を粗末にすることは許されない」と告げます。

東条は自分一人の命ではないことを悟りますが,引退はまだ考えられません。ホッケン・ハイムはトップの2台がゴール前200mで転倒します。再始動のできないマシーンを沢渡とミネバは押し,歴史に残るゴールとなります。

沢渡はこの一戦だけでエルフ・モトを去り,ヨシムラとモリワキが組むプライベートチームのライダーとして米国の「デイトナ200マイル・スーパーバイクレース」に出場することになります。なぜか,なつかしの関東大学自動車部のメンバーがピットクルーとして参加しています。

もちろん,東条とマリーもチーム・フェザーとしてこのレースに参戦します。タイムトアライアルで東条からバンクの走り方を教えられ,かろうじて予選を通過します。レースでは東条とマリー,そして沢渡はノーピットに挑戦します。

しかし,200マイルといえば320kmに相当します。レース用のスーパーバイクの燃費を考えるとこれはちょっと考えられません。バイクは四輪車に比べてずっと軽量ですので燃費は良いと考えられがちですが,意外と燃費は良くありません。

現在でも650ccクラスで比較すると,四輪車(ダイハツムーヴ,840kg)の10・15モードで27km/L,二輪車(SKYWAVE 650,280kg)では27km/Lとほぼ同等の値となっています。

結果としてノーピットは成功し,東条とマリーはワン・ツー・フィニッシュとなり沢渡は僅差の3着となります。夏の「鈴鹿8時間耐久」レースを前に東条とマリーの結婚の知らせが届きます。東条はそれを機にレースを止めることを決意します。

これを聞いて沢渡は呆けたような気持にさせられます。沢渡はパットに「おれにとってレースってなんだろうって考えてさ…つまんねえんだよ…あいつがいないと…あいつがレースをやめるってきいて,なんか…こう…目標がなくなってさ…おれもレースやめようかなって…」と語っています。

このような気持ちではとてもレースには身が入らず,「鈴鹿200キロ」の練習走行で沢渡は転倒し,予選を通過できません。明美の一言で目が覚めた沢渡はチームのメンバーに土下座します。

一方,結婚式の当日に教会に向かうマリーのタクシーは交通事故に巻き込まれマリーは死亡します。悲しみの大きさにより東条は涙を見せること葬儀を終えます。一人,走行コースに出てバイクを走らせる東条の前にマリーが現れ「うふ…おかしいでしょ…あたし…あなたとル・マン24時間を走るのが夢だったのよ…」と語りかけます。東条は「ル・マン24時間」で勝つことを決意します。

東条は明美に手紙を出し,ドイツで秘密裏に新しいマシーンの制作に乗り出します。その年の「鈴鹿8耐」を前にして東条は沢渡に新マシーンの開発計画を語り,沢渡にライダーとなるように告げます。

理由をたずねられ東条は二人の取り違えについて話します。混乱した沢渡は緋沙子に「母さん!!おれ,母さんの本当の子どもだよね!!」と問い詰めます。レースが終了してから緋沙子は「東条くんの言ったことは本当のことよ」と話します。鷹は「んで…どーするんだよ」というと緋沙子は「どーするって…そりゃおまえがきめることさ…」と答えます。

鷹は東条家に行くと宣言すると緋沙子は物理的に反撃することもなく静かに涙を流します。それを見て鷹は「母さん!!今いったことは全部ウソだよ!!ごめん!!母さん…血なんかつながってなくたっていい…おれ…おれ…今までどおり母さんの子どもでいたい」といって緋沙子の膝に泣き崩れます。緋沙子にとっては至上の瞬間だったことでしょう。木陰で聞いているパットと美亜も涙にくれます。

しかし,その時間は長くは続きません。鷹がドレスで鼻をかんだということで親子喧嘩が始まり,雰囲気はぶち壊しです。ともあれ,家族関係は現状通りということで決着がつきます。

ドイツの古城では明美が設計図を完成させます。沢渡もすでにこの城にやってきており,パットと音楽留学している美亜がやってきます。家族の問題は片付いており,話題は次の年の「世界耐久選手権」のことになります。そこに東条が戻ってきて新マシーン「バトル・ホーク」で全7戦にフルエントリーする告げます。その最後が「ボルドール24時間」ということになります。

明美の設計でできあがった「バトル・ホーク」は全輪駆動,動力伝達にフレキシブル・シャフトの使用,垂直式のステアリング,左右に開口した冷却用のタービンフィン,リアのエアブレーキなどを備える革新的なものでした。しかし,初戦で優勝を飾ったものの次の3戦はどんどん成績が落ちていきます。

東条は第三のライダーとしてアルダナをチーム入れます。彼はテスト走行で新マシーンの致命的な欠陥を指摘します。一部の改造により「バトル・ホーク」は甦り,成績は上がっていきます。そして最終戦の「ボルドール24時間」を迎えます。

順調にラップを重ねていた東条は事故に巻き込まれ自分も転倒します。エンジンは再始動できましたが,その後,無理を強いられたマシーンはディファレンシャル・ギアが割れ,他の部分の交換も必要になったため40分をかけた大手術となります。

11週の遅れで再スタートしたアルダナは2時間ぶっ通しで全開走行に挑み,周回遅れを脱します。2時間を任された沢渡はトップに踊りだし,東条にバトンタッチします。タイヤ交換なしで東条はスタートさせマリーのイメージにも勇気づけられ,皆既日食の中でチェッカーフラグを受けます。


ガッデム

四輪ラリーを題材にした物語です。ヨーロッパに比べると日本ではまだ歴史が浅く,モータースポーツとしてはマイナーな競技です。ラリーには「パリ・ダカール・ラリー」のように単独開催のもの(ラリーレイド)と,WRCが主催して1年間に13地域で競技を行い,総合得点で順位を決めるものがあります。この作品はWRCラリーを題材にしています。

ラリーは舗装された道路だけではなく灼熱のダートや極寒の雪道をなど過酷な環境で競われ,ドライバーは限界性能で車を走らせます。このため,競技コースに比べてはるかに多くの開発に有用なデータを得ることができますので,自動車メーカーが数多く参加しています。

主人公の轟源はすばらしい技量をもったドライバーですが,しばしばやりすぎによりマシーンをクラッシュさせます。総合商社「聖王グループ」のチームに参加したのもつかの間,チームの解散により弱小自動車メーカー「三沢自動車」のチームにナビゲーターのロヴと一緒に参加することになります。

左のオクロック!!

高校2年生の篠崎由宇は両親と姉の4人暮らし,経済的にも恵まれており学校では優等生となっています。しかし,平穏な高校生活に疑問を抱くようになり,あるとき試験の答案を全教科白紙で提出してしまいます。

彼の通う校舎の最上部には大きな素通しの時計があり,その右回りに進む針の示す時刻により毎日の学校生活が進んでいきます。由宇はみんなと同じ右回りの生活に疑問をもち,買ってもらってからほんの少しか走っておらず,ほこりを被っていたオフロード・バイクの「ヤマハ・セロー225」に荷物を積んで旅に出ます。

北海道最北端の稚内で同じくバイクで日本一周をしている尾形吾一と出会い,一緒にツーリングを開始します。旅の途中ではバイト先などで多くの人々と出会い,その出会いや彼の帰りを待ち続けている人たちの想いが彼を成長させていきます。