カムイ伝の系譜
白土三平(1932年生 )はプロレタリア画家の岡本唐貴を父にもち,妹は絵本作家の岡本颯子,弟の岡本鉄二は「赤目プロ」で作画を担当しています。紙芝居,貸本屋,前衛誌,劇画の世界を歩んできた,日本の漫画界の巨人です。
1960年代には「忍者武芸帳 影丸伝」,「サスケ」,「ワタリ」,「カムイ伝」など忍者を題材とした作品で人気を博しました。特に「忍者武芸帳 影丸伝」は貸本屋時代のヒット作であり,カムイ伝がなければ氏の代表作となるほどの高い評価を得ています。
一方,カムイ伝はまちがいなく白土の代表作であり,執筆開始から半世紀近くが経過しても完結していない氏のライフワークとなっています。「カムイ伝」とは忍者カムイを主人公とする物語ですが,作品世界を共有する下記の作品の集合体ということができます。
タイトル | 執筆時期 | 連載誌 | 単行本 |
---|---|---|---|
カムイ伝 第一部 | 1964-1971年 | 月刊漫画ガロ | 21巻 |
カムイ外伝 第一部 | 1964-1971年(不定期) | 少年サンデー | 3巻 |
カムイ外伝 第二部 | 1982-1987年 | ビッグコミック | 17巻 |
カムイ伝 第二部 | 1988-2000年 | ビッグコミック | 22巻 |
カムイ伝 第三部 | 発表未定 | ■ | ■ |
作者の白土三平は32歳の頃から「カムイ伝 第一部」の執筆を開始しており,その後の漫画家人生の大半をカムイ関連の作品に費やしています。白土はカムイ伝の執筆を開始する前から3部作になることを明言しています。
第一部が終了(1971年)してから第二部が開始(1988年)されるまでの17年間は漫画家としてもっとも充実しているはずの時期ですので,ここが空白期間となったのは大きな痛手となっており,氏の年齢を考えると第三部が実現するかどうかは不透明です。
とはいうものの,カムイ伝が壮大なテーマをもって本当に輝いていたのは「カムイ伝 第一部」ということになります。私としては「カムイ伝」は第一部で完結してもなんら違和感はありません。
第一部には日本の歴史の中でもっとも身分制度が厳しかった江戸時代における階級社会の矛盾,人が人を差別することの不条理,人が人から搾取することへの怒りというテーマに貫かれていますが,それでは第二部のテーマは何かと問われると答えようがありません。
第二部では江戸時代の歴史の中で登場人物を動かしているだけに見えるのは私だけでしょうか。第一部と第二部は体裁は類似していてもまったく異質の作品なのです。カムイ伝から社会の抱えている様ような矛盾や社会の底辺で懸命に生きる人々の姿を取り去ると,後には娯楽作品としての評価しか残りません。
「カムイ外伝」は「カムイ伝」の重いテーマから脱け出し,抜け忍となってからのカムイが追っ手と繰り広げる秘術を駆使した戦いであり,カムイと社会との関わりを描いた娯楽作品となっています。外伝は最初からそのために作られたものですからまったく違和感はありません。
それに対して「カムイ伝」の本作はあくまでも白土氏が描こうとした重いテーマで進めて欲しかったと考えます。残念ながら白土氏が17年間苦吟しても第二部の重いテーマは見つけ出せなかったように感じます。それは,多くの人たちが指摘しているように日本社会の思想的変動によるものが大きいと考えます。
「カムイ伝 第一部」のメインテーマは反差別,反権力,村落コミューンであり,それぞれのテーマの具現者がカムイ(非人),草加竜之進(武士),正助(農民)という優れた個人でした。
彼らはそれぞれの役割を果たすことにより物語は進展していきますが,第一部の最後ではそれぞれに与えられたメインテーマに挫折しており,捲土重来を期すことになります。
私などは第二部も権力と対峙して人間の権利を取り戻す闘いがテーマになると思っていましたが,白土は日本社会の左翼思想の退潮が読者をしてそのようなテーマを消化できないという危惧を抱かせたのではと推測します。
確かに1960年代の学生運動の盛り上がりは1970年代に入ると急速にしぼみ,終焉してしまいます。「カムイ伝 第一部」が終了したのはちょうどその頃であり,そのような変化と軌を一にして白土三平作品の愛読者は激減したという報告もあります。1960年代の白土三平ブームは学生運動の終焉とともに終わりを迎えることになったのです。
社会的背景の変化を目の当たりにして,自身の社会思想をカムイ伝の中で語ってきた白土氏が容易に第二部の構想に着手できなかったのは当然であり,その苦吟の深さはいかほどかと考えます。第二部の構想が具体化しないまま白土氏は「神話シリーズ」,「カムイ外伝」に歩を進めます。
このような事情から私は(第三部を見ずに断定するのことはできないにしても)「カムイ伝 第一部」には白土三平の思想と苦悩と才能がすべてが凝縮されているので,ここで完結してもてよいと考えるわけです。以後,カムイ伝=第一部として扱っていきます。
「カムイ伝」の特徴はなんといっても物語の密度にあります。通常の漫画単行本でしたら1日あれば21巻は楽に読み通すことはことはできます。しかし,「カムイ伝」はその2-3倍の時間をかけないと内容をちゃんと理解することはできません。「カムイ伝」の物語密度はそのくらい高いものなのです。
発表当時は月刊誌の「ガロ」に掲載されていましたので,読者はストーリーを追うのに相当苦労したであろうと想像できます。「反権力」,「反差別」,「農村コミューン」を題材とし,しかも大変な密度の物語を発表できたのはひとえに「ガロ」という媒体があったおかげであり,この雑誌があってはじめて「カムイ伝」は可能であったのです。
月刊誌「ガロ」は1964年に貸本漫画の出版などで知られていた編集者・長井勝一により創刊されました。「ガロ」は「カムイ伝」の発表媒体であったとともに,斜陽化していた貸本漫画家の活躍の場を提供していました。また,商業誌にはなじめない作品を描く新人も受け入れていた前衛誌でした。
読者層は大学生以上の年代であり,商業性よりも作品のオリジナリティを重視する姿勢は,多くの優れた作品を生み出しています。しかし,看板作品である「カムイ伝」が1971年に終了するとガロの発行部数はしだいに落ち込んでいき,1990年には青林堂からツァイトに経営譲渡されています。60年代と70年代を共に駆け抜けた「カムイ伝」と「ガロ」は時代のある部分を写す鏡のようなようなものでした。
カムイ伝が始まった1964年前後は白土がもっとも多様な作品を発表していた時期にあたります。1961年には「シートン動物記」,「赤目」,「真田剣流」,「サスケ」を完結させ,1962年には氏のもう一つの傑作である「忍者武芸帳」を完結させています。
カムイ伝が開始されてからも並行して「ワタリ」,「風魔」,「カムイ外伝(少年サンデー版)」を発表しています。この時期の白土氏は超多忙であり,作品制作のため1964年に「赤目プロダクション」を設立しています。
このような分業体制により多くの作品をこなすことができました。プロダクションの設立は漫画家個人と出版社の力関係に限界を感じていた白土氏がその改善を目指したという側面もあります。
カムイ伝も「赤目プロダクション」による分業体制で制作されています。前半のペン入れは小島剛夕が,後半のペン入れは白土氏の弟の岡本鉄二がそれぞれ担当しています。そのため,単行本の13巻あたりからは作画が変化しています。
カムイとは
カムイは神威などとも表現され,「神を意味するアイヌ語」とされていますが,必ずしも私たちの考えている絶対的な超越者を意味するものではありません。近代以前のアイヌの人々の宗教観はアミニズムであり,生物・無生物を問わずすべてのもの,あるいは自然現象(地震,津波,疫病など)の中に「ラマッ」と呼ばれる精霊が宿っていると考えていました。
アイヌの人々は世界を「人間の住むところ(アイヌモシリ)」と「精霊の住むところ(カムイモシリ)」に分けて理解していました。アイヌモシリのラマッは何らかの役割をもってやって来ており,その役割を果たすと再びカムイモシリに戻ると考えていました。日本語の精霊に相当するアイヌの言葉は「ラマッ」ですから,カムイに相当する日本語は思い当たりません。
私は北海道出身ですので「カムイ」という言葉は小さなころから知っていましたが,北海道以外の日本人がこの言葉を知るようになったのは「カムイ伝」によるところが大きいことでしょう。この特異な響きをもつ言葉は作品中では双子の兄弟とシロオオカミの名前として使用されています。
どちらの場合も命名者は山丈(やまじょう)という山に棲む巨人です。山丈は大きな感銘を受けたときに「カムイ」と口走ります。夙谷(しゅくだに)に現れた山丈は幼児から握り飯を差し出され,幼児を抱き上げて「カムイ」と口にします(第1巻)。
猟師の犬たちに追い詰められたシロオオカミは断崖を背にして犬と闘い全滅させます。これを見た山丈が「カムイ」と叫び,彼に向かって手を合わせます(第4巻)。
物語の最終盤には日置大一揆があり武士と戦う一揆衆を後押しするように山丈が「カムイ…オオーッ」と叫びます(第19巻)。作品中には「人のこころの強さ,美しさ,豊かさに喜びと尊敬の感動があるとすれば,この叫びは一つのものとなる」と解説されています。
「カムイ伝」を白土三平のもう一つの代表作とされる「忍者武芸帳」と比較すると,エンターテインメント要素が可能な限りそぎ落とされ,徳川幕藩体制下で様ような矛盾に突き当たりながらも,懸命に生きていこうとする人々の姿が克明に描かれています。
「忍者武芸帳」では一つの集団として描かれていた農民を「カムイ伝」では個人のレベルまで掘り下げて,圧倒的なリアリティと物語の重厚感を紡ぎ出しています。
物語のタイトルとなっている「カムイ」は忍者カムイとシロオオカミだけではなく権力や差別に立ち向かっていく多くの人々の象徴となっています。言いかえると物語の中には多くの「カムイ」が存在し,新しい人間社会を目指す彼らの苦悩と行動を描き出すことが「カムイ伝」の最大のテーマとなっていると考えます。
差別の構図
カムイ伝の作品世界は人間の世界の物語と狼の世界の物語が並行するという特殊な形態をとっています。なぜ,作者はサブストリートしてシロオオカミを登場させたかを考えると,この作品のテーマの一つである「差別」の本質が見えてきます。
同じときに生まれた数匹の子どものうち一匹だけは毛色が白でした。残りのものは本来の茶系統の毛色であり,兄弟の中で早くもシロオオカミに対する差別が生じます。
このような差別が動物の世界で実際に起こりうるのかどうかという点については疑問が残りますが,作者としては動物の世界でも異質のものは差別され,それは人間の世界と同じだということなのでしょう。
実際,古代インドでは中央アジアから侵入していきた印欧語族のアーリア人が先住民族のドラヴィダ人を隷属化あるいは駆逐してガンジス川流域を支配するようになりました。彼らは自然現象を神々として崇拝する宗教を持っており,その聖典「リグ・ヴェーダ(神々の讃歌)」の中に「ヴァルナ」およびそれに基づく職業階級制度(ヴァルナ・ジャーティ)を記しています。
「ヴァルナ」はそのものずばり「色」を意味しており,肌の色を基準とした階級制度となっています。最大の目的は色の白いアーリア人と褐色の先住民族を識別することでした。ヴァルナが大まかな概念であることに対して「ジャーティ」は内婚と職業選択に関するものであり,2,000とも3,000ともいわれるジャーティはかならずいずれかのヴァルナに属することになります。
このような社会慣習を総称してポルトガル人は「カースト」と呼ぶようになり,その言葉は現在まで使用されています。しかし,本来の階級を決める要素は「ヴァルナ」なのです。人間は作者のいうオオカミと同様に肌の色で差別を行い,肌の色が同じ集団でも,社会慣習的な差別を定着化しています。
日本の中世には河原に住み牛馬を殺して皮を剥ぐ仕事をしていた職業集団が穢れているとして「穢多(エタ)」と差別されています。しかし,支配階級であった武士にとっては馬具や甲冑の材料として欠かせない皮革製品を生産させるために賎民のまま一定の優遇をしたようです。
江戸時代になると支配体制の安定化と経済的必要性から食糧生産と皮革生産は職業として固定化する必要が生じ,士農工商という職業階級制度を制定し,その下に賎民身分として「穢多」,「非人」を定着化させています。
つまり,他の階級との婚姻を禁止することにより身分の定着化が図られています。それはインドの「ヴァルナ・ジャーティ」の内婚制度,職業制度と結びつくものです。
カムイ伝における非人の身分は「穢多」に相当します。江戸時代の「非人」は固定的な賎民身分ではなく,平民が非人になることも非人が平民に戻ることもあったとされています。しかし,おそらく作者は「穢多」という差別用語を使用するのにためらいがあり,「非人」という言葉で代表させたのではと推測します。
ただし,「穢多」を差別する意識は支配階級が意図的に作り出したものではなく被支配階級(平民,大多数は農民)の中から自然発生的に生じたもののようです。支配階級は社会の安定化と身分制度を正当化するため,人々のもつ差別意識を利用したと考えます。もちろん,支配階級にとっては農民と切り離された賎民階級は人々の分断支配の手段として利用できたという側面もあります。
私自身も「エタ」という活字を初めて目にしたのは住井すゑさんの「橋のない川」でした。この著書の中には被支配階級であった人々が新平民となった人たちに対する抜きがたい差別意識が赤裸々に描かれています。まさしく,差別意識は私たち自身の心の中から生まれてくるものなのです。
カムイ伝の中では非人(穢多)は支配階級の都合により社会の最底辺の階級とされており,農業は禁止され,平民との結婚も禁止されているという設定となっています。これは支配,被支配という構図に基づく階級闘争の立場から必要な視点でした。
しかし,繰り返しになりますが,差別意識の源泉は支配されている人々のこころの中にもあることを私たちは認識しなければなりません。このような差別意識は現代にも引き継がれており,社会的弱者や異質なものを貶める意識につながっています。
白土は江戸時代における階級社会の矛盾,人が人を差別することの不条理の象徴として日置藩の秘密をもってきています。カムイと公儀隠密の「搦の手風(からみのてぶり)」は徳川家康が「ささらもの(簓者・筅者)」出身であることを証明する古文書を見つけ出します。
賎民出身の徳川宗家を頂点とする身分制度は矛盾そのものであり,逆にいうと身分制度は支配階級の都合により制度化されたものであることを明示しています。同時に高貴な身分や高貴な血筋も人為的に作りだされたことになります。白土は直接的な表現はしていませんが,高貴な血筋を敬うこころと差別を生み出すこころは同質のものだと言いたいのだと私は解釈しています。
この江戸徳川体制の根本的矛盾を知った人々の運命は明らかです。カムイと搦の手風は自分の身を守るために抜け忍にならざるをえず,新領主に日置藩の秘密を言上した城代家老の三角重太夫は惨殺されます。
新藩主は松平伊豆守に家康の出自に関する秘密文書を送り届けますが,当然のように口封じのため事故にみせかけて暗殺されます。松平伊豆守は誰にも相談することなく秘密文書を燃やし,徳川体制の矛盾は闇の中に消えていきます。
カムイ伝の世界
カムイ伝の主人公に相当するのは「非人のカムイ」,「下人の正助」,「次席家老の嫡男・草加竜之進」という三人の若者と「シロオオカミ」と考えるべきす。ただし,彼ら以外にも社会の矛盾や差別と闘った多くの人々が描かれており,彼らはすべてこの作品の主人公ということもできます。上にあげた3人と1匹は登場回数が多いので主人公に相当するという表現をさせてもらいました。
物語の時期は江戸時代の前期,舞台となるのは架空の日置藩です。カムイ(非人),正助(下人),竜之進(武士)という三人のすぐれた若者が徳川の幕藩体制の礎石となっている身分制度と関わり合いをもちながら自分の生きる道を模索していきます。
また,人間社会の外にあっては「カムイ」と呼ばれる突然変異のシロオオカミがハンディキャップにもめげず,強く生き抜いていくサブストーリーもこの作品の一つのテーマとなっています。さらに,彼らを取り巻く大勢の人々の生き方が重層的に描かれており,「大河小説」と呼ぶべき体裁をもっています。
そのような人々の生き方の総体が「カムイ伝」となっており,たとえあらすじでもストーリーを書き連ねることはとてもできません。そこで,登場人物の何人かに焦点をあてて,物語中で果たした役割を書くことにします。それにより,「カムイ伝」がどのような物語であったかを類推していただきたいと思います。
■ ■ ■ カムイ ■ ■ ■
カムイは一卵性双生児の兄弟であり,弟は物語序盤の主人公となっています。物乞いに甘んじる非人社会から脱け出すため,夙谷非人部落を出て単身で生活するようになり,非人部落の若者たちのリーダーとなります。しかし,百姓との諍いにより人を傷つけることとなり,斬首の刑に処せられます。
荼毘に付された彼の頭骨を拾い上げた兄は弟の犬死を嘆きます。カムイ兄は強くなるため剣を修行し,さらに忍者の道に入ります。厳しい訓練の結果,カムイは一流の忍者になりますが,組織の中にあってはまったく自由はありません。
与えられた任務を命がけで遂行する存在となった自分の生き方に大きな疑問をもつようになります。特に抜け忍となり多くの追っ手を殺害した自分の兄弟弟子である「風のトエラ」の殺害を命じられたとき,さらには師匠の「赤目」の殺害を命じられたときは任務遂行に大きなとまどいを感じることになります。
そして,カムイ自身もそのような立場に追いやられることになります。公儀隠密集団は土井大炊頭(利勝)の遺言から外様大名である日置藩にはなにか大きな秘密が隠されていると推定し,その探索をカムイに命じます。
カムイは日置藩の江戸屋敷と城代家老宅の池で飼育されている多くの亀の中から餌付けにより識別された特別の亀を見つけ出します。二匹の亀の甲羅の内側には金で文字が彫り込んであり,上の句と下の句を合わせると「風鳴りに眠れる六蔵のうちに有りて日を仰げば乱(あや)立ちぬ」となります。
この句の謎を解いてカムイは日置藩の秘密にたどりつきます。それは徳川家康の出自に関する古文書であり,家康が賤民の出自であることを証明するものでした。徳川幕藩体制の礎石を崩すような重大な秘密を知ることとなり,そのまま報告すれば(秘密を守るため)自分が抹殺されることになります。残された道はただ一つ,組織から抜けることしかありません。カムイは組織を抜け,抜け忍として公儀隠密から狙われる存在となります。
■ ■ ■ 正助 ■ ■ ■
正助は花巻村の庄屋の下人となっているダンズリの息子です。江戸時代の農民階級の下人は名主や庄屋などの有力者に隷属する階層の人々です。下人の歴史は古く,平安中期に遡ります。当時は家に隷属する人々でしたが,江戸時代になると家内隷属型ではなく年季奉公のような形態となってきています。
物語の中では花巻村の庄屋宅では家に隷属している人々とされており,「めったに嫁ももらえない」という表現がありますが,それでは下人は一代限りとなりあとが続きません。おそらく,下人身分でも婚姻があり,次の世代も親と同じように家に隷属する身分となるようです。
正助はものごころがついたときから母を知りません。若いときダンズリは行き倒れの若い娘を助け,結婚します。しかし,正助が生まれたとき女は自分が非人であることを打ち明けます。非人などと血を結んでしまったことに怒ったダンズリは女を責め,彼女は首をつります。
正助がこの事実を知ったのはずっと後のことですが,身分制度などにとらわれない性格に育ちます。それは父親が下人として牛馬のように使役させられてきたことを見てきたことによります。
少年となった正助は非人部落のスダレ(苔丸)やナナと親しく交流するようになります。正助は伊集院により学問を教わり,神童と言わしめています。庄屋の帳簿なども読むことができるようになり,虫干しのとき年貢の割り付け帳の不正を読み取り,写しを作成します。
百姓の読み書きは禁じられていますので,本を読んでいたことを知られた正助は庄屋にムチで打たれます。しかし,正助は割り付け帳のことを持ち出し,難を逃れます。庄屋は自分の不正の証拠を取り戻すため小さな田と本百姓の身分と引き換えに写しを返すように取引をもちかけます。こうして正助は本百姓になることができました。
正助が取り組んだのはこの地域では初めてのワタの栽培でした。百人手間といわれたワタ栽培の成功は商人の夢屋の注意を引くことになります。正助は農機具の発明などを通して村の若者のリーダーに成長します。
正助は非人の娘ナナ(カムイの姉)と実質婚となります。正助の理想は新田開発と新作物により非人を含め村全体を豊かにすることです。村では若者組が組織され,新しい形態の村落コミューンが形成されます。少年時代からの友人のゴンは若者組のサブリーダーとして活躍し,非人部落のスダレ(苔丸)もそれをサポートします。
新田開発により非人部落との交流も活発化しますが,それは支配階級にとって好ましいものではなく地域の非人を束ねる横目を通して分断工作が行われます。それでも正助の描いた村落コミューンは次第に現実の姿となっていきます。
しかし,藩札の発行により商品作物の取引はピンチとなります。自分たちの生産物は領内でしか通用しない紙になってしまうのです。しかも,藩札の乱発により諸物価は天井知らずに上がることになります。
そんなとき,天候不順による飢饉が村を襲います。餓死するよりは一揆で闘おうとする竜之進や苔丸に対して正助は逃散の道を選択します。人々は各地の職場で働くことになります。
日置藩の秘密が幕閣の手により処分されたことにより,幕府は日置藩を取りつぶし天領とします。逃散していた人々は元の村の戻り農業を開始します。新代官には笹一角(実は竜之進)が就任し,百姓と力を合わせて新しい村づくりを目指します。
しかし,夢屋は幕閣に手を回し,代官を更迭し,この地域の商品作物の独占を図ろうとします。幕府名代の検地を機に「日置大一揆」が勃発します。一揆の首謀者となった正助は領内の百姓を組織して名代に検地十万日延期の証文を書かせます。
一揆は成功しますが,苔丸を除く首謀者は京都所司代に送られ過酷な拷問を受けます。これに耐え,江戸の白州で正助は「百姓なくしてこの国はない」と絶叫します。しかし,百姓たちの死を賭した叫びは支配者には届くことはありません。ひとり正助は舌を切断され,花巻村に戻されます。正助が裏切って自分だけが助かったと誤解した村人はしゃべることのできない正助に石を投げ,打ちかかります。
■ ■ ■ 草加竜之進 ■ ■ ■
竜之進は日置藩の次席家老草勘兵衛の嫡子です。恵まれた環境で育ち,剣技を磨いています。藩主がお蔵役方を変えることに次席家老が反対したことによりうらみを買い,果し合いの名目で暗殺されそうになり左手の指の一部を失います。しかし,百姓女オミネが藩主に夜伽を命じられて自害したことにより,左手の不自由を克服した剣技を編み出します。
日置藩の台所は火の車であり,暗愚な藩主は目付の橘軍太夫の甘言により草加一門を誅殺して所領を没収することに同意します。竜之進は姦計により主君の顔に傷をつけてしまいます。これにより草加家が取り潰しとなり一門は誅殺されることになりますが,勘兵衛は御一門払いの真相を見抜き,その前に竜之進を勘当します。これにより,竜之進は生き残ることになります。
竜之進は笹一角とともに軍太夫に対する復讐の機会を狙います。参勤交代で江戸表に出立する藩主の行列に切り込み,鉄砲で撃たれ,危ういところをカムイに救われます。竜之進と一角は非人部落に身を隠すことになり,百姓や非人の置かれている境遇を知ることにより,階級制度の矛盾に目覚めていきます。
竜之進と一角は時期をみて江戸に脱出します。竜之進の仇は橘軍大夫でしたが,暗愚な藩主が領民を苦しめていることから殺害しようと江戸屋敷に滞在中の領主の動向を探ります。振袖火事の混乱の中で二人は藩主に迫りますが,カムイに阻止され,竜之進は重傷を負います。
カムイは日置藩の秘密を探るため藩主を死なせるわけにはいかないという事情があります。傷の癒えた竜之進は一角ともに日置藩に戻り,百姓仕事に精を出します。しかし,一角はそのような生活に藩主殺害の決意が鈍るのを恐れ,竜之進とたもとを分かち,江戸に出立します。
竜之進は恐るべき無人流の使い手である橘玄蕃と対決することになります。竜之進は敗れ,危ういところを小六に扮したカムイに救われます。竜之進はその後,無人流を使うカサグレに出会いこの恐ろしい剣技を会得することになります。
竜之進はかってこの地を支配していた豪族の流れをくむ木の間党に身を寄せ,悪徳商人や大庄屋を襲い,その金を人々に分け与えます。飢饉が日置藩を襲ったとき竜之進と苔丸は一揆を主張しますが,正助は逃散を選択します。
竜之進は木の間党に裏切られ捕縛され江戸送りとなります。江戸の白州では藩主を殺害した笹一角が草加竜之進と名乗り,取り調べを受けており,彼の口から藩主殺害が明らかになったことから日置藩はお取り潰しとなり,関係者は処分されることになりました。一角は打ち首を拒否し,武士としての最後を遂げます。
これにより竜之進は笹一角として天領となった日置の代官として赴任することになります。竜之進は日置の地に戻った百姓とともに農村の復興を目指し,多くの成果をあげます。しかし,夢屋が幕閣に手を回し,この地域の商品作物の独占を図ろうとします。竜之進は罷免され,新代官により入牢となります。日置大一揆のときに竜之進は赤目により救い出されます。
優れた資質をもったカムイ,正助,竜之進の三人の若者はそれぞれ反差別,反権力,村落コミューンを実現するために最大限の努力をしますが,権力あるいは権力と結びついた政商によりその夢を断たれます。
第一部の終了時はまさに死屍累々といった状態であり,徳川幕藩体制の重しは個人的な努力ではまったく変革できないと知らされた第一部の状況からどのように第二部につなげていくかは皆目見当がつかない状況でした。
作者自身もあとがきで「いまやっとカムイ伝三部作のうち第一部が終わったところだ。しかし,物語の真のテーマはいまだに現れていない。何と不可解なことであろう」と述べています。
実際,登場人物の大半が死んでしまうという第一部の結末から第二部の壮大な物語を発展させるためにはそれに倍するエネルギーが必要になります。これは白土氏の才能をもってしてもあまりにもハードルの高い仕事であったと思います。白土氏はなにをもってカムイ伝は三部作になると明言したのかは知る由もありませんが,個人的には第一部でも十分に作者の描きたかったものが出ていると考えます。