さいとう・プロダクション
日本の漫画家でもっとも執筆ページ数の多い人は文句なしに「さいとう・たかお」でしょう。ゴルゴ13,影狩り,劇画座招待席,雲盗り暫平,無用ノ介,鬼平犯科帳,藤枝梅安など大作が目白押しとなっています。この膨大な作品群はさいとう氏の個人ワークで創作されたものではなく,「さいとう・プロダクション」の成果物なのです。
さいとう氏は貸本漫画時代に劇画の第一人者として幅広い分野で活動しており,劇画作家の協同組合というべき「劇画工房」にも参加しています。「劇画工房」の崩壊を機に,1960年に「さいとう・プロダクション」を設立しました。
「さいとう・プロダクション」は脚本部門をもち,作画も完全な分業体制で行う会社組織です。これにより,スタッフの協業で作品を制作する体制が確立しました。
それまでの漫画界では個人創作が基本であり,売れっ子作家はアシスタントを雇って半分業体制で執筆する形態でした。そのようなアシスタント方式は長時間・低賃金労働の代名詞となっていたようです。
プロダクションという制作組織を維持するためには毎月まとまった量の執筆依頼が必要となります。さいとう氏は長期連載を請け負うことにより,プロダクションとしての作業量の平準化と業界でもトップクラスの高い給与を実現しています。この安定した経営姿勢により設立当時の古いスタッフが現在でも残っているそうです。
浮き沈みの激しい漫画界で50年間も雇用を継続し,一定水準の給与を支払い続けながらプロダクションを維持してきたことはさいとう氏の経営姿勢と営業努力,そして充実した脚本部門によるものであろうと推測します。
もっとも,「さいとう・プロダクション」の社長はさいとう氏の兄の發司氏が務めているとのことです。さいとう氏は創作の現場指揮で忙しい毎日を送っていることでしょう。
しかし,さいとう氏は1936年生れですから,2012年の誕生日がくると76歳となります。そろそろ,さいとう氏が現役を退いた後の「さいとう・プロダクション」や「ゴルゴ13」の去就が心配な時期にさしかかっています。
ゴルゴ13(サーティーン)シリーズ
1960年に「さいとう・プロダクション」が設立されましたが,劇画の長期連載を引き受けてくるマンガ誌をそう多くはありませんでした。1968年に大手の小学館が大人向けのマンガ誌「ビッグコミック」を創刊することななり,さいとう氏は「捜し屋はげ鷹登場」で参加します。
この作品はすぐに終了し,次作が「ゴルゴ13シリーズ」ということになります。「捜し屋」の次は「殺し屋」を主人公にした物語です。連載を開始した当初,さいとう氏は10話程度で終了させるつもりだったようです。「捜し屋」は探し物のネタ,「殺し屋」は殺しの手段が作品の命と考えており,そのアイディアが尽きたら連載は終了せざるを得ないと考えていたようです。
しかし,殺し屋あるいはテロリストを主人公とするハードボイルドの物語はその特異性により人気が出てきます。そのため,「ゴルゴ13」は殺しのテクニックではなく,依頼者の事情をそれぞれの物語のテーマとする方向に転回します。
ゴルゴ13への依頼者はさまざまな事情を抱えています。その事情を細大漏らさず物語の中で語らせることより,読者は国家間の情報戦,戦争や紛争,テロリズム,犯罪組織,企業活動など非常に多岐に渡る世界の内幕を垣間見ることのできる仕掛けとなっています。
ときには世界史の決定的な場面,ときには隠ぺいされた歴史,ときには諜報活動の裏側などを知ることができ,読者の知的好奇心をくすぐることになります。また,主人公を単なる「殺し屋」から依頼者との約束は必ず守るという「ビジネスマン」に昇格させことも読者の支持を高める要因となったことでしょう。
このような多方面に渡る展開および特異な主人公のキャラクター・アイディアは複数の脚本家が関与することにより可能となりました。これは,脚本部門を抱える「さいとう・プロダクション」ならではの強みです。
プロダクションによる制作体制は安定しており,40年を超える連載にもかかわらず,一度も休載はないという快挙を達成しています。さいとう氏の当初の思惑は外れ,「ゴルゴ13」はビッグコミックの大半の歴史とともに歩むことになります。
「ゴルゴ13シリーズ」は1話完結のスタイルをとっており,各話は完全に独立したものとなっています。この作品では1話は連載1回分ではなくページ数で80-120ページほどのまとまりのことであり,各話には独立したタイトルが付けられています。各話にはゴルゴ13は登場しますが,舞台となる地域や登場人物はまったく異なります。このようにゴルゴ13の登場する独立した作品の総体を「ゴルゴ13シリーズ」と呼んでいるわけです。
物語の中では例えば東西冷戦の終結というように世界情勢は変化していきますが,主人公のゴルゴ13だけは年をとらない設定になっています。このシリーズは各話が独立してますのでこのような設定も問題ありません。東西冷戦終結後も世界情勢は地域紛争,中国の急速な台頭,国際テロリズム,経済戦争,最近ではアラブ世界の民主化などゴルゴ13の活躍の場にはこと欠きません。
「ゴルゴ13シリーズ」の単行本は1冊で250ページもあり,他のものに比べてとても厚くなっています。一つのシリーズで書棚を占拠させるわけにはいきませんので,私は区切りのよい100巻で収集を断念しました。その後も物語は快調に進み,現在では166巻を数えています。
心配があるとすればそれはさいとう氏の年齢でしょう。氏も70代の後半にさしかかっており,いつまでも現役でいられるような状況ではありません。NHKラジオ「わが人生に乾杯」でさいとう氏は「この作品は僕の手から離れてみんなのものになっているので勝手に終わらせられない。僕が死んだ後でも終わらなかったりして」と語っています。