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和製ファーブル昆虫記ですね
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同名の小説文庫本があります

「ロン先生の虫眼鏡」は作家の光瀬龍が1979年の1月から9月にかけて執筆した動物に関するさまざまな短編を集めてものです。初版が1980年10月に徳間文庫から出されています。

内容はロン先生が小さな虫たちや魚,鳥の観察を通して得られたことがらが記述されています。本の末尾に著作日記が載っており,文章と並行して「少年チャンピオン原作渡す」という記事があります。これがまんが「ロン先生の虫眼鏡」の原作になったものでしょう。

文庫本の中では登場人物はロン先生だけで,元太君や洋子さんは出てきません。それでは少年誌にはとても受けそうにないので,子どもたちに登場してもらったということでしょう。

特に元太君はまんがの中ではほとんど主役のような立場で,物語を展開させる役割を担っています。ときどき元太君のライバルとなる洋子さんも物語の中でも重要な位置を占めています。小学生の元太君,高校生の洋子さんというように年齢の異なる子どもの視点とロン先生の知識が融合して作品の幅を広げています。

子どもたちにとっては動物の世界の細かな生態や能力について書き並べている「ファーブル昆虫記」は仮にまんが化してもとても退屈なものになることでしょう。「シートン動物記」は動物をある程度擬人化することにより,子どもたちに親しみやすい内容となっています。

「ファーブル昆虫記」の原書は全10巻であり,翻訳されたものは岩波文庫旧版で全20巻の大冊となっています。観察が微に入り細に入りとなっているのでよほど昆虫などに興味がなければ,読み通すことは困難です。岩波文庫旧版は我が家の書棚にも25年も前から収納されていますが,何回かトライしても通読できていません。

その中で,狩り蜂の仲間を取り上げたところがあり,ロン先生と同じように苦労しながら観察している様子がよく伝わってきます。しかし,この狩り蜂を扱った部分だけでも文庫本3冊にもなります。

原作には登場しない元太君や洋子さん出てきますので,「ロン先生の虫眼鏡」においては文庫本とマンガの内容はかなり異なっています。どこまでが原作者のストーリーで,どこまでが作画者の加藤さんの脚本なのかは分かりません。また,マンガの方には文庫本に無い動物たちもたくさん出てきています。参考までに文庫本の内容は次のようになっています。

  • 小さな勇者

    ジガバチは青虫を狩り,動けない状態にして地下の巣に運び込む

  • ああ,この聖なる餓鬼道

    ジガバチの幼虫は地下の巣で生餌を食べながら成長する

  • 虫の心と女の心

    ジガバチは周辺の様子を多少変えても巣の場所を見出すことができる

  • フクロウとトビ

    鎌倉周辺のトビの30年間の変化,闇夜に錦鯉をねらうフクロウ

  • 孤独な夜の狩り手

    フクロウは1週間に体重の70%くらいを食べ,骨や毛を吐き出す

  • 漂泊の友

    シベリア産のコキンメフクロウの育児,ノウサギを狩ろうとしている狐

  • ああ,そは彼の人か

    ロン先生の飼っているキンメフクロウはどのようなときに警戒心を抱くか

  • 金魚,この遠い日の夢

    金魚の飼育に関する今昔物語

  • さよならキンギョたち

    飼育環境でしか生きられないと思われたキンギョをな自然水面に放すと

  • ひれ持つ友,魚たち

    アオザメ,ウナギ,ジンベイザメ,マンボウ,エイの生態

  • 波にゆられて見る夢は

    ウミガメの産卵の様子,子ガメたちの旅立ち,ウミガメたちのこと

原作者の「光瀬龍」は「百億の昼と千億の夜」が有名であり,私はSF作家だと思っていました。この壮大なスケールの作品は「萩尾望都」がまんが化しています。萩尾さんのSFセンスが見事に難解な作品を描ききっており,私はこの作品で「光瀬龍」の名前を知り,小説を入手しました。

また,「ロン先生の虫眼鏡」を読んでこれも同名の小説を入手しました。読み方が逆になり,原作者に謝りたい気持ちですが,光瀬龍は1999年に逝去されています。・・・合掌

元太や洋子が物語を作ってくれます

動物や昆虫の生態を観察した内容をマンガ化する場合,単に生態を写実的に描くだけではとても子どもたちの支持は得られません。そこで元太君と洋子さんが登場することになり,小学生と高校生の目線で物語を展開することができます。特に元太は突飛な行動をとることが多く,子どもの読者を引き付ける役割を担っています。

この二人が入ることにより,動物の生態を取り上げ,ロン先生という地味な中年の主人公を擁しながら,この作品は学習マンガではなく良質なエンターテインメントとして仕上がっています。

しかし,この作品は掲載誌の「少年チャンピオン」ではまったく人気がなかったようです。当時の「少年チャンピオン」の主力作品は「がきデカ」,「ふたりと5人」,「マカロニほうれん荘」などのナンセンス・ギャグであり,その色にまったく染まっていない「ロン先生の虫眼鏡」は同誌の「唯一の良心」と言われていました。

マンガは商業的作品の性格が強いので作品の質と人気は必ずしも一致するものではありません。少年誌では望めないことでしょうが,このような質の高い地味な作品が正当な評価を受けるマンガ文化も育ってくれることを願っています。

作品中にはロン先生の住んでいるところの地名は記載されていませんがいくつかの話から類推することができます。第3話で新宿駅東口から長野行の普通列車に乗り込む場面がありますのでロン先生の住んでいるのは関東圏であろうと推定できます。第2話では広い海岸をジョギングしている場面がありますので海辺の町ということになります。

第14話では近くには「仙人洞」という鍾乳洞があり,コウモリの群落が見られます。このときロン先生の住まいが古い茅葺き屋根の家であることが分かります。第23話では町には「旧代官屋敷」があります。第27話では海岸の近くの「サツマイモ畑」が出てきます。

このような情報を総合すると千葉県か神奈川県あたりという見当がつきます。もっとも小説のほうの「ロン先生の虫眼鏡」には原作者の「光瀬龍」は鎌倉に住んでいたことが記されていますので,鎌倉周辺ということなのでしょう。そうすると海岸は七里ヶ浜ということになります。

チャタテムシ(第1話)

チャタテムシは分類がまだ確定していない昆虫です。wikipedia には「チャタテムシ(茶立虫)は昆虫綱・咀顎目 (Psocodea) のうち,寄生性のシラミ,ハジラミ以外の微小昆虫の総称」となっておりどうやら人間にとってあまり歓迎されない昆虫のようです。

世界的には1700種ほどが知られており日本では100種ほどが見つかっています。大多数のものは有翅(体長は3-7mm)であり,野外で植物の葉,カビや地衣類を食料としています。

それに対して屋内で生活する一部の種は無翅(体長1-2mm)であり,カビ,乾燥した動植物を食料とする不快害虫となっています。もともとはすべて有翅の種でしたが,屋内でかたまって繁殖するようになると飛ぶ必要なくなりますので退化したと考えられます。

スカシチャタテ科(有翅)の数種は交尾期に発音する習性をもっています。発音部位は口器,腹端,脚の3つに大別されます。この種の出すかすかな音が茶道において茶筌で茶をたてる時の音に似ているのにちなんで命名されたものです。

小豆洗いまたは小豆とぎは川で小豆を洗う音をたてるといわれる日本の妖怪であり,ほとんど日本全国で伝承されているので呼び名も多岐にわたっています。この妖怪の正体についてもイタチ,キツネ,ガマガエルなど多くの動物の名が挙がっています。

江戸時代には「小豆洗虫」という昆虫の存在が知られており,この昆虫は現在でいう「チャタテムシ」ですので,この作品ではチャタテムシと「小豆洗い」が結び付けられています。

外来生物

第5話では「ライギョ」と「アメリカザリガニ」という外来生物の話となっています。人為的に地域の環境にもたらされた生物種に対しては「外来種」,「移入種」,「帰化種」といった言葉が混在して使用されてきましたが,現在は「外来種」という用語に統一されているようです。

国際自然保護連合は「外来種とは過去あるいは現在の自然分布域外に導入された種あるいは亜種」と定義しています。ここで使用されている「導入」とは「意図しているかどうかは関係なく人為によって直接的・間接的に自然分布域外に移動させること」と定義されており,「移入」や「侵入」といった言葉で置き換えられることもあります。また,外来種が新たな分布域で継続的に子孫を残して生き続けることを「定着」といいます。(wikipedia)

生物は環境の変化に合わせて,人為的な介入なしでも分布域を広げていきます。例えば新しく誕生した火山島にも周辺の環境から海流に乗って,あるいは鳥などに運ばれて多くの生物種が移入し,新しい環境に適応したものは定着します。

つまり,人為的な介入が無くても生物は他の環境に進出する性質をもっています。その限りにおいては外来生物=環境破壊という図式にはなりません。しかし,ある種の生物種が新しい環境に非常によく適応した場合などは地域の従来生物種を押しのけて繁殖したり,地域の類似種と交雑して結果的に地域の生態系に大きな影響を与えます。

外来種がその地域固有の生態系に影響することに関しては1980年に世界自然保護基金(WWF),国際自然保護連合(IUCN),国連環境計画(UNEP)が発表した「世界環境保全戦略」のなかで外来種の侵入について触れています。

日本でも2004年に「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(外来生物法)」が制定され,専門の学識経験者の参加のもとで特定外来生物の規制と防除に取り組むことができるようになっています。

wikipedia には「日本の侵略的外来種ワースト100」というページがあり,日本の外来種の中でも特に生態系や人間活動への影響が大きい生物がリストされています。昆虫以外の節足動物には北米原産の「アメリカザリガニ」と「ウチダザリガニ」が含まれています。

魚類では「オオクチバス(ブラックバス)」や「カダヤシ」,「ニジマス」,「ブラウントラウト」が含まれており,「ライギョ」はリストされていません。

外来種の中には世界的に大きな問題を引き起こしているものもあり,そのような種は「世界の侵略的外来種ワースト100」としてリストされています。

この中には「イエネコ」,「クマネズミ」,「ヤギ」,「ウシガエル」,「オオヒキガエル」,「オオクチバス」,「カダヤシ」,「ニジマス」,「ブラウントラウト」,「ヒトスジシマカ」,「マイマイガ」,「アフリカマイマイ」など身近な生物がリストされています。また,20種以上の陸上植物もリストされています。

話はそれますがライギョ(雷魚)は東南アジアではナマズと同様に非常にしばしば食卓にあがります。旅行者でも出来合いの食事として雷魚の焼き物あるいはから揚げを選択することは難しくありません。私は魚好きですのでそのせいもありますが,白身であっさりした味わいの雷魚は好物です。しょうゆはありませんのでピリ辛のタレを付けると絶品となります。

収斂進化

第44話にはモグラとケラが出てきます。モグラは哺乳類,ケラはコオロギの仲間の昆虫にもかかわらず前足の構造は良く似ています。現在の生物の進化に関しては「適用放散」と「収斂進化」という二つの考え方が定説となっています。適用放散は一つの種がいろいろな環境に適用することにより複数の種に分化していくことを意味しています。

中生代は恐竜の時代であり,その仲間は陸上,水域,空を支配していました。その頃の哺乳類はネズミ程度の大きさであり,種類も少なく,恐竜が眠る夜間に活動する動物でした。

約6500万年前に恐竜が絶滅するとその空白を埋めるように哺乳類は爆発的に進化し,多種多様な種が現れました。恐竜という最大の競争種が絶滅したことにより,哺乳類が新しい時代の最強種となり「適応放散」していった結果であると考えられています。

草食のもの,肉食のもの,大きなもの,小さいなもの,樹上で暮らすもの,水中で暮らすもの,空を飛ぶもの…,哺乳類の世界はその前の恐竜の世界と非常に類似しています。そして,それぞれの環境に適応した生物は哺乳類,爬虫類,恐竜という種の違いはあっても,その体のデザインは驚くほど似通っています。

このように種は異なっているにもかかわらず,同じような環境に暮らしている生物の体型や特定の器官がとてもよく類似することを収斂進化といいます。生物は環境に適応したものが生き残る可能性が高いというのは自然界の厳粛な掟であるため,異なる祖先から出発しても同じような環境で同じように生きている生物同士は互いに似てくるということです。

モグラとケラは生物種としては遠い関係しかありませんが,一生の大半を土の中で穴を掘って食料を得るという生活方法は類似しています。種は異なっても同じような生活をするモグラとケラの前足の構造が似ているのは「収斂進化」の結果なのです。

作品中にも出ているようにアリやある種のネズミも土の中に巣を作りますが,彼らの食料調達はもっぱら地上のものであり,完全に地中の生活者というわけではありませんので前足の構造はモグラやケラのようにはなっていません。

「ロン先生の虫眼鏡」の中にはこのように生物の生態に関する面白い話がたくさんあります。中にはちょっと怪しげな話も混ざっていますが,子どもたちに自然に関する知識を身に付けてもらうためには格好の教材になっています。

面白くて知識が身に付くのですからとてもすばらしい教材にもかかわらず,連載雑誌においては他の刺激の強い作品の中に埋没してしまう地味な作品なので肝心の子どもたちには人気がなかったようです。やはり,単行本のようにまとまった形で子どもたちに読んでもらいたい作品です。もちろん,大人が読んでも十分に楽しめます。


ザ・シェフ

「幻の料理人」と評されている天才的料理人の味沢匠が法外な報酬と引き換えに依頼人を満足させる料理を作る物語です。この作品はよく手塚治虫の「ブラックジャック」と対比されます。ブラックジャックの場合は人の命がかかっていますので,報酬に糸目をつけないという設定に無理はありませんが,ザ・シェフではたかが料理に100万円単位の報酬が出される設定となっており,かなり無理があります。

自分の食べる一皿のために100万円単位の金額を支払おうとする人はまずいないでしょう。いかに美味としても時代の価値からかけ離れている金額だからです。そもそも,料理のおいしさというものは個人的な評価であり,個人の味覚はその人の育ってきた食生活により大きく左右されるものなので,万人がこれが最高のものなどと評価する料理はありえません。

一定水準に達した料理を比較して絶対的にこちらがおいしいなどと評価できるものではありません。レストランの客の大半はそのような自分の評価基準をもたない状態ですから「ガイドブック」やテレビで取り上げられた店が繁盛することになります。この物語は凄腕の料理人を題材にした人間ドラマあるいは人情話としてとらえるとそれなりに楽しめます。