風の大地
「風の大地」は沖田圭介というプロゴルファーを主人公にした作品です。「ビッグコミック・オリジナル」に1990年から連載されており,1993年度の小学館漫画賞を受賞しています。原作は坂田信弘,作画はかざま鋭二です。
かれこれ20年も連載が続いており,長寿作品の多い「ビッグコミックス」でも古株となっています。連載は20年でも物語の世界の時間は2年半くらいしか経っていません。つまり,2年半の物語が20年間の連載,単行本で56巻となっているわけです。
この物語の進捗の遅さにもかかわらず読者を退屈させないのは,原作者の坂田信弘のストリー・テラーとしての力量です。ゴルフの世界においてクラブを握って1年ほどでプロテストに合格し,さらに1年ほどの経験で世界のトッププロになれるかどうかは別にしても,主人公の人間性,ゴルフに対する謙虚でひたむきな姿勢,ゴルファーとしての成長,個性あふれる対戦相手,ツアーで出会う多くの人々が生き生きと描かれており,見事な人間ドラマに仕上がっています。
また,かざま鋭二の丁寧な作画もこの作品の魅力の一つです。人物の描写はもちろんですが,背景となっている空やボールが落ち来るときのコースがとても丁寧に描かれており,臨場感の高い作品に仕上がっています。
私はゴルフをしませんし,テレビでゴルフの試合を見ることもありません。せいぜい,日本のトップクラスのプレーヤーの名前を知っている程度であり,ゴルフの道具やルールについても普通の人と同程度の知識しか持ち合わせていません。
そのような私でも「風の大地」の魅力は十分に伝わってきます。多くの名作がそうであるようにこの作品はゴルフを題材としていますが,人間を描いているところに魅かれるわけです。特にゴルフは対戦相手とは体の接触やボール等のやり取りがまったくなく,自分と大地との孤独な会話を続けるものであるため,メンタルな側面が非常に強いスポーツです。
一緒にラウンドする競技者の会話や心理,精神状態に左右される体の動きををていねいになぞっていくことにより,ゴルフというスポーツを越えた人間ドラマとなっています。また,主人公の謙虚でひたむきな人間性もこの作品の見どころの一つです。
ただし,この作品は私にとっては明らかに長くなり過ぎました。冗長すぎる作品は必ず質に影響します。また,単行本を収集する立場としても長すぎて読み通せないというのはとても困ったことです。
ということでこの作品は35巻で収集を諦めました。同じように「釣りバカ日誌」は30巻,「総務部総務課・山口六平太」は40巻,「美味しんぼ」は85巻,「ゴルゴ13」は100巻でストップしました。
ビッグミック系には長寿の作品が多く,単行本を収集する側にとっては泣かされます。読者や雑誌そのものも長寿の作品と一緒に年を取っていき,いいかげんに新しい作品に切り替えてもらいたいという読者も多いのではと推測します。
私のもっている35巻を大きく分けると次のようになります。連載開始は1990年,第35巻の発行は2004年ですので,ここまでの進行は14年間の連載で1年半の進行ということになります。
単行本 | 内容 | 主人公年齢 |
---|---|---|
1-4巻 | 研修生時代 | 24歳(12月) |
5-9巻 | アジアサーキット | 25歳4ヶ月(2月) |
10-12巻 | 日本オープン | 25歳7ヶ月(5月) |
13-19巻 | 全英オープン | 25歳9ヶ月(7月) |
20-25巻 | 全米オープン | 25歳10ヶ月(8月) |
26-29巻 | 賭けゴルフ,自動車事故 | − |
30-35巻 | ドバイクラシック | 26歳4ヶ月(2月) |
研修生時代
「冬を迎え寒風吹きすさぶ中,24歳になったばかりの一人の男がプロゴルファーを目指し,栃木県鹿沼カントリークラブに入った」,物語はこのような一文で始まっています。主人公の沖田圭介は家の事情により京大を中退し,いったん就職してから研修生になりました。
研修生は食事と部屋が与えられ,キャディ等の仕事をして,わずかな給料をもらいます。仕事時間以外は自由時間であり,その気になればゴルフの練習に明け暮れることもできます。沖田の場合は「ゴルフに狂っている」と支配人に報告されています。
研修生仲間には石原(29歳),笠崎(25歳),長谷川(23歳)がいます。日大ゴルフ部出身の長谷川はエリート意識が高く,沖田とはまったくそりが合いません。研修生時代に沖田がもっとも影響を受けたのは元研修生で現在は厨房のセカンド・チーフを務める宇賀神です。
最初のスライス病で悩んでいるときに右手だけの水切りを教えられ,それをマスターして沖田は一段と成長します。長谷川の後輩の藤野とのラウンドで沖田は周囲の者を驚かせるショットをみせ,藤野に「プロだ…プロのゴルフだ…信じられない」と感嘆の声を上げさせます。
鹿沼カントリークラブを訪れた小針プロは沖田の打った練習用ボールを見て,その強いインパクトに興味を覚え,一緒にラウンドすることになります。小針プロがドライバーで届かなかったグリーンを沖田はスプーンでワンオンします。
小針は沖田の才能をこの一打で認めることになり,球の重さで止めるアプローチと回転で止めるアプローチ」について教えられます。さらに,ウィルソンのクラブのワンセットが小針から送られます。
沖田はそのクラブを持ってプロテストへの第一関門となる研修会に参加します。しかし,緊張のあまり下半身がまったく硬直している状態で最初のホールを回ります。頭に水をかけて気持ちが落ち着くと日頃の鋭い振りが戻ってきます。また,多くのツキにも恵まれ強気のゴルフを展開します。
競技役員は「脳みそのいらないゴルフだ」という評価と「あの強気は一種の才能ですよ,それも中途半端じゃない。ひょっとしたら一気にテストまで行くかもしれない」という評価に分かれます。一緒に回った研修生たちに規格外のゴルフを見せながら難しいコースの2ラウンドを146で回ります。
次の研修会では小山GCの速いグリーンに対応する必要があります。グリーンの遅い鹿沼育ちの沖田にとっては難関です。遅い芝に合わせたパッティングではプロとしては通用しません。グリーンキーパーの小平は1週間かけて鹿沼CCの一面だけ日本でもっとも速いグリーンに仕上げ,沖田に練習させます。
また,笠崎,宇賀神の助言もあり,周囲から注目される小山GCの研修会では2ラウンドを144で回り優勝します。これでプロテストの受験資格を得ます。そんなとき,宇賀神に肝臓癌が発覚し,担当の依田先生は鹿沼CCに支配人に「余命は3か月と思っていただきたい」と告げます。
プロテストに参加する沖田,笠崎,長谷川は業務から解放され,練習と調整に専念することになります。自分の体の異変により虫が知らせたのか,沖田のドライバーショットのふけ球を見た宇賀神は二クラウスから送られ,生涯の宝物としていたマクレガーのドライバーを沖田に譲ります。
沖田たちがプロテストの行われる琵琶湖CCに出発した後,宇賀神は激しい苦しみにより入院します。テストの初日,沖田のイーグルスタートの朗報を聞き,大いに喜んだ宇賀神ですが,その直後に食道静脈瘤破裂と肝性昏睡に陥ります。
沖田は「逃げんぞ,どんなことがあっても逃げんぞ」と強い気持ちでホールを重ねます。ダブルボギーの後もすぐに気持ちを切り替え,午前のラウンドは2アンダーの70で回ります。そんな沖田でも通過ラインをみながらの計算が入り,集中力の欠けたショットによりダブルパーのピンチを経験します。
沖田は再び「逃げんぞ,どんなことがあっても逃げん」と自分を鼓舞し,2ラウンドを144で回りただ一人だけ合格します。クラブを握ってから1年ほど,24歳11ヶ月のことでした。
深夜に鹿沼に到着した沖田はまず宇賀神に報告したいと考え宇賀神宅に向かいます。しかし,そこで見たものは「忌中」の表示でした。宇賀神の死により元気を失った沖田は彼の一人娘のさやかと一緒に高い煙突に登り,そこから大声で彼の名を呼びます。これで立ち直った沖田は「宇賀神さんの形見のドライバーで俺は生きていく」と決意します。
第4巻のあたりから一つの話の末尾に散文が入るようになりました。最初はネームのように囲みの中に納められていましたが,途中からは背景に溶け込ませるような形に変わっていきます。この格調の高い散文は原作者の坂田氏の文筆家としての一つの才能を表すものであり,一つの話の締めるとともに次に続く余韻を残すものです。このスタイルはその後もずっと引き継がれます。
アジアサーキット
プロテストに合格しても沖田はまだ日本のトーナメント出場資格を持っていません。そのため小針プロの提案で2月下旬から4月中旬までの期間に10か国で10試合を転戦するアジアサーキットに出ることになります。出発前に沖田は神社の境内で物部麗子に出会い,「イチョウの精のような人だな」と思い,なぜか彼女の姿が脳裏から離れなくなります。
第1戦はマニラのワクワクG&CCで行われます。ホテルからワクワクに向かう沖田のタクシーは渋滞に巻き込まれ,バイクの後ろに乗って移動することになります。この料金に100ペソ(1993年頃のレートで約500円)とは驚きです。
ワクワクG&CCはメトロマニラ市内にあり,フィリピンでも屈指の名門ゴルフ場です。初日に沖田はマンデーから上がってきた米国人のボビー・ブロー,世界アマ選手権2位の実績をもつオーストラリア人のロジャー・デービスと回ることになります。キャディはC級ライセンスしかもっていないチッタです。
沖田は予選を2オーバーでなんとか通過し決勝ラウンドに進みます。そこでゴルフはうまいものの,フィリピン人を見下す態度をとる日本人に嫌悪感を抱きます。沖田の最大の美徳は誰にでも誠実に向き合える点にあります。国の経済力を背景に途上国の人々を見下すような日本人には,彼の美徳のかけらでも分けてあげたいような気になります。
決勝ラウンドの初日を4アンダーで回り,順位は一気に5位に上がります。最終日は再びブローとデービスと回ることになります。17番ホール,首位の呂西釣に1打差の沖田は「魔法の2番アイアン」のシャフトを折ります。
このピンチに林の中から下を抜くフックボールを成功させ,さらにガードバンカーからのチップインでバーディを取ります。彼の奇跡のショットに引きずられるようにブローとデービスもスコアを伸ばします。最終ホールも沖田はバーディで上がり首位に並びます。しかし,後の組の呂西釣は7mのパットを緩まずに打ち,優勝します。
沖田はチッタの家族の了解を得てアジアサーキットをチッタと一緒に回ることにします。タイオープンでは華僑財閥リー一族の御曹司のリンにレッスンをしたことにより知り合いとなり,彼の家に招待されます。
ところが,オープンの初日にチッタは前夜祭のパーティの酒が過ぎて大幅に寝坊してしまいます。フィリピンに戻ろうとするチッタにタクシーの運転手が「旦那,忘れ物はないんですか」と自分の経験を話し,チッタは一言,沖田に謝りたいと試合会場に向かいます。
その姿を見つけた沖田は何事もなかったかのように「チッター,早く来いよ〜」と呼びかけます。チッタに対する最初の言葉は「二人三脚の足が無ければ走れないからネ」でした。チッタでなくても涙のシーンになりますね。このタクシーはリンが手配したものであり,沖田はツアーの先々ですばらしい人間関係を築いていくことになります。
タイオープンで沖田はプレーオフにより呂西釣を破り優勝します。これが沖田の最初の勝利となります。呂西釣は沖田がアジアで生きる器ではなく,アメリカやヨーロッパで戦える選手であることを見抜き,試合後,裸地からピッチングウエッジで球をコントロールする技術を伝授します。
また,リー家に招待されリンからは「困ったときはいつでも電話を下さい。私の友情と名誉にかけてあなたのご要望にお応えします」という熱い友情の言葉を受けます。
9戦を終えた時点で沖田は総合4位につけています。最終戦は茨城GCで開催されるダンロップ・オープンとなります。この試合には日本の第一人者である尾崎将司が出ます。
沖田のドライバーバーショットに才能を感じ取った尾崎は「ショットはいくら悩んでもいい。しかし,パッティングは深読みするな。深読みするとゴルフが難しくなる」というデビュー祝いの言葉を伝えます。
決勝ラウンドでは尾崎と回ることになり,尾崎のチップイン・バーディーの柔らかさをじっと見ています。競技員は「この沖田という男は相手の強さやうまさを飲み込んでいく心の柔軟性がある」とつぶやきます。
最終日の前日に沖田が注文していた乱視用メガネが出来上がり,チッタにプレゼントされます。これで午後の芝目もしっかり読むことができるでしょう。最終日に沖田は尾崎,杉原と死闘を繰り返し,惜しくも二位タイで終了します。
それでもアジアサーキットは総合二位となり全英オープンの出場資格を得ます。また,5月の日本プロゴルフ選手権にも本戦から出場することになります。ダンロップオープンで勝てなかった沖田には日本のツアーのシード権がありませんので,出場資格は何によるものか分かりません。
日本オープン
日本プロゴルフ選手権は毎年5月に開催される日本のプロゴルフメジャー大会(公式戦)の一つであり,優勝選手は向こう5年間の国内の公認試合の無条件シード権が与えられます。場所は秋田県男鹿GCです。
沖田は長谷川の先輩にあたる漁師の家に泊まることになります。そこで,土曜日あたりから風が強くなると教えられ,低い球へのこだわりをみせます。これは一つの賭けであり,天気が良くてもスコアは伸びません。
尾崎は快調にバーディを重ね予選ラウンドは4アンダーで通過します。3日目が終了した時点で首位尾崎との差は10打です。しかし,その夜から天候は急変し,激しい雨,その後は強風に変わります。
この風ではスコアをまとめるのは難儀なことです。さすがに尾崎は沖田が風を待っていたことに気付き,最終日の1番ホールではキャディに「沖田にはリード差なしの気持ちで臨む」と伝えます。強い風の中で尾崎はスコアを落とし,沖田との差は縮まっていきます。
尾崎は距離よりも方向重視のゴルフに切り替えます。一方,沖田はキャディの長谷川と対立しながらもスコアを伸ばしていきます。スコアを詰められた尾崎はキャディに「沖田を勢いと怖さ知らずのゴルフだと思っていたら,本当に痛い目に遭うぞ。奴は風を知っている」と伝えます。
17番ホールでは第二打を松林に入れながらも奇跡的なイーグルで1打差に詰め寄ります。18番ホールのティで沖田と長谷川は和解し,横風の中でピンデッドで狙います。沖田はバーディで上がりますが,尾崎もバーディで返し勝利します。
その年のプロテストに参加した長谷川と笠崎は落ちました。どちらもプレッシャーで最後のハーフでスコアを崩し,1打足りませんでした。坂田氏のこの二人に対する仕打ちは厳しく,長谷川はプロを諦めて,北海道の牧場で明美(小平の娘)と二人で働くことを決意し,沖田に見送られて列車に乗ります。
全英オープン
日本語では「全英オープン」,英国外では「British Open」ですが正式名称は「The Open Championship」,通称は「The Open」であり,他の大会と区別する固有名詞は含まれていません。
これは,1860年に開始されたとき,他の大会は存在していなかったため区別する必要がなかったためです。そのくらい歴史の長い大会であり,全世界のプロゴルファーが目指す特別の大会です。
英国には歴史の長いスポーツの大会が多く,テニスの「ウインブルドン選手権(全英オープン)」は「The Championships」と呼ばれており,ウインブルドンセンターコートは世界中のプロテニス・プレーヤーの聖地となっています。
全英オープンは毎年開催場所が異なります。最近では「セント・アンドルーズ・オールドコース(28回)」,「ロイヤルセントジョージスゴルフクラブ(14回)」,「ロイヤルリザム&セントアンズゴルフクラブ (11回)」,「ロイヤルリバプールゴルフクラブ(12回)」などの名前があります。
沖田がまず訪れた「プレストウィック・ゴルフクラブ」は全英オープンが通算24回も開催されたところであり,最初の12年間はすべてここで開催されています。そのため全英オープン発祥の地とされています。
ここに立ち寄ったことにより沖田はホテルの主人(リリィの兄)からキャディとしてリリィ・マクガンを紹介されます。しかし,リリィは過去のこころの傷のため男性不信になっており,沖田とも簡単には打ち解けてくれません。
全英オープン開催地のターンベリーはプレストウィックから高いタクシーでも18ポンドの距離です。コースで沖田はデービスと再会し,お互いの活躍を知ります。8番で沖田の第2打はグリーンをオーバーし奥のフェスキュー草の中に入れます。
ここで,全英オープンの伝説に埋もれた元プロゴルファーのブルース・クランプトンからフェスキュー草から打つ技術の無いことを指摘され,それが脳裏にひっかかったままのプレーとなります。18番ではクリークに3回つかまり10の大たたきとなりますが,坂田氏はこのようなミス,あるいは不運の繰り返しが好きなようですね。
2日目の開始前にクランプトンは再びリリィと衝突し,沖田に彼女の名前をたずね「リリィ・マクガン」であることを知りかって自分のキャディを務めたマクガンの孫娘であることを知り,驚愕の表情を浮かべます。
彼の態度は急変し沖田に「セカンドのクラブを決めてからティショットを打て」,「風とグリーンの硬さでセカンドのクラブを決めろ」と助言します。2日間通算で6アンダーとして沖田は決勝ラウンドに進みます。
2日目のラウンド後に沖田はクランプトンの家を訪ね,マクガン家にまつわる話を聞きます。彼の助言は「風の方向を読み切った者が全英では勝つ」,「リリィに聞け,リリィに助けてもらえ」でした。風を見る力はリリィに備わっており,彼女のときどきつぶやく独り言が4日目のゲームに大きな影響を与えます。
3日目に沖田は河内とラウンドすることになります。河内は沖田に対してむき出しの敵愾心をもっており,沖田とリリィの口論をとらえて沖田の右手をクラブのグリップでたたきます。
伝統ある「The Open」では決して許されない野蛮な行為であり,実際にこのようなことが行われたら河内は即失格,さらに永久に全英オープンの出場資格を失うことでしょう。もちろん沖田側にも一定のペナルティは課せられることでしょう。
沖田はひたすら痛みとしびれを我慢し,クランプトンのウイスキーをすり込む応急処置でプレーを続けます。18番ホールでは河内が絶壁のようなバンカーに打ち込み,ペナルティを含め10をたたき8アンダーから2アンダーに後退しました。一方,沖田は9アンダー,2位でホールアウトし,最終日はグレッグ・ノーマンと回ることになります。
最終日,4番ホールから風が強くなってきます。リリィは「単純な風には単純な心で立てばいい」という祖父の言葉をつぶやきます。ノーマン側は風に備えてクラブの選択幅を広げる必要性を話しています。
クランプトンは「風の強さに背を向けるな,オキタ。風と遊べ。楽しんで行け」と独白します。この作品のタイトル「風の大地」は全英オープンの多くが開催されるスコットランドを念頭にしたものなのでしょう。
4番で沖田のボールはおじぎをするように曲がりフェスキュー草のラフに打ち込みます。沖田はノーマンの技を盗み,5番では低い弾道のショットを打てるようになります。リリィはこのホールの風の色が見えるとつぶやきます。
クランプトンは「ターンベリーの風が来たな。最終日になってやっと来たか。今日の風は難しい。重い風はボールを吹き落すし,軽い風は宙でボールを弄ぶ。鉛をベタ張りにしたような球を打て,オキタ」とつぶやきます。
風を相手として沖田とノーマンの紳士の闘いが続きます。沖田とリリィの息も合ってきます。沖田のひたむきに闘う姿勢を見て,リリィの心にも何か変化が起きてきたようです。別の組でプレーする河内は怒りをバーディに変えて順調にスコアを伸ばし,ときにはスーパーショットを出しますが,最終組には届かない情勢です。
17番のティショットを打とうとする沖田にリリィは不安と切なさが交錯する表情で2番アイアンを渡します。沖田は首位ノーマンと1打差で最終ホールを迎えます。沖田はドライバーで左ドッグレッグの432ヤードのグリーンを直接ねらいます。これを見たノーマンも「こころ,自然のままか。私もそうさせて貰う」と告げ,ドライバーのフルショットとなります。
沖田のボールは3日目に河内がつかまったグリーンのガードバンカーに,ノーマンのボールはラフに入ります。長いフェスキュー草のラフに飛び込んだボールを探し出すのは大変ですが,ギャラリーの少年の言葉を聞いたリリィが見つけます。ノーマンのキャディは「ありがとう感謝するよ,間違いなくグレッグのボールだ。素晴らしい戦いだったと思う。それを含めて感謝するよ」と述べます。
ノーマンの第2打はグリーンをとらえ,パーは確実です。沖田の第2打は2mの壁をもつバンカーをクリアしグリーンエッジに出ます。リリィの歩測とストレートラインという言葉を信じチップイン・バーディをとります。これでノーマンがパットを外すとプレーオフとなります。
運命のボールはラインを外しながらも転がり,カップに吸い込まれます。プレスインタビューで沖田は「満足の気分100%と歯ぎしりの気分100%の200%の気持ちで揺れています」と答えています。
その夜,クランプトンの家を訪問した沖田とリリィは全米オープンの出場資格が得られたことと,来週行われるオランダオープンの出場依頼状が届くことを知らされます。
翌日,早朝からプレストウィックのコースでバンカーショットの練習を繰り返します。その真っ直ぐでひたむきな姿勢に河内ですら「俺には素直さが欠けていたような気がする」と言わしめます。
その河内と兄に背中を押され,リイィは練習中の沖田に向かって「アンタ,オランダにアタイを連れて行く気はないかい?」とたずねます。これは男性不信でこころを閉ざしていたリリィの精一杯の言葉でしょう。
リリィはさらに「アタイはスコットランドの女だ。戦う男への尽くし方だったら知ってるつもりだ。世界中どこの女にも負けないつもりさ」と言葉をを続けます。沖田は承諾しリリィの顔がバラ色に輝きます。
競技委員のハーパー侯爵と一緒に挨拶のため沖田を訪ねてきたオランダオープン大会の副会長が練習を見学している間に,リリィは子どもの頃からの習慣で砂に絵を描き始めます。これを見たハーパーは驚愕の表情に変わります。
リリィの優れた芸術的センスを見抜いたハーパーはリリィが一枚も絵を残していないことを知り,その場で描くことを願い出ます。ハーパーはテーブルに描かれた絵を見て「この絵には時代を感じる何かがある」と述懐します。ハーパーはその絵には100万ポンドの商品価値があると告げますが,リリィは沖田と行くこと以外には考えられません。
リリィを連れて散歩に出た沖田は彼女に「君と僕の道は岐れ道に来たんだよ」と諭します。リリィは「アタイはアンタと一緒にいられるだけで幸せなんだ。アタイは何も望まない。アンタの望むと通りに生きていくよ。愛しているんだ」と応えます。
一人で走り出したリリィは少年を避けようと歩道に突っ込んできたトラックにはねられます。エアーの病院で骨折以外には異常はないと診断されたリリィに「早く治して一緒に回ろう」と告げます。そして,リリィに強く押されて一人でオランダオープンに向かいます。
このときの二人の会話はとてもきれいですね。人生の中でこのように静かなこころのキャッチボールができる機会はそうそうないでしょう。沖田はオランダオープンで優勝しますが,その間にリリィは脳内出血で亡くなります。
彼女の兄が沖田に伝えたリリィの最後の言葉は「また一緒に歩こうね,アンタ。アタイがあんたのバッグを担いでさ。野菊が綺麗だねえ…アタイ,アンタに野菊のリリィと呼ばれてみたいよ」でした。沖田は大きな喪失感に陥り,これでは2週間後の全米オープンが危ぶまれます。
全英オープンが感動のピークですね
個人的には全英オープンが感動のピークでした。もちろん,この後の展開となる「全米オープン」や「ドバイクラシック」の物語も新しい登場人物を迎えて続いていきますが,全英オープンの感動が持続できているわけではありません。一つの作品の中には最高の場面と思えるところがあり,その後の物語が長くなればなるほど作品の良さが薄まっていくと感じるのは私だけでしょうか。
「ゴルゴ13」があれだけ巻数を重ねても違和感がないのは,一つ一つの物語の独立性が高いからです。「風の大地」のように作品全体が一つのつながりをもったものは,最初の構想のときからエンディングを設定しておかなければ,作品はただ長いだけのものに変わっていきます。
「風の大地」の書評に「現在は異次元を漂っている」というものがありました。これは読者層の相当部分を代表しているでのはと推測します。