物語の舞台
「土佐の一本釣り」というタイトルの通り,この物語の舞台は土佐久礼(とさくれ)という漁師町です。現在は市町村合併のためかそのような地名は残っていませんが,高知市と宇和島市を結ぶ土讃線に「土佐久礼」という駅名が残っています。純平がセーラー服姿の八千代と列車に乗り込む駅がここです。
地図で見ると高知市から南西に土讃線と国道56号線がほぼ並行して走っています。高知市は土佐湾の最深部にあり,国道58号線は土佐湾に沿ってゆるやかに弧を描くように南西に向かっています。土讃線はいったん西に向かい,それから南下して須崎市のあたりで国道と合流します。須崎市から10kmほど先に行ったところに土佐久礼の駅があります。
町名は高知県高岡郡中土佐町となります。周囲は山がちな地形となっています。北からの久礼川,西からの長沢川,南西からの大坂谷川が土佐湾に注ぐところにわずかな平地に町があります。
東は土佐湾の一部となっている久礼湾に面しており,湾の北側にあたる久礼川の河口付近に南北方向の大きな防波堤があり,その内側に小さな防波堤が浜を囲んでいます。作品中にはこの小さな防波堤はよく出てきます。作者の青柳裕介氏は高知市から15kmほど東にある現在の香南市の出身であり,高知市内の中学校を卒業しています。
メジャーの仲間入りをした青柳氏
1970年代のビックコミックスには当時のメジャーとされていた漫画家の作品が目白押しに並んでいました。そのビッグコミックに「土佐の一本釣り」が連載されたということは青柳氏がメジャーの仲間入りをした証明でもあります。実際,この作品で氏は第25回小学館漫画賞(1980年)を受賞しています。
物語の舞台となる土佐久礼は小さな漁師町です。第1巻の最初のページには次のように紹介されています・・・国道とは名ばかりのでこぼこ道を左に曲がり,くるくるくねった道を登りつめると大きなむくの木がある。そこまでくるとワシ達の浜が真下に見える。
主人公の純平が中学を卒業してすぐにカツオ船に乗り込むところから物語りは始まります。「中学を出た若い者が初出漁じゃいという日は,浜の者がみんな見送りに来る」と説明されています。幼なじみの八千代は純平より2歳年上で高校に通っています。
浜のみんなに見送られて純平は初出漁に出発します。カツオ船における純平の仕事はカシキ(飯炊き)です。物語が連載と同じ時期の設定になっているとすれば1970年代の半ばのことになります。
日本は東京オリンピック(1964年),大坂万博(1970年)という高度成長を象徴する二大イベントを経ています。しかし,ニクソンショック(1971年)によりドルとの固定相場制は維持できなくなり,変動相場制のもとで円高が進行します。第一次オイルショック(1973年)もあり,日本経済が高度成長から安定成長への道を模索していた時期にあたります。
高校への進学は当たり前のことになっており,中学を卒業してカツオ船に乗り込む若者はほんの少数派になっていました。第一福丸(39トン)に乗船した純平は下の者が入ってこないため,長い間カシキ(炊事係)を務めることになります。
土佐の一本釣りは全25巻の大作ですが,第21巻で貞松が乗船するまで,純平は第一福丸の最年少の役を担っていました。第一話の絵柄はかなり劇画調であり,とっつきにくいものになっています。作品のストーリーも単発的であり,登場人物のプロットもまだ整理されていませんでした。このままではとても名作と呼ばれる作品にはならなかったことでしょう。
この名作が本当に船出をしたのは第3巻からでしょう
いくつかの要件が整理され,この名作が本当に船出をしたのは第3巻からでしょう。千代亀,権左,玄,又三,勝,三津子,貞松,丸子などの脇役の輪郭がしっかりしてきました。物語は洋上におけるカツオ漁,男たちが海に出ているときに留守をあずかる女性たち,男たちが戻ってきたときの陸の暮らしが季節が巡るように,繰り返して描かれていきます。
その中で,純平と八千代の不器用な愛も育っていきます。小さな漁師町という地域性と時代性のためなのでしょうか,八千代と純平は姉弟のように関係でしたが,お互いを意識するようになります。一足早く社会人となった純平は二歳の年の差を越えて,八千代をリードするようになります。呼び方も「ヤッチャン」から「八千代」に変わっていきます。
純平が第8話で八千代に「俺が言うきに・・・,抱いちゃる時は俺の方から言うきに,お前は女だから・・・いうな」と関白宣言をします。まあ,これが純平のプロポーズだったのでしょう。八千代は高校を卒業し,鰹節工場で働くようになります。純平も17歳になり,二人の結婚はもう時間の問題と思っていたらそう甘くはありません。ここは漁師町なのです。
八千代の父親の千代亀は豪傑であり,周辺には何人かの豪傑の年寄り衆が控えており,彼らを何らかの形で納得させないと結婚は認めてもらえません。第42話では久礼に帰港する福丸の船上で純平は結婚を宣言し,浜で網を繕う千代亀に八千代との結婚を申し込みますが,「出直して来い」と一蹴されます。
千代亀に一蹴される順平(第一次伝馬船競争)
純平が防波堤から久礼の灯りを眺めるころ,八千代はそのような経緯を知らずに共同の洗濯場で純平の衣類を洗っています。現代の日本では考えられないシーンが強く記憶に残っています。ここは漁師町,カツオ船に乗る限り,浜の人々とはいやでも顔を合わせなければなりません。濃密な人間関係が地域社会の横糸としてしっかり機能している町なのです。
純平は千代亀に「大きな魚の釣り合いでも網の早作りでも」と挑戦状をたたきつけましが,千代亀だけではなく船頭さんからもきつい「ゲンコツ」をもらいます。魚商のおばさんの後をついて回り,彼女から「亭主が苦労して釣った魚に大小はない」という言葉を聞き,二人からもらったゲンコツの意味を理解します。
この魚商のおばさんに勧められたのが伝馬船の勝負です。伝馬船は一丁魯の小舟で,操舟には力だけではなく技術が要求されるものです。千代亀に勝負を挑んだ純平は見事に負かされます。その晩,千代亀の家で盛り上がる豪傑連を前に,髪を切った八千代は「私,お父さんとお母さんに許してもらえるよう純平と力を合わせます」と宣言します。純平も八千代も所帯を持ちたい気持ちは同じでも,男は相手の父親を越えようと,女は父母のゆるしをもらえるよう努力する姿は古い漁師町ならではの浪花節です。
一年のうち漁期にあたる9ヶ月の大半は洋上でカツオを追い,陸揚げのわずかな時間に羽目を外す漁師にとって,港町における買春は男の付き合いとして肯定的に描かれています。もちろんこの点に関しては賛否両論があるでしょう。私もこのような男の付き合いには否定的な立場です。しかし,そのような刹那的な行動と所帯をもつということは本質的な違いがあることを,作者は語ろうとしているようです。