亜細亜の街角
下痢のためほとんど歩くことはできなかった
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ネパールの地理区分(画像はwikipediaより引用)

ネパールはおよそ東西800km,南北200km,西側が20度ほど南に傾いた長方形に近い形状をしている。地理的には南北方向に三分割され,北からヒマラヤ地域(15%),中間山岳地域(68%),タライ平原(17%)と呼ばれている。

ヒマラヤ地域は8000mを越える高峰8座を擁するヒマラヤ山脈が走り,標高は3000m以上の地域となっている。中間山岳地域はマハーバーラタ山脈といくつかの丘陵地帯であり,標高1000mから3000mまでの地域である。タライ平原は標高が100-200m,インドから続く起伏の少ない地域である。このように南北200kmの国土に標高200mのタライ平原から8000m級のヒマラヤ山脈が東西方向のベルト状に連なっており,世界的にも特異な地理となっている。

ジャナクプール(10:00)→ダラン(17:00) 移動

ジャナクプールは3日間で移動する計画であったが,5月2日から7日までゼネストが決行されたため9日間も滞在せざるを得なかった。宿に住み着いているトカゲが出発を見送ってもらいながら,荷物を背負って最後の点検をしたら蚊取り線香が残っていた。

この宿では毎晩ずいぶん活躍してくれたのでぞんざいにはできない。チェックアウトしようとすると受付には誰もいない。近くの人に受付を指差すと隣の食堂のマネジャーを呼んでくれた。やはり宿と食堂は同じ経営だったのだ。宿帳をチェックして支払いを確認してもらった。

宿の前からリキシャーに乗る。ネパールのリキシャーはとても高い。1kmに少なくとも40Rpは当たり前である。インド・ルピーに換算すると25Rp/kmという信じられない値段である。バングラデシュ・タカにすると35タカになる。インドの2倍,バングラデシュの5倍という料金である。おそらく地元の人はとてもこの値段では利用していないだろ。英語が通じないので今日は30Rpを見せてそれでバスパークに行ってもらった。

道の周辺は水田地帯となっており雨季の雨を待っている

ダランに直行するバスがあり,料金の250Rpは乗る前にバスパークの係員が徴収した。バスはガラ空きの状態であったが,市内のいくつかのポイントで乗客を集めすぐに120%になった。ジャナクプールからタライ平原を東西に横断するマヘンドラ・ハイウェイ(ハイウェイは高速道路ではなく幹線道路を意味する)まではまったくの田舎道である。

乾季の今は一部を除き川の水も枯れかけている

周辺は水田がメインとなっている。この辺りはネパールの穀倉地帯である。亜熱帯なので水さえあれば二期作は可能であるが,あいにくネパールの川は南北方向に流れており,灌漑農業のできる地域は限られている。しかも,乾季の今は一部を除き川の水も枯れかけている。

マヘンドラ・ハイウェイ(東西ハイウェイ)

周辺の農家はほとんどが土壁である。裂いた竹を編んで芯を作りその両側に土を塗り固めていく方法である。11時頃にようやくまともな道に出た。この道はマヘンドラ・ハイウェイ(東西ハイウェイ)と呼ばれており,タライ平原を横断するネパール最長の国道である。さすがに片側一車線はちゃんと確保してある。舗装状態も悪くない。

わずかな草は家畜の飼料になっている

雨季を待つ水田に生えるわずかな草は家畜の飼料になっている。かってはマラリアがはびこっていたため開発が進まなかったタライも現在ではほとんど開発されてしまった。ネパールではこれ以上農地を増やす土地はないにもかかわらず,人口増加圧力はまだまだ強い。今後増加する人口をどのように養っていくのかが深刻な問題となっている。

巨大な堰の上に道路が走っている

15:00頃大きな川を渡る。この少し北側でアルン川と2本の川が合流して平野部に流れ込んでいるので川幅が1kmほどもある。ネパールのカリガンダキ川はヒマラヤを切り裂いて流れる川として有名である。6500万年前にアジア大陸とインド亜大陸が衝突し,ヒマラヤ山脈が次第に高度を上げていった時代に,カリガンダキ川は南北方向に山脈を切り開き,深い谷を削りながらチベット高原からネパール側に流れ下ってきている。アルン川もチベット高原に源をもち,ヒマラヤを切り裂いて流れ下ってきている。

堰の先は白い砂地の地域を一直線に道路は続いている

ここに架かっているのは橋ではなく堰である。この豊かな水を農業に生かすため巨大な堰を造り,水を配分しようとしている。ここはほとんどインドとの国境なので,ネパールにとっては最後の水調整部ということになる。現在も堰の一部が建造中である。

バスを降りて歩いてみたい景色が続いている。堰の先は白い砂地となっており,砂漠のような風景である。そこを貫くように一直線に道路は続いている。

日本では白砂青松と云われるように白っぽい砂は珍しくない。珊瑚礁の島を除き,日本の白い砂は花崗岩由来のものが多い。花崗岩は火山活動と関係が深いので日本では豊富に存在する。花崗岩は石英,長石,雲母などからなり,最も風化しやすい雲母が失われ,残りの石英や長石は遅れて風化され,白っぽい砂になる。

ところが,ネパールの川の源になるヒマラヤ山脈は浅い海の地殻がインド亜大陸の衝突により持ち上げられたもので,花崗岩質に乏しい。にもかかわらず,ネパールに白い砂がまとまってあるのはどうしてという疑問につながる。

空模様が怪しいなと思っていたら16時を過ぎた頃から雷雨となった。雷雨になったというより雷雨の地域に入ったという方が正しい表現である。マヘンドラナガル・ハイウェーから分かれて北に向かう道に入る。道路の周辺は豊かな森になっている。自然林にも見えるが人の手が入っているのかもしれない。雨のために緑がずいぶん鮮やかに見える。

ホテル・アーンガン

17:00,見込みよりも1時間遅れでダランに到着する。町の規模はジャナクプルと同等である。バスパークの北側にたくさんのワゴン車が並んでいる。幸いなことに雨は上がっていた。

バスパークから西に歩き出し,橋を渡り600mほどでホテル・アーンガンが見つかった。受付で「350Rpの部屋はありますか」とたずねると,おばさんの返事は「400Rpになっているよ」であった。「でも,シングルなら350にするよ」と彼女は続けた。

3階の部屋は8畳,2ベッド,机とイスが付いており清潔である。部屋としてはスグ・サガールよりだいぶ良い。しかし,トイレとシャワー室は外にあり,値段を比較してもバックパッカーならスグ・サガール(200Rp)を選ぶだろう。白くてきれいなシーツは久しぶりだ。

バヌ・チョーク

町の中心にはバヌ・チョークである。この交差点の南西がバスパーク,北西がワゴン車乗り場,北東に時計塔,南東に屋台が並んでいる。ワゴン車乗り場の広場ではストライキを総括する集会が行われており,大勢のストライキ参加者が集まっている。その外側には一般の見物人が取り巻いている。近くには4段位なったチョウタラがあり,そこにも見物人が集まっている。

チョークの北側にはランドマークとなる時計塔がある

チョークの三角地帯にはライチの露店があった。値段を聞いても分からないので10Rp札を出すと7個くらいがついている枝が渡された。地元産の果物はこんなに安いのだ。味はりっぱなものであった。

皮を半分むき,押し出すようにして口の中に入れる。ライチーのさわやかな甘みが口の中に広がり,歯で種の周りの果肉をそぎ取りいただく。行儀は悪いが残った枝と皮は露店の前に残しておく。この一角は昼間の時間帯はコーチ乗り場の一部となっており,夕方からは屋台が出る。

屋台でオム焼きソバをいただく

夕食はバヌ・チョークの西側に出ている屋台でオム焼きソバをいただく。値段は20Rpと地元価格である。この料理は焼きソバをオムレツでくるんだものであり,チリソースがかかっている。焼きソバの味付けは悪くはないがすぐにあきるものだ。なんとか一皿を平らげる。帰り道で鳥の照り焼きを食べるつもりであったが,食べられる状態のものは焼き過ぎ状態であったのでやめる。ちなみに手羽が40Rp,モモの半分が60Rpであった。

露店の売り物

ヒレ(06:45)→ダラン(08:00) 移動

ヒレに2泊してから,ダランに戻ってきた。荷物をもって急な階段を下りる。会計のおばさんに挨拶してチェックアウトする。バザールの北側にダラン行きのコーチ乗り場があり,簡単に捕まえることができた。5列シート,定員は15人のコーチである。出発時は運転手と車掌を入れて20人が乗っていた。僕は荷物の関係で最後尾に座ったが4人目は10歳くらいの子どもを連れた女性でひどく狭苦しい思いをすることになった。最大乗客数は24人を越えていた。

ネパールの農家は二階がテラスになっているものが多い

ヒレのあたりの標高は「サフランモドキ」にとって快適な環境なのだろう。道路わきのあちこちに大きなピンク色の群落がある。景色の良いところで写真を撮る。

バスよりは振動が少ないので何枚かはまともに撮れたろう。それにしてもきゅうくつで,横Gに対して足で体重を支えていなければならない。2時間足らずで60kmの山道を走りきりダランに到着した。なじみの時計塔の向かいのミニバス乗り場である。

ダランのバザールはけっこう大きい

ホテル・アーンガンまで歩き同じ部屋にチェクインする。腹具合が良くないので1時間ほどベッドで横になる。なんだかとても疲れている。下痢をすると体力が失われるというのでそのせいかもしれない。町の写真を撮りに出かけるが,腹に力が入らないので足取りは重い。ガイドブックにあるレストランのスイート・ハートは見つからなかった。

バスパークの少し西側に「Silang Kitchen」の看板が見える。ここで豚のモモをいただく。70Rpで味は悪くない。ただし,改装中のため騒音がひどい。この食堂の1階はスーパー・マーケットになっているので,非常食を買い求めておく。

バザールには華やかな女性服の店が多い

バザールを少し歩いてみる。ガイドブックにあるように確かに華やかな女性服を飾ってある服装店が多い。しかし,腹具合が…,下痢止めはほとんど効いていない。それほど下痢圧力は強いということだ。宿に戻り横になっているのが一番だ。

金物屋にはヒンドゥー神と仏像が並べられている

夕食は「Silang Kitchen」でパスタ・ナポリターナを注文した。これはひどい食べ物であった。茹で過ぎてぐちゃぐちゃになったきしめんにトマトソースらしきものがかかっている。食感の悪さはひどいものだ。半分も食べられず130Rpをどぶに捨ててしまったようなものだ。まともな食事はインドに脱出してからいただくことにしよう。


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