亜細亜の街角
■酷暑の聖地は訪れる人も少ない
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バナーラス  (地域地図を開く)

この都市の名前はどのようにカタカナ表記したらよいものか悩んでしまう。英語表記が「Varanasi」なので,これをそのまま音にすると現地の発音とは異なってしまう。ちょっと調べただけでも次のものが出てくる。
・ワーラーナシー(これが現地発音に近いという)
・ヴァーラーナスィー
・バラナシ
・ベナレス(英語表記の誤読から)
・バナーラス(現地語の別名に由来)

ということでこの旅行記では比較的覚えやすい「バナーラス」と表記することにする。バナーラスはウッタル・プラデシュ州にあり,人口は約116万人である。「3000年以上の歴史をもつヒンドゥー教の聖地の中の聖地」といわれているが,インドでヒンドゥー教が成立したのは4世紀の頃である。

紀元前10世紀といえば中央アジアからアーリア人がパンジャブ平原に進出し,さらにガンジス平原に勢力を広げていた時代である。

アーリア人の自然崇拝の宗教から発展したバラモン教は神々に対する祭祀を重要視していたので,バナーラスのある地域の自然環境がバラモン教の聖地としての条件に合致していたのであろう。

そこは北東から流れてきたガンガーが緩やかな弧を描きながら南に進路を変えるところである。この地形の西側が聖地となっているので,ガンガーの対岸から朝日が昇る地形が一つの重要ポイントであった。

この街の近くでヴァルナー川とアッスィー川がガンガーに合流している。ワーラーナシーという地名は,「ヴァルナーとアッスィーに挟まれた街」に由来するとされている。

紀元前6世紀から5世紀頃,カーシー国の都として繁栄した。その後は重要な聖地の町として北インドの強国あるいは統一王朝の支配下におかれた。

バラモン教がインド土着の神々を吸収して(されて)ヒンドゥー教に変わっていく中で,バナーラス周辺のガンガーが三日月形をしていることから,月の神を吸収した「シヴァ神」の聖地となっていった。

12世紀から北インドに進出してきたイスラム勢力によりバナーラスは何回か征服あるいは破壊を受ける。16世紀に成立したムガール帝国の時代にも宗教寛容策(アクバル帝)と偶像崇拝禁止(アウラングゼーブ帝)が交錯し,再建ののちに多くの宗教施設が破壊された。そのため,現在見られる建物の多くは18世紀以降のものである。

イスラム教とヒンドゥー教のあつれきは「ヴィシュワナート(世界の王)寺院」に見ることができる。ここはシヴァ信仰の中心であったが,アウラングゼーブ帝により破壊され,その跡地にはモスクが建てられた。

その後,18世紀にモスクの一角に金箔で覆われた黄金寺院が建設された。しかし,この一角は(宗教対立を引き起こさないため)厳重に警備されており,写真も自由にはならない。黄金寺院もヒンドゥー教徒以外は入ることができないので,向かいの建物から覗き見ることになる。

現在のバナーラスは年間100万人の巡礼者が訪れる大聖地である。「バナーラスでガンガーの沐浴をすればすべての罪は許される,バナーラスで火葬され遺灰をガンガーに流してもらうと輪廻から解脱できる」,ヒンドゥー教の教えは極めて単純明快である。

出家と法を守る修行の果てに悟りや解脱があるとした仏教とはまったく異なる考え方である。インドではこの単純さが民衆の支持を受け,ヒンドゥー教が仏教を圧倒することになる。

バナーラスのガートは6kmに渡って続いている。そこにはマニカルニカーとハリスチャンドラという二つの火葬場が設けられている。二つの火葬場は同じ一族がとりしきっており,そこで働く人々も世襲的な職業となっている。

多くの人々がここで死に,荼毘にふされることを願っている。旅行者も街中の路地で遺体を運ぶ人々の行列を目にすることになる。ヒンドゥー教では葬列に参加できるのは男性だけであり,かれらは金糸の縫い取りのある布で遺体をくるみ,戸板のような専用の道具に乗せて運んでいく。

ボーダガヤ→バナーラス 移動

ボーダガヤ→ガヤ駅(13:00)→ムガルサライ(17:20)→バナーラス(18:10)と270kmを列車と乗り合いリキシャーで移動する。移動費用は(10+70+15Rp)であり,指定無しの列車は本当に安上がりだ。

ガヤ行きの乗り合いオートリキシャー(10Rp)は6人が乗り,しかもサスがほとんど効いていないので速度を出せない。ガヤの町に入ると(裏通りのせいか)道は悪いし,両側はゴミ捨て場状態である。インドでもこれほど汚い町は見たことがない。

ボーダガヤにも予約センターがあり,そこでお願いしたら希望の列車は取れないと断られた。ガヤ駅には指定席の窓口はなく乗車券(70Rp)だけを買う。それだけでも長い列に並び,横入りの人々と戦うことになる。

インフォメーションの窓口で相談すると,100+αで指定がとれるという。100は車掌に,+αは彼の業務外手当てだというのでお断りした。

列車が到着し,いざとなれば車内で指定を買うつもりで2等とおぼしき車両に乗り込む。十分に席はある。しかし,車掌が検札にやってきて,「この車両はアッパー(1等)でムガールサライまでは307」だと言う。

それは高すぎるので次の停車駅2等の車両に移動する。さすがに混んでおり15分ほど立っていると近くの座席があいた。

ちなみに,インドの鉄道のクラスは大きく次の6つに区分することができる。僕が移動した車両は「エアコンなしスリーパークラス」である。クラスにより料金は20倍くらいの開きがあり,クラスとそれを利用する社会的階級は密接な関係がある。

●エアコンつきファーストクラス(AC1/1A)
 2名×2段の寝台で内側から鍵のかかる個室,寝具付き
●エアコンつき2等ベンチシートクラス(AC2/2A)
 2名×2段の寝台,寝具付き
●エアコンつき3等ベンチシートクラス(AC3/3A)
 2名×3段の寝台,通路とは仕切りがない,寝具付き
●エアコンなしファーストクラス(First Class/FC)
 2名×2段の寝台で内側から鍵のかかる個室
●エアコンなしスリーパークラス(Sleeper Class/SL)
 2名×3段の寝台+通路に沿って2段の寝台
●予約不要のセカンドクラス(Unreserved 2nd class)
 板張りベンチシート,座席指定はない。

ムガールサライ駅とバナーラス駅は乗り合いオートリキシャー(15Rp)が走っている。バナーラス駅でリキシャーに乗り,地図を見せて「Pushkar GH」に行くように頼んだ。しかし,着いたところはガンガーから1kmほど離れた「Old Yogi Lodge」 であった。

Old Yogi Logde

Old Yogi Logde の部屋(80Rp)は6畳,2ベッド,T/S共同で清潔である。ただし,受付スタッフの態度はひどく良くないし,食事は高い。部屋の2面に窓はあるものの,風が入らないのでとにかく暑い。

床にバケツの水を3回まいても温度は下がらない。明け方になると外はけっこう涼しいのに,部屋の中は建物の熱気のため温度が下がらないようだ。ときどき停電が発生する。明らかに地域の発電所の設備容量不足である。日に数回,合計すると3時間くらいは止まっているようだ。

ファンが止まると部屋の中にはとても居られなくなる。したがって自動的に起床ということになる。バナーラスの大通りを東に歩くと1kmほどでガンガーに出る。

大きな木の下には小さな祠がある

観音開きのチャーイ屋

ダシャーシュワメード・ロードの風景

坂道を下るとガンガーが見える

供物を売る店は5年前と同じだ

ガートの風景

ガートの手前にはチョークと呼ばれるちょっとした交差点があり,そこからガンガーに続く坂道があり,最後は石段を下りてガートに出るようになっている。ガンガーが近くなると供物にするための花を売る露店が並ぶようになる。

これらの花はガンガーに流すのではなく,ガートの至るところにある寺院や小さな祠にある神々に捧げられるものである。そのため,祀られている神々の回りはいいつも花が溢れている。

石段のところにはサドゥーなのかおもらいさんなのか多くの人が並んでいる。200年に来たときは,彼らのためにルピーをパイサ(1Rp=100パイサ)に両替するところがあった。

なんといっても,もらおうとする人がたくさんいるので,1Rpづつあげるわけにはいかないということだ。5Rpを10パイサ硬貨50枚と替えてもらうと最大50人にあげることができる。

乾期の今は川幅は狭く,対岸の砂地がずいぶん近くに見える。酷暑の時期のせいか巡礼の人も少なく,ガートで沐浴する人も少ない。気のせいか5年前に比べて水質はきれいになっているように感じる。これなら水に入っても大したことは起きないだろう。

5年前とほとんど変化の無いバナーラスのガートであるが,やはり少しずつ変わっている。川岸のボートの数がずいぶん増えている。川岸を歩いているとボート屋からさかんに声がかかる。マッサージ屋も5年前と同じように声をかけてくる。

乾期のバナーラスの暑さは厳しい。宿から持参した500CCのペットボトルは午前中で空になる。メインガートの寺院横にあるお店で冷たい水のボトルを買い求める。これは甘露だ。この日は1リットルのボトルを3本飲んでしまった。合計36Rpは1-2食分の食費に相当する。

対岸は不浄の地?

5年前と変わったこと,それは人々がガートの対岸に行き沐浴することだ。確か対岸は「不浄の地」とされ,人々は近寄らなかったはずだ。それが今ではたくさんの船が出ている。

対岸に渡る家族があり,船頭が一緒に乗りなよと言うので乗り込む。船が岸から離れるとガートの建物の正面からの写真が取れる。係留されているボートが多すぎて沐浴の風景はあまり見えない。対岸に着くと一家は水遊びに興じる。僕はのんびりと船の上からあたりを眺める。

川から見るダシャーシュワメード・ガート

増水期に備えて高い石段となっている

ガート上部の風景

葬儀の喪主は頭を剃る慣わしがある

油で揚げる

チャーイの容器は素焼きの使い捨てになりつつある

バナナを運ぶ

シヴァ神を祀ったお堂

この少年はチャーイ屋の雇われ店主であろうか

サルナート

午後はカント駅から乗り合いオートリキシャーでサルナートに向かう。サルナートは悟りを啓いたブッダが,かって一緒に修行をしていた5人の修行者に,初めて自分の覚った真理を語った場所である。そのとき鹿たちが一緒に聞き入ったという。

この初転法輪の地はちょっとした観光地になっている。1500年前,この場所には多くの僧房とストゥーパが立ち並んでいた。しかし,イスラム教徒の進入により完全に破壊されてしまい,建物やストゥーパの基壇の部分だけが残されている。

小さなストゥーパに彫られた仏像の顔は削られている。卵を立てたような特異な形状の大ストゥーパは破壊を免れていた。

大ストゥーパは破壊を免れたが・・・

故事にちなんで鹿の公園がある

故事にちなんで鹿の公園があり,金網越しにエサをあげることができる。7-8歳の少年が鹿のエサになるキューリの皮を売りに来ている。彼の言い値は5Rpであるが2Rpで十分だ。

指を2本立てて英語で2Rpと言うと,彼は家に戻り,もっとたくさんのキューリの皮を持ってきた。彼の熱意に負けて5Rpを支払う。鹿はこのエサに慣れており金網越しに投げ入れるとどんどん寄ってくる。

ジャイナ教の寺院

ムルガンダ・クティー寺院

サルナートの近くにはスリランカの富豪が寄進したムルガンダ・クティー寺院がある。広い敷地の中にある変わった外観の寺院である。長方形の建物の上にマハボーディ寺院を乗せたようなスタイルだ。僕が訪れたとき門は昼休みのため閉まっていた。

13:30になって大きなカギで大きな錠前をが開けられた。内部にはみごとな壁画が描かれている。誕生,スジャータから乳かゆを受け取る,悟りをジャマする魔物...,現代的な壁画もなかなか見ごたえがある。この壁画は第2次大戦前に日本人画家の野生司香雪が描いた作品である。

マハーボーディ寺院のミニチュア

スイカはおいしいかい

マニカルニカー・ガートを巡るトラブル

夕方にマニカルニカー・ガート(火葬場)を見に行く。写真撮影は(一応)禁止されている。近くに行くと7ヶ所で荼毘の炎が上がっている。燃え上がる炎は7つの魂を天に戻そうとしているようだ。

カメラをしまっておけば炎の暑さを感じるところで見学していても何も言われない。火葬場のすぐ両側はガートとなっており,そこでは巡礼者が沐浴をしている。彼らにとっては火葬場はガートの一部であり,特別な場所ではない。

ここでは,観光客に対して「貧しい人々の火葬のため薪代をあつめている,いくらか寄付をしてもらないか」と寄ってくるだまし屋も多い。そんなときは「ガイドブックにあんたのことは書かれているよ」と言うとすぐに立ち去る。

一つの火葬が終わるとすぐに次の準備が始まる。井桁に組まれた薪の上に飾り布にくるまれた次の遺体が置かれる。この火葬場はほとんど休むことなく火をたき続けており,ここで働く人たちは交代制で火葬の要求に応えている。

輪廻転生を信じるヒンドゥー教においては,肉体は魂の入れ物に過ぎない。そのためヒンドゥー教徒は墓をもたない。ガンガーの川べりで火葬された遺灰は,そのまま河に流される。

ガートにはたくさんの小舟がつながれており,観光客を相手に1時間50-100Rpくらいでガンガーの岸辺を往復してくれるので河からガートを眺めることができる。

しかし,個人的にボート屋と料金交渉をするのは大変であり,一人で乗り込んだら河の上で料金交渉が再び始まるような事態も起こりうるので,乗り合いの船にしたほうがよい。

僕は30分25Rpでボートに乗り,河から火葬場の写真を撮ったら,船頭は火葬場の岸にボートを着け,屈強な男4人が乗り込んできた。彼らの言い分は「この火葬場は写真禁止である,警察に行けば何日間かは留置されることになる。それが嫌なら2000Rpの罰金を払え」と脅された。

一応,火葬場の写真は認められてはいないけれど,船からはインド人の観光客を含め自由に写真を撮っている。僕がそのように抗議しても彼らはまったく聞く耳をもたない。なんといっても船の上では圧倒的に分が悪い。しかも相手は船頭を入れて5人である。

理不尽な要求と分かっていても仕方がないので,サイフに入っていた800Rpを渡すと岸に着けて解放してくれた。バナーラスでは相当数の旅行者が行方不明になっているというので,トラブルに対してあまり抵抗しないほうが良かったにちがいないと自分を慰めている。

夜のプージャ

太陽が沈むと川面は急速に暗くなる。ガートは照明されているので明暗が大きくなる。巡礼者の流す灯篭が暗い水面でゆらめいている。水面に漂う小さな灯りは,あたかも荼毘にふされた魂がさまよっている様にも見える。

ガートの照明が一部消され,夜のプージャが始まる。バラモンがマントラを唱える。彼らの声は高く低く,静寂の中を響き渡る。マントラは日本語でいう真言にあたり,霊的な力をもっていると信じられている。

米国在住のインド人のエクナット・イーシュワランはその著書「スローライフでいこう,ゆったり暮らす8つの方法」の中で,次のように記している。

「心をスローダウンさせるもっとも実用的で,即効性のある手段は,インドでマントラと呼ばれているものです。マントラは心の働きをスローダウンさせ,心を苦しめる問題からその大いなる力で気持ちを引き上げてくれる霊的な言葉のことです。

マントラは,心の速度にブレーキをかける効果があります。怒り,不安,心配,貪欲などで心が疾走しているとき,マントラを唱えればスローダウンさせられます」

別に長くなくてもよく,自分に適したマントラをもち,必要なときにそれを唱えると心をクールダウンできるという。忙しさのあまり他の人の気持ちを押しのけてしまうような気持ちになったら,自分流のマントラを唱えてみるのがよい。

もっとも,僕は自分ではなかなかそれが実行できなくて,例えばスーパーのレジで少し長く待たされただけで怒り出したい気分になってしまう。知識として知っていることと,実際はそれを実行することとはまったく別物である。プージャの舞台の上では灯明をバラモンがガンガーに向かってゆっくりと動かしている。おそらく,3000年間変わっていない儀式であろう。

朝一番の沐浴に訪れる人は多い

少し上流のバーンディー・ガート周辺の風景

子どもたちに出合う

お昼頃のガートの風景

下流側のマーラヴィーヤ橋

表通りはとても混雑している

商店にとっては自家用発電機は必需品である

たくさんのポリタンクが売られている

ガートの裏手は迷路のようになっている

サドゥーであろう

早朝からチャーイ屋で新聞を読む

プージャというより説法のようだ

家族ぐるみでガンガーに詣でる

新婚夫婦が寺院に詣でる


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