フェニはクミッラとチッタゴンの間にある小さな町だ。特に見どころがあるわけでは無いので,旅行者が訪れるようなところではない。町のたたずまいも,他と変わらない。
変わった模様の入ったモスクのドームがあり,その尖塔が町のランドマークになっている。こんな町でも人々の生活があり写真の題材には事欠かない。地図も情報もないので適当に歩くことにする。
フェニに泊まる予定はなかったのに,2回も泊まることになった。こういうのを「縁がある」というのだろう。最初はスリモンゴルからチッタゴンに移動するとき,夜になってしまった。夜行は嫌いなのでフェニに泊まる。
2回目はチッタゴンからノアカリに行ったけれど,まともな宿泊施設が見つからなかったのでフェニに避難するすることになった。こうして,予定の無いフェニに2回も泊まることになった。そのため移動の記事も2回分となっている。
スリモンゴル(250km)→フェニ 移動
スリモンゴル(12:55)→コミッラ(17:20)→フェニ(19:10)と列車で移動する。この列車はシレット始発のため,スリモンゴルを出るのは昼過ぎになってしまう。
宿をチェックアウトして駅に向かう途中で昼食をとる。2日ないしは3日に1回の移動日はどうしても食事がおろそかになる。移動日にちゃんと食べておくことは体調維持のために重要なことだ。
駅に着くと手前の車線には貨物列車がずっと停まっており,フェニ行きは2番線だと教えられる。そこはコンクリートのたたきになっているだけでおよそ列車のホームとは思われないところだ。
定刻の少し前からそこで列車を待つ。何か合図があったのか,乗客が線路を越えてこちらにやってくる。親切な乗客に車両番号と座席番号を教えてもらい一安心である。
列車は7分間の停車で再び動き出した。スリモンゴル周辺に茶園が多い。高さ50mほどの丘はパイナップルやゴム園になっている。丘が途切れると一面の緑の水田風景になる。ため池の水は使い果たされ,地下水を汲み上げるポンプ小屋を結んで電柱が立っている。
乗客とのふれあい
列車内では物売りがひっきりなしにやってくる。同じボックスの乗客がキューリを買い求める。日本のものより短く,ずっと太い。色も緑というより黄色に近い。売り子はその場で皮をむき,軸方向に2回ナイフを入れ塩をふりかける。塩は天然塩のようで少し茶色に染まっている。その場で皮をむくので一応安全な食べ物に分類される。
彼は1/4のスティックを僕に差し出す。ありがたくいただくとなかなかおいしい。これは食べる価値があると,最初にキューリ(2タカ),しばらくしてからニンジン(2タカ)を2つずついただき,周囲の乗客におすそ分けする。
バングラデシュでは列車に乗るとき1タカのコインをたくさん用意する必要がある。身体の不自由な人々がダカート(喜捨)を求めてやってくるからだ。イスラム社会では貧しい人々を助けるのはコーランに基づいた行為であり,列車内の人々もよくコインを手渡している。
ぼくも,この国を旅行させてもらっている感謝の気持ちでコインを渡している。列車は19時を過ぎてようやくフェニに到着した。チッタゴンまではさらに3時間ほどはかかりそうなので,今日はここで1泊することにする。
チッタゴン→ラクシャム→ノアカリ→フェニ 移動
チッタゴン駅(08:10)→ラクシャム(11:00)→ノアカリ(13:10)→フェニ(15:10)と約200kmを列車とバスで移動する。チッタゴン駅で駅員にホームを確認し,指定の車両を探す。ホームがとても長くて150mは歩かされた。
車両は2+2の一列4人掛けである。列車がホームにいる間,窓越しにいろんな人がやってくる。水売りには何回もボトルを持っていることを示した。身体の不自由な人や老人には喜捨をする。
英語を話せる青年もやってきた。しばらく話をしていると発車時間になり,彼はとなりの席に移動してきた。彼との話の中で印象的だったのは「この国の抱える問題」であった。
彼は「通信手段」だという。僕は「人口問題」だと指摘した。彼は世界一の人口密度についてはさほど関心は無いようだ。他にもダウリ(花嫁の持参金)の習慣,政府の役人になるためのワイロなどけっこう楽しめた。
彼はフェニで下り,次の青年が現れた。僕が「ラクシャムで降りノアカリに行く」と言うと,一緒に下りてバスを教えてくれた。さすがに本数が少なく30分ほど待たされた。彼と彼の友人たちの見送りを受けてバスは出発した。
ノアカリには宿が望めそうになかった
そうして到着したノアカリは県庁所在地にもかかわらずとても小さな町だった。ホテルは1軒だけのようだ。そのホテルも3時までは開かないという。さすがにここに宿泊するのはあきらめて,前に泊まったことのあるフェニに行くことにする。
フェニ行きのバスは30タカの料金にもかかわらず80分もかかった。途中で水田のきれいなところがたくさんあったので,明日はこのあたりの農村を見に行こうと考える。
フェニのBSからホテルまではバスで横に坐っていたおじさんと一緒にリキシャーで行く。彼はどうしても料金を受け取らない。外国人や旅行者に親切にすることは,この国のとてもいい一面を示している。一方で外国人に過度の興味を示し,写真を撮れと強要する人もいる。いろいろな人と触れ合うのがバングラデシュの旅なのだ。
Hotel Gazi International
さてフェニの町には泊まるところがあるのかなと心配しながら駅舎を出る。時刻は19時をだいぶ回っており,駅前の通りは暗く不安が大きくなる。ホテルの看板を見つけ中に入ると,どうもここには外国人は泊まれないようだ。
「他にホテルはありませんか」とたずねると「Hotel Gazi International」を教えてくれた。リキシャーに乗りホテルに向かう。しかし,彼も場所がよく分からず,何回も人に聞いてようやく宿に到着した。距離は1kmほどであるが,時間がかかったせいか彼は8タカを要求した。
Gazi International はビルの3階にあり,受け付けもしっかりしている。部屋は8畳,2ベッド,机,蚊帳,T/S付きでまあまあ清潔である。夕食がまだだったので宿の近くをチェックし,利用客の多い食堂でマトンカリーをいただく。ここのカリーの値段はスリモンゴルと同じ33タカであった。
フェニの町は活動を始めている
06時過ぎに起床した。ファンと蚊帳のおかげで快適な夜であった。大きな通りに面しているけれど,22時を過ぎると騒音は少なくなりよく眠れた。早朝のテラスから眺めるとリキシャーの洪水である。
この町にもたくさんのリキシャーが走っており,子どもたちの通学の足としても利用されている。3人の子どもが乗っているリキシャーがある。リキシャワラーが漕ぎ出す前に失礼して一枚撮らせてもらう。
幌がじゃましてちょっと暗い写真になる。画像を見せてあげる暇もなくリキシャーは動き出す。「Thank you, by-by」と声をかけてお別れする。彼女たちもバイバイと挨拶を返してくれる。
賃仕事を求めて人々が集まる
町の中心の交差点の近くに大勢の男性が集まっている。柄の短いクワとカゴを用意しているところをみると,日雇い労働者のようだ。彼らは毎日このあたりに集まっているようだ。
この小さな町で彼ら全部に日雇い仕事があるとは思えない。彼らから少し離れたところに3人が腰を下ろしていた。ここだけ周囲と空気がちがっていたので一枚とらせてもらう。
今日の朝食はここにしよう
昨夜の店は07時前からちゃんと営業している。朝食メニューは薄いナン,オムレツ,チャーイの組み合わせ(10タカ)しかない。
道路わきにある巨大な木
メインストリートには目立つものが2つある。一つはモスクの尖塔である。その下には星の模様の入ったモスクのドームがある。もう一つは,道路わきにある巨大な木である。
インド圏ではよく道路沿いに巨木がある。この木も幹は道路脇にあるものの,枝は道路を完全に覆っている。枯れた枝が落ちるなどして交通の妨げになる。それでも枝の一部が切られることはあっても,本体は伐られることはないだろう。
これくらい大きな木になると「精霊が宿る」と信じられているからだ。西ベンガルでは根本にヒンドゥー神の祠が作られることが多い。ここはイスラム社会であってもベンガル人の国だ。人々の感情の根底にあるものは同じであろう。
ストップ・ザ・エイズ
街の広場に人が集まっていた。舞台の上では芝居が行われている。劇の内容は分からなかったが垂れ幕のシンボルは見覚えがある。ユニセフ主催の「ストップ・ザ・エイズ」キャンペーンである。
南アジアではエイズの拡大が深刻化している。インドのエイズ感染者数はおよそ800万人,新規感染者が急増しており,深刻な社会問題になっている。適切な感染防止対策がとられないと数年で倍増すると警告されている。ここバングラデシュでは,ほとんどの人がエイズの正しい知識をもっていないので,このようなキャンペーは拡大防止の役に立つにちがいない。
フェニ駅の近くで
フェニ駅に行き,窓口にメモを出してダッカに戻るキップを買う。ついでに駅の周辺を歩いてみる。線路の脇には小さな露店が並んでいる。衣類,生鮮食品...,どれも小さなもので,これで生活していけるのか不思議だ。
踏切が閉まり,だいぶ経ってから貨物列車がやってきた。さすがにジーゼル化されている。機関車の後ろは貨物車が延々と連なり,最後尾は見えない。
農村を見に行く
ノアカリとフェニの間には水田のきれいなところがたくさんあったので,お出かけしてみることにした。前回と同じ店でロティ,目玉焼き,チャーイの朝食をとったた13タカであった。前回より3タカ高い。バングラデシュでは同じところで同じものを注文しても値段の異なることがよくある。まあ,3タカの差なのでご愛嬌である。
リキシャーで町の中心部からBSまでは5タカの協定料金のようだ。しかし,1kmをだいぶ越える距離だったので8タカを払う。余分にもらった時のリキシャーのおじさんの表情がとてもよい。これにつられて帰りも8タカを払ってしまった。
感じの良い並木道があったので下車する
BSからノアカリ行きのバスに乗る。行き先は分からないのでとりあえず10タカを払っておく。バスの中は暑く後ろの席の幼児が声を上げて泣いている。となりの席のおじさんが僕のサブザックの横に入れてある水のボトルを指差し,それを後ろに回せというようなそぶりを見せる。
なるほど,喉が渇いて泣いているのかと分かり,ボトルを抜いて後ろの母親に回す。彼女はボトルのフタを使って上手に子どもに水を飲ませている。
モーラビッシで下車した。特にこの村を知っていたわけでなく,風景の良さそうなところで降りたら,そこがモーラビッシであった。道路の両側な並木になっており,道路上に覆いかぶさるように伸びている枝がちょうどよい木陰を提供している。
南側には水田とレンガ工場が見える。北側には畑と水田が混在している。絵に描いたような農村風景である。道路わきに小さな集落があり,小さな商店が数軒ある。
まず南側を歩いてみる。乾期米にはすでに実が入り,収穫まであと1-2ヶ月というところだ。イネはおよそ20cm間隔で植えられており,穂の出かたもよい。これだけの面積の水田なら十分に地域の人々を養えると思わせるようなすごい風景である。これはまさしく黄金のベンガルのイメージである。風が吹くと稲がゆれ,微妙にそのあたりの色彩が変化する。ここでは風が見えるのだ。
村人から写真の要求にはちゃんと応えるようにしている
水田を前景に屋敷林を後景にして,黄金のベンガルのイメージを演出して写真を撮ってみる。外国人が珍しいのか人々が集まってくる。子どもたちを選んで写真を撮り,画像を見せてあげる。大人たちの警戒心も薄れ,子どもと一緒に撮ってくれという希望者が続出する。
村人のお見送り
このような具合でいくつかの集落を訪れ人々,あるいは周囲の風景を撮る。ある集落では,集落中の人々が集まってきた。しかし,働き盛りの男性の姿は見えない。女性たちの服装はサリーが多い。写真のお礼にフーセンを1個ずつ子どもたちにあげると,集落の境界まで総出で見送ってくれた。ちょっと,気恥ずかしい。
レンガ工場
レンガ工場が近づいてきた。荷車を引いたトラクターが10mほどの小山に上り,その頂上で荷車の粘土を吐き出す。もちろん手作業である。下ではクワやスコップをもった男性たちが水と粘土をこねている。この粘土はその後ろのお釜で機械的に再度こねられ,型押し工程に回される。
型で四角になった粘土は日干しにされ大きな煙突の周りに積み上げられる。熱や煙を通し易くするため,内部には空間が設けられているようだ。すでに前のロットは上から土砂でふたをされ火が入っていた。言ってみれば日干し煉瓦の蒸し焼きである。内部の火力調整のため2mほどの間隔で穴が開いており,僕が見たときは鉄のふたが置かれていた。
民家に避難する
道路を横切り北側を見ることにする。大勢のギャラリーが付いてくるので,とてもじゃまになる。道路わきの家にため池があり,子どもたちが遊んでいた。家の敷地内に入ってもギャラリーが付いてくるので,家の主人にお願いしてお引取りいただいた。
池で遊んでいる子どもたちに近くに来てもらって写真を撮り,お礼にヨーヨーを作ってあげる。ヨーヨーはさすがに人気がある。製造工程を見られることも人気の人気の一因である。
子どもたちが喜んでくれるのはうれしいが,希望者が多く苦労する。小さな子どもはヨーヨーは無理なので,バングラデシュ製のフーセンにする。
このあたりの住民は写真に対するアレルギーはない。僕はイスラムの国では女性の写真は遠慮するようにしている。ここでも子どもの写真を撮り,母親に画像を見せていた。
しかし,画像を見た母親たちは自分の子どもを抱き上げ,「私たちも撮って」と強要するではないか。僕として異論は無いので何枚か撮る。風景,人々,子どもたち...,気が付くと手持ちの2個のコンパクト・フラッシュはいっぱいになっていた。
嵐の夜
ダッカに移動する前の夜はひどい嵐であった。日記を書き終えた20:30頃から停電し,同時に雨と風がやってきた。あわてて,トーチを取り出して窓を閉める。
暗くなった町を稲光が照らし出す。ストロボのように間断なく空が光る。大部分は雲と雲の間で放電しており,音は聞こえない。しかし,ときどき地上に達すると見事が光が走る。そして,さほど遅れることなく雷鳴が響く。
嵐は1時間ほどで終わり,22時前には電気も回復した。ヤレヤレと思ったら,再度停電である。窓を開けてそのまま寝ることにした。夜半過ぎに再び風が吹き出し窓を閉めた。3月の終わりだというのに,もうモンスーンが来たような夜であった。