フンザ (地域地図を開く)
カリマバードを中心とするいくつかの渓谷が集まった地域をフンザと呼ぶ。標高は2500m,背後にはウルタル峰がそびえ,村は山の斜面に造られた水路により,緑の多い谷となっている。
特にピンクのアンズの花が咲く春は,まさに桃源郷となる。フンザは長寿の里としても知られているが,残念ながらこちらの方は,統計的な根拠はない。人々はイスラム教の一つである,イスマイル派を信仰している。
カリマバードを中心とするいくつかの渓谷が集まった地域をフンザと呼ぶ。標高は2500m,背後にはウルタル峰がそびえ,村は山の斜面に造られた水路により,緑の多い谷となっている。
特にピンクのアンズの花が咲く春は,まさに桃源郷となる。フンザは長寿の里としても知られているが,残念ながらこちらの方は,統計的な根拠はない。人々はイスラム教の一つである,イスマイル派を信仰している。
宿の前で乗り合いのワゴンを待つ。道路はKKHしかないのけれど一応,運転手に行き先を確認し乗り込む。ワゴンはフンザ川沿いの道をけっこうな速度で走る。川幅はすぐに狭くなり山が迫ってくる。落石や水の流れが道をふさいでいる。道路補修の必要な所はたくさんある。
聞くところによるとカラコルム・ハイウエーの補修は中国政府のODAで行っているという。たしかに中国人技術者と労働者が中国の資材を使って道路を補修している。彼らのために中国から食材も届けられる。
橋を2回渡ると緑の豊かなところに出た。ここがフンザの谷であった。フンザとはこの地域の総称で,フンザ村というようなものはない。
宿があるカリマバードまでは,KKHからリンクロードをたどる乗り合いジープで上らなければならない。分岐点でジープを待っていると,運良く通りがかりのジープが無料で上まで連れて行ってくれた。
コショウサンGHはシングルが無かったので,「Mulberry Inn」のドミに泊まることにした。ここは16畳ほどの広い部屋にベッドが8個並べられている。部屋代は50Rpという安さで,ベッドもトイレも清潔でありまったく問題は無い。
水のシャワーも日中の暖かい時間帯なら使用可能だ。ただし,水道の水はキラキラした鉱物の破片が含まれており,灰色に濁っている。氷河の融雪水なので雲母などの鉱物が含まれているという。
午後になってグルミットの宿で一緒だった韓国人の二人連れがやってきて,再会のあいさつを交わす。旅をしていると,同じ人と異なる町で出会うことがある。そんなときは,その後の旅行体験などの話に花が咲くことになる。
フンザの谷はとても広い,川岸から続く緩やかな斜面がすべて緑化されている。ひときわ高いところにあるバルチット・フォートの背後にウルタル峰がそびえている。比較的なだらかな稜線の左がT峰,右が第U峰(標高7388m)である。フンザの標高は2500mなのでウルタルとの標高差はおよそ5000m,水平距離は9kmほどなので,カリマバードの背後にまさしくそびえている。
バルチット・フォートのすぐ後ろの植物のまったく無い岩山には一筋の水路があり,周辺だけは緑になっている。この水路はウルタル氷河の融雪水でカリマバードの水源の一つとなっているはずだ。
1991年にウルタル初登頂を目指していた日本人登山家の長谷川恒男さんが雪崩に巻き込まれて遭難死した。彼の遺言により長谷川夫人と登山仲間が協力してフンザの地に学校を造ることになった。「ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクール」と呼ばれている学校は1997年に開校した。
方角が悪くてマルベリー・インの庭からは見ることができないが,フンザ川の対岸の風景もすばらしい。正面の二つの山の切れ目から標高7257mのディラン・ピークが覗いている。前景の山のすぐ背後にあるように見えるが,カラコルムの詳細地図でチェックすると20kmほど離れている。
カリマバードの正面右には標高7754mのラカボシが美しいシルエットを見せている。こちらも20kmほど離れている。快晴の空の青に白い稜線がくっきりと浮かんでいる。想像以上にきれいな山だ。たいした苦労もしないで,これほどの雄大なパノラマを間近に見ることができるフンザは,山が好きな人にとっても桃源郷であろう。
フンザ周辺の地名には「Sumayar Nagar」「Karimabad」のように「nagar」あるいは「abad」が付くことが多い。地域言語のウルドゥ語由来の言葉かと思っていたら,ヒンディー語由来ということが分かった。「nagar」は町や市を意味し,「abad」はより大きな都市を意味する。パキスタンの首都は「Islamabad」はイスラムの都市を意味する。
フンザの里は斜面に沿って集落間の道があり,朝の散歩にはちょうどよい。谷側が開けているビューポイントを探しながらのんびり歩く。右側には用水路があり,灰色ににごった氷河の水が流れている。地元の人たちはその水をそのまま飲んでいる。
そういえば,宿の水道も同じようににごった水が出ていた。両手で受けると多量の鉱物が含まれているだけで,特に汚染されているわけではない。用心のため,僕は歯磨きの後には,飲用水で口をゆすいでいた。
制服姿の小学生が歩いている。一緒に行くと山の上の学校に着いた。けっこうな距離があったが,さすが山の子は歩き慣れている。校庭(というほど広くはないけれど)には大勢の子どもたちが集まっている。
生徒数は270人,1-9学年で構成されている。朝礼が始まると年長の女の子がみんなの前でお祈りを始める。教室が足りないのか2つの学年が1つの教室に入っている。校舎の壁はコンクリートブロックのような切石が積み上げられており,そこに出入り口や窓がちゃんと取り付けられている。
低学年生の授業は校舎の外であった。強い日差しを避けるために校舎の日陰のところにゴザが敷いてある。中にはまだ小学校に上がる前の年齢の子どもたちも含まれている。
低学年の女の子の髪は一様にショートである。中には丸刈りの子もいる。お湯をふんだんに使うことは考えられない地域なので,頭を洗いやすくしているのであろうか。
でも,みんな教科書を開いて元気に勉強していた。コーランを読むためのアラビア文字,パキスタンの公用語であるウルドゥ語も習っているという。子どもたちは繰り返し声に出すことにより,文字と言葉を覚えていく。
宿に戻り休んでいると韓国人の二人が食料を調達して戻ってきた。ピザ風のナンがおいしかった。ナンの上にポテトとタマネギを置いて焼き上げたもので,2枚もれば十分に一食になる。二人にこのナンを売っているパン屋の場所を聞いておく。
今日は久しぶりにお天気が良い。このところ雲が多く雨模様の天気が続いていた。フンザ川の向こうにディランとラカボシが美しい姿を見せている。朝食も忘れて朝の散歩を続ける。
谷の西側に行くと風景が変わる。カリマバードが一望にできるし,ラカボシのビューポイントもあるし,かわいい少女にも出会える。この写真を東ヨーロッパで撮ったと言っても信じてもらえるだろう。
フンザは別名「杏の里」と呼ばれている。村中にアンズの木が植えられており,7月中旬になると黄色に色づき食べごろになる。何でも村のアンズの木は誰が採ってもいいとのことである。でも,採りやすいところのものはすでに無くなっており,後はちょっと努力しなければならない。
子どもたちと一緒に枝をゆすって,落ちてきたものを拾い集める。僕の取り分は15個もあれば十分だ。滞在2日目に強い風が吹いた。道路には熟した実が大量に落ちる。車に踏まれて哀れでもあり,歩行者も悲惨でもある。
フンザはじゃがいもの収穫時期であった。原産地のアンデスと気候風土が似ているので,じゃがいもの栽培には適していることだろう。表皮が赤みを帯びており,日本ではあまり栽培されていない品種だ。でも,僕の故郷の北海道では「キタアカリ」のブランドでけっこう人気がある。
パスーではそのまま塩茹でにしてもらった。ナンやチャパティを食べ飽きていたのでとてもありがたかった。収穫されたじゃがいもは大きな袋に入れられ,100kgあたり1200Rpで出荷される。
パキスタン北部の山岳地帯では,すばらしい石積みの技術が見られる。自然石を組み合わせて家の壁を作ったり斜面を補強したりする。丸い石は使わずに角のあるものを使用する。
平らな面をそろえて壁面は凹凸がないように積み上げることにより,セメントや漆くいを使わなくても立派な壁が出来上がる。その地域の資源だけで生きていくため,人々の知恵と努力が伝統的な技術を生み出した。
カリマバードから小さな尾根を越えるとアルチット村になる。尾根筋を行くとムスリムの墓地が広がり,その先にビュー・ポイントがある。
そこからは左手にアルチット村,正面にゆるやかに蛇行するフンザ川と対岸の村,右手にはカリマバードとその先のアリアバードの緑が一望にできる。また背後にはウルタルが大きく迫っている。天気さえ良ければすばらしいパノラマを楽しむことができる。
アルチット村でじゃがいも収穫の様子を見せていただいた。みんな忙しいので小さな子どもは一人で遊んでいる。まず,じゃがいもの茎を引っ張り,抜いてしまう。畦をこわすように掘っていくと表皮の赤っぽいイモが出てくる。
道具はクワと先のとがった細身のスコップだ。日本でも自然薯を掘るときこのような道具を使用する。ちょっとやらせてもらったが,掘るときに足が使えないので苦労する。道具をお返しして写真に専念する。