川を渡る (参照地図を開く)
カルナリ川はこのあたりの川を集めた大河である。川幅は400mほどはあるだろうか。雨期の終わりのため,水量は多い。エンジン付きの渡し船が対岸からやってくる。大きな船で水牛が10頭ほど乗せられている。船着場は特にない。ボートは船首を川岸の泥につけて止まった。
ヒマラヤの谷から流れてくる川が何本もタライ平原を分断している。カルナリ川を渡ってから,2本の浅い川を渡ることになった。僕は靴と靴下を脱ぎ,ザックにくくりつけて川に入った。冷たい水の感触がとてもうれしい。
川を越えると炎天下をひたすら歩くことになる。ようやく,集落にたどりついた。ここでは家の補修が行われており,女性や子どもたちが壁に塗る粘土をこねている。粘土は容器で運ばれ,手で延ばすようにして上塗りをしていく。ところどころに手形が残っている。その手形は「ここは私が塗ったのよ」と主張しているようだ。
しかし,ガイドとこの村の長老の話は不調に終わり,ここで泊まることはできなかった。再び歩き出す前に井戸を借り,頭に水をかけて元気を取り戻す。運良く同じ方向に行く牛車が見つかった。屋根は無いので日差しは防げないが,歩かなくてすむのはありがたい。
タルーの村
次のタルーの村にようやくたどりついた。集落の家屋は土壁,草葺である。家畜小屋は丸太を囲い,草葺の屋根を付けたものだ。広場には水牛がのんびりわらを食んでいる。若い村長との話し合いにより,物置の中に泊まることになった。ここには布団を敷いた縄ベッド,それに蚊帳がついている。ガイドの持参してきた贈り物が役に立ったのか,そこは客用の住まいのようだ。
まず,井戸を使わせてもらい水浴びをする。夕食のため村長の家に行く。部屋の床は家の壁と同様に粘土を固めたものであった。台所も見せてもらった。同じように床は粘土になっており,中央にかまどがある。少なくとも5人の子どもがこの家にはいる。ベッドは見当たらないので,床の上にそのまま,もしくは布を敷いて寝るようだ。
壁際には大人の背丈ほどある粘土製の大きな壺が置かれている。全体は直方体で上部は壺のように口が狭められている。この中には収穫した穀物が貯蔵される。夕食はダルカリーと沸かした水牛のミルクであった。土間に布を敷いただけの席が用意されていた。
その夜は蚊帳の中でぐっすり寝ることができた。水道も電気もない村だが,不思議な安らぎのある村だ。大人も子どもも,厳しくも穏やかな日々を送っている。ひるがえって,僕の住んでいる日本は,次々と出てくる新しい商品が限りない欲望を刺激することにより,経済が成り立つ社会である。それと対極にある,このような村に短い時間でも滞在すると,「人間が生きていくためには,それほど多くのものはいらないんだ」ということに気が付く。
シャボン玉に歓声を上げる
翌朝,広場に出ると子どもたちが集まっていたので,シャボン玉を見せてあげた。おそらく初めての経験なのだろう。子どもたちは(たぶん)はじめて見る不思議なものを,歓声をあげながら追いかける。はるばる日本から持ってきて良かったと思う。僕は年長者にセットを渡し,写真に専念する。
シャボン玉が一段落したので,持参してきたキャンディーとフーセンをみんなに配ることにする。こんなとき,不用意にプレゼントを見せると,奪い合いになることもあるので,村長にお願いして子どもたちを並ばせてもらい,一人一人に手渡した。これで何とか70人弱の子どもたちにプレゼントを渡し終わった。
魚とりに出かける
村長にお礼を言って村を離れる。昨日の道を歩く。浅い川にさしかかったとき,網を持って歩いていく女性たちを見かけた。短い前止めのブラウス,短い巻きスカート,頭の上には魚篭を取り付けている。網は半円形の木枠に取り付けてある。彼女たちは泥色ににごった川の中に円陣を組んで,網を水中に入れる。円陣の間隔を狭めていく。運がよければ魚が入ることもある。
ネパールの社会構造
子どもたちが刈り取った草を集めている。たかが雑草もここでは牛や水牛のための重要な飼料である。農村では子どもたちも大事な労働力だ。おそらく,学校に通っている子どもたちは少数派であろう。それ以前に,近くに通える学校があるのだろうか,学校で受け入れてもらえるのだろうか?
旅行者にとっては楽園のように映るネパールも,歴史的な背景をもつ社会構造は極めて複雑である。ネパールの地勢は大きく北部(山岳部),中央部(丘陵部),南部(タライ平原部)に分けられる。言語集団分布は,山岳部はチベット・ビルマ語族,タライ平原部はインド・ヨーロッパ語族,丘陵地帯では両者は拮抗するとともに混じりあい,複雑な民族分布を形成している。
人口の約8割はヒンドゥー教徒で占められているので,カースト制は社会の骨格の一部になっている。カースト制度は丘陵地域,カトマンドゥ盆地,タライ平原部により異なり,全体として29もの人口集団に分けられる。
1990年の民主化運動で絶対王政が廃止され,新たに起草された憲法は「ネパール王国はヒンドゥー教の立憲君主王国である」としている。カーストに基ずく差別は禁止されたが,カースト制度は容認されている。したがって,社会の階層化と差別的処遇は,人々の意識の中に,あるいは職業選択において存続している。
立派な橋と蛍の宿
バルディア国立公園の近くに地域には不似合いな,近代的で立派なつり橋がかかっていた。近づいて見ると橋の起点にプレートが張ってあった。そこには日本語で「施工○○重工」と記載されていた。この日本からの援助が無償ならばいい。しかし,借款であればネパールにとってその金額を返済するのは容易ではない。
バルディア国立公園の中にある「Jungle Cottage」に泊まった。客はすべて欧米人の旅行者である。このような宿泊施設も彼らのガイドブックには掲載されているようだ。母屋は立派なロッジで,宿泊施設はちょっと上等の小屋である。部屋は土間であり,そこに蚊帳を張った簡単なベッドが置かれている。
夕食後,ロッジでお茶を飲んでいると,窓の網戸の向こうに小さな灯りが見える。外に出て確かめてみると体長は10mmほどの小さな蛍であった。近くの木に多くの蛍が集まり,イルミネーションのようになっている。周囲は暗いのでみごとな光のオブジェになっている。メスとの出会いの確率を高めるため,このように集団化するらしい。