アジメールから山をひとつ越えたところにあるヒンドゥー教の聖地。町は聖なる湖を取り巻くように広がっている。湖は宇宙の創造神ブラフマーが手にしていた蓮華が地上に落ち,そこから水が湧き出したと伝えられている。いってみればここはブラフマーの聖地ということになる。
湖の東側と北側には巡礼宿が取り巻いており,岸辺はガートになっている。大勢の巡礼がここを訪れ,湖で沐浴する。毎年11月の満月の時期にプシュカル祭には20万人の巡礼が訪れる。そして郊外では盛大なラクダ市が開かれ,近郊の遊牧民が何万頭ものラクダを連れて集まってくる。
プシュカルの宿の名は忘れた。2ベッド,トイレ・シャワー付き,清潔であった。しかし,裏手の横が坂になっているため,僕の部屋は窓が無かった。板戸を持ち上げると少しだけ外が見え,風が通る。また,横の坂を通る人の話し声がうるさい。宿のスタッフは親切だったので,それなりに居心地のよいところであった。
ここは欧米人の旅行者が多いので食事には苦労しない。彼らのためのビュッフェ・スタイルの食堂で夕食はいただいた。目抜き通りには「Buffet Restaurant」と書かれた看板がいくつかあるので,簡単に見つかる。メニューは西洋風のものとインド風のものが混在しており,味も悪くない。
祈りと音楽
湖の東側の広場にいた。かすかに低い歌声が聞こえる。近くの寺院からのようだ。中に入ると男性が小型のオルガンを弾いていた。男性の額には大きくUの印が描かれている。それはビシュヌ神を表す聖なる記号である。
周囲の人々は女性が多く,オルガンに合わせて聖典の一節を唱和している。ヒンドゥーには特定の聖典はないので,彼ら独自のものなのかもしれない。祈りの声は途切れることなく,僕がその場所を離れても続いていた。
寺院での食事
寺院の中庭では巡礼者のための食事が始まっていた。人々は向かい合うように2列に並んでいる。廊下のところから眺めていたら,一緒に食事をするように言われた。このあたりがインドの懐の深さである。
食事はカレーと水だけだ。目の前の金属製の皿にごはんとカレーが盛られる。水は持参のミネラルウオターにする。右手でごはんとカレーを混ぜて口に運ぶ。簡単な動作であるが,慣れないとごはんがこぼれる。大地の恵みはおいしかった。それは感謝というスパイスが効いていたからかもしれない。
ひとこぶラクダ
ラジャスターンに入るとラクダが目に付くようになる。粗食に耐え水無しでも何日も移動できるらくだは,まさしく砂漠の船にふさわしい。
つながれたらくだは,自分たちが引く荷車の上に置かれたえさ箱に顔を付け,口を左右に動かしなにやら飼料を食べている。飼い主は中でチャーイで休憩しているのだろうか,一休みしたら次の仕事が待っているよ。
女性たちの一団が通る
女性たちの一団が通る。ラジャースタンでは女性の服は原色に近い色が多い。その服装もサリーではなく,ブラウスとくるぶしまでのスカートの組み合わせである。この服装がラージプトの民族衣装なのであろう。午後の陽射しの中でスカートの彩りがゆれる。すでに沐浴を済ませてきたのだろうか,女性たちの動作がなんとなく華やいでいる。
頭の上に荷物を載せて歩く女性もいる。頭の上にまるめた布を置き,荷物を安定させているものの,手を離して歩いても荷物は落ちることがない。彼女の服装は同じ色の長袖ブラウスと,スカート,そしてショールの組み合わせである。ただし,正面からの女性の写真は難しい。商店のあたりから通りの一部として撮らせていただく。
ツーリストエリア
湖の北側に目抜き通りがあり,そのあたりがツーリスト・エリアになっている。通りの両側には巡礼者目当てのたくさんの土産物屋が並んでいる。人形劇用のマペットがたくさん吊るされており,彼らの着ている民族衣装がとてもいい感じだ。でも,これは持ち帰れないので写真にとどめよう。
聖なる湖
聖なる湖はおよそ500m四方の大きさである。湖をとりまくように白いガートと白い巡礼宿が並んでいる。何か宗教的な意味があるのか,見事なまでに白で統一されている。
屋根の上に小さなドームや柱で支えられた傘のようなチャトリ(小塔)が置かれている。インド・イスラム建築がこの地域にも影響を与えている。
湖の東から見ると右半分はほとんど隙間なく建物に埋めつくされている。そして,その向こうにはゆるやかな起伏の山が取り巻いており,なんとなく聖地らしい。近くの仕切りのあるガートに女性たちが集まっている。水に身を浸し手を合わせて祈っている。なんとなく写真はいけないような気になる。
彼女たちは,嫁ぎ先の父母のこと,夫のこと,子どものことを祈っているにちがいない。家族の幸せの中に彼女たちの幸せがあるのだから。
聖地では多くの巡礼が訪れ,祈りを捧げる。そのときたくさんのお供え物が,ガートの周辺に置かれる。人間がいなくなるとお供え物は,動物たちのごちそうになる。ここではヤギと猿が仲良く食事にありついている。猿は尾が長く,顔の周囲に白い毛のあるハヌマーンである。
中にはのんびりノミ取りをしている2匹もいる。いかにも聖地にふさわしい光景である。しかし,聖地の外の人間社会においては,人々が経済発展の果実を分け合うことはない。経済発展の陰で,インド社会の貧富の差は許容されないレベルにまで拡大している。
聖地の夕暮れ
夕暮れが近づくと旅行者は湖をはさんだ夕日を見るために,湖の東岸に集まる。ガートの階段は旅行者でいっぱいになる。ほとんどが欧米人の長期滞在者である。
彼らは本当に夕陽を眺めるのが好きな民族だ。西の空と湖がうすい茜色に染まる。夕陽はかなたの山に沈み,わずかな残照が湖に巡礼宿のシルエットを写す出す。静謐があたりを支配していている。
日がすっかり暮れると,夕陽見物の場は大道芸の場に変わる。急にあたりは騒がしくなる。演じているのは欧米人の旅行者である。演目は両手におもりを付けた紐を持ち,いろいろな動作で回すものだ。
単一の動きではなく,人により回し方が異なる。おもりの部分に灯油かガソリンを浸した布をかぶせ,火をつけて振り回すときれいな光の軌跡となる。上手な演技には見物人から拍手がわく。
朝の風景
砂漠の朝はけっこう寒い。男たちは朝日で身体を温めるようにイスに座っている。チャーイ屋も繁盛している。熱い液体と砂糖により体が温まる。防寒用にショールを巻いた男たちはダンディである。
写真を撮っていると,「遠慮しないでもっと近くで撮りなさいよ」と声をかけられる。ありがたくもう一枚撮らせていただいた。男たちに礼を言ってもう一杯チャーイをいただいた。