亜細亜の街角
ヒンドゥー教最大の聖地
Home 亜細亜の街角 | Banaras / India / Feb 2000

バナーラス  (地域地図を開く)

北インド観光の最大のハイライトがバナーラスである。ガンガーの南岸にあるこの町は,シヴァ神の都であり,ヒンドゥー教最大の聖地でもある。川岸には歴代の有力者が寄進した巡礼宿が隙間なく並ぶ。

ヒンドゥー教以前からこの地は聖地とされ,度重なるイスラム教徒の侵入,イギリスの支配下においても,聖地であり続けた。現在のバラナスは年間100万人を越える巡礼者が訪れる。

ボードガヤ→バナーラス移動

ガヤの駅でバラナスまでの乗車券を買った。チケット売り場にはガイドレールがあり,一列に並ぶようになっている。しかし,窓口に近づくと我先にと手を入れ,大混雑が続く。こんなとき,ヒンディーが話せない外国人は圧倒的に不利だ。僕の肩越しにいろんな手が伸び,さっぱり順番が回ってこない。しかも,ここでは指定席がとれない。

列車が入線してくる。寝台車タイプの車両は混んでおり,座席に坐る余裕はない。親切なおじさんが3段目の座席を示してくれた。荷物を上げ,横になってバナーラスまで移動する。バラナスの宿はクミコハウスの個室である。部屋は3畳,T/Sは共同,朝食と夕食がついている。窓の外はテラスになっており,正面にガンガーが見える。

聖地の中の聖地の燭光

早朝に目を覚まし,窓の外を眺める。聖なる河は聖なる大地を音もなく流れていく。暗い空間がどこまでも広がり河と空の境も定かではない。正面の空が少し白んでくる。暗い空間はモノクロの世界に変わり,じきに色彩の世界にとって代わられる。外に出てみる。シルエットの中で祈りの支度をしている人々,小舟を動かしている人々,聖地の中の聖地にいることを実感する。

主役の坊やは意味が分からない

3000年の聖地

ヒンドゥー以前から人々はここに集い,大いなる力に対して祈りを捧げてきた。人々は川岸を埋め尽くすように巡礼宿を建設し,大いなる聖地を造り上げてきた。数え切れない人々がここで祈り,数え切れない人々がここで最後のときを迎えた。数え切れないほどの供物と遺灰が流され,輪廻の海に帰っていった。

今も大勢の人々がガートに集まり,聖なる川で沐浴している。石段を降り,ガンガーに身を浸す。鼻をつまんで水にもぐる。男性も女性もガンガーの功徳を求め同じ動作を繰り返す。小さな子どもは親に抱かれて水に浸けられる。

何かお祝いの儀式であろう。着飾った男の子がこれからガンガーに浸されようとしている。服を脱がされる段階から,男の子は泣き出した。彼は母親によってガンガーに浸された。

寒さと怖さで彼は大泣きに泣いた。川から上がりタオルで拭いてもらい服を着せられ,母親の膝に抱かれてようやく泣き止んだ。年端のいかない子どもにとっては,神聖な儀式も恐怖の体験であったことだろう。

バラナスで死ぬことを最高の幸せと考え,「死を待つ人の家」で過ごす人々も多い。そのような施設を見たくて裏通りを歩いてみた。本当に迷路である。通りは建物にさえぎられ,行き止まりになることが多い。目指すものは見つからず,簡単に道に迷ってしまう。腕時計の方位計で東を向かって歩く。何回かの角を曲がり,ようやくガンガーが見えた。

川岸には多くの小舟がつながれており,巡礼者や旅行者を乗せてガートの近くを遊覧している。インド人のグループと一緒に船に乗る。川から見る景色はすばらしい。川岸を埋め尽くすように立ち並ぶ巡礼宿がはるか先まで見渡せる。すぐ近くで大勢の人々が沐浴をしている。

夜の儀式

日が暮れると儀式台ではバラモンの僧が火を使った儀式を執り行う。手に持った蜀台にはたくさんの小さな灯明が付けられており,ギーが燃やされている。

ギーの炎はヒンドゥーにおいては聖なるものらしい。バラモンは蜀台を振りかざし川面を照らす。聖地における聖なる儀式は悠久のときを越えて受け継がれている。


祈りの風景

一族総出で聖地を訪れたのであろうか。河に向かいかれこれ1時間も熱心に祈りを捧げている。神の名前を唱えているのであろうか,マントラを唱和しているのであろうか,彼らの表情は聖地で祈ることのできる喜びで輝いている。祈りによる陶酔,陶酔の中の祈り。人生においてこのような時間をもてることは,きっと幸せなことなのだろう。

カーストと職業

ガートの一画には毎日洗濯をする人々の姿が見られる。遠い遠い昔に成立したカースト制度は,身分制度と出自による職業の世襲制度として,現代インド社会の中にしっかりと根を下ろしている。洗濯を職業とするカーストの人々は,次の世代も,その次の世代も洗濯屋になるしかない。

異なったカースト間の結婚には大きな困難がともなう。この制度を人に対する差別として非難するのはたやすい。しかし,宗教と文化に深く裏打ちされたカーストは,人々の「こころ」の意識改革なしにはなくならない。

ガートの風景

人生の晴れの日

ヒンドゥー教徒にとって結婚式は神聖なものだ。男親の最大の責務は娘を嫁がせることである。多額の持参金で家が傾こうともそれはしかたがない。女性は結婚により一人前とみなされ,サリーを着ることを認められる。花嫁の結婚式用のサリーは光輝いている。両親の汗と涙の結晶を着て娘は新しい人生を始める。結婚を祝福してもらうため人々はこの聖地を訪れる。

生と死が交錯する大地

バナーラスには死者を焼くガートもある。祈りの傍らに死が存在し,それは生の続きにある。肉体は仮の入れ物であり,死は魂の解放である。輪廻転生により次の生を受けることなく,魂が天上界に留まることが人々の願いである。

バナーラスで遺灰をガンガーに流してもらうと,輪廻転生から解脱できるという。男たちだけがその聖なる儀式に参加できる。荼毘の煙が薄く立ち昇り死者の魂が天に帰って行く。

街を歩くと

争う神々の大地

バナーラス最大のガート,ダシャーシュワメードの西側に大きな通りがあり,少し行って右に曲がるとヴィシュワナート寺院がある。ここはシヴァ信仰の中心地である。当然,異教徒は入れない。

黄金色に輝く寺院は数奇な運命をたどった。一時期イスラム教徒により支配され,大伽藍は破壊され,その上にモスクが建設された。聖地が再びヒンドゥー教徒の手に戻ったとき,現在の黄金寺院をモスクの一角に建立した。聖地を巡る怨念と対立は現在も続いている。モスクと寺院が並存するこの一画は写真禁止であった。争う神々の大地に仲裁者はいない。

ガンガーで祈る人々


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